私より先に逝くか、お前も。
思わず呟くと、幼平は少し笑った。
――他のものは若かったけれど、自分は相応に歳を取りましたので。そろそろお暇です。
横になったまま、皺の寄った手で拱手する。傷よりももう皺の方が目立つ手だ。
生まれ年など覚えていないと言う幼平だが、おそらくは私より十や二十は歳上だろう。老いれば死ぬ。
公瑾や公績は若過ぎた。子敬や子明もまだ若かった。そういった例外もあるが、人は皆老い、死ぬ。
私もまた兄の死んだ年齢などとうに超え、父の死んだ年齢も超えたが、まだ老いたとは言えぬ歳だ。
ただ、逝くものたちを見送っている。
幼平の療養する部屋を出る。
城に設えた部屋で病身の忠臣を憩う、それは私の我儘で、幼平も本当なら家族と過ごしたいのかもしれない。
けれど、知ったことではない。
――ご加減は如何ですか。
廊下に出ると侍っていたのか、すぐに子瑜が話しかけてくる。
――変わりはない。良くもならぬし悪くもならぬ。
ぶっきらぼうに答えると、子瑜は目を細めた。
嘘だ。幼平の病はもう随分悪い。悪くなってきている。
子明は何度か復調したが、あれも若かったがゆえのことかもしれない。
幼平はきっと二度とは起き上がれない。
目を瞑る。まぶたの裏に浮かぶのは、昔のことだ。兄も公瑾もいて、私は子供で、幼平は若く、大背をすらりと伸ばして立ち、私に向かって微笑みかけている。
そこだけ、今と変わらない。
穏やかな男だった。いつも控えめで、それでいて勇猛果敢だった。
私は、そんな彼が大好きだった。
子どもじみた言葉ではあるが、それ以上の言い表し方を知らない。
大仰な理由などもない。後から出来た理由はあるが、それは周囲の納得のために使われただけで、私は本当にただ只管彼の人となりが好きだった。
そんな彼も、居なくなる。
胸に息が溜まる。何度吐き出しても重苦しく、腹の底に渦が巻くようだ。
――ご加減は如何ですか。
子瑜がまた声をかけてきた。
――良くはない。眠れぬ。
応えを返す。目が覚めたらもう幼平は息をしていないかもしれない。それが怖くて眠れない。
夜中に何度も幼平の寝息を聞きに行っている。
――では、寝台を運ばせましょう。お隣でお休みなさいませ。
もう長らえはしませんでしょうから、と子瑜は遠慮なく言った。
少し前なら縁起でもないと腹を立てただろうが、明らか過ぎる事実を前に私はただ、そうしてくれと告げるのみだった。
――お懐かしい。
簡素な寝台に座る私を見て、幼平は笑った。
――おれは死にかけて、若様はずっとそうしていた。
意識が混濁しているのか、幼平が昔の呼び方で私を呼ぶ。
あの時も幼平が死ぬのが怖くて、毎晩彼の寝床の隣で寝ていた。
あの時はでも、幼平は死なないだろうという気持ちも何処かにあった。
――若様。
――もう若様ではないよ。
私も昔の口調に戻って話した。
私は偉くなったよ、お前にたくさん褒美もやれるようになっただろ。お前に地位も名誉も与えられた。
――けれど私は、お前に十分報いただろうか。
――若様、おれは、若様に。
幼平の目はもう私を見ていない。
在りし日の、何も持たなかった頃の私を見ている。
――若様。
幼平の口元が柔く微笑む。
見覚えのある笑みだった。
それは、私がそう言えば彼がそうやって笑うから、と何度も言った言葉を聞いた時のもの。
――大好きだよ。幼平。
あの頃のような鈴の音の声ではない。戦場の勝鬨に枯れた男の声だ。
けれど。
――若様、おれも。
あの頃のように応えがある。それは老人の嗄れ声で、それでも私はあの頃のようにただ、嬉しかった。
その夜半、幼平の息は静かに止まった。