運命の赤い糸というものが実在する。人には誰しも運命の相手がいて、出会った瞬間にその人と結ばれることが決まっているというのだ。そんなもの迷信だと一蹴するのは簡単だが、そうはいかない場合もあった。
──オレとあいつは赤い糸で結ばれている。
小指に巻き付いた赤い糸は、何にも干渉されることなく赤司の小指に繋がっていた。それはつまり、この先一生離れることはないということを表している。
「あー……」
ベッドの上でごろりと寝返りを打つ。見上げた天井はいつもと同じで何も変わりがない。
赤司と自分が運命だなんて、黛は何かの間違いだと思っていた。何故なら赤司も黛も互いにそれらしい感情を持ち合わせていないからだ。好きでも嫌いでもなく、面白い男ではあるがそこまで興味はないというのが二人の共通認識である。
(こんなの無くなればいいのにな)
小指に繋がる赤い糸を見つめながら黛は思う。この糸は触れたいと思えば触れることができるが、基本的にはなんの干渉も受けない。しかしどうしても視界にチラついて目障りではあった。
「……そうだ」
いいことを思いついたとばかりに黛は身体を起こす。そしておもむろに右手の小指から伸びる赤い糸に手をかけた。ぐっと力を入れて引っ張ってみるが、やはり切れる様子はない。
「やっぱ無理か」
どうせ切れやしないだろうとは思っていたものの、試してみなければわからない。そう思っての行動だったが、結果は予想通りだった。
「……」
もう一度寝転がった黛はふと考える。このまま放っておけばいつかは消えるのだろうか。黛と赤司は運命などではないのだから。
***
「黛さん、黛さん、黛さん!」
「……おう」
それが何故かこうなりました。赤司は弾んだ声で黛の名を呼びながら額をくっつけてくる。
「おはようございます」
「……うん、おはよう」
目を覚まして一番に飛び込んできた顔に黛は内心ため息をつく。一体いつまで続ければ気が済むのか。もう三ヶ月近く毎日欠かすことなく続いている習慣だ。最初は恥ずかしくてしょうがなかったのだが、今となっては何も感じなくなってしまった。
「今日もいい天気ですよ」
「ああ」
「黛さん大好きです」
「そうか」
毎朝繰り返される告白を聞き流しながら黛は起き上がる。時計を見るとまだ六時前だったので二度寝しようかと思ったのだが、赤司に阻止されてしまった。
「駄目です! せっかく起きたんですから一緒にご飯食べましょうよ」
「お前のせいで眠いんだよ」
「じゃあオレと一緒に寝ます?」
「寝ません」
「残念」
本当に残念そうな顔をする赤司に呆れつつ、黛は彼の手を借りて立ち上がる。そのまま洗面所に向かうと、当然のように赤司もついてきた。
赤司征十郎は二人いる。そういったのは赤司本人だった。WCの最終試合を経て赤司は主人格出会ったもうひとりの赤司と入れ替わったのだという。黛にとってはどちらも赤司であることに変わりはなく、どちらでも構わないと思っている。それでもこの態度の変化には流石に驚かされた。今までとは打って変わってベタベタしてくるようになったのだ。正直鬱陶しいと感じることはあるけれど、それももう慣れてしまった。
鏡の前で並んで歯磨きをする。これも最早日課になりつつある行動のひとつだ。
「黛さん、今日は大学何限までですか?」
口をゆすいだ後、黛の隣に立ったまま赤司が聞いてくる。それに答えてやると彼は嬉しそうに微笑んで、自分の鞄を手に取った。
「じゃあ迎えに行きますね」
「はいはい」
「ちゃんと待っていてくださいよ? 勝手に帰っちゃ嫌ですからね?」
念押しするように言われ、黛はわかったわかったと適当に返事をしておいた。
***
赤司が来るのは大体16時頃だ。講義を終えて外に出ると丁度彼がやって来るところだった。
「黛さーん!」
ぶんぶん手を振って近づいてくる赤司をみて、あれは誰だと思わずにはいられなかった。だってあの魔王みたいなオーラを放っていた男が、まるで子犬みたいに駆け寄ってくるのだから。
