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    BenHato_no_numa

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    BenHato_no_numa

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    他人様の創作ちゃん(フェヴマチ)をお借りしました

     面倒見のいい右手が、目の前のアップルパイを切り分ける。ざっくりと生地がこぼれる事も無いまま、マーチの眼前の皿にふわり、リンゴの香りが乗せられた。
    「……フェヴ。別に俺、それくらい自分で切れるんだから」
     じっと目の前の男を見据え、マーチは苦言を呈する。それを意に介さないようすで受け流す男──フェヴは、肩をすくめてフォークを差しだした。剥げた持ち手のデイジーは、見慣れ過ぎた二人の目を惹けない。

     ジュンが手土産と共にやってきたのは一時間前のことであった。
    「マーチはこういうの好き? 甘すぎないから大丈夫だと思って持ってきたんだけど」
     手に提げられた箱に彫られた洋菓子店の名前を最初に読んだのはフェヴであった。評判のいいパティスリーに並んで買ってきたそれを、手厚く歓迎したのがマーチだ。甘い匂いは袋越しにも漂い、無邪気に笑う少年の耳飾りは持ち主の急く足取りに合わせて揺れた。その光景を、横にいたフェヴはなんとも言えない顔で見据えていた。
    「いつも同胞探しにつき合わせてるお礼だよ。そこそこ大きいんだし、ゆっくり食べて」
    「なんか悪いな。ありがと、遠慮なくもらっとくよ」
     その会話に、もれなくフェヴは含まれていない。否、加わらないというほうが正しいのかもしれない。嵐のように来ては去るジュンを見送ってマーチが戸締りをすると、やや湿り気の多い視線が彼を出迎えた。
    「……お前、菓子で手懐けられてる気がするんだが」
    「……フェヴこそ、俺がお菓子でつられるバカな子どもに見えてない?」
     マーチのため息に、ますます編み上げの隣の目が細まる。ジュンという明け透けなまでに行動力にあふれた少女が、フェヴの目にはどうにも快く映らないのだ。目の上のたんこぶ、諸問題の根源、トラブルメーカー。彼のジュンに対する認識はもっぱらその程度である。もっともマーチはジュンをそれなりに慕ってはいるため、所詮は小言ともはや受け流してはいるのだが。
     苦々しく洋菓子の箱を見つめるフェヴをいなして、マーチは箱を開けた。なるほど、四号ほどの、網目模様に焼きあがったアップルパイである。美味そ、と呟く声が嬉しそうなものだから、なんだかんだでフェヴの顔つきが弛む。昼食を早めにとったせいか、食べ盛りのマーチはアップルパイの隣を譲らない。
    「ね、これ食べよう。二人で食べればちょうどいいでしょ?」
     ちょっと小腹空いた、と少年の目つきがねだる。この顔に弱いことを知ったうえで、マーチはじっとフェヴを見上げる。少しだけ顔を歪めたフェヴは、黙って彼の視界から消える。
     ほどなくして、包丁と小皿、フォークを抱えた男が戻って来た。

     パイの切れ目から、ぽとりとリンゴのコンポートが落ちる。隣り合わせの一ピースたちを皿に取り分けたフェヴは、こぼれたコンポートをすべてマーチの皿に移す。バニラアイスよりも嬉しいトッピングに、マーチの顔は分かりやすく綻んだ。
    「いいの、フェヴの分リンゴ少ないじゃん」
     気遣う少年に首を振り、食っていい、と短く返してフェヴはフォークを取った。こういう所で、構わないと言えないから自分はまだ子どもにしか思われないのだろうか。なんとなくの不満が浮かぶも、突き立てたフォークがパイに埋まれば、たちまちマーチの頭は歓喜で満たされる。大きなひと口を頬張った。シナモンがよく効いた、それでいてコンポートは優しく甘酸っぱい良いバランス。ほろりと崩れたパイ生地を食めば、なるほどこれが評判になるのも頷ける。
    「……これ美味しい。ジュン良い物買ってきてくれたと思わない?」
     無邪気な声に、「まあな」と簡潔な返事が返る。またそうやって、と言いかけてやめ、マーチはひと口二口とパイを食べ進めた。端に盛りあがる生地も、ざっくり二口分に切り分けてそそくさと食べる。そうして早々と二ピース目を切り分けようと包丁を手に取れば、フェヴは分かりやすく手を止めてたしなめた。
    「ほら、俺がやるから」
    「いいって。ことごとく心配性すぎるんだから、フェヴ」
     半ば奪うように包丁を握って切り分けようと、マーチが手に力をこめる。その手を、よりいっそう強くつかむ手があった。色の白い未発達の手に、やや色素の濃い手指が食い込んだ。一瞬のうちに握りこまれた手は制御を失い、包丁は無様な音を立てて、少し焦げ目の付いたパイのふちを潰した。
    「……フェヴ」
     非難を隠さず、マーチは静かな声で男をたしなめる。不服の面持ちで、フェヴは手を放した。うっすら肉のへこみが残る手を振るマーチに、苛立ちは消えなかった。
    「なにさ、そうやって子どものまんまだと思って。もう十六だよ、俺、いつまでこんな扱いされなきゃいけないんだ」
     制御もきかないまま口が動く。フェヴが相変わらず涼しい顔で見つめ続けるものだから、マーチの口走る事はよけいに毒を孕んでいく。ああ、こんなんだから子ども扱いされるんだ、と冷静な内声が沈んでいく。悔しくてたまらない心持が、マーチの手を突き動かす。

