表裏、嫌悪と愛情。表裏、嫌悪と愛情。
愛と憎しみは同じコインの両面である。
東洋の言葉を借りるならば、可愛さ余って憎さ百倍。
愛しいものを一度憎いと思ったら、その憎しみは愛情に比例して非常に強くなるということわざ。
ただまあ、一つ言えるとしたら
「紅茶の味はいかがかな?」
私はこいつを愛しいと思ったことはない。
アルヴァ・ロレンツ
どこぞのカルト宗教の信者で、何故か知らないが私にいちいち顔色伺いをする男。
私はこの男がすこぶる嫌いだ。
理由なんてものはない。初めて会った時から、この男にいい印象を持たなかった。
こいつのお茶会にいつも付き合わされている。
特に会話をするでもない、決まり文句に紅茶の味を聞いてくるだけ。
(ああ!なんてかわいそうな私の時間たち!)
…と、まあ。時間を無駄に変換して、今この時を過ごしているわけだが
いい加減こんな不毛な時間を過ごすのはやめにしたい。
「そうだな、お前の面を見ながら飲む紅茶は最高に不味いよ。Mr.ロレンツ。」
「この紅茶もかわいそうだ。お前なんかに淹れられて。」
その言葉にアルヴァはひときわ大きく目を見開いて、丸くさせながらこちらを見た。
しかし、そこから憤るようなそぶりもなく、手を組み興味深そうに表情を改めた。
「なるほど。続けて、」
「さも「私は貴方を理解しています。」と言わんばかりの、そのお前のそのすました態度も嫌いだ。
お前に私の何がわかるんだ。ただのカルト教信者のくせに!」
「それは間違っている。」
「何が間違っているというんだ。お前も、お前のその信仰も、すべておかしいだろう。」
「お前は頭の回転が速いのはいいことだが、早合点するところは欠点だ。〝ルーカス〟」
「な、にを、」
どくん、その言葉に心臓が強く脈を打った。
その呼ぶ声を、私は、知っている。
「私はお前のことをよく知っているよ。赤子のころから。」
嘘だ
「お前が立派になって私の元に訪れた時は、どれだけ感動したことか。」
嘘だ
「それが今、こんな風になって」
噓だ
「おえ」
がたん、びしゃり
椅子と共に倒れる身体。
床の木目と目が合って、やがて吐瀉物が覆い隠していく。
「ふっ、くく……」
視界の隅に映るアルヴァは、見下ろしながらくふくふと抑えきれない笑い声を漏らしている。
「……ふう」
一息つくと先ほどまでの様子などなかったかのように、私に手を差し伸べてきた。
「大丈夫か、ルーカス」
その手を弾いて、襟に手をかける。
怒りからか、声帯は重く沈み、地底から湧き上がるように喚き散らした。
「黙れ!その名前で呼ぶな!」
「今までどんな心算で私とお茶を飲み交わしていた!?
さぞおかしかったろう!お前を憎んでいるのに、お前のことを忘れて呑気に差し出された紅茶を飲む様は!」
「嗚呼ああ!お前はいつもそうだ!まるで無害そうな顔をして人を騙す!悍ましい悪魔!ハイエナ!キョジンツユムシ!
お前は私が殺したはずだ!なぜ生きている!?それともなんだ!?殺した私が憎くて化けて出たか!?」
「ルーカス」
眼が、合った。
その眼は、人間離れしている。
かつての青空は、もう暮れてしまったのだろう。
黒の中に満月が浮いている。
それに眼が離せない。
荒波だった心は、湖のように一切の波をも許さないほどに穏やかなものになっていた。
「ルーカス、私はお前を恨んではいないさ。
むしろ感謝をしているくらいだ。」
「感謝、だと?」
「ああ!そうだ!お前のおかげで私は真理に到達できた。
見よ、この身体を。死を迎えたのにもかかわらず、再び生を受けたこの身を!
これを神秘と言わずして何と言うのか。
神は私に世界の理の一つをお見せになり、その力を分け与えてくれたのだ!」
………何を言っているのだろう。
声高々に語り、一人絶頂を迎えるこの男が疑わしくすら思えてきてしまうほどに。
それとも、私はもともとこの男の事を何も知らなかったのだろうか。
私の知るアルヴァ・ロレンツはこんな感情を表にするような、
ましてや神などという不確定要素を信じる男ではなかったはずだ。
「……」
「安心してくれ、ルーカス。私はお前に理解されたいわけじゃないんだ。
だが、事実として私は生きている。わかるね?」
「お前は私を殺し損なったのだ。」
その言葉に血という血が引いていく。それが凝縮されて。脳天に到達したとき
「がっ」
弾けた。
怒りは時に驚異的な力を見せることを私は知っている。
あの時もそうだったから。
横たわる大男に跨る優越感。
今、私は、この男よりも
優れている。
己の怒りを、激情を、欲望を、撃ち付けた。
手袋がすれて、皮が剥けたって構わなかった。
やがてその顔は腫れあがり、変色し、私は再びこの男の姿をしかりと認識できなくなる。
もはや別人の様だった。きっと鼻の骨も折れているのではないだろうか。
「久方ぶりに殴られる感覚はどうだ?アルヴァ・ロレンツ。お前は近頃人を殴ることばかりしていたから忘れていただろう!」