片想いなら他人に迷惑かけていい〈グレゴール〉
ハートでもつきそうなほど愛嬌たっぷりに呼び止められる。それだけでグレゴールは全てを察してくれたようだった。
「またかい、管理人の旦那」
頭をかいて力無く笑った彼にほんのちょっとの罪悪感を感じつつ、彼に語り明かす夜の始まりを思い出す。
前略、ダンテは恋をしてしまいました。この一文だけならまだ希望も夢も山ほどあった。二言目が「“あの”赤い視線に」でなければ。
これが恋だと気づいた時、頭を抱えた。自分の趣味の悪さに。だってそうだろう。囚人達の見目は麗しい。かっこいいのからかわいいのまでいる。それを差し置いて?あれを?同じバス内に同じくらい顔が良くて自分に興味と関心と優しさがある相手がいるのに?そこ?といった具合だ。
ただ、心というのはままならないものでそう思っても彼の一挙手一投足の全てが気になってしまうのだ。気づいてしまえば無視をすることもできず、ただただ悶々とした感情を持て余している。
時にこのダンテという男、なかなかに屈強なメンタルの持ち主なのでどうにもこの気持ちを持て余すだけというのは性に合わなかった。それでいて馬鹿ではないので(同じバス内に天才が2人いれば自ずとこういった評価になってくる)この気持ちを伝えたところで勝ち目がないことも、伝えた後の恐ろしい空気のことも考えが及んだ。
相反する心、彼の隣にいる権利を欲する自分とやめとけその男はやめておけと必死の形相で首を振る自分。そのどちらも相手をしてやらなければならない。共同生活をしている以上目に入る危険性のある日記に書くわけにもいかず、この気持ちを1人で抱え込んではきたが限界が近かった。
一人で抱え込むのが辛いのならこの気持ちを誰かに折半すればいいのでは?ダンテが思い悩んだ末に出した答えはそれだった。
それからは囚人達をこっそり眺め、大変勝手ながら選別をしていく。口が硬そうで、それなりにリアクションを返してくれて、あまり重たい雰囲気になりすぎず、最後には笑い話にしてくれそうな人。
白羽の矢が立ったのは。
〈グレゴール〉
何も知らない哀れな囚人は管理人の声に足を止めてくれた。
「なんだい、管理人の旦那」
〈私と少しお話をしてくれないか?〉
グレゴールにだけ言葉を届ける。彼は一体何事だ?と笑いながら煙を吐き出した。
夜、二人きりで夜空を見上げながらダンテはついに心の内を吐き出した。こういったことにてんで恥じらいというものがないのだ。ヴェルギリウスに思いを伝えないのも、別に恥ずかしいからというわけではない。先述の通り、断られることが目に見えていてその後の地獄のような空気に囚人及び仕事仲間としての自分を巻き込んでしまうからである。
〈私、好きな人がいてね〉
「うん、うん?」
まずそこでハテナが一つ浮かんだグレゴールには申し訳ないが、大事なのはこの先なのだ。
〈……ヴェルギリウスなんだ〉
相槌の代わりに帰ってきたのはグレゴールが盛大に咽せ、咳き込む音だった。可哀想に、と背中を撫でてやればお前のせいだわと軽く肩の辺りに握り拳を当てられる。
「一応聞くけど、ライクではなく?」
こくんと頷く。グレゴールはラブかぁ、とわざとらしく息をついた。
「なんというか、その、うん、いや、これは……」
何やら言葉を選んでいるようだが、ええいはっきり言ってくれと伝えれば一呼吸飲み込んでからグレゴールは口を開いた。
「その、なんだ、趣味が悪いな……」
そう、このリアクションが欲しかったのだ。完璧。
それからというもの、このどうしようもない恋心が限界を迎えたら駆け込み寺よろしくグレゴールの胸に飛び込んでいるのだ。
「それで?話したいことはなんだ?」
はい、回想終わり。グレゴールは慣れた顔でダンテの横に座ってそう問いかけた。
〈その、〉
