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    銀鐧ss
    引き続き夫婦ごっこしながら任務をこなしている銀鐧です

    休暇任務 2村人たちが作業を一旦やめ休憩する昼の時間帯に、村について聞き込みをする過程で、二人は多くの人々から感謝の言葉を受けた。
    既に用水路が復活したということは村中の人が把握しており、それを行ったのが二人であるとも何故か知られていた。
    どうやら二人が森から出て用水路を確認していた姿を見ていた村人がいたようだ。二人は見られていたことに警戒をしたが、装備を 『大きなアーツユニットの道具』だと村人が認識しており、武器と思われていないと知り安堵した。
    「かなり貰ったわね、帰還したらロドスで配らないと」
    感謝の言葉と共に、二人は消費しきれない量の農作物や特産品を渡されていた。
    「ロドスならば貰い手には困らないだろう」
    エンシオディスが手渡した貰い物を、デーゲンブレヒャーが丁寧にバンに積み込んでいく。帰還する際にどうせまた積むことになるから、と家に置くのではなく先に積み込んでおくことにしていた。またこれからの調査においても特に食料は役に立つと見込んでいる。
    ロドスのバンは大型のものが提供されていたため、荷物を積み込んでもまだ余裕があった。
    「ロドスから持ってきた荷物も十分詰められるくらいは空きがあるな。──フッ、ドクターはこの状況を予想していたのだろう」
    「他にも多くのオペレーターにこの手の任務を与えているようだから、経験済なのでしょう」
    バンの扉を閉め、デーゲンブレヒャーは腕組みをしながら扉に寄りかかった。
    「午後は少し予定を変える必要があるのだけど。村の人に駄獣の世話を手伝って欲しいと言われてね」
    「奇遇だな、私も丁度村長から相談したいことがあると言われていたところだ。──ついでにロドス支部建設予定地についてこちらで相談するとしよう。お前には村人の生活調査を頼みたい」
    「ええ、手伝いをしながらそれとなく聞いてみるわ」
    「日が暮れる頃には戻るつもりだ、お前もそうしてくれ。夕食は共に摂りたいからな」
    「そう、分かったわ」
    エンシオディスは頷いた後、身を翻して庭を去って行った。残されたデーゲンブレヒャーもまたそれに倣った。──わざわざ夕食を共に摂りたいなどと言うのは珍しい、そう思いながら。


    「──荒ぶる駄獣が手に負えないとか言っていたから、どれほどのものかと少し楽しみにしていたのよ。確かに初めの頃はそこらじゅう好き勝手に走り回るような仔だったのだけど、私が少し相手しただけで大人しくなってしまったわ」
    デーゲンブレヒャーは呆れたように笑い、コーヒーをひと口啜った。
    「──フッ、そうか。お前はイェラグでも様々な人の手伝いをしていると聞く。駄獣の扱いも慣れたものだろう」
    エンシオディスは微笑みながら言葉を返す。ささやかな夜の時間は明るい雰囲気と共にゆっくりと進んでいく。
    小さなテーブルには夕食後にと用意した甘い菓子とコーヒーが置かれていた。
    夕食は村で買ってきた──というものの、ここでは龍門弊は使えない。二人が対価として払っていたのは午後の間行っていた村人の手伝い、その行為だった。
    手伝いの礼として貰ったパンや家庭的な料理などを食卓に並べ夕食とした。都会のような洗練さはないものの、家庭的で温かみがありどこか懐かしさを感じる料理は二人にとっては故郷たるイェラグを思い起こさせるものであった。
    「あなたは?村長の所にいたようだけど」
    「ああ、私は農作物の作付スケジュールや村の開発に関してより効率的な計画とするためにアドバイスをしていた。思っていたよりも話が盛り上がったのでな、村の秩序維持や商業に関してもいくつか提案をした」
