絶対的、 俺、大きくなったらヒーローになるのが夢なんだ!
少年は深い紫色をした眼にきらりきらりと眩い光を映しながら、そう言って笑った。
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「研究者になることが夢というわけではなかったのですわね」
「ね~、ちょっと意外。生まれながらのマッドサイエンティスト(笑)志望かと思ってた」
敵の攻撃を受けた博士が子どもになるという珍事から一晩明けて、研究所は緩やかな日常を取り戻していた。
子どもに戻ってしまった博士は大人であった自分の記憶を失っており、はてさてどうしたものかと途方に暮れたまま眠りについたものの、次の日の朝には博士はすっかりいつも通りの姿に戻っていたのだ。
「な~んだ」「もう少しあの可愛らしいお姿の博士が見ていたかったですわ」「心配してソンしちゃった」などと口々に言いながら、ベルミもオリヴィエも、そしてセイラも心底ほっとしていたことを博士には言えないままでいる。
「ねえ、私たちって」
ベルミとオリヴィエがこちらを見る。
その安堵に緩む眼差しに、口をついて出た言葉を少しだけ後悔する。続けるはずだった言葉を飲み込んで、代わりに当たり障りのない話題を探した。
「博士の子どもの頃のことあんまり知らないね」
確かに! と頷いたふたりは好き勝手なお喋りを続ける。博士も子どもの姿だと案外可愛かったわよね。少し人見知りだったのかしら、ずっときょろきょろしていて不安そうでしたわ。ね、らしくないわよね。いつから今みたいになったのかしら。
楽しそうなふたりの話を聞きながら、飲み込んだ疑問を胸の中で持て余す。
ねえ、私たちって、博士の代わりにヒーローになるために作られたのかな。
ベルミとオリヴィエは知らないことがある。セイラだけが知っている博士の秘密。彼の右腕に残る大きな傷跡。ずっと前に偶然見てしまったあのダボダボの白衣のその下に隠された傷跡を、博士は静かな指先でなぞって呟いた。「むかしむかしの話だよ」キミは知らなくて良いことだと、言われたような気がした。遠い眼差しはセイラを通り過ぎて、セイラの知らない景色を眺めているようだった。
セイラはそのとき初めて、自分たちが作られた理由を博士から聞かされたことがなかったことに気が付いたのだ。
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「……セイラ……セイラ……! 、セイラ!!」
自分の名前を呼ぶ声がする。博士の、必死で泣きそうな声がする。
重たい瞼をどうにか持ち上げると目の前に博士の顔があった。声の通りに泣きそうな、いや、泣いている博士がセイラの顔を覗き込んではっと息を呑んだ。
「セイラ! 目を覚まして良かった……。ああ、こんなに傷だらけになってしまって」
「博士……」
どうしてそんなに取り乱しているの、と続けたかったのに掠れた声は博士を呼ぶことしかできなかった。
あれ、私、何してたんだっけ。
博士の背後には涙ぐむベルミとオリヴィエも見えた。
「だから言ったのよ! 最近無茶しすぎだって……」
「良かった、セイラの身になにかあったらどうしましょうって。私、最近セイラの様子が変だって気が付いていたのに……!」
そうだ、突然現れた怪人と戦っていて、それで。
体中が痛い。視線だけで周りを見渡す。
「怪人は……」
「バカ! そんなことどうでもいいわよ!」
ベルミが怒ったような声を上げる。顔は泣きそうなのに、変なの。
「怪人はもういませんわ。私たちがいるのだから、心配しないで」
オリヴィエも、いつもの穏やかな笑顔を作ろうとして失敗したような顔をしている。
博士は、いつもの少し頼りない笑顔で困ったように微笑んでいた。セイラの髪を撫でる指先が冷たい。
「セイラ、もう大丈夫だからな」
その優しい声音が、眼差しが、あの日博士の秘密を知ったその時と何故か重なって見えた。
拒絶のようにも取れたあの日の言葉は、こんなふうに泣きそうなくらい優しい声で紡がれていたのだった。
幼い博士がなりたかったヒーローとはどんなヒーローだったのだろう。博士はどうして戦う力を持った自分たちを作ったのだろう。博士は、どうして博士になったのだろう。
何も知らない。何も、わからなかった。
「……博士。私、ちゃんとヒーローになれてる?」
博士がいつも眠たげな双眸を大きく見開いた。はく、と何の言葉も出ない口が開閉して、それからぎゅうと強く引き結ばれた。堪えるように強く目元に力を籠めて、そして博士はセイラをかき抱いた。
博士に抱きしめられたのは久しぶりだった。昔よく抱きしめてもらっていた頃よりも博士はずっと小さくなってしまったけれど、腕の中の温度は変わらない。博士は小さなセイラたち三人を抱きしめては幸福そうに笑っていたっけ。
「私はオマエたちをヒーローにするために力を与えたわけじゃないよ」
「……それじゃあ、なんで?」
わかっていた。こぼれた疑問は、疑問ではなくただの不安だ。そしてそれを博士が受け止めてくれることも、わかっていた。
どうして忘れていたんだろう。博士のデスクに置かれた写真立てが、一筋縄ではいかない三人の乙女たちを眼差すその視線が、誰かが危ない目に遭う度に死んでしまいそうな顔で震えるその体が、こんなにも雄弁に語ってくれていたのに。
博士は穏やかに笑っていた。セイラを強く抱きしめたまま。
どうして忘れていたんだろう。
「オマエたちが平和に暮らすこの街を守るため、オマエたちがしあわせであるためだ。……キミたち自身の幸福を守るために、キミたちの力は、私は、存在するんだ」
博士が自らの娘たちを深く深く愛していることを。