店主急用により、午後の営業はお休みします。レイマシュふうふ小話4
『店主急用により、午後の営業はお休みします。』
街の中心部より少し離れた、比較的静かな場所にある[ビアード・マッチョ]ーーマッシュが経営する、不定休のパティスリーだ。主にマッシュの大好物であるシュークリームを中心に販売しているが、練習の成果が発揮されて今やクッキーやフィナンシェなどの焼き菓子や、季節のフルーツを使ったケーキも作れるようになっていた。
味はもちろんのこと、マッシュの人柄や世界を救った英雄のお店…などの話題が集まり、ありがたい事に開店してから客足が途絶える事なく順調だった。
だがここ最近、客足が途絶えない理由がもうひとつある事を、店主は知らないーー。
゜:。* ゜.
「ここのシュークリーム、美味しくてまた食べたくなっちゃたのよ〜。そうね、4ついただくわ。」
「ありがとうございます。そう言っていただけて、僕も嬉しいです。」
「っ…!」
紙袋にシュークリームを入れながら、マッシュはふわりと微笑みを浮かべた。普段は働かない表情筋だが、たまに見せる微笑みにノックアウトされるお客も少なくない。今し方シュークリームを4つ注文した品のあるマダムも、その微笑みに心を奪われ、可憐な少女のように頬を赤く染まっていた。
「ま、また来ますわねっ…!」
「…?(顔が赤くなってる。熱でもあるのかな?)またのお越しをお待ちしてます。」
『….またマッシュの無自覚のヤツか…。これで何人目だよ……。』
そのクソ可愛い表情を客じゃなくてオレに向けろよな…と嫉妬混じりの怒りを込めているのは神覚者であり、マッシュの夫であるレインだった。
本日仕事休みであるレインは、レジで接客しているマッシュをキッチンから覗き見をしながら、イートインスペースで使用されるカトラリーの乾拭きをしていた。
「レインくん。」
「ん?」
レインの醜い嫉妬を知らないマッシュは、ひょっこりとキッチンに可愛い顔を覗かせる。レインも先程の嫉妬がどこかに消え、いつものように返事をした。
「お客さんも今ちょうど帰ったから、一旦お店を閉めてお昼にしませんか?」
「ああ、もうそんな時間か…そうだな。昼飯はオレが作るから、お前は先に休憩しておけ。」
「ありがとう、レインくん。じゃあ僕、お店の看板変えてくるついでに鉢植えの水やりしてくる。」
「ああ。気をつけろよ?お前変なモンに絡まれやすいからな。」
「鍛えてるんで心配しなくても大丈夫だよ。んじゃ行ってきます。」
そうやり取りをした後にマッシュは外へ出ると、レインは残りのカトラリーの乾拭きを終わらせて昼食の準備へ取り掛かった。
゜:。* ゜.
「シューはシュークリームのシュー♪」
看板をcloseに変えて軽快な自作ソングを口遊みながら、マッシュはパティスリーの玄関周りに置いてある鉢植えの草花に水を与える。自然の中で育ったのもあり、身近に感じられるように季節の草花からオーソドックスなものまで、マッシュがひとりで育てているのだ。単純に玄関周りが少々寂しかったというのもあるが、好きなものに囲まれているのはやはり癒しになり、束の間の心の休憩にもなっていた。
「よし、これぐらいかな。」
「あのぅ……」
水やりを終えると、ジョウロを鉢植えの隅に置いて一息ついた。すると背後からやや小太りな中年男性がマッシュに声を掛けてきた。
「はい?いらっしゃいま…」
「あぁっ…やっと…やっと出会えたっ…マッシュ・バーンデッド!!私のマイハニーっ!!」
「…え?いきなり何?え、怖。」
振り向くと同時にガシッとマッシュの両手を掴まれた。掌から伝わる妙にじっとりとした手汗の感触が、マッシュを嫌悪感で包む。
そんなことをお構い無しにこの男性客は、興奮気味に握りしめている手を揉み込む様に触れてくる。
「っ…!?」
その瞬間背中を中心に全身がゾワゾワと嫌なものが這いずり回る感触がした。
「以前貴方のお店でお買い物をした際に、貴方の柔らかい天使の様な微笑みに私は心を奪われましたっ…!」
恍惚な眼差しをマッシュに向け、早口で思いの丈をぶつけだした。
お店に買い物という事は、以前に来ていたお客さんの一人だろう、と思ったが『天使の様な微笑み』に関しては身に覚えもないために理解出来ずにはぁ、と気の抜けた返事しか出来なかった。あとは汗でじっとりとした気持ち悪い手を早く離して欲しいと思うばかりだった。