「お疲れ様です」
「おつかれ」
黛の前に立った赤司がニコリと笑う。その笑顔は邪気のないものだった。
「今日の夕飯は何がいいですか?」
「なんでもいい」
「それが一番困るんですよ」
うーんと悩む素振りを見せる赤司を見て黛は少し考える。それから「和食、できれば魚」と言った。
「魚ですね。わかりました」
すっかり変わった赤司。好意を隠すことなくぶつけてきて、黛といるのが何より幸せだと言葉でも態度でも伝えてくれる。それでも黛は彼を運命だとは思えなかった。
「赤司……オレのこと好きか?」
「もちろん、愛していますよ」
躊躇することなく返ってきた答えに黛は苦笑した。やっぱりそうだよなぁと思う反面、どこか寂しさを感じてしまう。
「黛さんはオレのこと好きですか?」
不安げに見上げてくる瞳に黛は笑いかける。それからゆっくりと口を開いた。
「好きだぜ、お前のこと」
それは嘘偽りのない本音の言葉。
「よかった」
ホッとしたように呟いて赤司は黛の肩口に頭を乗せる。その頭を優しく撫でてやりながら黛はそっと息を吐きだした。
(……まあ、いいか)
これでいいのかもしれない。このぬるま湯のような関係も悪くはない。そんなことを考えながら黛は再び瞼を閉じるのであった。
***
「お前のせいだぞ」
「……知るか」
白い空間で、瞳と髪型以外が全く同じ見た目をした青年が向かい合って座っていた。彼らは赤司征十郎で、ここは赤司征十郎の精神世界である。
「どうしてこんなことになったんだ……」
「お前のせいだろう」
「元はと言えばお前が悪いんじゃないか!」
苛立ちをぶつけるようにもう一人の自分に向かって叫ぶ。すると相手は鼻を鳴らして冷めた視線を送ってきた。
「みっともないぞ、オレ」
「うるさい、僕」
「お前があんなことをしなければこうはならなかった」
「そもそもお前が原因じゃないか」
言い争いをしながら二人の赤司は睨み合う。しばらく沈黙が流れたあと、片方が小さく舌打ちして口を開いた。
「……どうするつもりなんだ」
「このままでは黛さんはいつまで経ってもオレ達を運命だと認めてくれない。だから……」
「だから?」
「既成事実を作ってしまおうと思って」
「……」
目の前の男の発言にもう一人の男は絶句する。やがてなんとか言葉を絞り出すと恐る恐るといった様子で問いかけた。
「それで?」
「まず黛さんの意識を奪って睡眠薬入りの飲み物を飲ませる。次に拘束した上で行為に及ぶ」
「ちょっと待て」
さらりと告げられたとんでもない内容に慌てて制止の声を上げた。しかし相手の方は涼しい顔のまま話を続ける。
「抵抗される可能性はあるが、力はオレのほうが強いから問題ない。そして妊娠するまで行為を繰り返す」
「おいこら」
「これならきっと黛さんはオレ達の子供を産んでくれるはず」
「話を聞け!!」
声を荒げるとようやく相手がこちらを見た。無表情のまま首を傾げた相手に頭痛を覚えながらも続ける。
「仮に黛さんがその方法で孕むとしても、その後どうする? 出産した後は? 千尋の性格を考えろ。何を使ってでも逃げ出すに決まっている」
「その時は監禁すればいいだけのことだ」
悩むことなく返された言葉に絶句する。それから深いため息をつくと、呆れたような口調で言った。
「馬鹿か、お前は」
「なんとでも言え。とにかく、これは決定事項だ」
「ふざけるな! それこそ犯罪だろう!?」
「じゃあお前がなんとかしろ。黛さんがオレ達を運命だと思ってくれないのはそもそもお前の態度が原因だ」
「それはっ……」
痛いところを突かれて口を閉ざす。確かに黛が赤司を運命だと思えないのは自分が原因だ。
「責任を持て」
「ぐっ……」
そう言われると何も言えない。唇を噛み締めていると不意に相手が立ち上がり、そのまま奥へ消えていった。