一緒にいてくれてありがとう「ばれんたいん⋯⋯?」
きゃっきゃうふふと転がる笑い声が止切れる。乙女たちの視線は、彼女らを見守るようにして傍観していた少年に向けられた。
「あれ、キィニチは知らないの? 恋人とか家族とか友だちに、お菓子やプレゼントをあげる日だよ」
「もともとはフォンテーヌのイベントなんだって! すっごく素敵だよね」
二人の少女は目の前の朴念仁に、バレンタインが何たるかを話して聞かせた。曰くそれは、かつてフォンテーヌに在わした衆の水の主の逸話に由来したものだということだった。当時は単純に恋人を祝す催しだったそうだが、流石というべきか、璃月の商人は目の付け所が違うらしい。親しいものたちが贈呈品を送りあう催しとして変化したバレンタインは、商業の都で成功したのち東西南北へと瞬く間に広がり、各地で独自の文化を形成していったそうだ。
この手の流行はおそらく各部族の若者のコミュニティで広まっていることだろうが、集落に寄り付かないキィニチにとっては完全に与り知らないことだった。
「特に稲妻で人気みたいでさ、あそこではプレゼントとしてチョコレートをあげるんだって! ナタではショコアトゥルが取れるから、稲妻風のバレンタインが人気だってパパが言ってた」
「なるほど、道理でこの時期はお菓子やショコアトゥルの護送が多いわけだな」
「それでね、部族の女の子が好きな人にチョコレートを渡して告白するみたいなの! キィニチお兄さんならもらったことあるんじゃないかな?」
キィニチは目線を僅かに上げて、記憶を辿った。
「⋯⋯あれってそういうことなのか」
「キャーやっぱり! このこのっ色男め!」
ムアラニは興奮した様子でキィニチの背中を叩いた。拳の勢いによろめくことさえなかったが、後ろめたそうに目を逸らした。
「チョコレートは入っていても、大体目的や送り主などの要点が欠けているし一方的なんだ。悪戯か何かかと思って処分してしまっても仕方ないだろ」
「ったく、この無愛想なチビの何がいいんだ? 毒入りチョコでも食ってくたばっちまえばいいのに!」
話題の中心がキィニチに移ったことに釣られたのか、今まで無心でフルーツに齧り付いていたアハウが寄ってきた。カチーナがどこからともなくティッシュを取り出して、ドットの口をせっせと拭いた。
「アハウったら、羨ましいの? アハウはいつもキィニチのケネパショコアトゥルを飲んでるじゃん!」
「このトカゲ野郎が本当に敬意を持ってジュースをよこしてると思うか? オレはこんなガキに騙されないからな!」
「ジュース一杯で静かになるから助かる」
「なにをぅ? このクソガキ! チビニチ! トカゲ野郎! 汝の背中にトカゲくっつけてやる!」
手をブンブン振り回すアハウの傍ら、ふいに、カチーナがこちらを見上げて目を輝かせた。
「そうそう、キィニチお兄さんの分ももちろんあるよ! アハウ、あなたの分もあるから、ちゃんといい子にしてなきゃだめだよ」
「こいつ⋯⋯この偉大なる聖龍クフル・アハウをペットかなんかだと⋯⋯」
平たいインコをあしらいながら、キィニチは微笑んだ。
「じゃあ、俺も腕によりをかけないとな」
「えぇっいいのに⋯⋯でもキィニチの手作りか! ちょっと期待しちゃうかも!」
こうしてキィニチに、いろいろな形の愛を伝え合う祭がやってきた。
「なんだ、何か不満があるのか?」
⋯⋯そうじゃないけど。
「それとも、お目が高い聖龍さまには見栄えしなかったか」
⋯⋯そうじゃないんだけど。
「じゃ、インコにチョコレートはまだ早かったか」
「オイキィニチ聞き捨てならねぇそそりゃあ! ってそうじゃなくて⋯⋯くそっうまい」
アハウは四角い涙を流しながら、うまいうまいとチョコレートを頬張った。
「お気に召したなら何よりだ。ならなにが不満なんだ? 変な事しでかす前にさっさと言え」
「こんの口の減らない緑トカゲめ⋯⋯オレだってわからねぇんだよ!」
勢いに任せてテーブルに手を叩きつけた。ぺちんと間抜けな音がした。
「お前は、仕事の合間を縫ってはオレをほったらかして! バッタどもにチョコをばら撒いてただろ! オレを後回しにして!」
「それがなんだ」
「なんで急にそんなことし出したんだよ! いつもはコミュニケーション最低限のいけすかないクソガキなのに!」
「たまにはこういうことも必要だろ」
アハウに言わせてみれば、そんなのはまったく問題じゃない。そんなことじゃなくて、もっと致命的で、大事なことのように思えた。
「我輩はキィニチの主人だから、一番最初に一番いいものをもらうはずなのに! なんでその辺のヤツと同じもんを寄越すんだよ! すげぇムカつく!」
「それが不満なのか」
「そう言った!」
キィニチは表情を変えないまま、考える素振りを見せた。
「一緒にいるんだからいいだろ」
「ハァ?」
「お前にはいつでも渡せる。だからお前は出来立てのやつを五つもつまみ食いしてただろ、これが特別じゃなかったら何なんだ」
アハウはびっくりした。ショコアトゥルと液体と粉の練り物がみるみるうちに美味しそうなチョコレートになるのを見て、ようやっと完成したものを一番乗りで口にするのはなかなか悪くない体験だったが⋯⋯
「なんかすげぇ、言いくるめられてる気がする」
「気のせいだ。それに」
キィニチは一呼吸置いて続けた。
「贈る相手によって気持ちも変わる」
「ほう? ならば言ってみるがいい! そして誉れ高き我輩の名を讃えよ!」
よく口の回る従者は少しの間沈黙した。悩むように目を伏せたあと、応えた。
「仔竜のご機嫌取りかな」