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    セツだるま

    いろいろやってる

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    セツだるま

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    終わった……ZE☆
    ワード換算で20050字です。
    -------------------

     世界は、生まれたときから決まっている。
    黒いものは”悪”。白いものは”善”。
     生まれる前から決まった見た目と価値、生まれた後に決まるモノとしての役割。
     それが当たり前で、”この世界”は糞だ。と気が付くのには時間がかかった。
     そう。きっかけは、彼女だった。

    黒と白の楽園追放 これは、誰も知りえない消された記録。
     遠い昔に“原罪人”としての烙印を押され、“楽園”から出て行った、とある少年と少女の序章である。
    ◆◆◆

     世界は、生まれたときから決まっている。
    黒いものは”悪”。白いものは”善”。

     生まれる前から決まった見た目と価値、生まれた後に決まるモノとしての役割。

     それが当たり前で、”この世界”は糞だ。と気が付くのには時間がかかった。

     そう。きっかけは、彼女だった。

    ◆◆◆
    「ねえ、あんた、何してるの?」
    「……」
    「なーにーしーてーるーのっ!」
    「……おれ?」
    「そうよ」
     振り向くと、そこには真っ白な服の少女がいた。
     おれと同じ歳か、少し上くらいだろうか。自分の長い前がみで、彼女の姿が見えにくい。
    「何してるの?」
    「……仕事」
    「“シゴト“?それ、楽しい?」
    「……“タノシイ”。って、何」
    「『楽しい』は、楽しいよ。好きなことしたりとかしたら、思うやつ」
    「“スキなこと”。」
    「ないの? 好きなこと」
    「…………」
    「もしかして、『好きなこと』も分からないの?」
     こくん。と、顔を縦に振る。長い、黒い前がみの隙間が大きくなって、さっきより少女の顔がはっきりと見えた。
     おれの真っ黒なかみと真反対な、真っ白な長いかみがまず見えた。前に見かけたことがある、きれいな人たちの色だ。
     次に目が合った。その目は、太陽に照らされた草や葉っぱみたいに、キラキラと光っていた。
    「『好きなこと』はね、やってると、胸がドキドキして、それからワクワクもするのよ‼」
    「“どきどき”。“わくわく”。」
    「そう! あとね、あと……」
    「あ…………」
     どきどきもわくわくも分らなかったけど、そのまま話をすすめられてしまった。
    「……う~ん、あと……」
     急に彼女はおでこに力を入れて悩みはじめた。……そんなに難しいことを求められているのだろうか。
    「……あっ! あとね……」
     ぱっと表情が変わった。彼女は両手でそれぞれ一本指を立てて、ほっぺたにくっつけて、こう言った。

    「笑いたくなっちゃうの‼」

    「……『笑う』」

     笑う。は、分かる。誰かが誰かに、『笑って』と言っていたのを聞いたことがある。いわれたほうは、今目の前にいる少女と同じ顔をしていた気がする。

    「笑おうって思ってないのに、ほっぺがうにょにょってなるんだ~」
     ……やっぱり分からないかもしれない。
    「……『笑う』も、分からない?」
     彼女の顔から力がぬけて、弱々しくなってしまった。人と会話をすることが少ないから、いちいち反応が遅くなってしまう。
    「笑う。は、分かる。さっきのやつ。見たことある。多分」
    「なにそのてきとーな感じの! ……めんどくさくなったでしょ」
    「おれは思ったことしか言わない」
    「なにそれ?
     じゃあ、あんたも笑ってみてよ! 分かるんでしょ~?」
    「……やり方が分からない。ウニュ。は、どうやればいい?」
    「笑ったことないの⁉ さっき知ってるって言ったじゃん!」
    「“見たことある”だけ。そもそも、自分の顔を気にしたこと、ない」
    「も~。
    ……あ。じゃあ、ちょっと、顔見せて!」
    「今度はなに……。
     ……で、何、を……⁉」
     言われたとおりに前がみを分けて顔をみせた。……ら、いきなり彼女が近づいてきて、おれのほっぺにさわった。さっき、彼女が自分でしていたように。
    「っ何すんひゃお!」
     ほっぺを引っ張られているせいで、まぬけな声が出てしまった。
     すぐ目の前で葉っぱ色が輝く。
    「うわ、あんたのほっぺた、かたいわね」
    文句を言いながらも、彼女は離れる様子がなかった。いつまで続くんだ……と思っていたら、指をおれのほっぺに当てたまま、彼女は“笑った”。
    「ちょっと怖いけど……うん。これでよし!
     ほら、これが、『笑う』よ‼」
    「……“笑う”?」
     落ち着いて、今自分がどうなっているのかを、感じてみる。
     普段動かさないところを無理やり動かされたせいで、正直、痛い。だけど……。
     目の前の少女の『笑った』顔を見ていると、別にそれくらいは耐えてやろう。という気持ちになった。
    「……『笑う』」
     なんでか、体のどこでもない場所がムズムズした。葉っぱ色は、なおも輝いている。
     どうしようか、思ったことを言うべきだろうか、と迷っていた、その時だった。

    「□□―? どこにいるのー□□―?」
    「あっおかあさんだ‼」
     急に聞こえた声に反応して、彼女はパッと指を離してしまった。
    「あっ……」
     葉っぱ色は、後ろを向いて見えなくなった。
    「じゃあ、わたし、おかあさんのとこにもどるね!」
     さっきとは少しちがう『笑った』顔で、彼女は言った。
    「……うん」
     色々言いたいことがあったけど、飲み込んで、その一言を言うだけでせいいっぱいだった。
    「……」
    「……? おかあさんのとこに行くんだろ」
     なぜだか彼女は文句を言いたげにじっとこちらを見ていた。
    「……こういうときは、言うことがあるでしょ?」
    「?」
    「まったく、あんたって、ほんとうになんにも知らないのね」
     ふう。と息をはいた。
     そしてまた『笑って』、こう言った。
    「こういうときは、『またね』って言うの」
    「……“またね”?」
    「またこんど会おうねーっていう約束のこと!」
    「またこんど……。
     ……また、ね」
    「うん‼」
     よりいっそう『笑った』顔を輝やかせて、彼女はこたえた。
    「つぎ、会うときまでに、笑顔の練習、しといてね!」
    「“エガオ”?」
    「笑った顔のこと!」
     そう言いながら、まぶしい『笑顔』で彼女は言った。
    「分かった。きっとうまくなる」
    「うふふ、楽しみにしてるからねー!」
     そのまま、手を左右にふりながら、彼女は声のした方へはしっていった。わからないけど、多分これはおれもするべきなんだろう。と、同じように手をふってみた。まがりかどの向こうに、その姿が消えるまで。
    「……笑顔。の、練習」
     あの顔は笑顔というのか。そう思いながら、なんどもなんども、彼女の顔を思いうかべる。
    「また、こんど」
     今日は、知らないことをたくさん知れた。まだぜんぜん分からないものもあるけど、次までに知っておいたら、彼女はおどろくかな。そんなふうなことも思った。


