1.ファンタジー赤黛 赤司はその日、研究のために必要な薬草を採取するために森へ来ていた。だがなかなか見つからず時間ばかりかかってしまい、帰る頃には辺りは暗くなっていた。
駆け足気味に屋敷へと戻っていると、不意に何かの気配を感じた。息遣いのような音が聞こえる。少なくとも野生動物の類ではなさそうだった為、赤司は腰に差していた剣に手をかけた。
「そこにいるのは何者だ?」
問いかけると茂みの奥から影が見える。全く動く様子のないそれにゆっくりと近づくと、そこには木を背にして血まみれの青年が蹲っていた。腹に傷を負っておりそこから大量に出血している。生きているのか死んでいるのかわからない状態だった。
「おい、大丈夫か?」
慌てて助け起こすとまだ辛うじて息はあるようで僅かに胸が上下していた。急いで手当をしなくては死んでしまうかもしれない。
「しっかりしろ!」
傷口に布を当てながら必死に声をかけるが返事はない。赤司は早口に治癒の呪文を唱えてありったけの魔力を込めた。すると淡い光が彼を包み込み徐々に傷が塞がれていった。おそらくこれで命の危険は免れるはずだ。ほっとして肩の力を抜いた瞬間、突然手を掴まれた。
「え……?」
驚いてそちらを見ると彼の瞳が大きく開かれているのが見えた。その目には恐怖の色がありありと浮かんでいて思わずぎょっとしてしまう。
(混乱しているんだ。)
自分の魔法を警戒して反撃するつもりなのではないかと思ったが、よく見ると焦点があっていない。虚空を見つめたまま動かない彼に戸惑いつつもそっと手を振りほどこうとした時だった。
「……ぁ……っ」
彼は虚ろな瞳のまま口をぱくぱくと動かして何かを伝えようとしていた。
(ほ、う……てお……放っておけ、か? 一体どういう意味だ……?)
それだけ伝えきると彼は意識を失い崩れ落ちてしまった。慌てて身体を抱きとめて、改めてその軽さに驚く。自分よりも背の高い男だというのにこんなにも軽いとは。まるで骨と皮しかないような有様だった。
「何なんだこの男は……」
何故自分に助けを求めなかったのだろう。こんな森の奥深くで、赤司にだって気がついていたはずなのに彼は何もせず息を殺していた。
しかしその疑問を考えている暇はなかった。とにかく今は早く帰らないと。彼が死んでしまわないうちに。
赤司は彼を抱え上げると村に向かって走り出した。
***
「これは……相当深い傷ですね」
村に戻ると赤司はすぐに黛を医者の元へ連れて行った。幸い致命傷になるようなものはなかったがかなり酷い怪我だったため、すっかり包帯やガーゼだらけになってしまった。
「あと少し遅ければ危なかったかもしれません」
医者の言葉を聞いて赤司は安堵のため息をついた。よかった。本当に助かって良かった。もしあの時自分が見つけていなかったらと思うとぞっとする。
(どうしてあんな場所にいたのかは知らないけど……)
痛々しげな青年の姿を思い出して心を痛めたが、それよりも気になることがあった。あの青年の目だ。明らかに普通ではなかった。怯え切った目、尋常ではない震え方、まるで化け物でも見たかのような反応だった。赤司はその反応に少し心当りがあった。
(この傷は人につけられたものだ)
獣に襲われたのではありえない刃物による切り傷。それに加えて服の下に隠れてはいるが背中には鞭の跡や煙草を押し付けられた跡などもあった。きっと今までに相当酷い扱いを受けていたに違いない。でなければあそこまで衰弱しないはずだ。
(奴隷商人かな……)
最近王都の方では奴隷売買が横行しているらしい。なんでも人攫いが増えて困っているとかなんとか。しかしそれにしては首輪も焼印もなく、不自然な点が多い。
「どうかしましたか?」
難しい顔をして黙り込んでいる赤司を心配して医師が声をかけてきた。赤司は首を横に振ると何でもないと微笑んで見せた。
「いえ、なんでもありませんよ。それよりこの人はどれくらいで治りますかね?」
「二週間もあればとりあえず動けるようになると思います。完治となると3ヶ月はかかります」
