めばえ 三年生の教室内、本日の授業を終えて帰り支度をしているマックスがいるのを確認する。
その机を囲むように数人の生徒。恐らく友人なのだろうけれど、遠目に捉えゆったりと近づきながら、邪魔だなぁ…と何とはなしに思う。
まあでも気持ちはわかるので教室に踏み込む前に少し猶予を与えてやろうと、カルパッチョは手前の柱に背を落ち着ける。
あの先輩は実に不思議な相手である。奇妙と言い換えてもいい。確かに頭の回転が速いので彼との会話を不快に思わない自分にも、まあ頷けはするのだが…実際はその程度ではなく、むしろもっと、と。もっと、ずっと、どれだけでも…そんな気持ちにさせるのだ。何を…と限定できない、会話ももちろんだが、ただそばにいて息をしていてくれるだけでいい…そんな気持ちを何かに、誰かに、抱いたことなどなかったのだ。
正直意味が分からない。
なのでカルパッチョはただひたすらに満足するまで彼を観察してみようと思ったのである。
「マックスお前、最近オルカのあの一年に相当懐かれてるみたいだけど…」
マックスを囲む生徒の一人が発する。
別に懐いているとかではないんだけど…などと顎に手を当て、己の行動を振り返る。
そう見えているということはそうなのだろうか。
「ああ。カルパッチョのことだろ。最近気づくと近くにいるんだよな…結構ギリギリまでいる気がするんだけど、あいつ授業に遅れたりしてないかな…ちょっと心配になってきたぞ、今度会ったら聞いてみるよ」
「いやいや、そこじゃないだろ!」
「そうだよ!気が付くと近くにいるってそれ怖くないのか?」
「選抜試験でボコボコにしてきた奴が気づいたら近くにいるって、もういっそホラーじゃん」
口々にマックスへと向けられる友人らの言葉に、ピクリとカルパッチョの肩が揺れる。
言葉とは有用な武器だ。言い聞かせるというのはそれまでその人の中になかったことも植えつけることができる。
マックス・ランドが今までカルパッチョに対してそういった反応を示していなかったのは接していて理解できた。だが、親しい者の言葉でその可能性に気づいてしまったら? それもそうだなと納得してしまったとしたら…。
ひやり…と何か鳩尾のあたりを走るものがあった気がした。
「うーん…ちょっと違うんだよなぁ」
のんびりとした応えがある。
「その情報には不足が多い!だからホラーに感じるんだと思うぞ」
「不足って?」
「まず、選抜試験でボコボコにされたのは、オレとあいつが一対一でやり合った結果だ。別に不意打ちを喰らったとか、わけもわからんままやられたとかじゃない。純粋にオレが勝負して負けてる。…でだ、オレは意識がなかったから正直又聞きなんだが、みんながドン引きしてるのは恐らくその後の部分なんだろうけど…その辺のことは既に本人からきっちり謝罪を受けてる。それで、オレは許すと言って握手もした!
…そう聞くと、ほら、気づいたら近くにいるなーって思っても別に怖くないだろ?」
まるで食堂のメニューの話でもするような軽快な声だった。
カルパッチョは見開いたままの視線を自分の靴先から動かすことができないでいた。
「ええ、なんか俺らを煙に巻こうとしてるだろ!」
「巻いてどうするんだよ」
「アイツのことかばって…とか?」
「んん~別にかばってるわけでもないけど、かばうくらい可愛がってるとしたら、やっぱ怖くないってわかるだろ?」
「…確かに」
「え、アレ可愛いのか?」
「え、可愛いよ。接してみるとやっぱり普通に一年生だなーって、後輩可愛いなーってなるぞ」
「なるかなあ」
「俺はならなそう」
「俺も~」
また口々に好き勝手を言い出す友人達に、なんでだよなんて笑って返しながらマックスが席を立つ。帰り支度を終えたのだろう。じゃあなと友人たちに別れを告げる声がする。
教室のドアへと近づく靴音に、顔を上げられなかった。
足は床に縫いつけられたように動かない。
「あれ」
近くで、ここ最近ひどく耳に馴染んだ声がする。
「どうした? 一緒に帰るか?」
優しい声の響きに何故かもっと顔を上げられなくなる。目を見るのが少し怖い。
今、自分が抱いている感情がどうなっているのかが、よく分からない。
「先輩…」
「うん」
「一緒に帰ってもいいの」
「いいよ、どっか寄っていくか?」
「うん…」
どこか…別に行きたい場所なんて無かったけれど、どこかに寄って帰ろう。マックスとは帰る寮が違うから、なるべく許される限りいろいろと連れ回そう。食堂、購買、図書室…必死に一緒に行ける場所を脳内から引っ張り出す。
できるだけ長く、許される限りずっと、この人と一緒に居たいから。