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    イサリビ

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    POIPOI 47

    イサリビ

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    17日まで読むことができます。

    愛の烙印 呂紫 (全年齢部分)どんよりとした曇り空の下、下邳城では壮絶な戦いが、繰り広げられていた。
    「見せてやろう。人中最強の武を!」
    周りにいた兵士よりも大きな体躯たいくを誇る呂布が、雄々しい声で周囲を轟かせ、自慢の方天画戟を振り回し、敵を次々と蹴散らしていた。だが、長期にわたる戦いが続く中、いくら人中最強の武を誇る呂布とはいえど、疲労が溜まっていき、息を切らせていた。

    その一瞬の隙を、敵が見逃さず、鎖で呂布の全身を縛り付け、身動きが取れない状態にさせた。死闘の末、呂布はついに、夏侯惇と関羽の鋭い一撃により敗れ、崖から崩れ落ちていった。落ちていく呂布を見て、勝鬨かちどきを上げようとしたのも、つかの間だった。――――――

    その場にいた誰もが驚いた。いや、驚かざるを得なかった。

    「紫鸞!」「無名!」と、群衆の叫び声が交錯し、一部はたた唖然と見守るばかりであった。
    こんな展開を一体、誰が予想できたというのか。落ちていく呂布に続いて、紫鸞が走って飛び降りた。紫鸞は、呂布を力強く抱きしめ、絶対に離さない。と言わんばかりに、腕に力を込めた。

    「っ!お前・・・。」

    「――――――。」

    紫鸞の声に一切の震えはなく、自身の行動に、迷いがなかった。洗練された藤色の瞳が、まっすぐ見つめる。呂布は、そんな勇ましい紫鸞の姿を見て、高らかに笑った。
    自分が死ぬまで、あと、わずかしかないのに、おのずとやってくる死への恐怖はなかった。

    地面は今や目の前。呂布は、何を思ったのか、紫鸞の首に噛みついた。その白い肌にはくっきりと鮮やかな赤い痕が刻まれた。

    「これでお前は永遠に――――――」

    その言葉は、来世へと続く、契りの言葉だった。
    最期に、触れるだけの口づけを交わし、互いに笑みを浮かべた。
    二人の身体は地面に強く叩きつけられ、命を散らした。――――――



    時代が進み、紫鸞は、生まれ変わった。どこにでもいる、ごく普通の大学生として、いつも通りの生活を送る。だが、一つ気がかりなことがあった――――――

    紫鸞の首元には、生まれつき、赤い痣があった。
    どこかに、ぶつけたわけでも、怪我したわけでもない。“謎の痣”だった。と、同時に物心がつく頃には、脳内で知らない場所の記憶が度々たびたび、映し出されるようになった。
    大柄な男に、小さな群衆が立ち向かい、激闘の末、その大柄の男は敗れてしまう。――――
    そこで、映像は途切れてしまい、現実に引き戻される。
    何度も、何度も、同じ記憶を、繰り返しては途切れ、紫鸞自身も、こればかりは、ずっと頭を悩ませていた。
    毎日。鏡と向き合い、痣を見る。
    薄い紅色をしたその痣は、花のように美しくも見え、同時に、鬱血痕うっけつこんのような奇怪なものにも見える。

    身支度を整え、大学へと向かう。今日は朝から、世界史の講義だった。
    教科書を開き、ぼうっとしながら、教授が語る内容を聞いていた。

    「えぇ~。198年の冬に下邳の戦いが行われたわけですが、ここで人中最強と呼ばれた”呂布”という人物が連―――軍――――――で―――」

    だんだんと教授の言葉が途切れ途切れに聞こえ、突然、ズキンと、強烈な頭痛と吐き気に襲われ、視界がぐにゃりと歪む。目の前には現実の世界と、知らない世界が視界を交互にちらつく。

