目もくらむような赤い世界を駆け抜ける。
立ち上る鉄臭は足元に散らかる無数の異端のもの。
己が流し、体に降りかかる隻眼のもの。
確実に急所を狙う一突き。
咄嗟に庇った腕を貫く刀は見事な技術に強引な力を乗せ、肘ごとねじ切ろうとする。
こちらもすぐさま力尽くで腕を引き、鋭利な切れ込みを作りつつ刀の拘束から脱出した。
「っとと」
隻眼は少しだけバランスを崩す素振りを見せる。
が、反撃を許す隙はどこにも無い。
隙が無いからなんだ。
隙を見せるまで切りかかればいい。
腕を相手の首へ。横凪ぎのそれは確実に入ったと思ったのに、なんと一足の内に間合いから逃げられた。
怯まず続いて踏み込み脳天に一刺し。それも刀で横に防がれ、逆にこちらの体勢が乱される。
両手を使って何度も何度も、二重八重に繰り出す攻撃は全て一振りの刀で地面に落された。
すこしでも体勢を崩すものなら反撃を繰り出し、がきんがきんと大きく響く。
「ははっ、はははっ!」
冷めた視線に対して、憎い隻眼は心底から笑う。
愉快、嗚呼、至極、愉快愉快。
「……」
「お前、そんなデカブツ二本も振り回してよくそんなに動けるな 面白え! さっきの無理矢理引き抜いたのもそうだ。痛みとかねえの?」
「……無い」
けらけら笑う男に答える。
黙っていてもよかったが、言ったところで不利にはならないだろうという判断だった。
ふぅん、と煙草に火を点ける隻眼。
「見た感じ、義体化じゃねえな。生身のままで改造手術か」
「そういう貴様は義手だろう」
忌々しさを隠さず言う。奴は戦う相手で、こんな会話など即刻切り上げて仕留めるべきだ。
——そうあるべき、だと分かっていながら戦い続けているのは、相手がこちらと互角の力を有すること、そして。
「ああそうだ。しかしまあ……同じ顔でこうも違うもんなんだな」
向かい合う、鏡合わせのように——部分的に違うとはいえ——同じ顔の男が興味無さげに呟いた。
同じ顔。同じ存在。
見た目も性格も、所属も大きく異なるのに、『彼は私だ』と不可解な確信があった。
本能的に、否、それよりももっと根本のところから来る真実に依って。
彼は私で、私は彼だ。同じものだ。
なんとも不思議で、驚くほど良く馴染む感覚にしけた煙草を吹き捨てる。
さて、長話にするつもりはない。
右腕を頭の上に上げ、左腕は下方へ。共に先端を隻眼の下、美味しそうに煙を通す喉を据える。
攻撃と防御の構え。
実戦で死にながら身に着けた、強者相手の体勢。
対する隻眼はというと、刀を立てて脇へ引いた。
観察の構え、だったか。
思考の片隅で薄く覚えた記憶を引き出す。武器を脇へ引くことにより相手の出方を伺う構え。しかしそんなものはこの場に置いて不要だろう。こちらは確実に殺す気なのだから。
「……!」
次の瞬間、片目を見開いた。
自分の予想するような心得る構えではなく、脇にやったことで前に突き出た左ひじを開き、そのまま掌をこちらに向けたのだ。
真っ直ぐ真正面に、まるで境界を示すがごとく。
どく。
大きく痛みを伴う高鳴りが胸から響いた。
なんだ、それは。
知らない。
見たことが無い。
ただの獣より理性のある達人の方が戦いやすいのは、それが相手が作法に則った動きをするからだ。
動きにルールがあれば対処の方法も当然ある。かつ、そのルールを外れて無法に攻撃してしまえば優位も取りやすい。
あちらが刀という武器を用いるとわかった時点で、グレゴールは相手が作法を基準にした戦い方をするだろうとわかった。いくらでたらめな戦い方をしても、刀という武器の特性上似たり寄ったりのお作法で戦うしかないだろうと。
それが完全に裏目に出た。
相手の見たことの無い構えは、動きを一切読ませない。
次の手が全く読めない。
理性と武器があり、知る挙動を外れた知らない作法ほど、怖いものはないのだ。
「秘剣、ってな。……本当は、あいつ以外に使う気無かったんだけど」
煙草を捨て、掌の向こうで黒が笑う。
夜に垂れる重い雲のように、重く、ゆっくりと。
「あんたを殺すためなら、まあ、いいだろ」
繰り出される一刃。
足さばきも太刀筋も掌に隠されるように『見えない』!
突き出された手も姿勢も、圧すらもこちらの意識を分散し、攪乱して集中を許さない。
手がこちらに届くのが先か、いや引いた剣か、足かもしれない。そうして対応を遅らせる。
「くっ」
咄嗟に手を胸の前で交差して衝撃に備える。
秘剣とやらの実態が掴めないが、初手さえ防いでしまえば——。
「甘ぇ」
突き出されていた義手が幻惑のようにぐっと伸び、防御を固める直前の腕——その無防備な切れ込みに指を突き刺した。
それは先ほど創られたばかりの傷だ。
想定外のことに反応する前に切れ込みを掴まれ、真横へねじるように引き倒される。
突進してきた勢いでどうやって。
いや、最初からそのつもりで!
一回転する視界の中で揺れる視界に、輪を輝かせる眼帯が映る。
「っらぁ!」
地面に叩きつけられる痛みと共に意識が途切れた。