    「随分と本業に近いことをしたのね。一人の製薬会社の調査員で──夫、という域を超えてる気がするわ」
    デーゲンブレヒャーはエンシオディスを見つめながらどう出るか注目していた。わざと口にした単語は彼女にとってはささやかな勝負でもあった。
    ハッとわずかに目を見開いたエンシオディスに、”掛かった”──そうデーゲンブレヒャーは思う。
    「──いや、問題はないはずだ。少しその手のことに詳しい……あるいは興味がある一般人もいるだろう。きっと……怪しまれるようなことはない、あの村長に限っては」
    エンシオディスは柄にもなく動揺していた。鼓動の速さを気付かぬふりで鎮めようとして、意識した結果余計に速めながら、一旦落ち着こうとゆっくりと瞬きをした。
    ──”夫”。デーゲンブレヒャーがそう呼んだ、私のことを……
    大げさに態度に出ているわけではないが、デーゲンブレヒャーはエンシオディスの動揺をしっかりと見抜いていた。これはいける、そう確信したデーゲンブレヒャーは最大の攻撃をしかける。
    「もっと振る舞いには気をつけてほしいものね。あなたは私の”夫”なのだから」
    「──ッ……」
    明確に言葉を詰まらせたエンシオディスを見たデーゲンブレヒャーは気分が良かった、素知らぬ顔をしながらコーヒーを啜る。
    ここしばらくずっと、エンシオディスに主導権を握られているような感覚があった──それこそ敗北しているかのような居心地の悪さ。ならば勝ちを取らなくては、大会三連覇の競技騎士の勝負師根性は伊達じゃない、デーゲンブレヒャーは虎視眈々と挽回の機会を伺っていた。
    尤もこの攻撃によって、デーゲンブレヒャーはさらなる窮地に陥るわけなのだが。
    自身を落ち着かせるかのように深くため息をついたエンシオディスは、わずかに微笑みながら答えた。
    「──今後はより一層気をつけるとしよう。妻の要請とあらば、聞かないわけにはいかないな」
    「ええ、そうして。──明日からは近辺の集落の調査ね。あとで車に物資を積み込んでおくわ」
    空になったコーヒーカップと小皿を手にデーゲンブレヒャーは立ち上がった。エンシオディスが使っていたものも回収し、古風な水場で洗い始める。
    「それにしてもお前が車を運転できたとはな」
    「今後あなたのボディガードをするうえでも役に立つと思って、ロドスで教えてもらったのよ。簡単だったわ」
    エンシオディスはそっと椅子から立ち上がる。洗いものをしているデーゲンブレヒャーに歩み寄り、その背を抱きしめた。
    「……ああ、”夫婦ごっこ”ね。なんだか未だに慣れないのよ」
    「私のことを夫と呼んだのだから、もう慣れているだろう。今後はもっと触れていきたい──お前が経験したことのないものを私は与えたい」
    「はあ……余計なお世話よ」
    「その割には逃げないのだな。私のことなど簡単に振り払えるだろう?」
    デーゲンブレヒャーは言葉を返さず、洗い終えた食器を拭いて、台所に置いた。
    みぞおちのあたりに回されたエンシオディスの腕をそっと外そうとするが、抗うようにさらに抱きしめられ、ため息をついた。
    『あなたが私に何をするのか、何故するのか──知りたくないと言ったら、嘘になるけれど』これは本心であったものの、言えばさらに調子に乗るだろうと考えたデーゲンブレヒャーは黙っていた。
    「こうして近くで見ると、角の傷まで分かるな……今度手入れさせてくれ」
    エンシオディスは抱き締めていた腕を離し、片手をそっとデーゲンブレヒャーの角に添え、撫でるように動かす。
    「あまり必要性を感じないのだけど、まあいいわ。道具を持ってきていないから、ロドスに帰ってからになるけれどね。──そろそろ休んだら?私はバンに荷物を積んでくるわ」
    「悪いな。では先に失礼させてもらおう。おやすみ、デーゲンブレヒャー」