    誰なんだ。そこにいる人物は―――

    たまらず、頭を押さえ、机に突っ伏してしまった。近くにいた学生たちが「おい、大丈夫か?」と続々と、心配そうに声をかける。

    「無名君。大丈夫かい?何やら顔色もよろしくない。今日は帰りなさい。」

    教授の優しい言葉に素直に従い、紫鸞は早退し、大学を、後にした。帰り道、だんだんと空が曇ってきて、次第にポツポツと、雨が降り始めた。

    「今日はとことんついていない。」と気分がどんよりと沈みながら足早に家に向かった。

    ―――――――――



    家につく頃には、頭痛や吐き気は治まったが、全身がびしょ濡れだった。
    と同時に、心にもやが残る。
    呂布という単語を聞いた時に何故、強烈な痛みが襲ったのか。何故、知らない場所が急に見えるようになったのか。謎は深まるばかりだった。
    濡れた服を脱ぎシャワーを浴びようと脱衣所へ向かった。

    「・・・なんだ、これは?!」

    鏡を見ると朝見た時と違って、痣が薄い紅色から、内蔵のように、赤黒くなっていた。
    この不可解な現象に、紫鸞は冷や汗が止まらなかった。

    「―――お前と見る夜明けは格別だな。」

    「お前はこの―――を楽しませる唯一無二の存在だ。」

    また突然、知らない記憶の続きが映画のように流れ込んでくる。自身の脳内に訴えかけてくる男。その人物はいったい誰なのか。この時はまだ分からなった。
    シャワーを軽く浴び、着替えてベッドに潜り、目を閉じた。
    ―――――――――


    灰色の空、知らない場所に自分は立っていた。ここはどこなんだと。と同時に、どこか胸の奥に、懐かしさもあった。ふと顔を上げ、目の前を見ると、大柄な男が取り押さえられていた。何度も見た光景だった。

    この状況。覚えている。―――

    冷や汗が頬を伝った。気が付けば勝手に体が動き、押さえつけられている男の元へと駆け寄っていく。急げ、急げ! と息を切らしながら、無我夢中で走る。
    だがその瞬間、男は、二人の強靭な男によって無残にも討たれてしまった。
     
     崖から崩れ落ちるのとともに、紫鸞もまた、ためらうことなく崖から身を投げ出した。その時、背後から数多くの声が、自分の名前を呼んだ。けれど、自分を呼ぶそんな声は、どうでも良かった。今はただ、目の前の男に夢中だった。
     紫鸞は、その男を、力強く抱きしめた。自分よりはるかに大きい身体を抱いた瞬間。眠っていた記憶が鮮明に蘇った。

    「っ!お前・・・。」

    呂布のいない世界なんてつまらない。」

    男の名前を口に出すと、自然と涙がこぼれていた。男はそっと自分の涙を拭い、笑った。

    「これで、お前は永遠に“呂奉先”のものだ。」

    その言葉とともに、首にちくっと、痛みを感じた。呂奉先と名乗る男は、自分の首に噛みついていた。名前が出るたびに痛む痣。今までの記憶の中で幾度いくども現れ、死ぬ間際に交わした約束。

    ここは、下邳城。
    この男は前世の――――――――――――




    地面に身体が打ち付けられる直前に、ハッと勢いよく、目が覚めた。
    全身はびっしょりと汗で濡れ、服が肌にまとわりついていた。乱れる呼吸をゆっくりととのえ、着替えを済ませると、ある場所へと向かう。

    あの日、二人で最期を迎えた場所だ。

    外に出ると、雨はまだ止んでおらず、降り続けていた。傘を差し、携帯の地図アプリを頼りに、下邳城があったとされる場所へと目指す。
    目的地まで少し距離があった。歩みを進めるごとに、二人で過ごした時間が脳内に映像として流れ込んでくる。

    初めて目をつけられた時、食事をともにした時、夜明けを一緒になって見た時、気持ちのすれ違いで喧嘩をした時、そして―――

    気がつけば、紫鸞は傘を投げ捨て、走っていた。雨粒が身体を濡らしていくが、気にも留めなかった。息を切らしながら感情が溢れ、胸が詰まる。

    なぜ、今まで夢の中で訴えていたことに、気づくことが出来なかったのか。

    この世に存在していることも分からない。それでも、もしかしたら、自分のことを待っているんじゃないか。という淡い希望が、紫鸞の足を前に進ませた。
    二人で過ごした時間の全てが、まるで昨日のことのように鮮明に蘇る。笑い合い、時には激しくぶつかり合い、お互いの時間を共有し、一緒に過ごし、時には愛を確かめ合い、幸福で満たされた時間が、紫鸞の胸を強く締め付けた。