「そうですか、ありがとうございます。また明日も様子を見に来ていいでしょうか?」
「もちろんですとも」
丁寧に頭を下げて礼を言う赤司を見て医師は好印象を抱いたらしく笑みを浮かべて言った。それから部屋を出る前にもう一度黛の方を振り返る。彼は相変わらず昏睡状態で静かに眠っていた。
***
それから赤司は毎日青年の元へ足を運んだが、彼が目を覚ましたのは一週間後のことだった。
「おはよう、気分はどうだい?」
ぼんやりとした表情で天井を見上げている青年に声をかけるとようやくこちらの存在に気づいたのか、視線を動かした。
「ここは……?」
掠れた声で尋ねてくる。赤司は安心させるように笑顔を作ると言った。
「診察所だよ。オレが君を見つけたんだ」
「見つけた……そうか。迷惑をかけたな」
そう言うと今にも立ち上がらんとばかりに身じろぎをした。そんな彼を手で制すと赤司はベッドサイドにある椅子に座った。
「待ってくれ。まだ君は絶対安静なんだから動いてはいけないよ」
「いや、いいんだ。……あぁ悪い、オレ金とか持ってなくて」
「お金なんて要らないさ。ただ大人しくしていて欲しいだけなんだ」
「そういうわけにはいかない。オレもう行かないと」
「そんな身体で動けるはずないだろう! どうしてそんな無理をするんだ!?」
赤司が思わず怒鳴るように叫ぶと、黛は驚いた顔になった。そしてばつが悪そうな顔をするとぽつりと呟いた。
「……すまない。そうだな、アンタの言う通りだ。世話をかけてすまなかった」
素直に謝られるとは思っていなかったため面食らう。赤司が呆気に取られている間に黛はゆっくりベッドへ沈んでいった。
「……君の名前を聞かせてくれないか?」
「名前?」
「あぁ、いつまでも君と呼ぶのは不便だからね」
「別に構わないが……黛千尋だ」
「オレは赤司征十郎という。よろしく」
「……ああ」
「君のことはまだ色々と聞きたいことがあるけれど……まずは傷を癒すことに専念して欲しい。食事を持ってきてもらうからちゃんと食べるんだよ」
「わかった」
「じゃあオレは仕事に戻るから。安静にしているんだよ」
「……なぁ」
「ん?」
扉に手をかけたところで呼び止められたため振り返ると、黛はどこか言いづらそうに口を開いた。
「……いや、なんでもない。呼び止めて悪かったな」
「そうかい? ……じゃあまた来るよ」
不思議に思いながらも特に気にせずに部屋を出た。
黛は不思議な男だった。あれだけの傷を負っているというのにあまり痛みを感じていないようだった。普通の人間ならショック死してもおかしくないというのに。
しかし大怪我をしていることに変わりはないので、不可解に思いながらも赤司は病室を後にした。
***
それから数日後、赤司は再び黛の部屋を訪れた。今日も彼の様子を確認しに来たのだ。
「黛さん、入るよ」
ノックをして返事を待たずに中に入ると黛は上半身を起こして本を読んでいた。赤司が入ってきたことに気づくと本を閉じて申し訳なさそうに眉を下げる。
「また来てくれたのか。忙しいだろうに悪いな」
「大丈夫だよ。ちょうど休憩しようと思っていたところだし」
そう言って近くの椅子を引き寄せると腰掛ける。そしてテーブルの上に置いてあったティーポットを手に取るとカップにお茶を注いだ。それを彼に手渡すと自分も一口飲んでから尋ねた。
「調子はどうだい?」
「おかげさまで順調に回復している。もうそろそろ退院できるだろうと言われた」
「それは良かった。何か不自由なことがあれば遠慮なく言ってくれ。力になれることは協力したいと思っている」
「気持ちだけで十分だ。むしろこれ以上世話になっては申し訳ない。早く出ていけと言われるくらいの方が気が楽だ」
「……随分卑屈な性格をしているんだね」
その言葉を聞いて黛は自嘲気味に笑うと俯いて言った。
「こういう扱いはあまり慣れてないんだ。不快にさせたなら謝る」
「いや、そんなことはないよ。でも色々聞きたいことはあるんだけど……」
「何だ?」
「まず、どうしてあんなところに倒れていたんだい?」
赤司が尋ねると黛は一瞬沈黙したが、やがて躊躇うような仕草を見せたあとゆっくりと口を開いた。
