かわせみ返歌「八左ヱ門、これをやる」
「……なんだ、これ?」
ずい、と無造作に差し出されたものは手触りの良い手拭いで巻かれた小包であった。薄紅で絞り染めされたそれは三郎の手にぶら下げられ、所在なさげに揺られている。
呼び止められた廊下のど真ん中、はてどうすべきかと逡巡していれば、再び押し付けるように差し出されて包みが揺れた。
「早く受け取れ。私の気は長くないぞ」
「あ、ああ……で、これ一体なんなんだよ?」
「いいから。好きにしろ」
最終的に胸元にぐりぐりと押し付けられたそれを慌てて受け取れば、それで満足したのか三郎はサッと踵を返してしまった。
後に残されたのは淡い包みと、困惑する俺一人だった。
好きにしろと言われても一体この包みの中身が何で、なぜ俺に渡されたのか皆目検討もつかない。
三郎は本当にそれ以外をなにも言わずに、その後はなにか自分の仕事や鍛練をしているのか学園内で会うことはなかった。
包みはやけに軽く、大きさは片手にちょんと乗る程度。干菓子の類いかと思ったが最近三郎が町に出たという話も聞いてはいなかった。なんなら暫く三郎は自室に引きこもりがちだったし、そもそも奴からそういったものを個人的にもらったことなどない。
さっさと開けて中をあらためればいい話ではあるもののなんとなく雑に済ませる気分でもなく、戻った自室の文机に小包をちょんと鎮座させているのであった。
手拭いとはいえずいぶん厚く丁寧に包まれたそれにすわ割れ物かと手を滑らせてかたどってみれば、薄紙を何重にも挟んでいるのかくしゃりと聞こえる。本当に丁寧に扱われているものだと驚いてみるものの、やはりそんなものが自分の手元にあることが動揺を生んだ。
鉢屋三郎との関係を表す言葉がいくつかある。友人、同級、そして恋仲。
売り言葉に買い言葉、数日をかけたすったもんだの末に雷蔵に発破をかけられた――これは後になって三郎に聞かされた。新しい名前の関係が増えたことを告げるか告げないかと悩んでいたら「雷蔵は全部知っている」と寝耳に水の話を聞かされて文字通りひっくり返った――三郎が、恥も外聞もかなぐり捨てて思いの丈を伝えてくれたのだ。
果たして俺の気まぐれきっかけに騒動の火種になった鮮やかな羽根は三郎の手に渡り、俺には胃の腑も浮くような"恋仲の片割れ"という肩書きが残された。
しかし、どんなに劇的な果てに辿り着いたといえど所詮は俺と三郎。どうやら二人して青い恋心を拗らせていたらしい者同士、そこからの発展たるや雀の一歩もかくやというほどで、つまり何一つとして進んでいなかった。
心は通わせた。手も握った。目は一秒たりとも合わせていられず二人になれば自然とお互いに明後日の方向を向いて話し、唇など一度意識してしまえば視界に入れることすら叶わなかった。
俺たちのやり取りに焦れたらしい雷蔵が半ば本気の目で「もう僕の目の前で口吸ってもらおうかな」などと言い出したので、半べそをかいて頼むから勘弁してくれと許しを請うたのも最近の話である。
何が起きたという話をするなら恋仲になる以前にその他大勢を含む友情以上のやり取りをしたこともなければ以後も恋人らしい睦合いをしたこともない、そんなところに急遽この小包が降って湧いた。
つまる話が、俺はこの三郎から俺にと手渡された荷物にこれでもかと緊張しているのだ。
三郎のことはよくわからない。元よりあまり己のことを人に知らしめようとしない男だ。今や二人して遠回りに同じ思いを寄せていたというのがわかっているが、そうならなければずっと三郎がまさか俺に恋慕の情を寄せているなど想像もしなかった。
顔を借りている雷蔵に並々ならぬ信頼を寄せているのはわかる。遠い昔の白楽の詩を引っ張り出して二人の関係のいかに得難く貴重なものであるかを語る三郎など、珍しいものでもなんでもない。
すったもんだのある前の俺はそこにすっかり甘い執心のあるものだと思い込み、手にした根付けの行く宛もないまま墓まで持っていくのだと勝手に心に決めていた。