    もう一度、あの時のように自分を見てほしい。触れてほしい。寂しさとともに、心が張り裂ける想いでいっぱいになった。目的地にたどり着くと、一人の人物が立っていた。足音に気が付いたのかその人物はこちらに振り返った。紫鸞は目を見開き、全身の毛が逆立った。自身の何倍も大きい体格、少し癖のある黒くて長い髪。

    目の前にいるのは紛れもない“呂布”だった。ずっと探していた。求めていた人物が、そこにいた。
    「呂布・・・なのか?」
    だが、待っていた答えは、絶望へと突き落とした。



    「何故、俺の名前を知っている? お前は誰だ?




    紫鸞は全身から血の気が引いた。まるで、頭を重たい石で殴られたかのような衝撃が、彼の希望を、絶望の淵へと落とした。胸が締め付けられ、思考が白く霞んでいく。
    目の前に立つ呂布の瞳には、何も映っていなかった。完全に、記憶が抜け落ちているようだった。
    交わした約束、共に過ごした時間、愛を確かめ合った時間。それらのすべてが、まるで初めから存在しなかったかのように―――

    「いや・・・。なんでも・・ない・・・。」

    か細く、自信のないその声は、虚しく空に消えていく。あまりの衝撃に言葉を失った。頭の中ではかつて、自分だけに見せてくれた笑顔や、温もり、愛が、蘇る。
    紫鸞は今起きている現実から、目を背けるように、来た道を逃げるように戻った。背後から、「おい!」と呂布に呼び止められるも、彼の耳には一切聞こえなかった。いや、聞きたくなかった。

    今呼び止めるその声に、何の意味も、なかったからだ。―――

    「嘘だ・・・嘘だ!」と、紫鸞は心の中で叫びながら、夢中で走った。胸が張り裂けそうな痛みにさいなまれ、今にも倒れてしまいそうなのに、足が止まることはできなかった。きっと、自分のように一時的に覚えていないだけ。__と信じ込ませた。そう思っていても、溢れ出る感情が止まらず涙がこぼれ落ちる。過去の記憶が嫌というほど流れ、視界を阻む。

    家に着く頃にはすっかり日が落ちており、足もとは泥でまみれ、冷たい感触が疲れ切った身体に追い打ちをかける。
    部屋を上がると、その場から崩れ落ちた。「どうして。どうして!」と、喉がはち切れるくらいに叫び、力を込めて床を叩く。その時、痣が疼き始めたので、引っ掻いた。―刻も早く、この呪いを消してしまいたい。と、願うように、ガリガリと、爪を立てた。皮がえぐれ、血がにじむ。

    ―――「俺の目を引く戦い方を見せたやつは忘れん。」―――
    「力よりも大切なものを俺に見せられるか?」―――

    優しい表情が胸をきつく締め付け、吐きそうになる。

    「全部、嘘じゃないか・・・。」

    紫鸞は小さく愚痴をこぼす。自分のことを覚えてくれていないことへの哀しみが大きく、血の滲んだ手も、足元の汚れも、気にも留めなかった。ただ、今は、ひたすらに泣き、張り裂ける気持ちを大声で叫ぶことでしか、解消するしかなかった。 
    次第に、紫鸞は疲れて眠ってしまった。―――

    翌朝―――
    窓から差し込む光で目が覚めた。だが、心の重さは消えなかった。瞼がすっかりと赤く腫れ、足元には汚れが付いたままだった。さすがに気持ち悪いと思ったので、シャワーを浴びるために脱衣所へと向かう。
    上を脱ぎ、鏡を確認すると、昨日まで赤黒く濃く映っていた痣が、今は薄く、消えかけていた。自分が引っかいた痕だけが生々しく綺麗に残る。それを見て、紫鸞は焦りだす。

