一郎にとって山田零とは、清く正しく美しく、どこまでも完璧な父親だった。妻を慈しみ、子供との対話を怠らず、常に平穏な空気を身に纏っている。俺はそんな父親のことを心の底から尊敬し、愛していた。
だからあの日、あの時。俺と弟たちを置いて出て行ったあの瞬間、山田零は死んだのだ。そうでなければ許されない。
だというのに、あの男は俺の前に再び姿を現した。
一度ならず、二度も、三度も。
一郎の知らぬ『天谷奴零』という名前を提げて。遠く離れた西のディビジョンの代表だとおもてを上げて。過去に俺がチームを組んでいた白膠木簓をリーダーだと持ち上げて。
名前も、服装も、表情も、何一つあの時の面影など存在しないくせに。
俺はお前の親父だなどと、巫山戯た言葉を口に出して。どついたれ本舗所属などと、さも当然のように胸を張って。弟たちにすら真実を明かして、近づいて。チームメンバーと、大口を開けて笑い合って。
「人間ってのは常に変化を伴う生き物だ。そんなのとっくに知ってんだろ?」
そう言って、目の前の天谷奴零は笑う。眉根を寄せて、顎を上げて、挑発的に鼻を鳴らしながら。山田零は違う。目尻を下げ、瞳を緩ませ、唇で優しく弧を描きながらこちらの頭を撫でてくれた。誰のせいだ、と問えば俺のせいだな、と返してくる。
正しい言葉で、一郎の心を踏みなじる。
「俺がどこへ行こうが、何をしようが、誰になろうが、俺の勝手だ。お前が泣こうが叫ぼうが戻りゃしねぇよ」
知っている。そんなことお前に言われずとも、とうの昔に思い知った。あの日から俺の家族とは弟二人だけを指す。そこにお前の入る余地はない。
「あぁ、そうだな。だから選ばなかったのはお前の方だ」
目の前の男は、天谷奴零は、決して俺の選択を哀れまない。俺がどんな決断を下しても、それがお前の選んだ道なのだと告げてくる。俺と同じオッドアイの瞳でこちらを真っ直ぐ見据えてくる。山田零と、同じ瞳で。
俺は山田零を愛している。母を愛し、俺を愛し、弟たちを愛してくれていた父親を、俺は正しく愛している。
だから、せめて殺してくれれば良かったのだ。山田零はもういない。お前が勝手に面影を重ねているだけだと突き放してくれれば良かったのだ。お前のような子供は知らない、俺は天谷奴零なのだと。それだけで、俺は完全に諦められたのに。
そうだ、だから、やっぱり。
悪いのは天谷奴零なのだ。
じゃら、天谷奴零の足首に巻いた鎖から、擦れた金属音が鳴り響く。