迷子 喧騒の中、シャツの裾を引っ張られた感覚に足を止める。視線を落とせば、ぐすぐすと嗚咽をこぼしている5歳程度の少年が、私のうにうにTシャツを掴んでいるのが目に入った。視線を逸らす。
「あっ、ネコ〜」
「おじさん、ママのこと見なかった?」
「……」
しつこいな。しかしスマートフォンを見やれば、開演時間まではまだ時間があることがわかる。数秒考えたのち、私は優しいから子どもには優しくしないとなあと思って、腰を落として視線を合わせ、笑顔を返して見せた。
「おじさんじゃないですよ〜。お兄さんです。お母さんとはぐれちゃったんですか?」
少年は、その小さな身体に見合わない、そこそこ大きな商品袋を下げていた。大方、お母さんが御手洗いかなにかに行っている間、外で待たされていたが、移動してきてしまったのだろう。ここは、映画館などを含む商業ビルだ。そのため人が多く、迷ってしまう子どもも少なくない。
優しく声をかけたにも関わらず、少年はぐずるばかりで、ろくに答える様子がなかった。面倒だが、暇潰しだと思って付き合ってあげてもいいだろう。うにうにならそうするだろうし。そう考えて、シャツを掴んでいた小さな手を取る。
「しょうがないなあ。ほら、お兄さんがガチャガチャを回してあげますよ。元気出してくださいねえ」
俯いたままの少年の手をそのまま引いて、本来の目的地であったガチャガチャコーナーへと寄ることにした。人混みから少し離れたその場所に辿り着くと、少年はようやく顔を上げて、憧れのような色の瞳を、色とりどりの筐体へと向ける。しかし、ここに向かう時点で、回すものは既に決めていた。
少年にハンドルを回させて、出てきたカプセルを手渡す。少年は小さな手に力を込めてそれを開けると、その中から茶色の物体を取り出した。
「わあ、茶色いウニですねえ。若いウニは砂を食べるので、こんなふうに色が薄いんですよ。これから黒くなりますからね〜」
「お兄さん、ハリネズミって書いてあるよ」
「ハリネズミ系のウニですよ〜」
「そうなんだ……」
案外素直でかわいらしいかもしれない。すっかり涙の引っ込んだ大きな目が、きょとんとこちらを見上げていた。
「落ち着いたなら、お母さんを探しに行きましょうねえ。どこではぐれたか、わかりますか?」
「エレベーター近くのトイレのとこ。ママ、きっと僕のこと、探してるよね」
「心配しているでしょうねえ。すぐそこですから、一度見に行きましょうか。もし見つからなくても、迷子センターがありますから、大丈夫ですからね」
少年は元気よく頷くと、大きな荷物をしっかりと抱え直した。それが重そうに見えたため、持ちましょうか?と尋ねる。しかし彼は、ぶんぶんと首を横に振った。
「だいじなものだから、僕がちゃんと持っておくんだ」
「へえ、えらいですねえ。中身はなんなんですか?」
「よくわかんない。でも、お祭りで使うんだって」
「お祭りですか、楽しみですねえ」
「うん!」
力強く商品袋を持ち上げた少年が、私を見上げて笑顔を見せる。もう、私が手を繋ぐ必要はなさそうだった。
「あっ、ママ〜!」
ある女性を見つけるや否や、少年が、彼女に向かってまっすぐに駆けていく。そのまま抱きついて、またわんわんと泣き出した。女性がその背中に手を置いて、少年に声を掛ける。
「どこに行ってたの? 心配したんだよ」
「ごめんなさい。なかなか戻ってこないから、不安になって……。でも、あの人がここまで連れてきてくれたんだ」
「そうだったの。すみません、息子がお世話になりました」
「大丈夫ですよ。無事に見つかってよかったです〜」
女性は恐縮した様子で、少年とともに頭を下げた。私が微笑んで答えると、彼女は自身の鞄にスマホを仕舞って、中から手のひらサイズのなにかを取り出した。
「ほら、お礼にこれをおじさんに渡してあげて」
「お兄さんだよ、ママ」
少年は涙を拭うと、お母さんから渡されたそれを手に、ぱたぱたと駆け寄ってきた。そのまま背伸びをして、小さな小包のようなものを差し出す。手にとって掲げてみる。そこには、星と目をかたどったような、独特な模様が描かれていた。
「へえ、面白い模様ですねえ。なんですか、これ?」
「お守りです。つまらないものですが、お礼として受け取ってください」
「わあ、ありがとうございます。大切にしますねえ」
女性は嬉しそうに微笑んだ。
お母さんのもとへと戻っていく少年と、笑顔でお互いに手を振り合う。離れていく、しっかりと手を繋いだ親子の後ろ姿を見送って、受け取ったその手作りらしいお守りを、そのままゴミ箱へと投げ入れた。
登場人物
少年:某怪しい教団二世。素直なため、どっぷり浸かっている。ママのことが大好き。
ママ:某怪しい教団の教団員。お守りと称して、よくないアーティファクトをばら撒いている。お祭り(儀式)の準備のため、買い出しに来た。御手洗いでほかの教団員と内通していたところ、出てくるのが遅くなった。