熱い手「…雪晴、いい加減休め」
「は、」
藤哉さまに諸々を報告し、興信所の手配を終え、現場で捜索を続けている隊員と連絡を取り、藤哉さまに出す為の夕食を作り、体を拭いたり厠にお連れしたりと動いているとあっという間に夜が更けていた。七月ということもあり、当然暑い。藤哉さまの自室にはエアコンも扇風機も無く、熱中症が怖くて氷嚢やタオル、飲料を準備する。全てが終わり、やっと自分の身支度が出来る…と下がろうとしたら体を起こした藤哉さまが困ったようにそう仰った。
「…お言葉ですが、私が休めば手配が滞ります」
「わかっている、世話をかけすまない。だが、それでも明日は一日休め、雪晴」
ここ最近4時間ほどの睡眠で回していたこともあり、休んだら藤哉さまの具合が悪くなるのではないか?現場の指揮や溜まった仕事のことが頭を巡り暗い気持ちになる。藤哉さまは黙って俯いた私を見て、布団から動こうとしたので慌てて駆け寄る。咳込む藤哉さまの背をさすり、やはり休む訳にはいかないと決意を固める。
「…ゴホッ!すまな、ゆきはる…だが、」
「藤哉さま、それ以上は」
藤哉さまは眉を下げ、苦しげに咳をしながらも私の頬に優しく手を当てた。胸が苦しくなる。何故藤哉さまがこんな目に遭わなければならないのだろうか。この方が一体何をしたというのだろう。
「雪晴、隈が濃い。寝れていないのか」
「…藤哉さま、私のことはお気遣いなく」
藤哉さまは静かに首を振ると、私の目を見詰めてこう言った。金色の目が電灯に照らされ、ゆらめいていて、不意に泣きそうになる。
「今日は寝られるだけ寝なさい」
「ですが…」
「お前が倒れたら、それこそ詰みだ」
「……なら、今日は私も藤哉さまも共用スペースでエアコンをつけて寝ましょう」
「だが、私の咳で起こしてしまう」
「藤哉さま、私を休ませたいのなら共に寝て下さい」
「あ、ああ…お前が休めるなら、そうしよう」
こんな熱中症まっしぐらの部屋に藤哉さまをお一人で置いておけるか。何故か怒りで力が出て、布団の移動などを行いやっと一息ついた。藤哉さまは先にエアコンをつけた共用スペースに居て貰う。私が準備を終えて見に行った時は硬いソファで力なく横たわっていた。やはり熱が出ている。以前鳴海さんが置いて行ったマットレスを敷き、寝る場所を整え、藤哉さまを起こし布団まで移動して貰う。
「藤哉さま、私は今から夕食を食べますので先にお休み下さい」
「ゴホッ、ありがとう…かえって世話をかけたな」
「いえ、エアコンのおかげで快適です」
「なら、よかった…おやすみ雪晴」
「おやすみなさい」
藤哉さまは熱に浮かされた顔で力なく微笑む。汗をタオルで拭き、藤哉さまが寝息を立てたことを確認し、適当に用意した夕食をかきこむ。時刻はもう23時近い。急いでシャワーを浴び、身支度を済ませて藤哉さまの元に戻る。エアコンの室温が丁度良かったのか、穏やかな寝息を立てており、ほっと安堵する。男の寝顔など見苦しさしかないが、藤哉さまは別だ。彫刻か絵画のようで呼吸をしているか不安になる。胸がゆっくりと上下しているのを確認し、自分も隣の布団に横になる。
ここ最近、不安で突然夜中に目覚めたり、所用の途中で10分ほど仮眠を取ったりできちんと眠れていなかった。藤哉さまの寝息が心地良く、今にも眠れそうなくらい疲れ果てているのに、中々寝付けない。
暗闇の中で藤哉さまの横顔を見ていたら、急に涙が出てきて、止められなかった。鳴海さんや小隊の皆が居ないこと、私しか藤哉さまを守れないこと、いつも冷静で強く皆を纏めていた藤哉さまの苦しげなお顔や弱ったお姿。私がしっかりせねばと思うのに、視界がぼやける。鼻を啜る音で目覚めた藤哉さまが、ぼんやりとした顔でこちらを見る。
「雪晴、どうした。眠れない?」
「いえ…すみません」
「謝らないでいい、おいで」
布団のすぐ横を手で叩かれ、躊躇いながらお側に横になると、藤哉さまの熱い手が私の肩をゆっくりと撫でた。ご自分もお辛いはずなのに、この方はどこまでも部下に報いようとされる。涙に濡れたまま、藤哉さまの顔を見詰めると、私の大好きな金色の瞳が優しく撓んだ。
「お前ばかりに無理を強いている。すまない」
「いえ…私は…藤哉さまのお役に立てるなら…」
「うん、わかっているよ。ありがとう」
熱でお辛い筈なのに、藤哉さまは優しく微笑み、私の頬に流れる涙をそっと拭った。触れる指が熱く、藤哉さまの額に汗が浮いている。涙を拭い、枕元に置いたタオルで藤哉さまに断りを入れ、汗を拭う。藤哉さまは気持ち良さそうに目を閉じ、困ったように囁いた。熱のせいか吐く息が熱い。
「お前に泣かれると堪えるな。すまない」
「いえ、取り乱してしまい…失礼しました」
「雪晴、私は大丈夫だよ」
藤哉さまは再び横になった私の肩を慰めるように優しく叩いてくれた。幼な子を寝かしつけるような仕草に、主の優しさを感じて少しだけ微笑むと、藤哉さまも微笑んでくれた。剣ダコが少し薄くなった熱い手が、私の肩を撫でる。藤哉さま、私のただひとりの主。龍脈を使った後、倒れて目覚めなかった時は目の前が真っ暗になった。もう二度と、あなたのお側を離れません。急に瞼が重くなり、意識がぼんやりと闇に沈む。手探りで熱い手に触れ両手で握り込むと、低く柔らかな笑い声がした。おやすみ、雪晴。誰よりも尊いお方が、今なお私の名を呼んでくださる事。それに安堵した瞬間、深い眠りに落ちた。