    既に行動を開始していたデーゲンブレヒャーは振り返りながら挨拶を返す、昨晩と同じように微笑みながら。


    ロドスのバンは足場の悪い未舗装の道を慎重に進んでいく。おまけにくねくねと曲がるように出来ている山道は、慣れていない者はひどく酔ってしまうだろうが、二人は平然としていた。
    「もうかれこれ二時間くらいこの調子だけど、方向はあってるわよね?」
    朝一で村人の手伝いをしたあと二人は出発した、今は日が真上に近い位置にある。足場が悪く、崖もすぐ横にあるような曲がりくねった山道は慎重に進まざるを得ず、時間がかかっていた。
    「問題ない。地図と辺りの地形を照らし合わせているが、この方向の先に集落はあるはずだ」
    エンシオディスは地図を眺めながら答えた。
    「大回りになると思って脇道は避けたのだけど、こんなことなら山道は辞めておけばよかったわね。私一人で歩いていくのなら大したことはないのだけど、バンはとても通りにくいわ」
    最後のカーブを曲がりきったあと、崖が壁になっている少し開けた場所に出た。デーゲンブレヒャーはバンを壁の手前に停める。
    「少し休憩しましょう。この横にある崖に登って、高いところから状況を確認してみるわ」
    「つくづく、お前のその卓越した身体能力を羨ましいと感じるな」
    「私はあなたの策略に長けた頭脳には毎回驚かされるけどね」
    小さく笑いながらデーゲンブレヒャーは運転席から出た。軽くストレッチをしながら崖に近寄る。
    足を踏み込んだ後、タン、と崖の出っ張りに飛び乗る。ステップを踏むかのように軽快に飛び移りながらあっという間に崖の上へとたどり着いた。
    高所から眺めた春の山の景色は素晴らしく、デーゲンブレヒャーは思わず感嘆のため息をもらした。
    柔らかい緑色をした若葉が競い合うかのように生い茂り、その中で所々花木が優しげに新緑に華を添えていた。
    「──なかなか素敵な眺めね」
    景色を眺めながらも、よく目を凝らして目的のものを探す。山をひとつ越えた先にあるこれまた山の中腹に、集落らしき家の集まりが見えた。
    「方向はあっているわね。それにしてもまだ越えていない山がある……もう少し時間はかかりそうね」
    デーゲンブレヒャーはここに登って来た時のように、タンタンと軽快なステップで崖下へと降りていく。
    バンから出て山の中の新緑を眺めていたエンシオディスに話しかける。
    「集落を見つけたの、方向はあっていたわ。──景色がとても綺麗だったのだけど、見たいなら連れていくわよ」
    「そうさせてもらおう」
    エンシオディスはてっきりバンで脇道に進みながら行くものだと思っていたのだが、背を向けおもむろにしゃがみこんだデーゲンブレヒャーに訝しげな視線を送った。
    「はい、おぶっていくから乗って」
    「……」
    エンシオディスはふと幼少期のことを思い出した。両親を早くに亡くし、家族は幼い妹たちだけ。おんぶをせがまれエンシオディスは妹たちをよくその背に乗せていた。自分自身が誰かの背に乗った記憶は全くなかった。
    自分もしてもらいたいと思ったことはあったが、それをしてくれる相手が誰もいなかったのだ。──今、そのチャンスは目の前にある。二桁年越しの機会。今やもうとうに大人になっている上に重役を背負ってもいるエンシオディスは躊躇ったが──
    「……重くはないか?無理はしないでくれ」
    そっとその背に乗った。
    「全く問題ないわ。ちょっと物足りないけどまあまあいい感じの負荷になっているの──トレーニング不足を感じた時はあなたをウェイトにすればいいのね。これからもあなたを持ち上げることがあるかもしれないわ」
    デーゲンブレヒャーは機嫌が良さそうに饒舌に話した。物足りないと言いながらひょいと軽々立ち上がるデーゲンブレヒャーに驚いたエンシオディスはしっかりと抱きついた。