     これはまだ、俺達が“世界”を何も知らない頃の話だ。


    ◆◆◆

     大人になって、俺は沢山のことを知った。
     知りたかったこと。
    知りたくなかったこと。
    そのすべては“この世界”の常識であること。
     あの少女との『また今度』は、果たされることもないのだろう。
     ”この世界”は糞だ。
     それが俺の答えだった。

     この世界。“楽園”と呼ばれるここは、二種類の存在がいる。
    白き者。白い髪と聖なる力を持つ。この世界で『人間』として生きていくことを許されている存在。
     黒き者。黒い髪と邪悪な力を持つ。前世は犯罪者だ。とか、この世界の闇から生まれた。とか、まあつまり、白達からひどく嫌われている存在。
    黒いものは”悪”。白いものは”善”。それが昔から伝えられてきた、この世界の常識なのだそうだ。
    黒い髪の俺と、白い髪の彼女。つまり、本当なら会話してはいけない二人で、また今度の約束をした。きっと彼女は、喜びながらそのことを母親に言ったことだろう。そして、二度と黒なんかに近寄るな。といわれたはずだ。
    あの頃は何も知らなかったが、きっと彼女は俺と同じ様に、いや、俺よりも効率よく、この世界について知ったことだろう。
    『あれ』はいけないことだった、この世界の常識において。
    それを知ったあと、きっと次は許されないのだろうと感じた。
    そのときに、当時の俺と少女には申し訳ないが、約束を破るしかないと、諦めた。
    だけど。気が付くと、あの太陽に照らされた若草色を探している。
    今日も、昨日も、一昨日も。
    ハッとしてから、俺は仕事に戻る。
    練習した笑顔も披露できない、この場所で。


     今日も俺たちは仕事をする。この仕事はなんなのか、何の為なのかは教えられていない。だけどこの世界の仕組み的に、白たちの為の仕事だろう。
     白たちにはよくひどいことをされる。ストレス解消とか言っていた。迷惑だったな、あれは。こっちはお前らの為に仕事してんだが。まあ、向こうがそれを知っているのかは分からんが。
     彼らの目には、せっせと仕事をこなす俺たちが、食べ物を運ぶ蟻のように映っているのかもしれない。
     何度か、仕事をやめてやって殺されてみるかと思ったことがあるが、その度に、あの少女の笑顔が思い浮かぶ。
    未だに未練がましく、だ。
    ……きっともう、彼女はあのことを忘れて、他の白たちのようになっているに違いないのに。
    そう信じているのに、どうしても、それを疑ってしまう。
    苦しい。

    外を歩く時のコツは、変なところを通ることだ。なるべく白たちに出会わないよう、狭い道や、あまり整備されていない、彼らが嫌う道を選択するのだ。
    白と黒の居住区は違うが、時たま、迷惑な白が来ることがある。あの日の少女のように迷い込んだ子供ならまだしも、黒をいじめてやろうという性根の悪い奴も来る。だからもし白をこっちで見かけたら、そっと離れるようにしている。白い髪はよく目立つから、見つけやすくて助かる。
    黒が白のスペースに入れるのは仕事時監視付きの場合のみなんだから、いっそ向こうも立ち入り禁止にしろよな……。
    そんなことを考えていると、俺の目の前から、黒いボロボロの布を被った奴がやってきた。なんだ、わざわざあんな布を被るなんて。訳アリだろうか。まあ気にする必要もないだろう。狭い道だから少し避けるか。……なんて、思っていた。
    ……そう。油断、していた。
    そのまま歩いて、大分近くまで進んで、俺は久々に、背筋が凍った。
    ……フードの隙間から、ほんの少しだが、白い色が見えた。黒が白色のものをまとうことは禁じられている、つまり……。
    (コイツ、白じゃねえか‼)
     しまった、となってからではもう遅い。もう逃げられない。な、なんて狡猾な……!
     こちらが驚き、固まっていると、不意に、白が顔を上げた。

     目が、合う。
    その瞬間、俺はまた、ひどく驚いた。

     ……そこには、若草色の瞳があった。

    「「その目‼」」
     見事に二人の声が重なった。
    「間違いない! 覚えててくれたのね‼」
     あの頃と同じ様に、輝く笑顔で、彼女は言った。
    「そっちこそ……忘れてるだろうって、思ってた」
    「何言ってんのよ! 『またね』を言わせたのは私なんだから」
    「……いや、本当に……うん、そうだけど……信じられなくて、……、びっくりして」
    「あ……。
     ……うん。そうよね。私達、知らなかったんだもの」
     知らなかった。そう。だけど、今は知っている。
     それでも、知ってなお、周りに染まらず、探しに来てくれたのか。

     『また今度』を信じて。
     俺は、忘れられなかっただけだというのに。

    「それにしても、随分大きくなったのね。見上げなきゃ顔が見えないわ」
    「そりゃ……結構経ったし」
    「というか、こんな変なところ歩いてるなんて。いつもそうなの? おかげで探すの大変だったんだけど!」
    「え、え~。あぁ、うん……あ~、ごめん。えぇと……。近道、だったから……」
     白に会わないため。というと、少し面倒くさくなりそうだ。
    「ふーん?」
     特に疑問も抱かず、彼女は受け入れた。
    「……それよりも、移動しないか? 狭いし、話しづらいし……人が来たら困る」
    「そうね。どこに行くの?」
    「……適当に?」
     何の考えもなく、取り敢えず俺は、後ろにふり返って歩き始めた。少し遅れて、彼女が歩き始めた気配を感じる。
    「……その布は、どうしたんだ? 随分とボロボロだけど……」
    「これは前に拾ったの。こっちだと白い髪って目立つから。あ、ちゃんと洗ったわよ! 本当はしっかりしたのを買いたかったんだけど、私達の町にはどこにも黒い色のものがなくて」
    「……まあ、そうだろうな」
    「どうして皆、怖がるのかしら? 夜空色の、素敵な色なのに」
    「……そうかな」

    「この辺りでいいか」
     彼女は、周りをきょろきょろ見まわしてから、頭から被っていた黒い布を取った。あの頃は腰くらいまであった髪が、今は肩に付くくらいのあたりに切りそろえられている。
    「髪、短くしたんだな」
    「え? あぁ、ちょっと邪魔だったから。逆にあんたは、前髪、長いまんまね」
    「このほうが気が楽だから」
     それに、目が合ってもばれにくいから、あっちで探し物をするのには丁度良かったし。
    「見えづらくない? 目は見えてた方が良いと思うけど」
    「俺はこうってだけ。動けりゃ何でもいい」
    「……そうなの?」
     彼女は雑にまとめている俺の髪を見つめている。
    「……そんなことより。子供の頃の『またね』を信じてこっちまで来るなんて、お前って本当に変わってるよな」
    「なによ~! そっちだって覚えてたじゃない‼
     ……ていうか、覚えてるっていうことは、あの時の約束も、当然忘れてないわよね……?」
    「……笑顔の話?」
    「そう‼ ちゃんと覚えてるじゃない‼」
     笑顔のまま彼女は、じっとこちらを見つめはじめた。……これは、『やれ』ってことだよな。
     俺は一つ息を吐いてから、『笑う』。あの彼女の輝く笑顔を思いうかべながら、口の端っこを上げた。
     これが俺の練習の成果だと、彼女の顔を見つめる。
    「……すごい。