    ―――この痣が消えてしまったら全てがなかったことになる。―――

    紫鸞はそのことを危惧し、そっと痣に触れる。あまり、悪いことは考えないようにしようと思い込ませた。シャワーの湯を頭から浴び、心を落ち着かせる。ぼうっと壁の模様を見つめ、ただ、ひたすらにシャワーから流れる湯で、心を無にした。シャワーの音だけがただひたすらに、鳴り響く。

    気持ちが晴れないまま、着替えて、大学へと向かう。「無名君。大丈夫?」と周りの学生たちから心配されたが、紫鸞はそんなことどうでも良く、学生たちの声がただの雑音のように聞こえた。適当に返事をし、いつも通りまた講義を受ける。だが、内容は全くといっていいほど、頭に入らなった。教授が話す言葉が、すべて一方通行で、左から右に抜けていく。頭の中は、呂布が自身に向けた冷たい視線と、消えかけている痣のことでいっぱいだった―――

    講義が終わり、トボトボと、帰路に向かっていた。ポツポツ。と、また、雨が降り始める。だが、今日は、足を速めることもなく、いつもと変わらない速度で帰る。大量の雨が身体を濡らしていった。それはまるで、自分の代わりに泣いてくれているような天気だった。大きなため息を一つ、つく。家までもう少し。のところで足が完全に止まってしまった。

    もう一度だけ―――あの場所で確かめたい―――

    そんな気持ちで紫鸞は下邳城跡へとまた向かった。下邳城跡にたどり着くと、呂布はいなかった。紫鸞は隣にあった石碑に手を添え、刻まれている文字を眺める。

    ここで俺たちは―――

    文字を指でなぞり、必死になって思い出す。目を閉じると一つの映画のように出来事が流れていく。激しく武器のぶつかり合う音、群衆たちの叫び声、むせ返るほどの血の臭い―――

    「!お前は、昨日の・・・。」

    聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。

    「ここで何をしている。」

    呂布が立っていた。顔を見るからに、どうやら本当にすべてを覚えていない様子だ。考えが悪い方向にばかり進んでいく。何も知らない。という顔で警戒して、見つめるその姿に、紫鸞は胸が締め付けられた。

    「なぜ、お前は・・・“泣いている。”」

    呂布に言われるまで自身が泣いていることに気づかなかった。ドクドクと、心拍数が上がる。まさか、自分のせいで泣いているなんて、呂布は、この時は知るよしもなかった。―――

    ―――「逃がすわけないだろう。追いかけまわすのは得意だからな。」
    「俺をここまでたぎらせたのは後にも先にもお前だけだ」―――

    過去の呂布の言葉が、現在の姿と重なり、紫鸞の頭は、真っ白になる。
    もう二度と、思い出してもらえないのか。そんな恐怖が高まっていき、顔から血の気が引いていく。

    「思い出してくれ・・・!」

    紫鸞は呂布の腕を掴み、必死に訴えた。

    「・・・何の話だ。」

    「っ・・・。俺と呂布は、ここで・・・!」

    「―――だから何の話だと言っている!」

    お互いに口調が段々と、強くなっていき、感情がぶつかり合う。
    だが、呂布は「何の話だ。」の一点張り。本当に何もかも忘れてしまっているようだった。

    「嘘つき。」と紫鸞の小さな呟きは、雨音にかき消され、呂布の耳には届かなかった―――

    雨脚あまあしがさらに強まっていく。冷たい雨粒が、紫鸞の体温を奪っていく。
    いよいよ立っているのも限界になり、紫鸞はそのまま意識を手放した。意識を手放す前に感じ取れたものは、冷たい地面の感触ではなく―――