キャー!と頬の辺りに手を当て、顔を隠す動作をするダンテ。ままごとじみたそれに思わず笑いが漏れて、ヴェルギリウスの話なんだよなと思い直して冷静になる。このサイクルを何十回と繰り返すことにも慣れてきたグレゴールである。
ひとしきりおふざけを終えたダンテはグレゴールを見やる。ふっと微笑んだのがなんとなくわかった。初めて出会った時はまさかこの時計から表情を読み取れるようになるとは思いもしなかったが。
〈私たち、一連托生だね〉
「全然違う。バレる、俺、殺される。旦那、殺されない」
ダンテの発言にグレゴールは頭を抱え、しばらく黙り込んだ。それからさらに深いため息の後、幼児に言い聞かせるように自分の顔とダンテの顔を交互に指差し、ゆっくりと一言一言告げた。
〈死ぬ時は一緒だよ〉
「死ぬの意味が違うんだよな……」
精神的な死と物理的な死のどちらが重いかなんて馬鹿な話はしないけれども。
ダンテはごろり、と横たわりバスの天井を見つめる。それからまるで塔に閉じ込められたプリンセスのように柔らかく指を組んだ。
〈あぁ、神様、仏様、グレゴール様!〉
「はいはい、なんだよ旦那」
〈これからも私の話を聞いて時には鼻で笑ってね……〉
「絶妙に承諾しにくい言い方だな……、もっと俺を頼ってくれたって構わないさ。そりゃできることは少ないができることなら断らない。できることなら」
〈じゃあ、追加でお願いしてもいい?〉
ダンテは耳打ちするかのように顔を寄せ、グレゴールは素直に従った。ま、それなりにこの管理人との付き合いもある。お願いくらいは聞いてやろうじゃないの。
「もしかして俺に死ねって言ってるのか?」
前言撤回。できないことをできないと言うのもまた優しさだ。金輪際こいつのお願いには耳を貸さない……、いや、耳くらいは貸してもいいか。
〈え、なんで、違う!違うよ、グレゴール!〉
「わかった、じゃあもう一度“お願い事”を聞かせてくれ」
〈ヴェルギリウスに好きな人がいるかどうかを聞いてみてほしい〉
「だ、誰かー!!!!!」
こほん、とダンテが咳払いの真似事をする。冗談はここまで、といったところだろう。グレゴールも座り直し、ダンテを見た。
「まぁ、なんだ、本当にどうしてもってんなら断ることはしないが、うん、多分……」
なんとも形容し難い顔でグレゴールはダンテへのお願い事へ向き合う覚悟を決めてくれている。なんだかんだ真面目だ。演技は上手いとは言い難いけど。
グレゴールが馬鹿正直にヴェルギリウスに「好きな人いるか教えてください」という図は正直拝んでみたいものだが、良くて汚物でも見るような顔のち無視、悪けりゃ即死。もちろん冗談である。流石にいくら生き返るとはいえ、そんなことで時計を回すことになったらお互いに笑えない。
〈大丈夫、本当に冗談だから、思い詰めて1人で聞きに行ったりしないでね?ね?〉
「わかってるわかってる。俺にそんな度胸はないさ」
冗談めかしているが、顔がちっとも冗談ではない。これは先走らなさそうだな、と安心したダンテはふぅ、と息をついた。
〈不毛だな……〉
「……」
不毛だ、これは。叶うはずのない恋をしている。叶うはずがないと十二分にわかりすぎてふざける余裕まである。
「それにしては元気だよな」
〈え、そう?〉
「なんつーか、こう、叶わない恋をしてるやつってもう少し悲観的なのかと思って」
悲観的、なるほど。つまりダンテはグレゴールから見て楽観的に見えているらしい。
〈叶わないってだけで別に恋をするなと言われてるわけじゃないしなぁ〉
「そんなもんかぁ?」
〈そんなもん、そんなもん〉
別に悲観的になることなどないのだ。自分のことを趣味が悪いな、と思っているだけ。元より今の体はこんな状況だ。誰が相手でも成就はそう簡単じゃない。だからただ、宝物のようにこの恋心を大事にしている。いつか笑い話にするために、思い出に変えるために。それさえもできなければそれこそこの恋は不毛である。