     すごい、怖い」
    「えっ」
    「これから殺されるのかな? くらいの圧がすごい。なんか……禍々しい? ぎこちないとかそういうレベルじゃなくない?」
    「………………」
     ………………。
    「ちょ、ちょっとそんなに落ち込まないでよ! えと、ええと、でも、口角は上がってたし、あとはそうよ、柔らかくするだけよ!」
    「いいよ……みじめになるから」
     俺はこのために半生を費やしたというのか。
    「あ、あとちょっとよ! 鏡見て練習すれば分かるようになるわよ!」
    「“カガミ”ってなんだ」
    「ああもうなんもないなこっち‼」
     勢いで彼女が叫びまくる。
    「じゃあ、次来るときに持ってくるから、今度からはそれ使って練習したらいいわ」
     彼女は明るい表情で言った。
    「……」
    「あとは……そうね、やっぱり楽しいことをして自然に笑う方法を知ったほうがいいわ!
     それなら何か遊ぶものとか良いかしら。本とかも良いかも」
    「次は無しだ」
    「私の好きな本があるからそれを……
     ……え?」
    「今回でお終いだ」
    「え……な、なんで……あ、さっきの、怒ってる……? ご、ごめん! でも、ほんとにもうちょっとだと思うの‼」
    「そういうのじゃない」
    「じゃあ、なんで!」
    「駄目だから、だ。ばれたらどうなるか分からない。面倒事はごめんだ。だから……」
     ハッと彼女おの様子に気付いた。目を大きく見開いたまま、固まっている。
     そして、下を向いて呟いた。

    「あんたもオトナと一緒なんだ」

     ばっと彼女は飛び出した。俺が声をかける暇もなく、姿が見えなくなる。
     どういう意味だろうか。分からない。まるであの頃のように。
     ……だけどきっと、嫌われてしまったのだろう。
     ならむしろ好都合だ。これで彼女はこっちに来なくなる。彼女がコソコソと隠れる必要がなくなったんだ。
     これでいい。……なのに、後悔していた。
     ああ、ああ、ああ。
     俺は、いつになったら俺の“本音”を信じられるようになる。

    ◇◇◇

     私は走っていた。
     目の奥が熱い。風で冷えろ。

     世界は、生まれたときから決まっている。
    黒いものは”悪”。白いものは”善”。
    そんな、この世界にとってのくだらない常識を知る前に、私は真実を知っていた。
    彼のお陰だった。
    私達も彼等も、知らないだけ。
    あの月が光る夜空色の瞳を持った、名前も知らないあの少年が、教えてくれた。
    だったのに、彼は。

    『今回でお終いだ』
    『駄目だから、だ』

     彼は私の周りのオトナのようなことを言った。彼はオトナになってしまったのだ。この世界に染められてしまったのだ。
     こんな世界に染められるのが嫌で、私はずっと子供でいようとした。走るのが好き。木登りだってできるわ。勉強は嫌い。そしてなにより。常識なんて信じない。私は、私を信じるの。
     彼もそうだと思っていたのに、だって、彼も私と『知った』はずだもの。
     こんな世界、こんな世界なんて。
     そう思いながら、私は、ただ、走っている。

     やっと辿り着いたこの場所は、私の大好きな場所。本当は近づくのも禁止された、この世界の中心。そこにそびえ立つ、赤い実を結んだ大きな木の下。
     この木はとても大きくて、あっちからでもよく見えたほどだ。
     優しい木陰が、火照った私の体を冷やす。ザァザァと風に揺れる音がして、同時に葉っぱの匂いがここまで届いた。
     この木には伝承がある。この木に生る赤い実は、善と悪、つまり白と黒の全てを知り、その実を食べると、白でも黒でもない化け物になるんだそうだ。
     だけど何故か、この木はずっと大切にされている。なんでも、人類が生まれる前からここにあって、この場所を中心に“楽園”が作られたかららしい。
     他にも、神様が与えてくれたからなんていう説もある。だから、そんな神聖な実を食べたら罰が当たるらしい。
    ……食べられない実をくれるなら、この世界をどうにかしてよ。
    私はこの伝承が嫌いだ。
    でもこの場所は好き。だって、何も気にせず、落ち着けるから。昔から、私はここで見上げる夜空が好きだった。町で見るよりずっと綺麗に見える。じっと眺めていると、静かに笑みが零れてくる。
    悲しい時、悔しい時。そんな時は必ずここに来るのだ。この大きな木が、私のことを包んで、癒してくれるから。
    「……はあ」
     私は息を整えながら、さっきのことを思い出す。
     彼の表情は読めない。長い前髪に、夜色の瞳が隠れてしまっているというのと、彼はあまり、表情を変えない。だから真意は分からない。
     ……分から、ない。彼が何故、あんなことを言ったのかが。
     冷静になると、自分の考えなしに気が付いた。彼が“オトナ”になってしまっていたのなら、そもそも、私との会話すら拒絶するはずだ。
     ……どっちにしろ。
    「私が悪い、よね……」
     結論としてそこに至った私は、大きく息を吐いた。
    「……謝らなきゃ。うん」
     まだ少しだけうるさい胸を押さえながら、私は立ち上がった。
    「謝りに行こう!」
     そうと決まれば早く行かないと! さっき彼に連れられた場所を中心に……というところまで考えて、私は忘れ物に気が付いた。 
    「っっ布がない‼」
     しまった。そのまま勢いで帰ってきてしまったから、あの黒い布をあそこに置いてきてしまったことに今更気が付いた。
     別になくたって向こうに行くことはできる。けど、この白い髪はとても目立ってしまう。きっと私が彼を見つける前に、彼が私を見つけて逃げてしまうだろう。 
    「また探すところから……」
     あれは本当に探すのが大変だった。まず白の町には黒いものが一つもないから、黒の町で、捨てられていた布や服を見つける。そして、親にばれないように程よい大きさになるまでつなぎ合わせたのだ。
    「はぁ~……」
     再び大きく息を吐いた後、空を見上げた。いつの間にかほのかに赤く染まっている。朝と夜の、中間だ。
     ひとまず、今日はもう帰らないと……。
     私は町の方へ歩き始めた。