    ―――呂布の腕だった。





    目が覚めると、温かいベッドの上にいた。見慣れない家具、知らない匂い。ここが自分の部屋ではないことが一瞬でわかった。

    「起きたか。」

    強く、低い声が耳に響く。一番聞きたかった声。だが、今は最も、聞きたくなかった声。目の前に呂布が立っていた。紫鸞はまた胸が締め付けられる。

    「ここは・・・?」

    「俺の家だ。」

    沈黙が重く流れる。体を起こそうとしたが、力が入らず、よろけてしまう。

    「今動いてもまた倒れるだけだ。じっとしていろ。」

    呂布の大きな手が紫鸞の体を支え、枕を背に上体を起こさせる。その無骨ぶこつな振る舞いが、かつての優しさと重なり、心が揺れ動く。

    「これを食え。少しは元気になるだろう。」

    そういい、渡されたのは、茶碗一杯の粥だった。紫鸞はさじを握り、一口、口に運んだ。その瞬間。温かな味と懐かしい味が口いっぱいに広がり、記憶の奥底を突き刺した。

    「この味・・・覚えている・・・!」
    涙が溢れ、頬を伝う。

    「何のことだ。」

    「昔・・・。呂布が、作ってくれた。」
    呂布の顔に一瞬の戸惑いが走るが、すぐに冷たく切り捨てる。

    「・・・またその話か。」
    呆れたようなため息をつく。紫鸞はそんな呂布の姿を見て、再び心が沈み、拳を強く握りしめた。

    「本当に、何も覚えていないのか?」

    「しつこい奴だ。俺はお前のことを何も知らない。」

    「・・・そうか。」
    声が掠れる。冷たい言葉が、紫鸞の心を鋭く突き刺す。

    「お前はなぜ、俺の名前を知っている。お前は一体。何者なんだ。」
    「無名。」と自分の名前だけを言い、それ以外は何も答えなかった。粥を平らげ、「ごちそうさま。」とだけ言い、布団に潜り込む。
    呂布は何かを思い出したかのように、目の前で眠りにつこうとしている紫鸞に、言葉を投げかけた。

    「お前を着替えさせた時、妙なものを見た。その首の痣は何だ。」
    紫鸞の全身にブワッと、冷や汗が吹き出る。よく見たら自分の服じゃないことに今更になって気づく。心臓の音がドクドクと激しく鳴る。

    「不思議なものだ。俺も、同じ場所に痣がある。」
    呂布が服を少しずらすと、確かに同じ位置に痣があった。

    「・・・それは!」

    「また過去の・・・とかいうのか?」

    「っ・・・。」
    呂布の苛立った声に、紫鸞は言葉を詰まらせる。
    もう、その声を聞きたくなかった。心がぐちゃぐちゃになり壊れる勢いだった。布団を被り、声を押し殺して涙を零す。

    ―――こんな苦しみを抱えるくらいなら、いっその事、すべてを忘れてしまいたい。
    早くこの忌々しい記憶よ、出て行ってくれ。―――

    と、心が訴えかけていた時だった。

    呂布は布団を剥ぎ取り、紫鸞の顔を掴んで強引に目線を合わせた。

    「お前は本当によく泣くな。お前のようなすぐに泣く雑魚な男は嫌いだ。」
    チクリと、心が痛む。昔から呂布は、強い人間が好みだということを、知っていたからだ。紫鸞は涙をこらえながら呂布をキッと睨みつけた。

    「だが・・・泣いているお前の顔は雑魚よりも嫌いだ。」
    呂布の親指が紫鸞の涙を拭い、ぐっと顔を近づける。色のない瞳が間近で紫鸞を見つめた。

    「なん・・で。」

    「分からんな。」
    間髪を入れずに、呂布の唇が紫鸞の唇に触れた。突然の衝撃に紫鸞は驚いて、身体が大きく跳ねた。

    「っは。・・・どうして!」

    「これも、分からんな。お前がどこか、悲しそうだったからだ。」

    「さっさと寝ろ。」とだけ残し呂布は茶碗を手に部屋から出ていく―――


    ガシャン!
    呂布は乱雑に茶碗を置いた。

    「くそ。何なんだ、あいつは。」
    唇が離れた時、紫鸞がわずかに見せた、希望に満ちた顔が、脳裏に焼き付いていた。

    ―――本当に・・・何も思い出せないのか?―――
    ・・・嘘つき。―――

    紫鸞に言われたことが、頭の中でこだまする。俺はあいつの何なんだったのか―――
    答えのない問いに苛立ち、呂布は鏡を、拳で叩き割った。ガラスの破片が手に突き刺さり、血がしたたり落ちる。だが、その痛みよりも、紫鸞が見せた涙と笑みが心をかき乱した。

