強欲のお茶会下へ、下へと沈んでいる感覚がする。
大地を踏みしめ前ヘ前へと進んでいる筈なのに、足はぬかるみに取られたかのように重く、もう一歩と足を踏み出すことを思わず躊躇してしまう程だった……。
それでも僕は、前ヘと進み続けた
もうそうするしかないということも、分かっていた。
分かっていた……?何を、分かっているっていうんだろう。
何か大切なことを、忘れている気がする。
______強欲のお茶会
さあ、と風が頬を撫でた、耳を飾るイヤリングが飛びやしないかと片手で押さえながら、目の前に広がる景色を眺める。
絵具を塗ったくったような澄んだ空、不自然に明るい芝生の中にぽつんと寂しげなパラソルが一つ。
椅子が二脚にテーブルが1つ。
そこには、見目麗しい白髪の女がいて、
僕を見ることもなく、紅茶を入れていた。
殺さなきゃ、と強く感じた。
何が悪いとか、気に食わないだとかじゃない、此奴は僕の魔女だと直感した。
僕の、だなんていうと語弊があるか。
ともかく、身体に埋め込まれた魔女の因子が強く訴える。此奴が、本来の強欲を名乗った魔女だと。
パンドラよりもは遥かに弱い、そう感じた。だから。此奴は僕でもやれる。
僕に気が付く前に思いきり、手を、振り上げて「随分乱暴なことをしようとするんだね、コルニアスくん。僕はさ、キミを知りたい、分かりたいだけなんだ……だから、血生臭いことはやめて、どうか僕の話を聞いてはくれやしないか。」
高く上げた腕を下に降ろすだけで話は終わる。それなのに、黒曜石みたいな瞳を持つ彼女から、どうしてだか目を離すことが出来なかった。見惚れていた、のかもしれない。
「僕はさ、悪い魔女なんだぜ。話も聞かず酷いことをすれば、それ相応の報復が訪れるとは思わないのかい。嗚呼、勿論、キミが恐れていることは大体実現するよ。たとえば例えば…権能の没収、だとか。」
悪戯っぽく笑う女に、いつもなら頭の奥が真っ赤になって、気が付けば僕の目の前で大抵誰か死んでいるものだけれど。今日は何故か頭の奥まで澄んでいて、冷静な思考のまま、大人しく誘われるままに席に着いた。
「キミはキミとして生き抜いて、何を知った?…何を感じて、考えて…何を欲した?何を手に入れた…?僕も、僕の因子の適合者として奮ったキミのことは些か興味があるんだ…教えてくれるね。」
「はあ…?僕の全部を知りたい知りたいって、子供みたいだ。お前が強欲の魔女様でなければ話すこと機会すら与えなかったよ。魔女ってどいつも此奴も嫌な女ばかり、考え方が稚拙なんじゃない!…けど、教えてくれっていうなら、少しだけ語ってあげる。僕は寛大だからさ!僕はお前みたいな強欲な魔女とは違う、生きてきた在り様だとかそれって他人から決められるものだよね!その事自体がとても不快だ。僕はこう、平々凡々とただただひたすら穏やかで安寧とした日々を享受できればそれで十分、それ以上は望まない。平穏無事で変わらない時間と自分、それが最善。僕の手はちっぽけで力もない。僕には僕という個人、そんな私財を守るのが精一杯のか弱い存在なんだからさ。生憎と僕はキミみたいに何でも欲しがる品性のない人種じゃないんだ。足りずとも満ちることを知る…それでいてこそヒトは正しく有れるんだよ。長い人生ので過大に何かを求めるのは強欲そのもの。僕には、僕自身と、妻たちがいればそれで十分なんだ。」
「…へえ、成程。御高説どうもありがとう。強欲の魔女と謡われた僕ですら関心しちゃうくらい、キミはとても……そうだな、立派なヒトみたいだ。キミを選んだ沢山の妻たちも喜んでいるだろうねえ。慈悲深く寛大なキミ、請われれば誰でも妻にしてあげたのかい。」
「いいや!僕は好きな相手は顔で選ぶ。……顔が良ければ何をしても嫌いにならないさ。」「………へえ、成程、寛大なキミでも外せない拘りがあるということだね。……では問おう、なぜ顔が好きなの…?」