     こっちの町並みは向こうと全く違う。しっかりと道が整えられていて、白い家が行儀よく並んでいる。闇を恐れる為か、空はすっかり暗いのに、これでもかと言うほどに街灯があちらこちらに立っていて、影一つない。その所為で星は全く見えず、月の輝きも弱まっている。今日は月が小さいから、尚更そう見えた。
    逆に、黒達が住む町は、本当にここに人が住んでいるのかと驚くほどだった。これも、彼に出会わなければ知ることのできなかったことの一つになる。
    どうにかして、彼をあんな場所から、いや、こんな世界から出してあげられないかしら……。
    「はぁ……」
    今日三回目の大きなため息を吐くと、後ろから「よう」と声をかけられた。
    後ろを振り向くと、幼馴染のルキフェルが立っていた。
    「ルキ」
    「どうしたんだ? □□。落ち込んでるみたいだけど」
    「……気のせいよ、私が元気ないっていう根拠はあるの?」
    「さっきのため息は?」
    「…………あ、あくびじゃなぁい? 別に、ため息なんて、人生で一回も吐いたことないし……」
    「ハハッ。なんで騙されると思ってんの? お前は正直者だから、嘘吐くときは丸わかりなんだよ~~!」
    「ちょっと、ほっぺ突っつかないでよ!」
    「あ~、ごめんごめん」
     パッとルキフェルは私から離れて、ニコッと笑った。細められた瞼の下から、彼の薄い黄色の瞳が見える。丁度、ここから見える今日の月みたいな色だ。
    「まあそれはともかくとしてさ、何があったんだ?」
    「……本当に、何にもないわよ」
     ……ルキフェルは数多くいる“オトナ”の一人だ。子供の頃からずうっと、彼は黒のことを見下している。あの少年との出会いの話も、ルキフェルにしたら、冷たい目をして黒について話した。それこそが、私がこの世界の“常識”を知ったきっかけだった。
     私に構ってくるのも、私が白だから、それでしかない。
     ルキフェルには知られる訳にはいかない。あの夜色の彼のことを。
     そう思って、ふと、私は気が付いた。

    ……そういえば、彼の名前を私は知らない。そもそも自己紹介もしていなかった。今度謝れたら、改めて、自己紹介から始めたいな。

    「お~~い? □□?」
    「はっ。
     こ、コホン。か、考え事……。と、とにかく! 何にもないのよ‼
     そもその、私に隠し事があったとして? 人に言いたくないことかも知れないじゃない! そういうの、デリカシーが無いって言うのよ!」
     ひとまず、ここはとにかく誤魔化すしかない。気の利いた嘘なんて思いつかないし、昔から嘘がばれなかったことがないけど、こう言えば、プライドの高いルキフェルは少なくとも今日のところは引いてくれるはず……!
    「……そうか……そうだよな。おれも、□□に言ってないこと、沢山あるし……」
    「‼ そうよ! やっと分かってくれたわね! じゃあ、もう暗いし、私は先にかえ……」
    「黒に関することなんて、ここじゃ言えないしな」
    「……え?」
     瞬間、ルキフェルは私の目を覗き込んだ。
    「やっぱり、お前って正直者だよな」
    「ッッッ」
     私は咄嗟に彼から離れようとした……けど、すぐに手首を掴まれてしまった。
    「っ離して! どういうつもりよ‼」
    「お前はうまく隠してるつもりだったみたいだけど、ずっとばれてたんだぞ? 目立たないために黒い布をまとって、向こうに行っていたこと」
    「な、何を……。だったら、どうして止めなかったのよ!」
    「向こうに行くだけなら皆やってるし、こっちがあっちに行ってはいけないっていうルールもないから、止めようがなかったんだよ。  
     ……ただ行くなら、な。
     でも今日は、楽しくお喋りして、挙句なんの疑いもなく黒に付いて行って?」
    「気持ちわる……ずっと見てたってわけ?」
    「まあまあ落ち着けよ□□。お前の為なんだから。流石に会話は聞いてないしさ。」
     軽い口調で彼は続ける。さっきと変わらないのが、逆に怖い。
    「で、そのあと喧嘩したじゃん。さっきのため息はその所為だろ?」
     じぃっと見つめたまま、彼は言った。
    「これは、向こう側の罪だ」
    「は⁉ ちょっと、どうしてそうなるのよ! 友達とちょっと言い合いになっただけでしょ‼ 私が悪かったから、これから謝りにいくところだったの。おかしなことなんてある⁉」
     思わずカチンときて、私は言い返した。すると、彼はキョトンとした顔で、こう、言い放った。

    「黒と友達って……何言ってんだ? 物だろ?」

    「――‼ いい加減にして‼‼」
     耐えられなくなって叫んだ。けど、ルキフェルには全く、届いていないようだった。
    彼は、こうなることを恐れてたんだ……!
     今更そのことに気が付いた。あぁ、私の所為だ。罪を負うべきは、私の方だ。
    「罰するなら私を裁きなさい‼
     彼は私が巻き込んだの! もう彼には会わないから……! ねえ、ルキ、お願い。聞いて‼」
    「□□。やっぱりお前、おかしいよ。アイツが悪いんだろ? アイツに何かされたんだ!」
    「違うって言ってんでしょ⁉」
     何度言っても「向こうの所為」の一点張り。彼は引き下がろうとしなかった。
    「なんで分かってくれないのよ……」
     思わず出た言葉も、すぐに下に落ちてしまった。
    「大丈夫、おれが□□を元に戻すから、あいつを、どうにかしてくるから」
    優しく微笑みながら、彼は私に言う。そして彼は、懐から、何かを取り出した。

    それは、赤い、あの果実だった。

    「ちょっとそれ、まさか!」
    「何が起きるか分かんないけど、まあ多分、罰には丁度いいだろ」
    「本ッッ当にふざけないで‼ あんまりにも危険よ! 彼に食べさせるんなら、私が齧るわ‼」
    「だからなんでそうなるんだよ。大丈夫。安心して待ってろって」
     そう言った彼は、いきなり私の体を突き放した。
     すると、すぐ後ろにいたらしい、顔見知りの面々が、私の体を拘束した。
    「ちょっと、離してよ! どう考えても、おかしいでしょ⁉」
     そう私が叫んでいる間に、ルキフェルはすでに駆け出していた。
    「っ待って‼」
     必死に伸ばした手は、ただ、空を切るだけだった。

    ◆◆◆

     俺は星空を眺めながら、彼女の言葉を思い出していた。
    「……夜空色の、綺麗な色。」
     悶々と後悔している間に、月と星が出ていたらしく、そういえば空なんて物も気にしたことがなかったと、上を見上げてみたのだ。
    真上にある黄色い細長い月が、笑顔の口の部分みたいに見える。三日月、と言うんだったか。その周りに沢山散りばめられた、大きさのまばらな星々。いつも俺達を明るく、強く照らす太陽と真逆な、優しく、ささやかな暗闇。
     彼女には、俺達がこう見えているのか?
    「……やっぱり、馬鹿だろ」
     そんな訳ないだろう。
     視線を落とすと、先程彼女が忘れていった布が視界に入った。
     信じるな。また、辛くなるから。