    「じゃあしっかり掴まっていて。今から崖を登るから」
    「本当に、問題ないのか……?」
    ぐ、と脚に力を入れ飛び上がりデーゲンブレヒャーは崖の足場に乗った。言葉で答えるよりも行動で見せた方が早いと言わんばかりに。自分よりも背の高い成人男性を背負っているものの、先程一人で登っていたときとさほど変わらない様子で軽快に登っていく。
    とんでもないパワー技を披露しているというのに、その背に乗るエンシオディスに負担は全くなく、快適な乗り心地であった。
    「着いたわよ」
    デーゲンブレヒャーはそっとしゃがみ、エンシオディスが降りるのを待った。
    「相変わらず凄まじい身体能力だ」
    「いつもあなたと同じくらいか、それ以上の重さの武器を装備しているもの。今はそれらを外しているから大したことないわよ」
    「お前はそれらを装備していてもなお、軽々と私を持ち上げるのだろうな」
    「今度試してみましょう」
    さらりと話すデーゲンブレヒャーにエンシオディスは苦笑いをしながら、開けた眼下の山々に目を向けた。新緑のみずみずしい緑と咲きたての花の淡い色味が目に入る。
    「良い眺めだ」
    感嘆したように話すエンシオディスは微笑んだ。
    「ご満足いただけたようで何よりよ。あの先──おそらくあれが目的の集落ね」
    エンシオディスはデーゲンブレヒャーの指が示す先を見て、頷く。
    「まだ越えていない山があるのだな。速やかに行動を再開する必要がある」
    「ええ、じゃあまたおぶって行くから、乗ってちょうだい」
    「──やはり、そうなるか」
    エンシオディスは少し躊躇いながらも再びデーゲンブレヒャーの背に乗る。自分よりも華奢な体格をしているというのに、その圧倒的な力は自分をゆうに越す。
    エンシオディスにしっかりと捕まるよう伝え、行きと同じように──いや行き以上に軽快な動きでデーゲンブレヒャーは素早く崖を降りていく。
    二人はバンに乗車し、再び走りにくい山道を進み始めた。


    空の果てに未だ淡い橙色の光を残しながらも、濃紺に染まった天頂にはちらちらと星が瞬いている。夕暮れのひんやりとした風がバンの中に入り込む、少し寒いかとデーゲンブレヒャーは車窓を閉めた。
    ここは先程訪れた集落から二時間ほど進んだ山の中、開けた場所にバンを停めていた。それなりに高い場所なので眼下も空も広く見渡せる。
    今回調査した集落は非常に小さく、突然の客を受け入れる余裕はないように思えた二人は負担をかけまいと、珍しい客だと喜んだ集落の人々に食事をご馳走されたあとは速やかに集落を離れた。
    「それにしても、ここら辺の集落の人たちは素直よね。純粋というか、世間知らずというか……少なくとも、テラの他の地域で生き残れるようなタイプではないわね。──歓迎してもらえるのは助かるのだけど」
    デーゲンブレヒャーはシートベルトを外しながら心配するような、多少呆れているかのような感情を滲ませ語る。
    「イェラグのような雰囲気はあったが……イェラグ人の方がまだ多少の強かさを持っていると思えるな」
    「それにここはイェラグのように、民を守ろうと動く者も、それができる者もいないように思えるわ。──何も無いといいのだけどね」
    デーゲンブレヒャーは含みをもたせながら話す。テラにおいて優しさや純粋さが生きていけるのは、強力な者の庇護下にあるか、未だ誰にも興味を持たれていない場所に運良くいるか──そのくらいだと彼女は考えていた。
    「それ含めての調査が今回の任務なのでしょうけれど。──さて、今夜は車中泊になるわ、良い?」
    「異論はない。今後の計画を考えても、拠点の村に戻らず今ここで車中泊をしておく方が効率よく他の集落へ向かえるだろうからな」
    「この手の休息は経験済でしょうけど、あなたの生まれを考えると意外に思えるわ。──私は運転席で寝るから、あなたは後ろの席で寝てちょうだい」