    ―――何か特別な関係があったのか―――
    気が付けば呂布の頭は紫鸞のことしか考えていなかった。――――――


    寝室に向かい、眠っている紫鸞の顔を覗く。怪我をしていない方の手で頬をそっと撫でる。目元は薄っすらと腫れ、熱を帯びていた。その熱が指先に伝わり、呂布の胸にざわめきを残した。ふっと紫鸞の表情が柔らかくなる。呂布はその姿に、どこか感じるものがあった。

    「お前は、不思議な奴だ。」
    次に紫鸞が起きるまで、呂布はひたすらに見守っていた。
    ――――――


    紫鸞は悪夢を見ていた。目を開けると、知らない世界に立っていた。ここはどこだ。とあたりを見回す。果てしない地平線をただひたすらに歩く。まばゆい光を抜けると、下邳城が目の前に現れる。自身の着ている服も変わっていて、右手には剣が握られていた。
    前を見ると、呂布が斬られる光景が広がる。「やめろ。やめてくれ!」と、叫びながら走る。

    何度も、何度も、繰り返される悪夢。何度も、何度も、呂布を抱きしめ、床に叩きつけられる。何度も―――

    ―――「やめろ!!!!」

    紫鸞は叫び声を上げて飛び起きた、全身に汗が張り付き、呼吸が乱れる。

    「随分とうなされていたな。」
    呂布の声に紫鸞はハッと我に返る。

    「あの時の夢を見ていた・・・。」

    「・・・俺が死ぬ夢か?」
    紫鸞は目を見開く。

    「!どうしてそれを・・・?」

    「『死ぬな。逝かないでくれ。』 と言っていた。思い当たるふしがある。俺は確かにあの城で死んだ。そのことは、はっきりと覚えている。だが、落ちる途中、その前の記憶が思い出せん。」
    記憶の一部が抜け落ちていた。

    「お前はいったい。何者なんだ?」
     呂布の声が鋭く迫る。だが、紫鸞は「わからない。」としか答えなかった。

    「とぼけるな。あれだけ俺に執着する意味は何だ。答えろ。」
    呂布は紫鸞の顔を掴み、強引に目線を合わせる。

    「言え。昔のお前は、俺と、どういう関係だったんだ?」
    言えば、納得してくれるだろうか。理解して信じてくれるだろうか。
    気がつけば、紫鸞は一筋の涙を零していた。

    「俺と呂布は……」





    恋仲だった。―――




    呂布は驚いた。すぐ泣くような雑魚が自分の恋仲だと。冗談もはなはだしい。と笑いたいところだったが、紫鸞の真剣な眼差しと、揺るぎない想いに、笑うことはできなかった。

    紫鸞は張り裂ける想いを、呂布にぶつけるために掴んでいた腕を跳ねのけ、その広い胸に飛び込む。拳で叩きながら。掠れた声で気持ちを吐き出した。

    「心が苦しい。楽にしてくれ。もうこのまま、呂布が俺の事を思い出せないというのなら、いっそのこと、その手で―――」

    「殺してくれ。」とその言葉を紡ぐ前に、唇に何かが当たった。
    呂布が、紫鸞の唇を自身の唇で塞いだ。この前の時よりも、じっくりと感触が伝わる。懐かしい味。ずっと欲しかったもの。かつて、幾度も重ねた、心を溶かすような感触。
    紫鸞の目から涙がとめどなく溢れる。愛する人の接吻。たとえ記憶がなくとも、この一瞬だけで紫鸞の心は軽くなった。今は、これ以上、何もいらなかった。

    「これで満足か。」
     呂布の声色は一切変わらない。

    「どうして・・・。」
     紫鸞の声は震え、言葉にならなかった。ほんの一瞬、呂布の瞳が揺らいだ。

    「何か良くないことを言おうとしていたからだ。」

    「・・・。」
    呂布は重いため息をつき、部屋から出ていこうとしたが、紫鸞の手がそれを、阻止した。紫鸞は「もっと。」とせがむ。その瞳は、呂布を失う恐怖と、愛を求めるかわきで、揺れていた。呂布は呆れつつも、もう一度口づけを交わした。

