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    ざっこく

    雑食

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    ハスアラハス

    転生パロ 🦌視点

    記憶 アランがいなくなった夜、彼は部屋の隅で静かに窓の外を眺めていた。そうして、十分か一時間か、はたまた一日中そうしていたのかわからない。夜はとっくに明けていたことだけは確かだった。
     彼はスマートフォンの電源を入れて、自分の代理人に向かって言った。
    「もう戻らない」
     それきり、彼は表舞台から姿を消した。身の回りのものをすっかり売り飛ばし、部屋を引き払い、携帯を解約し、髪を切り、自分の痕跡をすっかり消し去ったあと。彼は一つの買い物をした。飛行機のチケット、片道分。

     アランは、彼の近所に住む老婆が飼っていた黒猫だった。毛並みには艶があり、赤い皮の首輪が黒によく映える美しい猫だった。老婆は数年前に亡くなり、交流のあった彼がアランを引き取った。
     老婆の家族の行方はわからず、彼女は殆ど世捨て人のような形でここに住んでいたらしい。らしい、というのは彼自身も老婆のことをよく知らなかったからだ。
     朗らかで、笑うと霞草のように儚げで、けれどピンと伸びた背筋が凛とした人だった。親子ほど歳の離れた二人ではあったが、間違いなくそこには友情があった。
     友人の死後、彼は黒猫と二人で暮らし始めた。
     アランは自分の主人が永遠に失われたことをまだ理解しておらず、時折寂しがってはみゃあみゃあ鳴いた。そのうち、アランは自分の主人があの老婆から目の前の男に変わったのだと気づいた。彼は泣かなかった。
    そうして、男とアランは数年を共にし、今朝アランは行ってしまった。男はアランの亡骸を燃やして、残った骨の一部ををハンカチに包んだ。

     たった数年を過ごしただけの間柄だった。友人と呼ぶにはお互い踏み込み過ぎていたし、性愛と呼ぶにはあまりに血生臭く、そうしてほんの少しの火遊びのような情だけがあった。
     彼のことを思い出すと、その記憶に浸っていたいような、二度と戻りたくはないと震えるような不思議な感覚に陥った。男が持っているのは、物語のような連続的な記憶ではなく、切れ端のような断片的なものばかりだった。酒場で酔い潰れた彼を介抱してやったり、借金を肩代わりにさまざまな業務を代行させたり、時には楽しく飲み明かしたり、他愛もない話をしたり、悪友というような関係が近かったのかもしれない。
     どの記憶も時系列が曖昧なことと、前後の関係が不明であるが故どこで二人の感情や関係性が変化してしまったのか、男には知る術がなかった。
     ただ、あのほんのささいな蜜月は、ある時を境にふっつりと途切れた。老年期の記憶がないことから、おそらく自分の方が先に死んだのだろう、と男は考えている。

     果たして、これは誰の記憶なのだろう。

     男は、それを仮に「前世の自分」なるものだと定義しているが、そうでない可能性は大いにありうる。だとしても、誰かの人生の追体験をし、その感情を共有しあったなら、その感情はどこに該当するのだろう。当事者性の痛み?それとも、物語を読み解く消費者の娯楽?
     何れにせよ、他者に回答を求めても無駄だ。だって

     アランによく似た黒猫の彼に、聞いてみたい。君は、どんなふうに生きたのか。名前も知らない、彼に。
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