     ……いつまでもこうしているわけにはいかない。明日も続くんだ。早く帰ろう。
     ようやく立ち上がった俺は、のろのろと歩き始めた。
     すると、すぐ近くに白い物体が見えた。
    「っ‼」
     まさかアイツ、また来たんじゃ……!
     そう身構えたが、予想は外れた。
    「ああ驚かせたか。悪い」
     現れたのは白の男だった。黄色い目をしている。
     物陰から出てきたソイツは、軽い口調で話しかけてきた。
    「そう警戒するなよ、おれは□□の友達だ」
     誰だ……と一瞬迷ったが、俺に白の知り合いなど、一人しかいない。そう言えば、そんな名前だった。
     ……って、なんで俺は一回しか聞いてないアイツの名前を憶えているんだ。
    「そうですか」
     何が目的だ? アイツの友達……ってことは、コイツもおかしな思考の持ち主なのだろうか。
    「あ、そうだ」
     俺はアイツが置いて行った黒い布を差し出した。
    「……これ、アイツに渡しておいて貰えませんか?」
     ここにあっても仕方ないしな……。
    「……いや、必要ないよ」
     彼は受け取らずにそう言った。
    「実は彼女、こっちにこっそり来ていたことがばれてね」
    「っ……!」
    「もう二度とこっちに来ないようにって家の人に怒られちゃったんだ。だからもう、それは必要ないんだよ」
     優しく彼は否定する。
    「だから、代わりに謝ってくれないかって、□□に頼まれたんだ」
    「……そうですか」
     ……。想像していたような目に遭っていなくてよかった。
    「分かりました。
    あの、謝る必要はないと彼女に伝えておいて貰えませんか。俺の……言葉足らずで、彼女を傷付けてしまったので。むしろ、俺が謝るべきだと、言っておいてください」
    彼の言っていることが本当でも嘘でも、多分彼女がもうここには来ないことは間違いない。彼伝いに、終わらせてもらおう。
    「……。分かった。伝えとくよ」
     彼はそう言って了承してくれた。
    「ところでさ、一つ、お願いがあるんだけど」
     急に、彼は話題を変えた。
    「お願い、ですか?」
    「うん」
     そう言いながら彼は、赤い丸い何かを取り出した。
    「これはおれ達の町でしか実らない果実なんだけど、とある、おまじないがあってさ」
    「おまじない」
    「誰かとお別れするときに、お互いの先の幸福を祈ってこの果実を齧るんだ」
    「相手の幸福を……願うっていうことか?」
    「そうそう。
    □□は今頃、もう齧ってるはずだ。あとは、お前が齧るだけ」
    「……」
     俺は彼からその実を受け取り、観察した。初めて見る物に警戒しつつ、ちょっとした好奇心で。

     俺はすっかりこの男を信用してしまっていた。
     恐る恐る、果実を口に近づけ、そして目を閉じ、齧る。
     彼女を、思いながら。

     シャリ……。

     思ったよりも高い音が、二人だけの空間に響いた。
     果実をそのまま咀嚼し、飲み込んだ。
     再び辺りは静かになった。

    「……」
     目の前の男は何も言わない。
     ただ、静かに、俺を見ている。
     ……まさか、と、思った。

     騙されたのかもしれない。

     この果実は何なのかは分からないが、もしかしたら、毒なのかもしれない。

     その可能性にようやく気付き、彼を疑おうと口を開きかけた時、

     意識が、飛んだ。

    ◇◇◇

    「あぁぁぁぁぁもうあんの馬鹿ルキィーー」
     なんとか拘束を振り切り、追っ手を撒いた私は、走りながら、胸に溜まった不満を吐き出した。
     普段から走り回っている私の体力には、皆付いてこられなかったらしい。それから、黒の町は随分とややこしいから、運よくすぐに撒くことが出来た。
     とはいえ、私も道順はうろ覚えだ。きっとあっていると信じながら、記憶の通りに進んでいく。
     間に合え、間に合え、間に合え、間に合え、間に合え……!
     心の中で祈りながら、目的地まで、真っ直ぐ。
     刹那、強い風……いや、重い、空気の圧が、私に襲い掛かった。
    「っ……何⁉」
     その圧はすぐに過ぎ去った。なんとか耐えたものの、先ほどよりも空気が重く感じられた。これから嵐が来るというときのような、重苦しい空気。
    「……化け物に、なる」
     ……あの伝承における“化け物”がなんなのかは分からないが、もしかして、これはその予兆なのだろうか。
    「間に、合わなかった……?」
     ……いや。絶望するのは、後だ。
     例え間に合っていなかったとしても、私は。
    「信じるんだ……彼を!」


     初めて、暗闇が怖いと思った。

     夜って、こんなに暗いものだっけ、と、空を見上げた。何も、見えなかった。
     月も、星も。そして雲でさえも、まるで、あの布で覆い隠したみたいに。
     それなのに、自分の体や、すぐそこで腰が抜けているルキフェルの姿は、はっきりと見ることができる。
     その、彼の、前には……。
    「あんた……そこに、いるの……?」
     空よりも真っ黒な、黒い、黒い大きな塊が、そこにあった。

     “化け物”

     その言葉が、再び私の脳裏に浮かんだ。
     不気味だった。
     こればかりは、私も、目を疑うしかなかった。
    「こんな……こんな……っ‼
     ……っルキ‼ これがあんたの望んだことなわけ⁉ ねえっ答えなさいよ‼
     ……ッお前に聞いてるんだ! ルキフェル‼」
     ルキフェルは一切反応を示さない。よく見ると、耳を塞ぎ、何かぶつぶつと呟いているようだった。
    「いい加減にっ……⁉」
     彼に怒号を浴びせてやろうと、近づいた、その時。
     声が聞こえた。

    『モウナニモシンジタクナイ』

    「な、に……?」
     確かに聞こえた。この声は……。

    『ゼンブウソダ』

    「――!」
     これは、彼の、心の声。だろうか。
     彼は……黒達は、こんな気持ちで、生きてきたのだろうか。
     直接胸に響いてくる声は、私達に訴えかけるように、降り注ぎ続けている。
     この声は、私達が、白達がやってきたことを、罪を、表している。
    「……」
     私は、一歩、踏み出した。
    「……ルキ。あんたは逃げなさい」
    「っあ……□□……。お、おれ、は……」
    「いいから、危ないかもしれないから」
    「ま、待てよ! □□は、どうするつもりだ⁉ お前も一緒に……っ」
    「私は、やらなくちゃいけないことがあるから」
    「な、何……」
    「ずっと言ってるでしょ。

