私の貴方夜明け。明るくなった頃にようやく砂浜へたどり着いたシャリアは、地上では動きがままならない触腕を引きずりながら砂浜を這いずり、海から少し離れた砂浜にシャアの身体を横たえた。
「…シャア…貴方が、赤い星…だったんですね…」
シャリアは誰に聞かせるでもなく呟いた。5年間探し続けた自分の星。もう一度会いたいと願い続けた大切な存在。このまま、海に連れ戻して魔法を解いてもらえば、シャアは人魚に…赤い星に戻る。しかし、願いを成就させないまま魔法を解いたら赤い星は魔女との約束を違えることになる。そうなれば、赤い星は魔女に何を奪われることになるのか。
シャリアはまだ目覚めないシャアの頬を愛しそうに撫でる。額に触れるだけのキスをすると、耳元で囁く。
「魔女の魔法よ、未だ残っているのならこの人から苦痛を取り去って欲しい。『大切なもの』と引き換えに、この人に自由を与えて欲しい」
いい終えた刹那、何かが砕ける音が聞こえた気がした。シャリアは腕を立てて上体を起こすと、シャアに決意を聞かせるように口を開く。
「…シャア、地上で待っていてください、必ず会いに行きます。貴方の願いを叶える手伝いをしたいんです。」
ズルズルと触腕を引きずりシャリアは海へ帰る。
シャアだけがそこに残され、朝日の柔らかな日差しが優しく彼を温めた。
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目が覚めたら病院だった。
話によれば、砂浜で倒れていたらしい。自分は高熱で部屋で寝込んでいたはずなのに、どうしてそんなところに…。しかも高熱で弱っていた身体へ更に追い打ちをかけるように外で1日過ごした結果、肺炎を患い、入院することになってしまった。もはや一歩も動けず、ベッドの上で天井を見つめることしかできない。端末で職場に連絡することすら至難の業だ。
そんな中で、両親が見舞いに来てくれた。
何年も顔を見せていなかったのに心配して来てくれたのか、とシャアは意外に思った。両親は入院に必要なものを持ってきてくれたり、かわりに手続きをしてくれていたので、恙無く入院生活を送ることができた。それを嬉しくも、どこかに居心地の悪さをシャアは感じたのだった。
ー退院後初出勤の日。
「風邪を拗らせて肺炎になってたんですって?」
「砂浜に転がってたとこを保護されたとか」
「薬が身体にあってなかったんじゃないですか?」
「失恋で体調崩すとか若いですね館長」
職員の皆に口々に心配された。からかいにも似たそれらを長々と聞きたくなくて、欠勤の詫びの菓子を大量に押し付けるとさっさと業務へ向かった。
客足は、前と比べるとかなり増えていた。タコの人魚の影響で増えた客層だと思うが、今まで見向きされてこなかった年齢層の客も見かけるようになった。もうタコの人魚は海に返したというのに通ってくれるのはありがたい限りだとは思う。
館内を歩いていると、空になった水槽の前で、黒縁の大きなメガネの髭面の男性が立っていた。足が悪いのか杖をついている。どこか懐かしむような目で何も入っていない水槽を見ているこの男がなにか気がかりで、シャアは声をかけた。
「どうかしましたか?」
「!」
男が驚き振り返る。水色がかった灰色の不思議な髪の毛をしている男性だ。見かけない色なので珍しく見つめてしまい、慌てて謝罪する。
「ああ、すみません。珍しくてつい。ところで、なにかお困りごとでも?」
「…」
男性は困ったように喉を指さし、頭を振る。声が出せないらしい。しかし先の反応を見るに、耳は聞こえているようだ。男性は、ジェスチャーで空の水槽のことを尋ねてきた。
「ああ、この中、最近まではタコの人魚が入っていたそうです」
「?」
男性が不思議そうに首を傾げた。伝聞調なのが気になったらしい。
