酷く喉が渇いた。
先日から私を追いかけてきているハンターから逃れる為に逃げ続けている。そんな最中に痕跡を残す訳にはいかなかった。
私はもうここ何日も人の生き血を啜っていなかった。時間が経つごとに逃げる速度は遅くなり、手は震える。
——ここまでかもしれない。
そもそも私はただの人間だった。ある日吸血鬼に血を吸われ、私もまた吸血鬼とされてしまった。
私を吸血鬼にした男はハウエルと言った。ハウエルは無責任にも太陽の光を浴びて呆気なく死んでしまった。己が私を吸血鬼にしたくせに、あの頃の私は吸血鬼になどなりたくはなかったのに。
私はあんな無様な死に方はしたくなかった。灰になり、私が生きた痕跡一つ残せずに死ぬのは嫌だった。
私は胸元に輝く十字架を握り祈った。吸血鬼は十字架に触れると火傷を負うらしい。だが、私だけはその限りではなかった。
私には特別な加護があるのではないか、と優越感に浸ったが吸血鬼と言う生き方を強いられた時点で加護は与えられてなどいなかったと気付いた。
それでもハウエルには感謝しているのだ、これでも。
夜を自由に飛び交う様になって初めて、私は夜がこんなにも安心する事を知った。夜の帳を待ち侘びる様になった。星が綺麗な事を知った。人間の体温が尊い事を知った。
ハンターは白い鎧を纏った大柄の男だった。背丈以上の槍を手に持ち私を追いかけてきた。
会話をしたことはなかった。ハンターと吸血鬼であるのだ、会話などなくとも追いかけてくる理由は一つだ。
私たち吸血鬼は人を狩り、ハンターは吸血鬼を狩る。吸血鬼は生きる糧として生き血を必要としているが、ハンターはただ吸血鬼を不要な存在として無慈悲に排除しようとしている。
彼らは自分達を正義だと信じてやまない。自分達とて生きる為に生き物を屠っているくせに、大義名分の元吸血鬼を絶滅させる気なのだ。
◾️
ついに追いつかれた。
投げられた槍は私の頬を掠り、壁に突き刺さった。
私は観念し、背後のハンターを見やった。
——美しい男だった。
白い鎧を身に纏い、瞳は空を映し、銀髪は月光を反射している。
そういえば久しく空など見てはいなかった。私は夜に住む者だから。太陽の下に出ればハウエルと同じくして灰になって身体も思考も何もかもが消えてしまう。
きっと彼の様に空は今も昔と変わらず美しいものなのだろう。
私がそれを見る事はもう二度とないけれど。
「私はパーシヴァル・ド・ゲール。ハンターです。吸血鬼を屠る為の存在です」
「知っている。だから私は君から逃げていたんじゃないか」
「……私は貴方を殺したくはない、と言ったら信じて貰えますか」
「信じられないね、何せ君らは私を殺すのが仕事なんだから。初めて吸血鬼を殺す訳でもないんだろう?」
こんな問答など時間の無駄だ。
それとも時間経過を待ち、太陽の光で消滅させる気なのだろうか。
銀の弾丸と太陽の光。どちらが苦しいのだろう。私は生きる事を諦め、そんな事を思った。
「私がハンターでなくなれば良いのですね?」
「は?」
「ハンターと言う職を捨てれば貴方は私を信じてくれるのでしょうか」
パーシヴァルと名乗ったハンターは懐から銀細工の施された銃を取り出し、捨てた。中には祈られた銀の弾丸が込められているのだろう。
私には理解出来なかった。
ハウエルに吸血鬼にされる前、私は日々生きるのに精一杯だった。日雇い労働だってなんだってした。それなのに初めて会ったこの男はいとも簡単に食い扶持を捨ててみせたのだ。
「なぜ、そこまで?私に優し過ぎて逆に怪しいくらいだ」
「一目惚れです」
「は?……ああ、私に血を吸われて吸血鬼になりたいと?」
今までにいなかった訳ではない。自ら吸血鬼になり、永遠の命を手に入れたいと宣う人間はいた。だが、ハンターである以上、吸血鬼が常に命を狙われている事を理解している筈だ。
「聞いた事はありませんか。吸血鬼と人間の間に生まれた子はダンピールと呼ばれ、吸血鬼を屠る能力を有する、と」
「まさか、君が?」
噂には聞いた事がある。
だが、大抵は生まれてまもなく死ぬと言う。私は今の今までただの伝説だと思っていた。
ならばこそ、そんな希少な存在が私を気にかける意味が分からない。
一目惚れ、だと?確かに私は伊達男だ。だが、敵に一目惚れされたのは初めてだ。
パーシヴァルは己の首を曝け出し、私に向けた。
「信用ならないと言うのなら、どうか私の血を吸って下さい。半分は人間の血です。命令は下せなくとも主人である貴方を殺す事は出来なくなるでしょう」
そういえば、そうだ。吸血鬼は吸血鬼を増やし、己の配下とする。ハウエルからそう言った扱いをされた事がなかった為、すっかり忘れていた。
「吸血鬼ではない。でも、人間でもない。私はそういう存在です。少しばかり疲れた。そう思っていた所に貴方に出会った。吸血鬼の目は総じて赤であるのに、貴方は海色だ。その海に恋焦がれたとて不思議ではないでしょう」
「ハッ!そんなもの、私に一目惚れなんじゃなくて寄り掛かるものが欲しかった時に、目の前に私が居ただけだろう。勘違いするんじゃない、君が惚れたのは私じゃない。寄りかかれたら何でも良かったんだ」
「貴方は他とは違う。吸血鬼が十字架を持っていられる事自体が異常なのです。その十字架のせいで他の吸血鬼から疎遠にされているのでは?」
吸血鬼は十字架に触れると火傷する。
その為、他の吸血鬼は私の側に寄ろうとはしなかった。けれど、私は十字架を手放したくはなかった。吸血鬼になる前から持っていた、私の唯一のものだ。私の唯一の信仰だ。
私はハウエルが死んでから1人だった。私を吸血鬼にしたくせに、ハウエルは私を置いて1人で逝ってしまった。
「——私もそうです。人間からは吸血鬼の血が混じっているからと畏怖される。吸血鬼からは裏切り者だと罵られる。私は一人だ。貴方もそうでしょう。傷の舐め合いが悪い事だと私は思わない」
「確かに私は一人だ。配下を作った事もない。……はは、どうせ君ならその銃を拾って私に撃ち込むなど容易いんだろう?」
——このまま時間が経ち太陽の光で灰になるか、君の誘いを断って銀の弾丸で殺されるか。
そこに第3の選択肢が生まれた。
ダンピールを名乗るこの男と共に生きるか。
「そうだな、独りには少し飽きてしまった。私を楽しませてくれると約束するならば、共に生きよう——パーシヴァル」
選択肢などないも同然ではないか。
ないならないで、楽しむべきだ。一目惚れなんて言葉を信じている訳ではない。だが、しばらくは主従ごっこを楽しむのも悪くはないだろう。
楽しくなくなった時——2人にも飽きた時はきっと君が私を灰にしてくれると信じている。
私はパーシヴァルの手を取った。彼は未通女の様に頬を赤らめた。
どうやら、一目惚れというのは本当らしかった。
私は血を奪う代わりに彼の唇を奪い、にやりと微笑んだ。驚いた顔をした後にパーシヴァルは満面の笑みを浮かべ、私を抱きしめた。
半分人間であるせいか、彼の身体は温かかった。
——君にならいつ殺されてもいいよ。私はその言葉を口にせず飲み込み、彼の背中に腕を回した。