140字 鉢竹詰めどうでもいいよ、そんなこと
「だからさ、何度も言ってるだろ! やめておいた方がいいって」
どれだけ強く振っても離れない手に声が焦る。距離をとりたいのに、あちらは一歩も許さぬというように落とす影を濃くするばかり。
「男だし、他の奴らみたいに優秀じゃないし、美人でもねえし、髪ボサボサだし」
喚くうちに綴る言葉がなくなって、それでもああだこうだと捲し立てれば落ち着く頃を見計らって影が口を開いた。
「それを気にして私が退くと思っているのか」
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待て、は得意じゃない、
想いが通じて早数日。長く拗らせた片恋を思い出にして、さてこれからどうやってより深い仲になっていくかと心踊らせるのが近頃の楽しみであった。二人きりで町に行くのも、あいつの好きな裏山の川辺で二人蛍を眺めて睦むのもよい。就寝前に明日の休みの過ごし方を尋ねようと引戸に手を掛けた三郎の背は、いまや雑に敷かれた布団の上であった。
逞しい眉を歪めた男は、あまりにも苦しそうに言い訳をした。
「ごめん。俺、早くお前のもんになりたいんだ」
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Be mine forever.
今にも千切れていきそうな毛先を、繊細な手付きで何度もすく。そんなに大仰に扱うものでもないのに、と思うが以前に一度口に出したら「ばか」と一言罵られて終わった。何がいいのか、終われば満足げな顔をするので好きにさせている。
「たのしいか?」
「……他にいないだろう、こうして触れるのは」
「タカ丸さんとか」
「あの人は別。このままにはしないだろうからな」
まあ、と呟けばもう一度、根元から手櫛を通される。皮膚に近い場所から手の温度が伝わった。
「……離れても記憶に残るかと思って」
「ばか」
いつか言われた罵倒を返す。
「お前しかいねえのに」
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たった1分でいい
「なんで逃げるッ!」
「逃げてない! 委員会!」
「こんな夜更けにか、嘘をつくな!」
「ついてない! 虫! 虫が逃げたから!」
「逃げてるのはお前だろ、八左ヱ門!」
真剣な顔で、熱い指で、耳が溶けそうなほどの甘い声で。
「逃がすか!」
「うわっ……」
遂に捕まった腕が先のやりとりの繰り返しを伝える。
「大事な話があるから聞けと言っている……少しでいいから」
その"少し"で、後戻りできなくなるのがわかるんだよ!
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瞳は雄弁だ
その顔も髪も、声色だって不定の男だ。変わらぬのは瞳の色くらいで、いつしか「これだけはどうあっても変えられん」とぼやいていたのを覚えている。
「……なんだ八左ヱ門。考え事とは余裕だな」
「そんなんじゃねえよ」
「うるさい」
八左ヱ門の口を塞ぐために自分も黙ることを選んだ相手の、最後にみた瞳は部屋の小さな灯りが反射していた。
――お前のことを見ていただけだ、という言い訳はやはりその火にかき消されてしまった。
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ふたりぼっち
「……ここ俺の部屋なんだけど」
「ああ」
「……雷蔵帰ってこないのか?」
「部屋にいる」
「……喧嘩」
「してない」
「……」
「だめか?」
「…………だめじゃない」
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三時の雨宿り
夏、入道雲、俄か雨。風物詩は今日も生ぬるい風に湿度を与えにやってくる。
天からの恵みは炎天に長く曝された体に涼を与えたが、肌にまとわりつく不快感もついでにもたらす。町から山への道中に半時ばかり前に通りすぎた茶屋以外に屋根はなく、かといって戻るにも距離があっては向かう気にもならず。
「雨宿り、出来そうもないな」
常ならばあちらこちらと跳ねているはずの毛先が水を含んで一方向に垂れている。形のよい額を隠す前髪の色が濃い。
彼の頬を伝う雫に唾が溜まったのはなぜなのだろうか。
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愛される条件
「なんでさあ、」
「その続きはいい、聞き飽きた」
不思議そうな顔をしたかと思えば口を開いた八左ヱ門を手で制す。まだ何も言ってないだろと唇を尖らせる奴に傾けてやる耳はない。
どうせその後は決まったように台詞が続き、決まったように返すのだ。
「手触りの良い髪も滑らかな肌も美しい爪も柳の眉も、君を好きでいるために必要なものじゃない!」
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ずっとそばにいて
戦乱の世である。忍の道を行くものである。己を律して三欲を禁じ、心に刃を隠し持つのが生業なのである。
それがどうした、同級の風邪っぴきの様子を見に訪れた一人部屋。痛んだ髪を床に撒き散らし、熱に浮かされた手が袖の裾を握りしめてうわ言の様に紡いだそれに、重ねた面が汗で滑るほど盛大に心乱されるとは!
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空腹に効くクスリってありますか
腹が減った、ああ疲れた、とにかく腹が減ったとうるさいので荷物の中にいた最後の饅頭を目の前で自分の口に放りいれてやった。あああ、と思った通りに喚き出したので今度は餡の甘味だけが残る口で塞いでやった。
「どうした。腹が減ったんだろう、早く学園に帰るぞ」
「……いや、もう……腹いっぱいかも」
何をふざけたことを。こちらは一口食べたせいで余計に腹が減ったというのに。
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頑なに拒む両手
目の前まで伸び、所在無さげに揺れた腕が元いたところへ戻っていく。
三郎は俺に触れたがらない。朝も、昼も、そして夜も。
何か用事があって部屋を訪ねたのだろうに、扉を開いて無遠慮にこちらへ近づいては何か言いたげに手を伸ばして、やめる。
最後のほんの数寸を詰めるのを嫌がって逃げていく。
三郎は何も言わないので俺も追いかけることはしない。ただその様子を黙って見ているだけ。
「いいよ」なんて、言ってやれないのだ。
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