    「ああ。ロドスの任務の最中に幾度か経験したからな、もうとうに慣れた」
    「そう。雨風しのげる場所があるのはその内容が何であれありがたいものよね」
    デーゲンブレヒャーはバンのドアを開け、外に出ながら答える。
    「──冷たい雨や凍える雪が降るような中で寝たことが──暖かい場所に行きたいと思いながら寝たことが嫌という程ある幼少期だったから。じゃあ、私は少し外で鍛錬してくるわ。ここらは近くに集落もないし、多少暴れても問題ないわよね」
    「鍛錬は構わないが……程々にな」
    トランクの扉を開け、武器を取り出しながらデーゲンブレヒャーは話した。
    「──もし見に来たいのなら着いてきて。こっそり来るのはやめてね、怪我しても知らないわよ」
    「思い切りやりたいのだろう?私はバンに残っていよう」
    「そう、お気遣いどうも」
    武器を装備したデーゲンブレヒャーは軽快な足取りで森の中へと消えていった。
    ──しばらく経って、一人バンに残り持ってきた本を読んでいたエンシオディスは、遠くの方で岩が派手に崩れるような音を聞き苦笑いしていた。


    巨岩を破壊しまくりながらひとしきり暴れたデーゲンブレヒャーがバンへと戻ってきたのは、そろそろ日付が変わるといった刻だった。
    デーゲンブレヒャーは外から窓越しに車内を確認する。エンシオディスは後部座席に横になり──といっても身長の高いエンシオディスは収まりきらず脚をくの字に曲げる姿勢となっている──ファー付きの外套と長くふわりとした毛の生えた尾を体に巻き付け毛布代わりにしながら休んでいた。
    デーゲンブレヒャーは少し熱中しすぎたかと思いながらも、ここ数日ろくに鍛錬が出来ていないのだから丁度いいだろう、そう結論を出した。
    鍛錬を終えてそう時間が経っていないからか、覚醒状態にある体ではまだ眠れそうにない。デーゲンブレヒャーは冷たい夜風で体の熱を冷ますべく上着を脱いだ。
    何気なく空を見て、ちらちらと幾つもの星が輝いているのを知る。ここは遮るものが何も無いからか、空一面を覆う星の輝きをダイレクトに感じられた。
    人も獣の気配もない、静かな山の中で一人星空を眺める。
    デーゲンブレヒャーはエンシオディスの供をしているときに、こうして一人で自由に行動したことはほぼ無かったと思い返す。彼と共にいる時は常に周囲を警戒していて、ことが起きないよう傍に張っていた、単独で行動する時も何らかの任を負ってのことだ。
    今の関係性は雇い主とボディガードとは少し違う。もちろんその役割は失効していないのだが、今のこの特殊な任務とかりそめの関係性が非日常を提供していた。
    「妻、ね……」
    ため息混じりに呟く。
    ボディガードとして、剣として使われている方が楽だ。
    武力を提供することはできる。しかし、妻としてできることなど全くないように思えた。
    ──エンシオディスは私に何を求めているのか。
    十年以上も付き合いがあるというのに、今更出してきた突飛な態度に──演技とは思えないほどのそれに、デーゲンブレヒャーは困惑していた。
    まともに剣を振る相手がいないから、妙なことばかり考えてしまう。もし、妻というものが剣を振らない存在であるのなら、自分はその居心地の悪い役割を受け入れることはできないだろう。
    きっとあのエンシオディスのことだから、それを見抜いた上で何らかの提案をしてくるのだろうが。
    いっそのこと本当に演技だということで全てが終わってくれた方が、余計なことを考えずに済むという点においては楽だ。ただその線が非常に弱いと予想されることがデーゲンブレヒャーを悩ませていた。
    ──自分はどう答えるのだろうか。