     私が悪いんだから、友達のところに、謝りにいかないと」

     私はそのまま、ルキフェルの制止の声を聴かず、闇の中に走り出した。

    +++++++

     私は一体、今日の内でどれだけ走っただろう。
     しつこく私を取り囲もうとする闇を手で払いながら、ひたすらに走る。
     変わらず聞こえ続ける声は、ただ聞こえるだけじゃなくて、私の心を塗り替えそうな勢いがある。

     信じられないと、希望を抱けないと。
     疑ってしまうと、絶望してしまうと。

    「大丈夫……。きっと、大丈夫」
     呪文のように繰り返しながら。私は進んでいく。
     もがいて、もがいて。手を伸ばす。
    「ねえ、聞こえる……? 私、あんたと、約束した……! ねえ、もう一回で、いいから……‼」
     無言でいると、狂いそうだったから、心の声を、そのまま口に出した。彼の声に負けないように。
    『……なんでいるんだ』
    「っ! 聞こえた⁉」
     初めて彼が応答した。私は嬉しくなって、彼の声を探した。
    「どこにいるの⁉ ねえ! 今から行くから‼」
     聞こえる方向はまばらだった。けど、先程までの声と違って、耳から聞こえているようだった。このまま会話が続けば、彼の居場所が分かるかもしれない!
    『……っ帰れ!』
    「ッッッ‼」
     だけど聞こえたのは、変わらない、拒絶だった。
    『もういい。分かんないけど、俺の所為なんだろ⁉ もう放っておけ! なんで、お前、ほんっとに、馬鹿だろ』
    「っ何よ! もう、あんたこそ、ほんっっっと、頑固者よね
     馬鹿でいいわよ! あんたが頑固でいる限りはね‼
     今度は、帰らないわよ……!」
    『……これで分かっただろ。俺達は、一緒にいちゃいけないんだよ‼』
    「なんでそんな下らない区分に従わないといけないのよ‼
     私は私で、あんたはあんた。違う」
    『滅茶苦茶だ……』
     静かに彼は呟いた。そこには諦めと、呆れと、それから、泣きそうな震えた音が聞こえた。
    『もう、本当に、止めてくれよ……』
     そのまま独り言のように、彼は続ける。静かに言っているお陰で、聞こえてくる方向が分かった。
    『怖いんだ……裏切られた時が」
     やっと彼の姿が見えた。私はその勢いのまま、彼の元へ駆ける。
    「もし、お前にまで裏切られたら、俺は……」
     私は、彼に抱き着いた。
    「ごめん……ごめんなさい」
     後ろからの衝撃に、彼は驚いているようで、固まっていた。
    「もう二度と、あんたに、そんな思いはさせないから」
    「……嘘だ」
    「嘘じゃない。だって、私、私達、約束をちゃんと守ったじゃない。ねえ、信じて?」
    「“信じる”方法が、分からない」
    「何言ってるの。私との約束を、信じて待っててくれてたんでしょ? 笑顔の練習も、忘れないでやってくれてた」
    「……俺は、忘れられなかっただけだ。きっと約束は果たされないっていうのを、信じたくなくて、それを疑っていただけだ」
    「なにそれ? 信じてたってことじゃないの?」
    「あれが、“信じる”?」
     彼は再び、静かになった。いつものように。
    「……すまなかった」
    「謝らないでって、私が悪かったんだから」
    「いや、俺の所為でこんな大事になったんだし……」
    「あーもう、はい! じゃあ二人とも悪いってことにしましょ?」
     私がそういうと、彼は静かに頷いた。
     私は彼から離れて、正面に向かう。相変わらず無表情だけど、前髪の隙間から見える月夜の目は、ほんのりと赤くなっていた。
    ◆◆◆
    「で、さ……。
     この黒いの、どうする?」
     この黒いの……? と、俺はまわりを見渡した。そこには、俺達の姿ははっきりと見えるのに、あたりが真っ黒という、奇妙な空間が広がっていた。
    「…………どうしよう」
    「……消せないの?」
    「うん……なんか勝手に出たっぽい……。
     というか、お前の声が聞こえるまで意識なかったし」
    「う~ん。消えそうな気配、ないしねえ」
    「流石にこれは、放っておくのは良くないのは、俺でも分かる……」
    「というか、そもそも何が起きてるわけ?」
    「えっと、多分、あの赤い実を食べたからだと思うが……。
     そうだ、お前は多分知ってるよな、あの赤い実」
     俺はあの赤い果実を探そうと下を見ると、すぐ足元にあるのを見つけた。それには俺の齧った歯型が残っている。外見は赤かったのに、中身は白かった。
     俺は静かにそれを拾った。
    「これ、そっちの町にしか実らないって聞いたけど、お前は知ってる?」
    「……絶対に食べちゃ駄目って言われてる実」
    「……成程」
     やっぱりこの実の所為か、と赤い実を見つめる。
    「全く! ルキが余計なことしなきゃ、ただの喧嘩で済んだのに!」
    「ルキ……あの黄色目か」
     彼女は段々と腹が立ってきたらしく、眉を吊り上げた。
     ……。
    「あの、さ……そのルキって奴のこと、そんなに怒らないでやってほしい……」
    「はあ? なんでよ! ルキの所為でしょ‼
     というか、あんたって初めてルキにあったんでしょ? どうしてそう思うの?」
    「……正直言えば、なんとなく。
     でも、多分……お前のことが心配なだけ、だったんだと思う。普通の白にとっては、俺達はそういう存在なんだよ」
    「う……」
     何も言い返さず、彼女は黙った。
    「……もう少し、冷静でいられるようになるべきじゃないか?」
    「う、うるさいわね! まあでも……うん、その通りよね……。
     ……でも、そうだとしても、酷いことを言ったりやったりしたことは変わらないもの、私は許さない!」
    「……そうか」
    「……。
     でも……私も怒鳴っちゃったから、いつか、謝るわ」
    「そうか」
    「いつか……いつか……うん。来世で謝るわ‼」
    「…………そうか」
    「と、それより先に、どうするか考えないとよ! もう、本当に何なのよこれは!」
    「この実を齧った所為っていうことしか分かってないぞ……」
    「ねえ、あんたは何にもないの? 一応、こっちの伝承だと、食べたら化け物になるとか言われてるんだけど……」
    「え、こわ。なんだよそれ。そんなん生やしとくな」
    「ほんとそうよね」
    「でも、何にもないな。むしろすっきりしている……?」
    「そうなの? デマだったってことかしら」
    「……もしくは、この黒いやつが、『化け物』ってことなのかも」
    「えっ……この黒いやつが?」
    「うん……外からどう見えてたのかは分からないけど、多分、大きな生き物みたいに見えていたんじゃないか?」
    「どうかしら、私はただの真っ黒な塊にしか見えなかったしかけど……でも、空も真っ暗で、随分大きかったから、たしかにもしかしたら、人によっては生き物に見えるかも? ずっと声も聞こえてたし」
    「声?」
    「ええ。聞こえるっていうか、胸に直接響く感じで。
     あ……えぇっと……」
     ずっとスラスラと喋っていた彼女がいきなり気まずそうに目をそらした。
    「……多分、あんたの心の声」
    「俺の、心の声?」
    「うん……『信じられない』とか、色々……」
    「へえ」
    「いや軽⁉」
    「今は違うし」
    「切り替え早……」
    「だとしたら、やっぱりこの黒いのは俺から出たってことか?」
    「あんたの疑心が、具現化したってこと?」
    「なかなか非現実的だけど、今のところ、それが一番納得できる形だな」
    「うんうん。じゃあそうだと仮定して、どうしたらその疑心を消せる?」
    「……」
    「……」
     振り出しだ。
    「結局どうしろってのよぉぉ~‼」
    「いっそ自然消滅を待つ……」
    「どのくらいかかると思う?」
    「少なくとも一生の内には終わらない気がする……」
    「まず消えるのかも問題……。ううう~どうしよう……」
     そう言いながら彼女は、ひたいに力を入れて悩みはじめた。
    なんだか、初めて出会った日を思い出す。
    「……あっ! 思いついた!」
     ぱっと表情が変わった。
    「なんだ?」
    「この黒いのは、黒のあんたが食べたから出てきたんなら、白の私が食べたら白いのが出てきて、いい感じに、こう、中和されるんじゃない⁉」
    「お前もこれを齧るってことか?」
    「そう! じゃあ、それ頂戴!」
    「……リスクが大きい」
    「大丈夫よ! あんただって無事だったんだし、それに、あんたを裏切って悲しい思いをさせないって約束したんだから!」
    「根拠になってない。それに、俺が無事だったのはお前のお陰だ」
    「じゃあ、なんかあったら、今度はあんたが私のことを助けてよ。ねえ、このまんまは嫌でしょ? 試す価値はあると思うの!」
    「……」
    「ねえ、だから、お願い。私を信じて。信じられないのなら、疑って。私が無事で済まないってことを」
     彼女は真剣に、真っ直ぐと言った。
    「…………約束破ったら、物凄く怒るからな」
     しぶしぶ、俺は彼女に果実を渡す。
    「任せて!」
     にこっと笑って彼女はその果実を受け取った。
     そのままそれを口元に運び、俺が齧った方と逆側を齧った。