「……僕には、分からなかった。絶対に正しいものが。学ぶことが正しいのか、強くあることが正しいのか、その時は知りようがなかったのさ。僕が生まれ育った村は貧乏だったんだ、あんな村で正しい知識が得られるわけはない、つまり、誰も正しくはない。馬鹿ばっかりの穢れた寂しい村の中で、僕だけは正しくないといけなかったんだ!何故かって?僕はあんな雑魚みたいな人間とは根本的に存在から異なるからさ!!!でもね、馬鹿の村にはバカしかいない、僕の家族もみぃんな愚か者だった。優しさを与えて裏では嘲り笑う兄弟だとかさ!!僕は他とは違うことを証明しなければならない。そうしないとストレスで死んじゃいそうだったんだ!嗚呼、これ比喩じゃないからね?本当のことだから!!…………僕は考えに考え抜いた。クソみたいな理不尽を押し付ける小さな世界で真に認められるものとは__正しいものは、僕にとっては彼女だった。勿論僕は必至で考えたさ。正しいものとは清くあることか強くあることか賢いことか気高くあることか厳しいことか楽しいことか尊いことじゃないのか…って。
でもね。どれだけ考えたって彼女以上に正しいものは、なかったんだ。
ほら、正義ってさ、見方が変われば悪になるときもあるじゃない?
彼女だけは違ったんだ!皆が声を上げ美しいと称える。
彼女が間違ったことを言ったって美しいからととそれだけで悪を正義に変えてしまったんだ。これって正義を決めてしまう権利が美しいものにあるってことだよね?
つまり、正義とは!美しいものを傍に置くこと!!僕は漸く答えを見つけ出したんだ!だれからの助けも借りず、たった一人でやりぬいた!それを肯定するかの様に他の誰も彼もが僕を羨んだ。なんて美しい人を連れている人なんだろうって!!
だから僕は彼女が何をしても気にしなかった。顔が良ければ人間性なんてついてこなくていいんだ!だって、そんなものを持ったって無意味だ、顔が良ければ悪も正義に代わるものね。
だから、僕は求めた!至高の美しさを。美しいものを傍に置き尚清貧を謡う僕こそが完璧で満ち足りた存在であると!!証明したのさ……だから、僕と妻がいれば世界は完結する…。それ以外は…とくには必要ないかな、ほら、前述した通り、僕は欲のない極めて平和的な存在だからね。」
「へえ…成程。………クソみたいな人生観だ。…キミはヒトから遠ざかり、近付ける機会は永遠に失われてしまった。
キミが過ごした100年と少しの時間で、他者に与えられたのは押しつけがましい欲求だけか。…本当にくだらないな。
僕はね、知った、という事実が欲しいわけではないんだ。過程を踏まえて知ることが好きだ。けど…きちんと手順を踏んだのに、その過程や時間を公開するほどキミってば底が浅くて薄っぺらいんだから拍子抜けしてしまったよ。知る価値がない、だなんて滅多に思わないんだよ…けど、キミは僕にそう思わせた。キミの話を聞いた後に紅茶を飲むといつもよりうんと濃く味を感じられる…。ある種の才能だって、いえるかもね。」
「…は?」
試しに、と紅茶を口に含んでも、澄んだ水の味しかしない、いや、濁っているのかも。
僕の口にはあわない、ぼんやりと煤けた様な味がする気もするし、透明で何の味もしないようにも感じる。
口直しにと食べたクッキーは砂を噛むような酷い味がした。
「ねえ、お客人。キミと僕は、もうまみえることはないだろうね、再開しても僕にはキミが分からないかもしれない…だけど、そうだな。もし、僕がキミだとわかったら…
地獄は、どんな所だったか、僕に教えておくれ。生憎本物の地獄の感想は、僕でも知らないんだ。その時こそ、僕はまたキミに興味を持てるというものさ。」
白髪の魔女はにこりと、笑った。
その態度が気に入らなくて、今度こそ腕を振り上げる。
その最中、たった一度だけ瞬きをすれば、そこは地下室だった。
実際は西日が差す長い長い廊下に佇んで居たのだけれど、どうしてだか、此処はさっきよりも下の場所、地下なんだと思った。