    誰かの配偶者になりたいとは思ったことはない、そもそもなる価値を見い出せない。ただ、決して短くない付き合いのあるエンシオディスの──望み、として提示された場合、一刀両断できる気がしていなかった。今後の付き合いが微妙な空気になることは避けたい──こう考えると自分自身に取れる選択肢はほぼないようにも感じられるが、やりようはいくらでもあるはずだ。
    拒むのか、受け入れるのか、その判断材料とするためにも、エンシオディスが何をするのか、何故するのか、もっときちんと知りたいと感じ始めていた。
    ──いずれにせよ、ほとんど振る舞いは変わらないかもしれない。雇い主とボディガードという関係性に、新しい何かが多少加えられるような。
    とりあえず成り行きに任せよう、デーゲンブレヒャーはそう考え、冷えた体に上着を羽織り、バンの扉を開け運転席に座った。
    腕を組み、目を閉じる。



    濃紺の空の際が淡い青に染まり始めた刻、まだ日は射し込んでおらず暗い車内で目を覚ましたエンシオディスは後部座席のドアを開け、外に出た。
    シャツ一枚では流石に肌寒いが、雪国であるイェラグの寒さに慣れているエンシオディスにとっては大した問題ではない。
    助手席のドアを開け、そっと入り込む。腕組みをしながら寝ているデーゲンブレヒャーをしばし眺める。
    鋭い眼光は伏せられたまぶたによって隠され、日頃の意志の強さも殺意も感じ取れない無防備な表情をしている。
    ──それでも、何かあればすぐに目覚めるだろう。
    エンシオディスはそう予想しながらも、座席から乗り出すように体を動かし、躊躇いなくデーゲンブレヒャーの顔に手を伸ばす。顔の横にかかる金髪をさらりと避け、頬に手を触れた。伏せられた目は開かれない。
    「──起きているのだろう?警戒心の強いお前が気付かない訳が無い──拒まないのなら受け入れたとみなす」
    返事はない。
    エンシオディスはデーゲンブレヒャーの後頭部に手を添え、顔を自身の側に向けた。自身も顔を寄せながら、未だ目を瞑ったままのデーゲンブレヒャーの唇をそっと食んだ。
    エンシオディスがその顔を離し、後頭部に回していた手を解くまでの時間はそう長くはなかった。
    小さなため息を聞き、エンシオディスは僅かに体を強ばらせる。そっと目を開いたデーゲンブレヒャーはエンシオディスと目を合わせたが、すぐに逸らした。
    「──おはよう、エンシオディス。よく眠れた?」
    組んでた腕を解き、外していた手袋を着け直しながらデーゲンブレヒャーは何事も無いかのようにエンシオディスに話しかけた。
    「おはよう。それなりに眠れたが、熟睡とまではいかなかったな」
    「そう。それじゃあ、少し早いけれど出発しましょう」
    エンシオディスはシートベルトを装着した。デーゲンブレヒャーはハンドルを握りアクセルを踏む。
    朝日が頭を出し始め、眩しい陽光が車内を明るく照らす。朝を知らせる獣の鳴き声が聞こえ始めた山の中を、一台のバンは静かに進んでいく。
    車内に音は無い、二人とも何も発さず、ただフロントガラス越しに見える景色を眺めている。
    デーゲンブレヒャーはちらりと流し目で助手席を見た、腕を組みながら景色を眺めるエンシオディスからは何の感情も読み取れない。
    再び視線をフロントガラスへ向け、デーゲンブレヒャーは左手をハンドルから離した。手を口に添え、そっと指で唇に触れる。
    ──初手だというのに頬ではなくて、唇を攻めるのね。
    デーゲンブレヒャーは続いていた静寂をそっと崩す。
    「初めて、したわ」
    景色を眺めていたエンシオディスはその視線をデーゲンブレヒャーへ向ける。鼓動がひときわ跳ねたが、努めて平静を装った。
    「そうか」
    「悪いとは思わないけれど、良さも分からなかったわ」
    エンシオディスは微笑んだ、デーゲンブレヒャーらしい答えだ。
    「私は──拒まれなかったことを嬉しく思っている。実の所……先程の行為は賭けのようなものだった。受け入れて貰えるとはな」