     シャキ。

     さっきと同じ高い音が鳴る。だけと、今度はあまり響かなかった。
    「……甘酸っぱい」
     静かに彼女が呟いたあと、静寂が訪れた。
    「……。どうだ?」
     不安になり、声をかける。
    「……どうもしないわね。何も……」
     再び静寂が訪れる。白には効果が無いのだろうか……?
    「ねえ、あんたがこれを食べたとき、どういう感じだったの?」
    「え……う~ん……。
     ……しばらく経ってから、だったと、思う……」
    「そっか……じゃあ、とりあえず。

     信じて、待とう」

     彼女がそう言った瞬間だった。いきなり、彼女の体から、強い、白い光が溢れた。
    「わっ何、何⁉」
    「ッッッ!」
     たまらず、彼女の手を握る。俺のようなことに、ならないように。
    「……」
     彼女は驚いたように目を見開き、それから優しく、微笑んだ。
    「ありがとう」
    「い、や……そんな……」
    「凄く安心する!」
    「手……握っただけだし……」
    「だけなんてことないわよ。こういうときはね、『どういたしまして』っていうの」
    「……ど、どう……いたし、まして?」
    「フフッ。
     これからもっと、色んなこと、楽しいことを沢山、教え合いたいね」
     静かで優しい呟きが、俺の胸に届いた。
    「あぁ、今度こそ」
     すると、光が弱まった。だけど、ただ弱くなったんじゃなくて、温かい、優しい光へと変わった。
     どうやら、あの闇とは違う性質を持っているらしい。
    「あったかい……」
     まるで、朝焼けの光のようだった。
    「なんだか、今なら何でもできちゃいそう!」
     いつかの日から変わらない、太陽のような笑顔で、彼女は言った。
    「うん、お前なら、そんな気がする……!」
     ふと、俺はその温かさが、自分の胸に届いていることに気が付いた。彼女の手から、流れてきている……?
     もしかしたら……と、俺は一つの案を思いついた。
    「……なあ。
     俺も、手伝っていいか……?」
     唐突な発案に、彼女は驚いたようだったが、すぐに大きく首を縦に振った。
    「えぇ……もちろん‼」
     俺達は、二人の間にある赤い実を包むように手を重ねた。
     具体的にどうすればいいのかは分からない。でも、今の俺には、確かに強い思いが、一つあった。

    『信じる』

     これが、彼女の強さの理由だと思った。
     俺達は目を合わせて、頷く。

     光が強くなる。優しさと温かさを持ったまま、大きくなっていく。
     無意識の内に、胸に溢れる温かな“力”を使って、俺達はそれぞれ、手の中に何かを作っていた。
     俺は右手に、土でできた剣を。
     彼女は左手に、光でできた杖を。
     ずっと昔から知っていたみたいに、俺達は、この“力”を自由に使うことができた。
     顔を見合わせ、次にどうするのかを目で伝え合う。声に出さなくても、彼女の言いたいことはすぐに分かった。これも、この“力”の所為なのか……?
     俺達は、それぞれが作った剣と杖を重ねた。すると、杖が剣に絡みつき、刃の部分を包んでいった。
     完全に光で包まれたそれは、まるで、輝く太陽の光を集めてできた剣のようだった。
     彼女が、剣を握る俺の手に優しく触れ、そして握りしめた。
     俺達は息を揃えて、それを振り上げる。

     願いを、思いを、込めながら。

     そのまま闇を切り裂くように、振り下ろす。
     闇は二つに分かれる。その境目から順に、小さな粒と変わっていった。
     次々と溶けていくように。
     剣の光も少しずつ溶けて、浮かんでいく。
     闇の粒と光の粒が触れ合い、お互いに混ざり合い、空に消えていった。
     土の剣も俺達の手から離れ、役目を終えたように地面に帰っていく。
     気が付くと、体から発していた光は収まっていて、いつもと同じ夜が訪れていた。

