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    白いでかい犬

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    白いでかい犬

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    2020年燐ニキワンドロ

    燐ニキ① 夏に吹く北風をメルテミアと呼ぶらしい。燐音はイヤホンを通して聞こえるラジオ番組の解説を頭の中で反復した。
     ちょうど今吹いている風だ。見つめていると目が引きつりそうな真っ青な空の下で、日当たりの悪い住宅街を吹き抜けていく風の行く先を思いながら、何度も歩いてきた道を進む。
     たどり着いた目的地は、地面の道を見ずに空を見上げたまま歩いていても到達出来るニキのアパートの部屋の前だ。
     インターホンには触れずに、両耳にはめていたイヤホンを適当に引き抜いて玄関の扉を開ける。外から見えた扉と壁の隙間に鍵はかかっていなかった。
     「うわっ! 燐音くん! いきなり人の部屋に押し入らないでほしいっす」
     「ニキの部屋に入るのに許可なんているのかよ。つーか鍵開いたままだったぞ。しっかりしろアイドル」
     「あれ? あーさっき荷物が届いて、配達員さんから受け取ってそのままドア閉めるの忘れてたっす」
     燐音くんが正しいなんてムカつく、と呟いたニキの尻を靴を脱いだ足で蹴り上げる。スパァンッと勢いの良い音が部屋の中に響いた。
     「はあっ!?」
     痛みに声をあげながらもニキの体勢は大して崩れていなかった。燐音が玄関を開けた時から、何かを両手でしっかりと持っている。
     「何持ってんの? 届いて荷物ってそれかァ?」
     聞きながら、反応を少しも待たずにニキの両手に己の指をかけて開かせる。出てきたのは両手で握りこめてしまいそうな程に小さい、細かいカット装飾が施された深い緑色の小瓶だった。
     郵送で届いた荷物の中身がその一瓶だけならば、随分と過剰な包装だ。立体的な梱包箱に緩衝材、何枚も重なったクラフト紙。台所の作業用のテーブルに乗ったごみがニキの手の中にある小瓶のか弱さを物語っていた。
     「これすっごく高い蜂蜜っすよ! こはくちゃんがとってくれたお仕事の協賛会社のキャンペーンで当たったんすよぉ! 夏だけ生産してて、肉料理にも合わせられる濃厚な味で~! めちゃめちゃ嬉しいっす~!」
     「おお……すげぇな。凄いテンションだな」
     精神が高揚しているニキのよろこびを浴びながら、「すっごく高い」蜂蜜をまじまじと見つめてみる。
     言われたら確かにラベルに小ぶりな白い花と蜜蜂の絵が描かれているが、それが無ければ薬か女性向けの美容化粧品に見える。
     燐音には「美味しい食材」に見えないし、実際に舌で味わわない限りはどれだけ濃い味かなど想像も出来ない。
     けれど丸く広がった縁から零れるあさざ色の一滴(ひとしずく)の価値は、ニキにとっては真珠にも匹敵するのだろう。固い硝子瓶に閉じ込められた輝きがいかに素晴らしい品であるかを熱心に言葉で伝えようとしてくる。
     血行の良い肌色の手のひらに小瓶をちょこんと載せて、そのまま頬ずりしそうな勢いだ。
     「ニキ~。勢い余って瓶ごと飲み込んだりすンなよ。ちゃんと中身だけを俺っちに食わせる上手い料理に使ってくれよォ」
     「流石に僕の胃でも硝子は消化できないっすね。僕の大食いは消化器官が強いんじゃなくて、ただ食べる量や回数が多いだけっすから。ていうか! 何で燐音くんに食べさせる事になってるんすか!」
     「いいじゃんかよォ。そんなに上手いなら食わせろ! ニキの物は俺の物 上手い飯についてはニキを相当信用してやってるからよォ」
     「もしかして褒めてくれてるんすか? それともやっぱり馬鹿にされてる?」
     「やっぱりって何だよ。ニキくんが嬉しいなら褒められたと思って素直に喜ンどけよ」
     質問の答えにならない返答にうーん、とニキは悩む。
     「料理をちゃんと褒めてくれるのは僕的にすごく嬉しいんすけど……。燐音くんは人の事を考えるのが上手いのか下手なのか分かんないっすね」
     「人のことっつーか、お前の事ばっかり考えてるよ」
     小さな瓶入りの蜂蜜は、ニキが美味いと言ったから燐音も欲しくなったのだ。
    見慣れない食材を使った料理でも、夏の北風が吹く青空の天気も、足跡が残りそうな程何度も通ったアパートへの道も。全部その先にニキがいるからだ。全部そこにニキがいるから、心に留めてみたくなる。
     「……胡散臭い笑顔で言われても嬉しくないっす」
     燐音はニキに嫌味な言葉で指摘されて、自分が笑っている事に気付いた。己でも気付かない内に表情に滲んでいた感情に驚いてから、だから楽しいのだと納得した。
     (お前だってちゃんと俺を見てくれるから。だから好きだよ)
     ふふん、と悦に入る燐音に対して、ニキははぁ、と溜息をついた。明らかな諦めの意志が滲むひと呼吸は、燐音と会話をしていたらしょっちゅう出てくる。身体に染みついた反射になっていた。疲れるのに、面倒なのに、この男の我が儘な振る舞いに降伏していまう自分はかなり意志が弱い。けれど、そんな意志の弱さを慰める訳では無いけれど、「燐音に褒められるとほんの少しだけ嬉しい」と思うのも本当だった。
     「どうせあげないって言っても奪われるんだから。燐音くんの分も作るっす。大人しく待っててください」
     「うんうん。俺っち超楽しみ!」
     事実、小瓶の蜂蜜は食べる前からすっかり燐音の気に入りになっていた。ニキが自分のために使ってくれるなら、その一滴の価値は宝石よりも遥かに輝かしく、誇らしい。
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