    「……」
    珍しく本心を吐露するエンシオディスに、デーゲンブレヒャーはしばし返す言葉に迷った。
    「──私は分からないのよ。十年以上もボディーガードとして置いていた人間に、今更そのようなことをする意味が」
    エンシオディスは考え込むような間の後に、ゆっくりと諭すように返した。
    「”十年以上置いている”これが答えだ」
    「……以前から思っていたことなの?」
    「初めの頃は──それこそ出会ったばかりの頃は想像もしていなかったが、それなりに長い期間だ。しかし、明確に意識し始めたのは最近ともいえるな……」
    デーゲンブレヒャーは察した。縁談の類が持ち込まれていたことを、スケジュール管理や書類整理などの秘書作業も行っていたデーゲンブレヒャーは把握していた。凡そそこから意識し始めたのだろう。
    「──あなたにはもっと相応しい相手がいる、私以外のね。結婚は戦略としても使える手札でもあることを忘れないで。あなたのしたいことを今は止めないけれど、深入りはやめておくべきよ」
    年上の姉が年下の弟に言い聞かせるかのように、デーゲンブレヒャーは諭した。
    そこまで年齢は離れていないものの、年下であるエンシオディスそしてノーシスと共にいるときに、デーゲンブレヒャーは弟の面倒を見るような感覚でいることがあった。家族関係の経験はないものの本や他者の観察で知った事情に似通っている部分がある。
    「……」
    エンシオディスは言葉を返さず、黙り込む。
    デーゲンブレヒャーはエンシオディスの望みはある種の若気の至りだと考えていた。それこそ盛り上がっている今は夢を追えるだろうが、今後様々な事象が起きるにつれより現実的な選択肢を選ぶべき場面も必ず起きる。だからこそデーゲンブレヒャーは安易な選択をすべきでないと、もっと慎重になるよう釘を刺した。
    車内はしんと静かになる。ちらりと助手席を見たデーゲンブレヒャーは、ふわりとした白毛の耳をぺたりと垂らし、寂しげなはたまた拗ねたような表情をして黙りこくってしまったエンシオディスに拍子抜けした。それを見かねてデーゲンブレヒャーはそっと話し始めた。
    「……まあ、少し気になってはいるのよ。あなたが何をするのか、何故するのか──夫婦という関係性を提示した理由は何か」
    「……」
    エンシオディスはデーゲンブレヒャーを見る、戦略を練っている時のように──あるいはそれ以上に真面目な顔をしてエンシオディスは話し始めた。
    「私は様々な事情、将来の可能性を考えた上でなお今の選択をしている、結婚という切り札を手放してでも──いや、手放すのではなく、贈りたいと思っているのだが。──例え、周囲が私に相応しいとする者が現れたとしても、選びたい相手はたった一人だ」
    ちらりとエンシオディスを見たデーゲンブレヒャーは、その何かを訴えるかのような表情に気まずくなり思わず目を逸らした。
    一人というのが誰を指すのか、デーゲンブレヒャーはとうに理解している。
    「考える時間が必要よ。私はあなたのボディガードなのだから──それに、それ以上のことが出来るとは思っていないの」
    「特別な振る舞いは必要ない、今まで通りで問題はない。引き続きボディガードとしても傍にいてもらいたいと思っている」
    エンシオディスは至って自然な口調で伝えてきたが、デーゲンブレヒャーはひっかかりを覚えた。
    ──それならばわざわざ新しい関係に変える必要は無いのに。
    エンシオディスはまだ自分に言っていないことがある、何かを隠している、デーゲンブレヒャーはそう感じた。
    会話は終わり、車内は静かになった。二人とも複雑な心境を巡らせながらも、山間を走るロドスのバンは次の目的地へと順調に進んでいく。
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