それが一体どうして俺なんぞに懸想する羽目になったのか、三郎のことはどんなに頭を巡らせても俺にはついぞ解らずじまいである。
しかし捲し立てるように腹のうちをぶちまけ俺を覗き込む三郎の目は曇りなく、嘘のひとかけらもあり得なかった。信じるなという方がどだい無理な話で、すべてが欲しいと強く訴える三郎に何もかもを明け渡す覚悟を決めたのだった。
だから、三郎が抱いているという俺への感情を疑う気はひとつもない。奴のなかでどんな経緯があったのか与り知ることはないが、いま三郎がそうだと言ってくれるのならそれを信じたくてたまらない。
幸せだ。好いた人に好かれているという事実が。
目の前に置いてから指のひとつも触れていない薄紅の布をじっと見つめる。己の胸中を表すかのように淡く色づいたそれの存在自体が、自分の頬の温度を上げていることに気付いた。
悪いものではない。それだけはわかる。
俺に背を向けて去っていく三郎の、作り物の髷からちらと見えた首が赤かった。その赤はあの日俺に好きだと訴えた三郎の色と全く同じで、だからきっと何か覚悟とともに寄越したものなのだと思う。
ふう、と長く息を吐いて手のひらを滑る汗を制服の端で拭った。
優しく、それでも厚くなにかを包む手拭いに指をかける。意を決して柔らかな結び目をほどき少しずつ、少しずつ布の壁をよけていく。
重ねられた薄紙の下に影が見える。手のひらで握りこんでしまえるくらいの小さな影。
かさかさと乾いた音を立ててその重なりを慎重に剥がす。緊張の重さが意図せず動作と呼吸を小さくさせていた。
最後の一枚をめくり、その姿がようやく部屋に差し込む斜陽に晒しだされる。
漆で丁寧に仕上げられたそれは――
「根付け?」
精巧に、丁寧に彫られたことが素人目にもよくわかる。細かく磨かれたそれは飴色に艶を放ち、夕日が跳ねて部屋に小さな日溜まりを作った。
小指の爪ほどの幅に広げられた羽根はすみからすみまでを緻密に刻まれていて、施した人間の妥協のなさを思わせた。
三郎が手ずから作ったのだと直感的にわかる。
「かわせみ……」
恐るべき完璧主義のもとに生き生きと彫られた、されど色のない漆塗りのその小鳥は、俺だからこそ寸分違わず見分けがつく。
小さな体にたいしてやや大きな嘴は麗しく伸ばされ、羽根を広げている。
あの日にやったおしどりの羽根の代わりの鳥を、というのだろうか。それを手作りしようとは三郎もずいぶんな執心ぶりだ。
とはいえ、緻密精巧で気合いの入ったものではあったが思ったよりもただ風情あるもので済んだ小包の中身は俺の心を軽くした。
手で触れ指でなぞり、光に当てては小さな瞳が輝くのをほう、と眺める。
嬉しかった。そういえば最近引きこもりがちだったのはこれを作っていたのかと合点がいったし、ここまで心を砕いてくれていることも何もかもが嬉しかった。
かわせみを選んだことも、きっと俺が生き物好きで、おしどりの羽根をやったことに合わせているのだろう。三郎はああ見えて粋な男だ。五百も前の漢詩を引き合いに出して比翼之鳥、連理之枝と嘯く男なのだ。
美しい鳥の姿を手の内に納め、すっかり上機嫌になった俺は早速三郎のもとへ礼を言おうと長屋の扉を開け――ようとして、足を止めた。
比翼の鳥、連理の枝。
鴛鴦の瓦、翡翠の衾。
瓦に冷たく霜が乗る季節になるというのに、一体誰と褥をともにすればよいのか――。
五百も前の漢詩だ。何度も何度も三郎が繰り返し唱えるそれの、別の一節。
「やられた……」
ぎゅう、と胸が詰まり顔が熱くなる。そのままでいられず思わず扉の前で踞れば、手の中で根付けがちゃり、と音を立てた。
小さな鳥は揺蕩うような青い恋の写しではなく、今までの距離を埋めんばかりに求める囀りと熱。
手のひらに移った木の温もりは、あのときに握った三郎の手の熱さによく似ていた。