悪食王の墓荒らし1.
メリニ国再建より三年後。迷宮問題が終息し、かつては冒険者だった人々も身辺が落ち着きつつあった。
そのタイミングをみはからって開かれた宴には、大勢が集まった。
多種族が入り乱れ、老若男女、関係者の近縁遠縁も問わなかった。そのため宴は想定よりも大規模なものになっていた。さらに今日は無礼講だ、と悪食王がいったものだから開放的なムードに満ちている。
誰もかれもが浮足立っていた、というのも理由だろう。
その言葉にまったく、とうぜん、悪意はなかったのである。
「ライオスはめちゃくちゃ図太いから、絶対に長生きする!」
誰がそう発言したのかは誰も覚えていない。なにせ。
「はは。分かる分かる」
「あのライオスさんですからねぇ」
「悪魔も退けたくらいだ。死神も追い返せるだろう」
「どうやって? ああ、死神にも魔物食をすすめるとか?」
「そりゃ逃げ帰る」
「悪食王の名に恥じないな」
「こりゃ百まで生きるか」
はは、違いない! とその場の全員が賛同したからだ。
王はその不敬に怒るでもなく、さすがに百までは無理じゃないか、とまじめに返していた。
「死神は、発祥元の南中央大陸で『剣と飢餓を持って蒼ざめた馬に乗った死という者』という特徴で語り継がれているせいか、デュラハンと同種族というのが有力な説だ」
ライオスはここで唸った。
「だからどうした?」
「デュラハンの同族だとすると、死霊だろう」
「そうだね」
「死霊かあ。死ぬ間際に見るのだとしたら、ドラゴンとは言わなくてもせめて尾蛇類……いや、このさい魔法生物でもかまわない……最期に見るのが死霊だと悔いが残りそうだな……」
この一言で、場がドッと湧いた。腹を抱えてしまう者も多数。
「おっお前! ライオス! 死ぬ直前に願うことがそれかよ!」
「ひい、ひい」
「ライオスらしいといえば、そうですが……」
「せめて国の行く末も心配してもらえませんか」
「諦めましょう。ライオスだもの」
後半の一部は、呆れまじりだった。だが仕方がない。たとえ自分が死ぬかもしれない局面でも、魔物愛を捨てられない。それがライオス・トーデンという男なのである。
さておき。
メリニ城のバンケットルームで交わされた、にこやかな会話達。本当なら、素晴らしき思い出として栞の挟まれた特別な一ページになっただろう。けれども、結論から言うとそうはならなかった。
口は災いの元、という言葉がある。
縁起でもないことを、という言葉もある。
それらは「もしも」が来た時に、悔いが残らないようにするための先人の教訓だ。なぜあんなことを言ってしまったのか――とのちのち悔恨に苛まれないための。
なにせ人間は死ぬ。それはまぎれもない事実で、いつ何時、その瞬間が訪れるのかは分からないのだから。
メリニの面々が、不謹慎な会話をした翌日。
悪食王は死んだ。祝いの花束にしこまれた蛇による毒殺だった。
・
悪食王ライオス・トーデンは死んだ。あっけないものだった。
いざという時のために認められた遺書には「おおむね幸せな人生だった」とあった。その言葉にきっと嘘はない。嘘はない、が。
「あのとき私が気づいていれば」
あれから毎日マルシルは目を腫らしている。ハーフエルフの彼女には、人間よりもエルフよりも長い時を生きることが定められている。その宿命に向き合ったつもりでも、仲間の死ほど受け入れがたいものはない。
「そんなの、俺だってそうです。一番彼の近くにいたのに、なぜ……なぜ、何も、できなかったのか」
カブルーも後悔ばかりだ。死の瞬間にはライオスのすぐ隣にいた。花束に黒い影が見えたとき、反射的に手をのばすべきだった、と自分を責めた。そしたらカブルーはライオスの身代わりになれたかもしれない。あのとき、せめて正体を見極めてから、と一拍ためらったせいで王を喪うはめになっている。失態が頭から離れない。
「カブルー」
「いや、止めましょう。こんなこと言っても何にもならない。俺達にはまだやるべきことがある」
「うん……うん……そうだね」
つとめて前向きな声を出すと、マルシルも弱々しくうなずいた。少し無理をした様子だった。
「でも良かった。じつは私、カブルーのことが一番心配だったから。思ったより冷静そうで安心した」
カブルーは虚を突かれた。
マルシルが廊下の奥に去っていくのを見送り、首裏をさする。