「……森で迷って獣に襲われたんだ」
「いや、君の傷は獣につけられたものではなかったよ」
「……」
「それにそれだけじゃない。身体のあちこちに鞭跡や痣があったし、手首足首には鎖の跡がくっきり残っていた」
「……」
「答えにくいかもしれないけど、本当のことを話してくれないか」
真剣な眼差しで見つめると黛は観念したように溜息をつくとポツリポツリと話し始めた。
「……これ罰なんだ。だからオレはまたすぐに戻って似たような目にあわないといけない。せっかく治療してもらったのに悪いな」
「罰って……一体どういうことだ?」
黛の言葉の意味がわからず問い返すと彼は苦々しい表情を浮かべた。
「……別に、そのままの意味だ。オレは罪人なんだよ。だから早く追い出せよ」
「罪人? 一体何をしたっていうんだ?」
「それは言えない」
頑なな態度に赤司は困惑する。何故ここまで拒絶されるのかわからない。自分は彼を助けたはずだ。それなのに……。
「頼む、理由を教えて欲しい。でないとオレは納得できない!」
「……オレのずっと前の先祖がこの国の王家に謀反を起こしたんだ。それがバレて一族郎党処刑されたらしい。それでオレはその一族の生き残りなんだ。つまりオレはこの国では許されない存在だ。本来なら処刑されるべきところを生かされているに過ぎない」
「そんな……馬鹿な……」
衝撃的な事実に赤司は愕然とした。確かに黛は謎が多い人物ではあったがまさかこんな過去を背負っているとは思ってもみなかった。
「……もういいだろ」
「待て、まだ話は終わっていない」
立ち上がろうとする彼を慌てて引き止めると赤司はじっと見据えながら問いかけた。
「その謀反の話だが、オレの記憶がただしければもう100年以上前の話のはずだ。どうして今更罰を受ける必要があるんだい?」
「……それは、」
黛は言葉を詰まらせると視線を落とした。
「言えない事情があるということかな」
「そういうわけじゃない。ただ100年経とうが何年経とうが罪は消えないってだけだ。お前には理解できないだろうが……」
「理解だと? そもそも君は罪を犯していないじゃないか」
赤司が怒りを含んだ声で反論すると黛は静かに首を横に振った。
「生きてることが、この血が罪なんだ。オレは罰を受け続けなければならない」
「意味がよくわからないな。オレには君が洗脳されてるようにしか見えない」
「……」
「ひとまず今日はここまでにしておくよ。だけどもしこのまま何も言わずにここから逃げるつもりならオレは絶対に許さない。必ず見つけ出して捕まえに行く」
「……好きにしろ」
黛は興味を失ったかのように顔を背けると窓の外を見やった。
「オレはもう疲れたんだ。放っておいてくれ」
「黛さん」
呼びかけても反応しない黛を見て赤司は諦めて立ち上がった。
「……失礼するよ」
そうして部屋を出ると大きく息を吐く。初めて見た時から不思議な雰囲気の男だと思ってはいたが、まさかそんな秘密を抱えているとは思わなかった。黛は自分のことを罪人と自称していたが、彼が言うような罪など存在しない。しかし本人はそう信じているようだ。
(このまま放ってはおけない)
何故かそう思った。
「さっそく調べる必要があるな」
そう呟くと赤司は早速調査を開始した。
***
それから数日かけて徹底的に調べた結果、赤司はある情報を手に入れた。
黛千尋という男の先祖が起こしたとされる『反逆』についてだ。
当時の王に対し反旗を翻すために、当時貴族として繁栄していた一族が謀反を企てたらしい。しかし結果は惨敗。首謀者である黛家の人間は全員捕らえられ処刑され、一族郎党皆殺しとなったそうだ。
ところがその数十年後、別の生き残りがいたことが発覚した。そして彼らは復讐のために再び反乱を起こしたのだという。
しかしその企みも失敗し、結局首謀者の一族は全て殺された。だが、それでもなお彼らの恨みは消えることはなく、今でもその子孫たちは『裏切り者の末裔』として忌み嫌われているという。
それが黛千尋の正体だった。
(そんなことが……!)
