バルツァーさんと猫(再掲)バルツァーは授業の合間に校舎を抜け出し、野草の上に仰向けになっていた。この寒い季節、バーゼルラントの空気は一層乾いていた。同じ空の筈なのに、ここで見る空の色は祖国より澄んで見える。
(空から銃弾を敵軍に浴びせることができたら、戦術に革命が起きるだろうな……)
誌の一つや二つではなく、そんなことを思ってしまうあたりどうしようもない職業病だ。バルツァーはため息をついて、そっと目を閉じた。しばらくの間、風の音に耳をすませまどろんでいると、不意にカサコソと背後で物音が聞こえてきた。バルツァーは反射で素早く起き上がり、腰のリボルバーに手を掛けた。しかし、冷静になってみると、音の大きさからして人間ではないように思える。鳥かウサギか何かだろう。
「驚かせやがって……」
バルツァーは動物があまり好きではなかった。戦場では障害物でしかなかったし、山に入れば戦士の腹を満たす食料だった。そのくせ、人より思慮深そうな色を帯びた、つぶらな瞳で何かを訴えるようにこちらを見てくる。貴族の間で飼われている犬や猫も、一見幸せそうに見えるが、彼らの平穏だが愛玩され続けるだけの生を思うと何とも言えない気持ちになる。たとえ
――そう、不要な感情を抱いてしまうのだ。軍人として生きていく上で、これは不要な代物だ。
バルツァーは再び仰向けに寝転がった。小動物なら別に取って食われることもない。まったくもって無害だ。嫌がらせで身体を踏んでこないうちは、放っておいても――
「……」
――いや、踏まれている。これは、どう考えても踏まれている。しかも、顔の上を。額に青筋が浮かぶのが自分でも分かる。鳥の足ではない。もっさりとした体毛に覆われた、柔らかい獣の足だ。下手に目を開けるのはマズイ。
「おい、おいおい」
無礼な獣はバルツァーの額に足を乗せ、そのまま横切ろうとしていた。鼻に毛が掠ってむずかゆい。そして、くさい。バルツァーは手探りでその獣の尻尾を手で捕え、引っ張った。獣はニャア!と怒ったような鳴き声を発した。掴んだ尻尾をぐいと引っ張り、バルツァーは自分の顔からそれを無理やり引き剝がした。
「痛いっ!このクソ猫が!!」
尻尾を引っ張られたのが不快だったようで、引き剝がされる際に爪で顔を引っ掻かれた。目を開けると猫は毛を逆立て、黄色い目でバルツァーを睨んでいた。
「性格が悪いのはお互い様だな!」
自嘲気味に笑い、バルツァーはシッシと猫を追い払おうとした。しかし、灰色の猫はその場を動こうとしない。こちらの様子をじっと伺っている。何を考えているのか分からないのが余計にバルツァーを苛つかせた。さっきので危険人物認定したのなら、さっさとこの場を立ち去れば良いのに。生徒みたいに、砲撃演習で懐柔できそうにもない。バルツァーは猫から視線を外し、興味が失せた風を装いながら、再びゆっくりと目を閉じた。
アウグスト殿下が、いつまで経っても授業に現れない軍事顧問を呼び戻しに来たとき、草の上で寝転がるバルツァーと、その腹の上に猫が丸くなって気持ちよさそうに一緒に寝ていたという。