その日、バーソロミューは珍しく暇を持て余し、気分の向くままあてもなくカルデアの廊下を歩いていた。
約三百年前に死に、現世にサーヴァントとして顕現してなお、バーソロミューの生業は海賊である。初めは水夫として船に乗り出して以降、人生の大半を海の上で過ごしてきたバーソロミューは、多趣味であることを自認していた。
生前では、一冊の本を何日も繰り返し読み、一杯の紅茶を半日かけて味わい、強奪した宝石はどれだけ時間をかけて鑑賞しても飽きることなく、時折マストに出ては星の小さな瞬きや、月が隠れ、太陽が徐々に昇っていく様子を眺め続けたものである。当時の娯楽は限られていたものの、バーソロミューはそれもまたよしと思い、手持ちの全てで存分に楽しんだのだった。
そんなバーソロミューがサーヴァントとして召喚されて良かったと思う一つが、現代の娯楽の多さである。新し物好きな性格から当たり前のようにオタク文化にハマり、アニメ、ゲーム、漫画に魅了された。さらに紅茶や酒の種類も当時の比ではなく、本だって選び放題。ますます、暇という言葉は遠い存在となったはずであった。
どうしてなのかは分からないが、興が乗らない。昨日まで楽しみにしていた本の背表紙は色あせて見え、ストーリーが途中のゲームも起動すら億劫に感じた。サーヴァントのモリアーティが気まぐれに開くバーは、昼間に開いていない。
(海賊どもとの交流は……、まあ、論外だな。興が乗る乗らないではない)
暇である状態とは、普通であれば良い意味を持たないが、廊下を歩くバーソロミューの足取りは何処か軽やかだった。すれ違うサーヴァントたちは「機嫌が良さそうだな」と彼を振り返り、バーソロミューは「まあね」と言ってひらりと手を振る。考えてみると、死してなお無為に時間を過ごすことも新鮮だと思えた。すでに勝手知ったるカルデアといえど、ここは数多の英雄たちが集まる無秩序な空間。あてもなく歩いていればいずれ、思いがけないイベントが起こるに違いない。
バーソロミューはふと、以前マスターから聞いた「犬も歩けば棒に当たる」という慣用句を思い出した。災難に遭うとも、幸運に出会うとも、その一文に全く正反対の意味が含まれているのだと聞き、随分面白いことだと記憶に残っている。
「さて。私が出会うのは、災難か、幸福か」
立ち止まった扉の先から微かに聞こえる会話に耳を傾けると、バーソロミューが愛してやまない少女の余韻を感じた。
「はたまた、メカクレか」
やあ、と爽やかに挨拶をしながらブリーフィングルームへ入れば、マスターと目的の少女のほかに、見知った顔ぶれがそろっていた。