予想以上の内容に赤司は動揺した。黛家というのは聞いたことがない名前だったが、おそらく存在そのものを消されているのだ。
だが、それならば何故黛だけが生きているのか? その理由については少し心当たりがあった。黛はとても影が薄かった。存在感がないと言ってもいいほどだ。それにどうやら少し魔法も使えるようだったので、恐らくそれで難を凌いだのではないだろうか。
しかし黛が見つかった場所からここは遠くなく、もう何日も同じ場所に留まり続けている。今まで追手が来ていないことのほうが不思議なくらいだ。赤司は居ても立っても居られなくなってすぐさま黛の部屋へ向かった。
「黛さん!」
扉を開けるなり大声を上げるとベッドの上で本を読んでいた黛が驚いた様子でこちらを見た。
「……何だ、また来たのか。もう来ないと思ってたぜ」
「君の祖先について調べたよ。やはり君が罰を受けるのは納得できない」
「だからそれは無理だって言ってるだろ。いくら説明しても無駄だ」
「元の場所に戻って殺されるつもりだと?」
「あぁ……。幸い魔法で痛覚は遮断できるしな」
淡々と答える黛に苛立った赤司は思わず彼の肩を掴んだ。
「オレは君に死んでほしくない。だから死を選ぶなんてことは止めてくれ」
「お前には関係ないだろ。オレのことなんかほっとけよ」
「嫌だね。この国にいる限り危険だというのならオレと一緒に逃げてくれるかい?」
赤司の提案に黛は呆れた顔になる。
「正気か? オレは犯罪者の子孫なんだぞ。それにお前にメリットがないだろう」
「そんなことはない。君が生きていればそれだけで価値がある」
「……随分変わった奴だな」
「よく言われるよ」
赤司はふっと笑うと黛の手を握った。
「一緒に行こう」
真っ直ぐに見つめられて黛は戸惑う。この男は本気で自分を逃がそうとしてくれているらしい。どうしてそこまでしてくれるのか不思議だったが、なんと言われようと黛はこの国から出ることができないのだ。
「……無理だ。オレは戸籍もないし当然追手もある。この国から出られないんだ……!」
「問題ない。とりあえず脱出用の戸籍なら用意した。追手のことも心配はいらない。オレに任せれば大丈夫だよ」
「……え?」
予想外の言葉に黛は目を丸くした。どういうことだ、手際が良すぎる。
「お前……一体どうやって……」
「詳しい話はあとでしよう。今はとりあえずここを出て二人で暮らせるところへ行かないと」
混乱している黛の腕を掴むと赤司はそのまま強引に歩き出した。
「ちょ、ちょっと待てって!」
「待たない」
有無を言わせぬ口調で言われて黛は口を閉ざすしかなかった。何故か黛を横抱きにした赤司はそのまま強引に外へ出るとどこかへ向かって駆け出す。黛は抵抗を諦めると大人しく彼に身を任せることにした。
「どこに連れて行くんだよ」
「とにかくこの国を出る。そして誰も知らない場所で二人で暮らすんだ。大丈夫宛はあるよ、こう見えて顔は広いんだ」
「……」
赤司の言葉に黛は押し黙ったまま考え込んだ。確かにこのままではいつか見つかって殺されてしまうだろう。だが国外に出るのは不可能に近い。国境を越えるためには審査が必要だし、仮に抜け出せたとしてもその後は追われることになる。
(いっそこのまま死んだほうが楽かもしれないな……)
そうすればこの優しい男を危険な目に合わせることもなくなる。しかし―――
「黛さん、大丈夫だから」
赤司は黛の心を読んだように優しく微笑んで言った。黛は何も答えなかったが、赤司は満足げに笑って足を進めた。
「それにしても君は本当に軽いね……まるで羽でも生えてるみたいだ」
「……うるさい」
黛はぶっきらぼうにそう返すことしかできなかった。
二人はその後、誰にも見つからずに隣国へとたどり着いた。あまりにも順調すぎて怖いほどだったが、無事に辿り着いたことに安心すると今度は今後のことを考えなければいけなくなった。二人は宿屋で顔を突き合わせながら今後のことを相談し始める。
「これからどうするんだ」
「最終的にオレたちが目指すのはここかな。ここなら身分を隠して暮らすこともできると思う」
赤司は地図を見せながら説明する。そこには『帝都』と呼ばれる街の名前が載っていた。
「帝都!? こんなところに?」
「あぁ、ここに知り合いがいるんだ。彼なら力になってくれるはずだよ」
「知り合いって誰だよ」
「弟だよ」
「弟?」
「うん。とても優秀な子なんだ。きっと力を貸してくれるよ」
赤司は自信満々に言い切ったが、黛としては不安しかない。
「信用できるのかよ」
「彼は優秀だし信頼できるよ。ただ少し過保護だけどね」
苦笑しながら言う赤司を見て黛は何とも言えない気分になった。
「わかった……。どうせオレにできることなんて何もないんだし、信じることにする」
黛は諦めたようにため息をつくとそのままベッドに倒れ込んむ。
「疲れたから寝るわ。お休み」
「うん、ゆっくり休んでくれ」
赤司はそう言って部屋の電気を消すと黛の隣に潜り込む。黛は少しだけ顔をしかめたが文句を言う元気もないらしくすぐに眠りについた。