    今度はもっと深く―――大きな舌が口内を乱暴に、だが、どこか優しく犯し、お互いの吐息が熱く絡み合う。紫鸞の過去の心の傷がかき消されていき、快楽に溺れる。あまりの気持ちよさに声が漏れ、身体が跳ねた。

    「・・・もう、満足しただろ。」
    唇を離し、呂布は、今度こそ部屋から出ていった。

    ―――――――――


    紫鸞の心臓は未だにドクドクと、激しく音が鳴っていた。呂布が残した接吻の余韻よいんが、唇に焼き付いている。
    最愛の人の温もり―――たとえそこに愛がなくとも、その一瞬は、紫鸞の心を満たし、消えかけていた気持ちに火がついた。と同時に、喜びの裏で、虚無が胸を締め付ける。その口づけは、自身を一切覚えていない彼のものだったから―――

    また、首元の痣が疼く。―――


    一方、呂布は感情がかき乱されていった。
    必死に自分に縋る姿、涙に濡れた瞳、震える声―――その一つ一つが、呂布の胸を蝕んでいく。最初は、苛立ちしかなかった。こんな雑魚の戯言を必死に聞いている自分が、馬鹿馬鹿しくてたまらなかった。
    だが、紫鸞あいつが必死になって訴えかけているうちに、もしかしたら、本当のことを言っているのかと、半信半疑になっていた。
    一人で頭を抱え、考え込んでいると、部屋の扉が開き、紫鸞は、「帰る。」と言い出した。「服はどうしたらいい。」と聞いてきたので「そのまま着て帰れ。」と伝えた。

    「呂布・・・。」
     自分を呼ぶその声は、震えていて、小さかった。

    「なんだ。」

    「・・・ありがとう。」
    その言葉に心が揺らぐ。
    紫鸞は静かに家を出た。扉が閉まるまで、ずっと見つめていた。

    ―――

    紫鸞は何も考えずに、携帯で地図を開き、家まで帰る。呂布の家は意外と近く、足音だけ虚しく響く道をたどり、すぐに自宅にたどり着いた。ベッドに潜り込み、目を閉じる。 
     ふと唇を指でなぞり、先ほどの行為を思い出す。触れ合った時の柔らかい感触と熱が、はっきりと残っていた。昔も、ああやって―――。と思い出す。

    荒々しくも優しく包みこんでくれるぬくもりが、胸に蘇る。ほんの一瞬だが、穏やかな安堵が心を包む。だが、すぐに冷たい現実が追い討ちをかける。

    どうすれば、呂布は俺のことを、思い出してくれるのか―――

    ふわっと身体から、彼の香りがする。借り物の服は、自分の身体より大きく、まるで抱きしめられているかのようだった。期待と不安が心を乱し、気分が重くなる。
    あの大きな腕で抱きしめてくれる日が来るのだろうか―――紫鸞は希望と絶望の狭間で揺れながら、深い眠りに落ちた。


    翌朝―――
    重たい瞼をこじ開け、大学へ向かう準備をする。鏡で首元を確認すると、引っかかれた痣の上に新しく上書きされたような痕があった。不思議に思いながらも、着替え、大学へと向かった。いつも通り講義を終え、帰路へと向かおうとしていたが、足の動く方向は真逆へ向かっていった。
     下邳城跡―――かつての戦場、運命の場所。今はただ何もない更地になっており、横には下邳の戦いが記された石碑があるのみだった。刻まれた文字をまた、なぞる。過去の激しい戦い、胸の奥でざわめいた。

    「・・・また来たのか。」
    後ろを振り向くと呂布が立っていた。

    「呂布こそ・・・」

    「俺はここで死んだからな。」
    その発言に紫鸞は胸が締め付けられる。衝動に駆られ、紫鸞は呂布に抱きついた。だが、呂布は腕を回すことはなかった。

    「何をしている。」

    「ずっと…こうしていたい。」
    声が震え、紫鸞の指は呂布の服を強く握りしめる。

    「離れろ。」

    「嫌だ。」

    「離れろと言っている!」

    「嫌だ!!」

    頑なに、離そうとしなかったので、呂布は力ずくで解こうとしたが、紫鸞も負けじと、力を入れ、更にきつく抱きしめる。

    「思い出してほしい。死ぬ前にもこうして、抱きしめた。また、あの言葉を…俺に言って欲しい!」
    これでお前は、永遠に呂奉先のものだ。と。
     紫鸞は抱きつきながら必死に懇願こんがんする。まるで、彼の心の奥底に眠る記憶を、力ずくで引きずり出そうとするかのように―――