繊細な感性のマルシルがまいるのは、きっと城中のだれもが予期していた。だがそのマルシルが一番心配していたのはカブルーだという。
なぜだろう。
たしかに王の死を防げなかったことへの後悔は大きい。しかしカブルーにはいくつもの肩書きがあり、悲しむ時間すら与えられていないというのが実情だ。多忙のせいというべきか、多忙のおかげというべきか。まだ友人の死への、現実味が薄いのかもしれない。
マルシルは心配性だ。カブルーを気にかけるくらいなら、自分の精神安定につとめてほしい。やさしすぎるのも困りものである。
やれやれと吐息し、カブルーは次の予定にまにあわせるべく早足になった。
ふしぎな胸のつかえだけが残った。
・
王の葬儀は「しめっぽいかんじは嫌だ。国民全員がお腹いっぱいになる葬儀にしたい」という遺書の内容をできうるかぎり反映したがために、異色のものになった。
国民全員の腹を満たす? まったく現実的ではない。
けれども――――それがライオスの望みなのであれば。
カブルーは大量の食料を確保するために、国中あちこち走り回った。
生前の王がふわふわした提案をしようものなら、現実的な数字の力でばっさりと切り伏せるヤアドも、今回は口を出さなかった。資金捻出も惜しまないという。
「まったく死ぬ間際になんて大仕事をおしつけていくんだ!」という苛立ちはあるけど忙しい毎日のせいでしっかり考える暇もない。
そのほうが後悔を遠くにおしやれる、というのはありがたかった。
この頃、眠ろうとすると瞼の裏にあおじろい靄(もや)が浮かび上がる。それはやがて細い線となり、ライオスの苦しげな死顔を描く。呼吸ができず、助けを求めてもがく彼にカブルーは何もしてやれないのだ。幻影とはいえ辛かった。
ついに迎えた葬儀当日。
飲めや食えやの大御斎(だいおとき)の中で誰かがぼそりと
「まるであの日みたいだな」
と言い出した。
「ライオスが悪魔の欲を食ったあと」「ああ。ファリンをふるまった宴会のこと?」「わたし?」「あいつ、自分の妹を食うとか言い出すから気でも狂ったのかと」「悪食王だぞ。狂ってるのはもとからだろ」「それはそうかも」
ハハ! と笑ってから沈黙が下りる。
「死んだんだなライオス」
しんと静まり返るテーブル。空気が重い。
「でもまあ、彼が死ななかったら、こんなご馳走は食べられなかったわけだし」という不謹慎な台詞を誰もが待っていた。
しかしどれだけ待ち望んでも、聞こえてこない。
だってそんなふうに口を滑らせそうな男は、もう死んでしまったのだから。
「食べましょう」とそこでカブルーがぽつりと零す。
「食べて食べて、食べ尽くしましょう。それが彼の望みだった。自分の葬儀をひたすら悲しいものではなく、国民の腹を満たすものにしたかった。俺はそれを叶えてやるために今日まで駆けずり回ったんです」と。
彼の目の前には大皿。
ふだん行儀よく物を食べているカブルーがその気持ちごとかき込むようにガツガツと飯をほおばる。
「……食べるか」
「そうだな」
つられて皆も用意されたご馳走を食べて食べて食べまくる。それを望んだライオスという男がどういう人物だったのか。食べ物とともにその記憶までも噛み締める。
参列者が絶えず、食事会は何日も続いた。王の悲劇をじっくりと悼むように、なかなか終わらなかった。
・
最後の参列者を見送ってから、カブルーは久しぶりに城の自室に帰った。
目尻を吊り上げたマルシルに「ちゃんと寝て!」と叱られたのだ。ソファでの仮眠はとっていたけれど、寝不足が顔に出ていたらしい。
だが、そういう彼女も目の下の隈が濃い。ぜんぶ片付いてから寝ます、としばらく粘ったのだが有無を言わさずに追い出されてしまった。マルシルは見かけによらずなかなかの頑固者だ。
久しぶりだなという感想が漏れた。
久しぶりに、こうして自室のベッドで横になっている。ライオスが死んでからというものずっと眠気がわかず、無限に、いつまでも動いていられるような気がした。ろくに睡眠をとっていないはずなのに目もはっきりと冴えている。
今もカブルーは、葬儀の後片づけについて考えるのをやめられない。
あれも、これもやらなければ。そういえば例の一件は後から誰かが気づいて手配してくれたのだろうか。あの段取りはうまくいって良かった。明日中には飾りも撤去して、いつもの運用に戻さなければ――――。