「あの、手を離しもらえn…」
「あの日から私は貴方に夢中で夢中で恋にも似た感情を抱いているのですっ!」
「ぅわ…きもちわるい…」
ただでさえレイン以外の相手に気安く触られて不快感がある上に、告白紛いな言動にさすがのマッシュも引いて思わず言ってしまった。だが、幸いにも相手には聞こえておらず、つらつらと聞けば吐き気のする言葉をマッシュに浴びせていた。
「あの…マッシュさんは…お独り身ですか?」
「え…いや僕こう見えて結婚してるn…」
「嘘付かないでくださいよ。指輪、してないじゃないですか。」
結婚してると聞いた途端に、男の声音と目付きが変わった。
目線はマッシュの左手に向けられ、マッシュのしなやかな薬指には結婚指輪など一つも身につけてない。
「衛星面上の理由で指輪をつけられないんで、代わりにネックレスにしてるんです。嘘じゃないですよ。」
証拠でネックレスにしている結婚指輪を見せてやりたいが、相変わらず握られた手は離さないままだ。男の目には光が無く、マッシュを見つめており、ニチャア、と音が聞こえるような口を開くと言う。
「私はそんな嘘を信じないですよ。」
「うわー…。」
出来たら足払いで仕留めたいところだが、場所は自分の持つ店の前で、男はあくまでも客のひとり。もし客に暴力を振るった、なんて問題になってしまえばレインにも迷惑を掛けてしまう。一大事の中でそんな事を考えてしまい、マッシュはこの状況から抜け出せずにいた。
『さすがにこれはやばい…。気持ち悪いし何より…怖い。』
いくら身体を鍛えていようが、嫌悪感と恐怖心がマッシュを支配して思うように動けなかった。
他に助けを求めようにも、ここは日中でも人通りの少ない場所であり、助けてくれる人はいない。そして今頃お昼ご飯を作っているであろうレインに自分の声が届くかさえ曖昧だった。
「…とりあえずこの手を離してくれませんか…?」
「嫌です。私の気持ちに応えてくれるまで離しません!」
「話通じないな、これは…」
途方に暮れる。すると握られていた男の手がスッと撫でるようにしながらマッシュの袖口に侵入してきた。
「ひっ…っ…やだ…レインくんっ!!レインくんっ!!!」
「私の恋人になってください、マッシュ・バーンd…」
ーーー10%パルチザン
突如現れた無数の大剣が、男に目掛けて激しい音と砂埃が舞い出す。
「ヒャッ…ヒャアアアッ!!?」
「水やりにしては随分と長いなと思ったら………汚ねぇ手でオレの嫁に触るんじゃねぇ…ゴミが。」
「レイ…ンくん…。」
放たれた大剣の隙にようやく解放されたマッシュを抱き寄せ、杖を構えて殺気立つ戦の神杖、レインは底冷えた目で男を見る。男は腰を抜かして動けなくなっていた。
「ヒッ……し、神覚者レイン・エイムズ…!?なんで……?」
「無事か、マッシュ?」
「う、うん…」
レインは男を無視して自身のポケットからうさぎのハンカチを取り出してマッシュの両手を包んだ。
「レインくん、…僕は怪我してないよ?」
「気休めだが、消毒だ。後で綺麗にしような。」
「ぅん…」
「大丈夫だ、オレがいる。」
「ん……」
ハンカチで包まれたわずかに震えるマッシュの手を、レインは包み込むように握った。ハンカチに込められた魔力のせいなのか、またはレインの持つ温かさなのか、じんわりと温かく、その温もりでマッシュはようやく安心したのだった。レインくんがいる。ただそれだけで、嫌悪感と恐怖心でいっぱいだったものが溶けていくような感覚にマッシュは俯いまま、静かに身体をレインに寄せると、レインは何も言わずに左手で優しく頭を撫でた。
「しっ…神覚者と言えども、私とマッシュ・バーンデッドとの恋路を邪魔をするでないっ!!マッシュは私の妻になると決まってるんだ!!こんな暴力的な奴にッ…マッシュは似合わない!!」
「あ"?」
まだ懲りぬ男がギャンギャンと喚くと、レインは睨みをきかせてブツッ…と何か切れる音と共に現れたのは、3本目の痣だった。
「サモンズ…」
「ダメだよ。レインくん。」
杖を右手で翳し杖に宿る神を呼び覚ます寸前に、冷静に呼ぶマッシュの声により掻き消された。
「なっ…マッシュッ!!?何故止める!!」
「それを出したら、僕たちのお家が壊れちゃうでしょ?」
「お前が言うかよそれ……チッ…分かった。だがあのゴミ野郎をどうにかしねぇとオレの気が済まねぇんだが…?」