    雲の隙間から陽光が差し、紫鸞の涙に濡れた顔を照らす。呂布は、その光に映る紫鸞の顔を見て目を見開き、息を呑んだ。彼が見つめる藤色の瞳が、呂布の心を貫き、奥深くに眠る何かを揺さぶった。

    ―――呂布のいない世界なんてつまらない―――

    突如、激しい頭痛が呂布を襲う。まるで、脳の奥で何かが弾けるような、鋭い痛み。顔をしかめ、思わず紫鸞の肩を強く掴む。目の前の紫鸞の顔が揺らぐ。顔を見つめると、紫鸞とよく似た、知らない男の面影が重なる。
    いや、知っている。――― 激しく動揺し、頬に汗が落ちる。

    ―――天下を取った暁には、お前も絶対に手に入れるつもりだ―――
    もしもくだらん理由で死んだら、墓から力ずくで引きずり出してやろう―――

    全部、目の前の、この紫鸞に言った台詞だ。呂布の胸が締め付けられ、過去の情景が鮮明に蘇る。下邳城で落ちたあの日。後追いをするかのように、飛び降りて、自分を抱きしめる小柄な男。涙ながらに訴えた想い。そして目の前の男を失うことへの恐怖から交わした契り―――
    断片的だった記憶が一つ一つ繋ぎ合わさって蘇る。呂布の瞳が揺れ、過去と現在が交錯する。

    ――――――――――――

    「もう、追いかけまわすは勘弁してくれ・・・。」
    困って疲れ切った顔
    「呂布は、こういうのが好きなのか?ふふ・・・。」
    軽やかな声、柔らかな微笑み。
    「ん・・・ここではだめ・・・。」
    恥じらう顔、熱い吐息が絡み合った夜。
    「 俺は・・・呂布のことが好き」
    「・・奉先・・・。」
    ――――――



    全てを思い出した呂布は、言葉にならない感情が溢れ、力いっぱい紫鸞のことを抱きしめた。まるで二度と離さないと誓うかのように。その腕にすべてを込めた。

    「・・・思い出したぞ。」
    紫鸞の息が止まる。信じられない思いで呂布を見つめ、震える声で答えた。

    「・・・え・・・?」
    抱きしめられたままで表情は分からないが、強く震える腕、ドクドクと響く心臓の鼓動が、燃え上がる感情を雄弁ゆうべんに語っていた。

    「お前はこの呂奉先を楽しませる無二の存在だったな。」

    「……っ!」
    紫鸞は心が弾け、号泣した。涙が、呂布の胸を濡らしていく。長い孤独と絶望の果てにようやく想いが届いた。

    やっと、やっと、思い出してくれた―――

    「すまなかった。」と言い呂布は優しく頭を撫でる。その大きな手がとても心地よく、紫鸞の心と身体、魂までもが、全てを優しく包み込んだ。

    「もう二度と、離さないで…。」
    その言葉は、愛と恐怖、希望と、脆さが混じった願いだった。呂布は、紫鸞の顔をそっと両手で包み、額を寄せる。

    「離すものか。お前は俺のものだ。永遠にな。」
     その言葉は過去の誓いを新たに刻む、新たな契りだった。二人の声には、無限の愛が込められていた。
    呂布は紫鸞の顔を持ち上げ、愛に満ちた口付けを交わす。今度はちゃんと、愛のある口付けだった。
    「続きは帰ってからだ。」と言い、二人は呂布の家へと向かった。

    どんよりとしていた空はすっかり晴れ、いつの間にか雲一つない青空に変わっていた。陽光が二人を追いかけるように眩しく輝き、まるで、新しい始まりを祝福するかのように、二人を温かく照らしていた。
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