今すぐにここを出ていかないといけない、と思った。
ハスクはその時、洗面所の鏡に映るくたびれた中年の男を眺めていた。泥のように濁って落ち窪んだ瞳がこちらを見てきた。そして中途半端に生えた髭と、かさついてひび割れた肌は彼を実年齢より随分年嵩に見せた。ささくれた指には指輪の跡が残っている。それが彼だった。
随分、歳を取った。
身体のいくつかの部品がダメになり、足りない部品は機械に入れ替えているし、人間の耐用年数を考えれば、まだ折り返しには少し早いくらいだと言うのに、この有様。いいや、魂のすり減り具合を見れば、むしろ妥当なくらいだと言えるだろう。
ハスクは、自分はどうやら随分長く生き過ぎてしまった、と感じている。けれど、未だ簡単に引き伸ばされた人生は一向にすぼんでいく気配を見せず佇んでいる。夜もすがら、しんとして音ひとつないここにハスクの足跡だけがしていた。
足音を殺すようにそうっと歩くのは、染みついた癖のようなものだった。息をひそめて、人の注目を引かぬよう、埋没するよう、あの男に決して見つからぬように。
ハスクの妹夫婦の寝室は皆寝静まっており、静かで物音ひとつしない。ハスクはゲストルームの中にある自分の荷物をかき集めて、バックパックに詰め込むと、足早に家を去った。鍵はポストに投げ入れた。
もう戻らない、そう決めた。
ハスクは車に乗り込むと、エンジンをかけて走り出した。おんぼろで、ところどころ塗装が剥げ、修繕を繰り返して乗り続けた車は、亡き妻と結婚してすぐに買ったものだった。燃費も悪いし、さっさと買い換えた方がいい。そう言われても断り続けたのは、愛着や郷愁ではなく、怠惰故だった。楽な方へ、楽な方へと流れていくのはあの頃からの悪癖だった。
そうやって、生きていた。これからも、多分そう生きる。そういう風にしか生きられない。
どこに居ようともそこが自分の居場所ではない、と感じていた。心理的安全性の保証がない。親も、血を分けた家族も、自分で選んだ家族も、友人も、同僚も、道行く誰かすら疑わしい。俺は誰だ、俺は誰だ、お前は誰だ。絶えず鏡の中で虚像が問いかける。
口の中に砂を噛むような不快さが広がり、手が震えた。あぁ、酒が切れている。ヤニも。
彼の名前は、ハスク。妻に先立たれ、失業中で、妹夫婦の家に厄介になっている。身体のいくつかの臓器がイカれて、そっくり機械に入れ替えた。
どこかにガタが来るたび入れ替えて、それでも脳みそさえ損傷しなければ、自己同一性は保たれるのだという。記憶の連続性と、環境による人格の形成。二つが重なり合い、自分は自分であるという認識を持つ。
――ならば、最初から自分のものでない記憶を持つ場合は?
ハスクという人間が生まれて40年余り。その間より前の、言ってしまえば妄想の類だと笑われるような、彼のものではない誰かの記憶。彼はそれを持って生まれた。
それを、仮に前世と呼ぶならそこから連綿と続く『俺』はいったい誰なのだ。ハスクは、未だその答えを掴めぬままいた。