殺意満々なレインを宥めつつ、相手をどうにかする方法をマッシュは考える。すると…
「……ありがとう、レインくん。大好きだよ。」
「ッ…!」
こんな状況の中で、マッシュは右手でレインの頬を添わせてそっと唇を重ねた。
「おま…こんな時に…んっ…」
「…ん、ちゅ…はぁ、まだ…気が収まらない?」
「もう少しだけ…」
「ふふ、いくらでもあげちゃいますね、レインくん♡」
「マッシュ…っ…」
優しく甘やかな表情をレインに見せて、チラッとほんの一瞬だけ男の様子を見るマッシュ。男は呆然としながら2人の濃厚な口付けをただ見ていた。
「私…の、マ…シュ…が…私の…天使の微笑みが……あぁ…」
ぶつぶつと言いながら、見る見るうちに男は抜け殻のようになっていく。
「まだ、居たのですか。」
「ひっ…」
「これで分かったでしょう?僕はレインくんのものであって、貴方のではないです。」
「あ…」
「あと僕の旦那さんは暴力的ではないです。よくそんな事を、僕に言えますね。」
「ひっ…」
「二度と僕の前に近づくな、ゴミ野郎。」
「…ひぃっ!す、すみませんでしたああっ…!!!!」
冷ややかな表情と淡々とした物言いが男の自尊心をグサグサと刺す。やがて男はその場から立ち去った。
「……マッシュ。」
「レインくん…急にキスしてごめんね。ああいうタイプは見せつけるのがいいって、前にレモンちゃんから借りた本に書いてあって…」
あわあわとレインに説明するマッシュをレインは抱きしめている腕を、ぐっと強めた。
「レインくん…」
「無事で良かった……。」
「ご心配おかけしました…。」
「全くだ…。だから気をつけろって言ったんだ。お前は変態に絡まれやすいって事を、いい加減自覚持て。そしてその嫁を持つオレの身にもなれ。」
「じ…自覚持てと言われましても…。」
「さっきの変態クソ野郎が言っていた微笑みもそうだ。」
「なんか言っていたけど、そもそも何なんですか?天使の微笑みとか…」
マッシュの投げかける疑問に、レインは大きくため息を吐いた。
「お前は無自覚で気づいてねぇだろうけど、接客中に見せるお前の笑顔が客の心を鷲掴みしてんだよ。」
「え、そうなの?全く身に覚えがありませんな。」
「だろうな…その笑顔を客じゃなくてオレだけに見せろ。客に嫉妬して、気が狂いそうになる……。むしろもう接客は控えて欲しいと思う時すらある。」
「さすがにお店を出す身としては難しい話です。」
「…分かってる。」
レインの無茶苦茶な願望に苦笑いしながら、マッシュは腕をレインの背中に回して抱きしめ返した。
「…あ、夕方の開店準備しなきゃ。戻ってレインくんが用意してくれたお昼ごはん、食べましょ?」
「午後の優先客、今日は居なかったよな?店はもうこのまま休め。明日にしろ。」
「えっ、そうですけどなんで、て…うわ…」
レインはマッシュの腰を掴んで寄せると、生理現象で硬くなった自身をマッシュに分からせるように、グリッと押し付けた。
「…っ、なっ…んで、かたくなってるの…?」
「お前からあんな風に熱烈に求められて、こうならない方がおかしいだろ。ったく無自覚に煽りやがって…あの場で致さなかったオレを褒めて欲しいくらいだ。」
「ひぇ…」
「いくらでもくれるんだろ?なあ、マッシュ?」
「んっ…ふぅ…」
今度はレインの方から、マッシュに口付けをする。
先程とは違う、舌が絡み合う甘くて濃厚な口付けが、マッシュの思考を蕩けさせる。
「ん…あげますよ。好きなだけ…んっ…ぁ…」
「ふっ…んっ…」
息もまともに出来ないほどの容赦無い口付けに、マッシュは力が抜ける。ようやく唇が離れると、ぽう、と逆上せたマッシュの熱を帯びた視線が、レインに向ける。
「レインくん…もう、お家へ…」
「こんなに蕩けてたら、午後の仕事が満足に出来る状態じゃないな。」
「ん……。」
マッシュはこくん、と小さく頷く。幸いマッシュのお店は定休日を設けておらず、店主の都合で店をお休みすることができるのだった。
「決まりだな。」
レインはスッと杖を店のドアにぶら下げているcloseのドアプレートに向けて魔法で何かを書き換えると、足に力が抜けて立っているのがやっとなマッシュを姫抱きに抱え上げて2人の愛の巣へと帰って行った。
レインによって書き換えられたcloseのプレートには
『店主急用により、午後の営業はお休みします。』
と書かれていた。
終