「そうです、っていうのは…どうしてでしょうね、私はそれをあまり覚えていないのです。私は彼の面倒を甲斐甲斐しくみていたらしいのに、薄情なもので、海に返した途端ころっと忘れたようなんです。きっと向こうは酷い男だと思っているのでしょうね」
「…」
あえて軽口のように語るシャア。男性は静かにそれを聞いていた。まっすぐに見つめてくる翡翠色の瞳、何処かで見たような気がする。何処で見たのか。
記憶を辿り、思い出そうとしたその時、頭の中に直接声が響いた。
(そのタコの人魚はそう思っていませんよ)
「!」
驚き周りを振り返る。周りは誰もこちらを気にかけず、各々見たい魚を見て楽しんでいる。見ているのは目の前の男性だけだ。シャアが驚いた様を見て満足したのか、微笑んでいた。
「あなたは…」
見覚えがある。記憶にないのに。何処かであった、心がそう言っている。水灰色の髪、同色の眉毛と睫毛に彩られた翡翠の目。自分は、この人にあったことがある。
(申し遅れました。私はシャリア・ブル…貴方に会いに来ました)
スッと差し出された手。顔と同じ肌の手に、シャアは理由もわからず違和感を感じた。しかしその手を二度と手放してはいけないという確信を持ってそれを握り返した。
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【オマケの設定】
シャア
本名キャスバル。あだ名は「赤い星」。シャリアの大切な友人その人。「空」に強いあこがれを持っていた。ある日、海の魔女と知り合い、人の姿になれる薬があることを知る。みすみすチャンスを逃す手はない!と誰にも何も相談せずライブ感で服薬した。その際に魔女との取引で歩いても足が傷まない魔法をかけて貰う代わりに「大切なもの」を失う。それは家族との思い出、友人との思い出、人魚としての誇り、なにより「空への憧れ」、そういった彼のアイデンティティそのものである。
足を得て地上へ放り出された時、偶然海で遭難した行方不明者の「シャア・アズナブル」として保護されたため、戸籍を乗っ取る形になった。人間としての生活は問題なく送れている、しかしキャスバルには過去の記憶も無く、アズナブルの家とは気まずい関係となり、家を出て今はほとんど顔を合わせていない。人魚であった為に海の知識が豊富で、バイト先に民営の有名水族館「アクアリウムグラナダ」に務める。そこでメキメキと頭角を表し水族館の正社員に。半ばコンサルタント的にキシリア館長から市営水族館を立て直すよう仰せつかって物語冒頭に至る。
シャリア
本名シャリア・ブル。通称「幽霊」。キャスバルの友人で、キャスバルのいる生息地では絶滅したタコの人魚の生き残り。輪に馴染めなかったシャリア・ブルをキャスバルは人魚仲間の元へ引き込んでくれたこと、二人で夢を語らったこと、泳ぎの練習をしたことなど、キャスバルに深く感謝していた。しかしキャスバルが行方不明になったことで大切な人を失う恐怖を知り、よく似た風貌のシャアに恋慕してしまうことになる。キャスバルが行方不明になってから5年間海を探し回っていたところ、禁漁区から出てしまい、左目を大型魚用の釣り針で引っ掛けられてしまい、そのまま釣り上げられた。
シャアを砂浜に連れて行った後、自分も魔女に頼んで人間の身体に変えてもらった。その際、「声(舌)」と引き換えで痛みを軽減する魔法をかけてもらった。しかし、完全に痛みを取り去るには少し足りず、片足に痛みがあるので杖をついて歩いている。尚、人の身体に変えてもらったがタコはタコなので舌は元通り生えてくる。なので魔法の代償としての価値が低かった。
人魚
300年を生きる生命。人の姿にもなれるが、その際歩く度にナイフで、切り刻まれるような痛みが足に走る。それ故大切なものと引き換えに痛みを取り除く魔法を魔女にかけてもらう。