何もしていないのに体が痛い、気がする。下した腕を擦るたびに寒気を覚えて此処じゃない何処かを求めて扉を開けると。薄暗い部屋の中いっぱいに本が詰まっていた。此処は書庫らしい。部屋から一番近い場所に、なんてまあ酷い、強欲の権化みたいな、装飾過多のドレスを着た少女が座っていて、恐ろしいものを見るように、読んでいた本で小さな顔を隠して、怖いもの見たさをするように偶に僕をちらちら見上げていた。
「お前、お母さまの匂いがするのよ。」「僕は女でもなければお前を生んだ覚えもない。」
「そんなことは分かっているかしら!!全く…お前、何処から迷い込んだかしら、行くべき場所が此処ではない事くらい、本当はお前自身が分かっているのよ。」
「……行くべきところ…?僕が……迷子……?」「お前が誰にどんな判断を下されるのか、それはベティのあずかり知らぬこと…けれど、お母さまの匂いを付けたお前を、外に放り出す程ベティも非道ではないのよ。」
目の前に出されたティーカップを持つ、あたたかくて、優しい匂いがした。
子供の瞳は、さっきまでの空を思い出させるような、澄んだ青色で、まるで桃色の蝶を連想させるような独特の瞳をしていた。おもちゃのぬいぐるみを、世界に実体化させたみたいな可愛らしい少女は、僕を哀れむような、心の底から憂うような、悲しむような、同情するように見ていた。
いつもなら僕は手を振って、細切れにしてしまうのだけれど。さっきから寒くて、さむくて両手があたたかなティーカップから離れなくなってしまった。
「お前、随分酷いことをしてきたかしら。」「……僕が…?酷いことを…。逆だよ、僕はちっぽけなニンゲンだということを理解しているからこそ、誰の迷惑にもならずひそかに暮らしていこうと……あ……?」
ぽたり、ぽたり、紅茶に赤が広がる。誰が、と思ったけれど。僕しかいない。
血が、流れているのか、どうして。完璧で完成された僕から血なんて流れるはずもないのに。
鏡を探そうにも両手はティーカップから離れないままで。それならばと
水面をよくよく見ようとして。どれだけ顔を寄せても水面の奥に映るはずの僕の顔は見えなかった。
「お前が誰なのか、ベティには分からない。きっとお前もそうなのよ。けれど。今はそれがお前にとっての救いであると、信じるくらいのことは出来るかしら。お母さまの関係者なら、ばっさりと切り捨てることなんてベティには出来ないのよ。」
「何を、さっきから訳の分からないことを…。僕が誰なのか分からないなんてそんな馬鹿なことが…!!!」
あ、れ?
急速に、寒くなる。凍える。押しつぶされる。冷たくて。熱い。苦しくてうまく息が出来ない。此処は、此処は何処…?僕は………。
「……僕は……誰……?」
子供は、少女は。瞳に涙を浮かべ、雫が頬を濡らした。僕の為に泣いているのか。ともはや言葉にはならなかった。痛い、痛い。目の前が黒く塗りつぶされて何も見えなくなる。
「もし、次に会うことがあるのなら、お前の名前を教えるのよ。その時にベティの名前を教えてやるのもやぶさかではないのよ。こうしてお茶会だってお前が望むのなら開いてやるかしら。」
沈む、沈んでいく。急速に声が遠くなって、書庫が見えなくなって。
漸く自由になった手足をばたつかせても。藻掻いた手はぬかるみを掴む様で誰の手にも届かない。息が出来なくて、目は重たい何かで押し付けられているようで開くことすら敵わない。
嗚呼、終わるのか。この僕が。
思考を放棄するように身体から力を抜くとなんだか、とても疲れてしまった。
泥の中を堕ちていく感覚、でも、暴れることをやめてしまえば幾分楽になる。
到底快適とは言えないけれど、うとうとと微睡みに任せると、良く知った声が聞こえた。
「眠りにつくことは、私たちが許しません。、ええ、そうですとも。」
「これからが始まりなのですよ、旦那様。」
END