    「だから、俺、子どもじゃないのに、お前が、受け入れてくれればいいのに」
     ちいさな手が、編みこまれた長髪を掴んで、結局は離して、力を失って落ちる。目の前の顔は見ずともいまだ涼しいのが手に取るようにわかって、マーチはそれがまたたまらなく悔しかった。否、もはや悲しみに近かった。自分の思いを知っておいて、きっと叶えるつもりもない。そのくせ底抜けに優しいのだ。
     マーチ、と難しい声がする。目線を寄越す気も起きない少年の頭をなでる手がある。
    「お前が子どもじゃないのは分かってんだ」
     諭す声色はいつもとなんら変わらなくて、居たたまれない。
    「でもなあ、子どもじゃないんだったら、ちゃんとした相手を選ぶのが大人ってモンだ。俺じゃなくてな」
    「……俺からすれば、フェヴだってちゃんとした大人だ」
    「そう言ってくれんのはありがたいがな、マーチ」
     撫でる手が止まる。アップルパイを見下ろして誤魔化していた蒼白の目をほとんど強引に引き上げる、二対のアメジスト。凪いだ光が、少年を痛いまでに縫い留めた。
    「そう言ってるうちだから、お前はまだまだガキなんだ」
     分かってくれ、と発する声色に、初めて色がついている気がした。悪い気がしないでもない、でも依然としてマーチは腑に落ちない。長年隣に居て、その本当の色をうかがい知る事の出来ないフェヴという男を知りたいというエゴがある限り、子どもなのだという。諭す声も、初めてついた動揺の色も、マーチにとっては耳馴染みのよい大人のものなのだ。それだけは伝えなければいけない気がした。
    「……フェヴ」
     ん、と小さく唸るような声とともに、男は相変わらず少年を見つめている。諫める目つきはゆるんでいて、ああこの顔だ、とマーチの胸中に安堵が染み出る。やっぱり、こうやって諭すでもなく笑うでもない、毒の無い顔にひどく惹かれる自身が居た。戯れに、ヘアバンドのすぐ下に唇を落とした。重みをかけたテーブルのうえで、コンポートがふたつ落ちる音がする。
    「……お前みたいな、“大人”の真似事してみた」
     発した言葉の子どもじみた言い方に、自分自身で苦笑いがこみ上げた。フェヴが一瞬だけ目を見開いて、すぐに肩をすくめる。開きかけた口を閉じて、下唇を噛んで、腰を下ろす。
     ──珍しい、少しだけ子どもみたいな仕草だ。マーチの内に、少しだけ日差しが届いた気がした。

     すっかり食感がしっとりしたパイを皿にのせる。包丁の形に凹んだふちを笑うマーチを、なんとも言えない顔でフェヴが一瞥した。今度は切り分けてくれる、と訊けば、安堵したような顔をして包丁を握る彼が居た。
     適当に刺したフォークで切り分けて、頬張る。目の前でアップルパイをすべて切り分けているフェヴの眼差しは、落ち着き払っていて、やはりあの紫が好きなのだと少年は嘆息する。
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