    +++++++

    「……今の、何だったのかしら?」
    「……さあ。見当もつかない」
     真っ黒なあの闇が完全に消えて、代わりに優しい星空の闇が俺達を包んでいる。
     月が先程よりも低い位置に見えた。
    「綺麗だったわ……」
     彼女の呟きを聞いて、俺は先程の光景を思いだる。
     光と闇が混じり、溶けて、空へと昇っていく。その先では、三日月が笑っていた。
     空を見上げていた俺は、視線を落とした。そうしたら、丁度彼女と目が合った。ニコリと彼女は微笑む。もう心の声は通じないけど、なんとなく、何が言いたいのかは分かった。
     更に視線を下ろすと、二人で包んでいる果実が目に入った。
    「……こんな危険な果実、後で燃やそうかしらね」
     若干怒った声色で、彼女は果実をしまった。
    「それより……これからどうするんだ?」
    「え? あっ……どうしよう」
    「どれくらいの騒ぎになっていたのか分からないけど……今まで通り。にはいかないよな……」
    「今まで……」
     彼女は俯いて、そう呟いた。
    「どうした?」
    「……あのさ、あんたはどう思うの?」
    「? どう……って?」
    「『今までのままで良いのか』ってこと! だってあんなとこ……」
    「……そんなこと気にするの、お前くらいだと思うぞ」
    「そんなこと⁉ 友達を大事に思うのは当たり前でしょ‼」
    「あぁ、分かってる。お前がそういう奴だってことは」
     荒ぶる彼女を鎮めるために、一呼吸おいてから俺は理由を言った。
    「お前に会えるなら、どこでも良い」
    「はっ⁉」
    「今まで、辛いこととか、あったけど。お前との約束があったから……お前との約束を、信じてたから、生きてこられた。だから、また約束してくれるなら……どうしたんだ?」
     ふと彼女を見ると、ずっと目を合わせて話すスタイルの彼女が、そっぽを向いていた。何か、気を悪くすることを言ってしまっていたのだろうか……。
    「ごめん。何か不快なことを言ったか……?」
    「……違うけど……。
    あんた、そういうこと軽々しく言わない方が良いわよ」
    「?」
    「分かんないって顔しないでよ! あんたって頑固なだけじゃなくてどうしようもないくらい鈍感よね‼」
    「???」
     なぜ俺は怒られているのだろうか。世界はまだまだ知らないことだらけである。
    「まあそれはそれとして……。
     これから、ね……どうなるのかしら」
    「運が良くて死刑だろうな」
    「しっしししししけっ! 駄目! 絶対絶対駄目‼」
    「俺に訴えられても……」
    「絶対やるわよあいつら! 駄目!」
    「でももしかしたら、俺だけで済ませてもらえるかも」
    「ばーーーーーーーーーーーーか!!!!!」
    「声デカ……」
    「次そういう提案したらぶん殴るから‼」
    「殴られるくらい別に」
    「ばーーーーーーーーーーーーか!!!!!」
    「二回目……⁉」
    「ふ! た! り! で! どうするのか‼を考えるの!」
    「う、うん……」
     先程から何が気に入らないのだろう……。
    「う~ん。説得……なんてできるとは思えないし、そもそも話を聞いてくれるかどうかも……。いっそ逃げる? いや、“楽園”の中で逃げたって、きっとすぐに捕まっちゃう……」
    「……“楽園”の外は」
    「え?」
    「いや……この“楽園”の外は、どうなってるんだろう……と思って」
    「……外。考えたこともなかった」
     なんとなく思い浮かんだ疑問だったのだが、彼女はそれが気になったらしい。
    「そもそも、“楽園”に外なんてあるの?」
    「……分からない。でも」
     俺は満天の星空を見上げた。
    「空は、“楽園”よりも、大きく見える」
    「空が……」
     彼女も同じように、上を見た。
    「……小さいころから見てたのに、全然、気付かなかった……!」
     彼女の声が、少しずつ大きくなる。
    「どんな“世界“が広がってるんだろう!
     ねえ、それって最高じゃない! 凄いわ! あんた‼」
    「……思ったことを……あ……。
     ……どういたしまして?」
    「! フフ、じゃあ」
     彼女はいつもの笑顔で、手を差し出した。
    「行こう、一緒に!」
    「うん」
     彼女の手を取り、俺は答える。
     俺達は歩き始めた。新しい場所へ、向かうために。
    「あぁそうだ!」
     唐突に、彼女が大きな声をだした。
    「あのね! 名前!
     そう言えば、自己紹介もしてなかったでしょ?」
    「……あぁ、そういえば」
     彼女の名前は偶然聞くことができていたけど、振り返るとどちらも名乗った覚えがない。
    「じゃあ、私から! 私の名前は……」
     自信満々に始めた彼女だったが、肝心のところで止まってしまった。
    「……どうした」
    「やめた‼」
    「…………はぁ?」
    「ここから出ていくんだから、名前変えたい」
    いきなり、訳の分からないことを言い始めた。
    「……なんで?」
    「心機一転ってやつよ! 新しい道へのスタートよ? 新しい名前を付けて、生まれ変わった気持ちでってこと!」
    「よく分かんないな……。まあ、別に、やりたいならそうすればいいんじゃないか?」
    「やった! あ、ねえ、思いついたんだけどさ、私があんたの名前を付けて、あんたが私の名前を付けるっていうのはどう⁉」
    「また無茶振りを……良いアイデアだとは思うけど、あんま期待するなよ」
    「分かった、期待する」
    「やめれ」
    「う~ん、急に思いついたことだから、難しいわね……」
    「……名前、か」
     今までの彼女を思い出してみる。
    彼女はいつも元気で、明るくて、眩しい。
    若草色の瞳で、太陽のように笑う。
    どんなときでも、『生きている』という感じがする。
     ……生きる、か。
    「ねえ、決まった?」
    「……決まった」
     もう待ちきれないという様子で、彼女は聞いた。
    「じゃあ、じゃあ、私からでいい?」
    「どうぞ」
    「じゃあ発表~!
     今日からあんたの名前は、『アダム』!」
    「『大地』? さっき、土で剣を作ったからか?」
    「それもあるけど、急に光が出てきたとき、すっごい頼もしかったから。力強くって、カッコよかった!」
    「……なんだそれ」
    「照れてる?」
    「“照れる”は分かんないけど多分違う。それより、俺の番」
    「あぁそうだった。
     じゃあ、アダム! 新しい私の名前は~?」
    「……お前の新しい名前は、『イヴ』」
    「『命』? なんで?」
    「いつも元気で、生きてるって思うから」
    「なにそれ、そっちのほうがなにそれじゃない。でも、イヴ。
    うん、最高!」
    「気に入ったんなら、良かった」
    「うんうん、いい感じよね!
     これからもよろしく、アダム!」
     先程と同じ様に、当たり前に、彼女は俺の『名前』を呼んだ。
     名前を呼ばれるって、こんなに優しいものなんだな。
    「あぁ……よろしく。イヴ」
    「フフ、イヴ。私の名前は、イヴ! 私達は、アダムと、イヴ」
    楽しそうな彼女の……イヴの顔を見ていると、なぜか胸が温かくなって、頬がむずむずとした。

    「ハハッ」
    「あ……笑った!」
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