「何してる」
唐突な第三者の声にひっくり返ったダンテとグレゴール。バクバクと鳴り響く心臓を押さえながら声の主を探す。
ちょこんと立っているカロンに二人して安堵の息をついた。
〈カロン、い、いつからいたの?〉
「なんだ、カロン。いつからいたのかって管理人の旦那が聞いてるぞ」
「誰かー!!!!!のところから」
「いや、割と聞いてたな?」
「ヴェルの話してる?」
ぎくん、と体が強張るのがわかる。露骨に態度に出してはいけないと思い、ダンテは動きを止める。顔がなくてよかった。グレゴールもグレゴールでダンテが目に見えた動揺を見せなかったところから持ち直しへらりと笑みを浮かべた。
「いや、してないさ。そう、今度行くところの話を……」
「嘘」
流石に動揺した。即バレは流石に。
「ここに来たのは虫の旦那が大きな声出したから。でもそれより前から話聞こえてた。時計頭の言葉わかんないけど、眼鏡の声は聞こえる」
そりゃそうだ。あまりにも邪魔が入らないから失念していた。ダンテの声は囚人以外にはわからないが、グレゴールの声は一般人から聞いても声で言葉だ。
「大丈夫。そろそろヴェルも、ぶるんぶるんする時間」
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「ダンテ……、いや、管理人といつも何の話をしているんだ?」
悲鳴を上げなかっただけ褒めてほしい。ヴェルギリウスに突然声をかけられていつもの笑みが出なくとも。
「あぁ、旦那と?」
グレゴールの脳が急速回転する。完全にはぐらかすこともできるだろう。ただ、これは逆に関心を抱いてもらうチャンスなんじゃないか?
見たところヴェルギリウスの顔も声のトーンも純粋な疑問だ。そりゃ若干、「夜に話をして仕事に支障はないんだな?本当だな?俺の目を見て言ってみろ」の圧は感じる。大いに感じるが、怒りでも何でもない。
「なんだ、気になるのか?」
思わぬ返しに一瞬虚をつかれた顔をしたヴェルギリウスだったが瞬きのうちにいつもの顰めっ面に戻る。
「俺はあれの、立ち位置的には上司ともいえる。面倒ごとが起きてないならそれでいい」
「あんたのことだよ。いつもあんたの話をしてる」
怪訝そうに潜められた眉に、死に慣れるという生き物としてある種最悪の欠陥を抱えていることを実感するグレゴール。一回の死で上司たちの恋愛の成就に繋がるかもしれない一手を打つ。安いもの、……いや、割に合わないな?
「……俺の?」
一体何の?と言いたげな瞳にグレゴールはカラカラと笑った。実際笑えてるかどうかは知らん。知らんったら知らん。
「あんたが言ったんじゃないですか。あんたの話ならあんたに聞こえないようにって」
「それは……」
「ま、聞きたいことがあるなら直接管理人の旦那に聞いてくださいよ。俺はただ聞かされてるだけですから」
声がかかる前にスタコラ逃げ出す。途中でカロンとすれ違い、親指を立てられた。グッ、じゃない。全然グッじゃない。これで何か面倒事に巻き込まれたら全力で駄々こねてやろう。
「あなたは普段、夜に囚人と何を話しているのです?」
頭が時計で良かった、と割と真剣に思った。リアルに皮膚の色が変わったら顔面蒼白を通り越していただろう。それくらい肝が冷えた。いっそここで告白してしまうか?もう後先のことなんて考えず。待て待て、ダンテ。良くてデコピン、悪くてコブラツイストな気がする。おまけで二人きりになるたび地獄のような空気にご案内のチケット付き。冷静になった方がいい。
ダンテは平静を装い、正確にはギャリゴリと鳴り出しそうな針を渾身の思いで堪えてPDAに文字を打ち込んだ。
〈なんてことはないよ〉
「私の、話をしていると聞きましたが」
前言撤回、待って何言ったのグレゴール。