「ライオス」
ぽつりと出た言葉がそれだったことにカブルーは驚いた。まったく別事に集中していたはずだったのに、そのじつ口元は彼のことを呼ぶのだ。
そういえば、彼の私室はどうなっているのだろう。きちんと誰かが掃除してくれているのだろうか。
大切な忘れ物をとつぜん思い出すように、王の私室が気になった。横になって十分もたたないうちにベッドをぬけだす。
通いなれた廊下を歩く。
王の私室は、記憶となにも変わっていなかった。塵も汚れもない。カブルーの知る部屋と寸分たがわないのが、逆に不気味だ。
部屋を右回りにぐるりと回りながら、調度品を一つ一つ、たしかめるように目線でなぞっていった。どれもこれもなじみがある。なにせ建国当初からカブルーは王の傍で仕えていたので、ライオスがどういう順番で、そういう経緯でそれらを買い求めたのかもはっきりと覚えていた。
散らかってはいないが、物が多くにぎやかな部屋だ。こぎれいな装飾や美品がそろっているように見えるが、その内実は、魔物にまつわるエピソードをはらむ曰く付きの品々である。王の好みは分かりやすすぎる。
それらが埃にまみれることなく、月光の中できらきらと輝いていることに、カブルーはひどく安堵した。
カブルーにとってはどれもこれもガラクタ同然の品だったけれど、ライオスはずいぶん大事にしていた。魔物断ちを強いられている彼にとっての、唯一の娯楽だった。
「ライオス」
まただ。カブルーは名を呼んでいる。
「ライオス」
山育ちのライオンは聴覚が鋭い。ざわめきの中でもカブルーの耳打ちは必ずひろって反応をくれた。ささやかな優越だった。
けれども、今は。
「ライオス、ライオスライオスライオス」
ぎゅうと胸の衣服をきつくたぐり寄せた。息が苦しい。
ああ――――と肺を絞るように呼吸した。いないのだ。どこにも。忙しさを手放してしまったカブルーに押し寄せるのは、あまりに酷な現実だった。
彼は死んだ。
彼は死んだというのはつまり、どういうことだ。
分からない。分かりたくもない。何も考えたくない。
彼の部屋で、どれだけ名前を呼んだってもう返事はない。ここへきて漠然と恐ろしくなった。この三年間、王のことばかり考えていた。だから王が逝去したあと、カブルーの中にあった王の特等席をまるごと抜きとってしまえば、ぽっかりと大穴が空いた。簡単には埋められようもない穴だった。
それまで見えていたものが急激に遠ざかり、眼前が真っ暗になる。ばっと顔全体を掌でつつみこんだためだ。
亡き王の私室でいつまでもカブルーは蹲っていた。歩き出せなかった。
両手で目を覆っていないと、瞼の下から自分自身があふれかえりそうだったのである。
気づけば、カブルーは裸足でどこかを彷徨って(さまよって)いた。夜の森林はひっそりとしてもの寂しい。梟が鳴いている。その独特の声は、失ったものの大きさにたえきれず啜り(すすり)泣くような風情があった。
肩を掴まれてふりかえる。
うつろな青い目が反応する。カブルーを引きとめたのが、彼の王によく似た顔立ちの女性だったからだ。
「ファリン、さん」
「どうしてこんなところに。貴方の部屋も、兄さんの部屋も、扉が開けっ放しだったからもしかしてと思って……」
声が耳を素通りする。
「俺はいったい」
「城内の森でカブルーを見た、って聞いたとき心臓がとび出るかと。裸足で歩くから血が出てるよ。早く帰ろう?」
靴も履いていないのだと、そのとき初めて気づいた。うしろには転々と血の跡がのこっている。これを頼りに彼女はカブルーを見つけたのだろう。
「帰りたくない」
小声で懇願した。そして彼女の腕にすがりつき、どうしましょう、と焦り顔になる。
「だってあの人がいないんです。どこにも」
そんなのはとっくに飲み込んでいるはずだった。死は平等だ。母も、ライオスも、けっして蘇ることはない。地べたに額をこすりつけて必死に墓前で祈ろうと不可能なのだ。
カブルーさん、とファリンがひどく辛そうに顔を歪めた。
「兄さんはもうどこにも居ないの。お願いだから探すのをやめて」
そうか俺はライオスを探しに森にはいったのか――――とカブルーはひどく納得した。それでほっとしたのか、目を閉じると、脳の端からじんわりと麻痺するような鈍さがひろがっていって暗闇に堕ちた。
今更だ。今更になって、非情な現実にうちのめされる。
〆