翌日ヨモギに心配されたロンディーネは商売上手だ。カゲロウはにわかに騒がしい里を眺めながらそう思った。外つ国のとある行事、たしか「ばれんたいんでい」。もとはある司祭が処刑されてしまった日だそうで、その司祭の活躍と名が今の「ばれんたいんでい」の元になったのだとか。女性から意中の男性へ、その逆も、はたまた同性同士や家族も。とにかく恋や感謝の思いを伝えるにぴったりな日なのだと、そうヨモギが目を輝かせて語って聞かせてくれたのだ。
ロンディーネからヨモギ、そして彼女からと伝え聞いた好奇心旺盛な里の娘たちは、見事に彼女から材料を買って調理へ臨んでいるらしい。その中に「探している」顔がなかったのが、少しだけカゲロウは残念であった。
カカオ特有の香りが混ざった風が吹いている。今日が「ばれんたいんでい」の暦らしい。あちこちで「ちょこれいと」を渡す人々の声が聞こえてくる。そんなカゲロウも里の面々から渡された。そんな中でもあの人はまだ顔どころか姿すら見せない。はて。彼女はここ数日狩猟に行っていない筈だが。「ハンターさんに渡した」という会話が聞こえてきて、カゲロウはやはり彼女は里にいることを確信した。
店じまいをする頃になっても彼女は現れなかった。密かに期待していただけに少し寂しい。しょんぼりと片付けをしていると丁度帰り道につくヨモギと顔の札越しに目が合った。
「わー!カゲロウさんいっぱいチョコ貰ったんだね!私も色んな人から貰ったよ!毎日大事に食べるんだ!」
「ふふ、これもヨモギ殿の宣伝上手のおかげですな。たまには異国の催しも悪くはないでしょう」
「うんうん、やっぱり面白い事やいい事は皆でやるのが一番だよね!皆で作りながら味見するの楽しかったな~、ヤエさんも楽しそうだったよ!」
「ん?」
カゲロウは固まった。それはどういうことか。
「そういえば今日はヤエさん見ないね?私はヤエさんから朝に貰ったけどカゲロウさんは?」
「おや、それがしはまだ‥‥‥それどころか最近姿すら見ておりません」
「あれ?朝も作ってたのに?」
カゲロウは彼女の家へカチコミをかけることを決意した。がらがらと荷台を牽いて立ち去るカゲロウの後ろで、ヨモギは「もしかしてまずい事しちゃったかな」と気づいてしまった。
「ごめんください」
「ありません」
戸の前で声をかけたが口開一番にこれである。これにはカゲロウもにっこり(不穏)であった。刹那、戸に手をかける。向こうも気づいたのだろう、中から抑える気配がする。それがさらにカゲロウの不穏な怒りに油を注いだ。おのれお客様とて許せぬ。外から内から全力で押され引っ張られ、両者譲らぬ熱い攻防に戸が悲鳴を上げた。
「それがしという者がありながら何故くださらぬのですか!!」
「そんなこと言われてもないものはない!!」
「嘘ですヨモギ殿より聞きましたぞ今朝もちょこれいとを作っておられたと!!ヨモギ殿に渡して何故それがしにくれないのですか!!」
「ヨモギィイ!!!!」
ついに戸からミシ、ベキ、という音がし始めた。それに一瞬怯んだのをカゲロウは見逃さなかった。スパァンと叩きつけるように開かれた戸はその衝撃で砕けて壊れた。だがそれすらものともせずカゲロウは彼女の自宅へ足を踏み入れた。後に語った彼女曰く、この時のカゲロウは本気で怒った里長よりも怖かったそうだ。
「お邪魔します」
「お帰り下さい」
「お断りいたします」
さてどうしてくれようか。カゲロウは魔王の如く立ち塞がり暗に弁明を促した。ヤエはいつもの堂々とした様とは一変し気まずそうにしょんぼりとしている。ええい、しょんぼりしたいのはこっちの方だ。なかなか口を割らないヤエにカゲロウは仕方なく口を開いた。
「ちょこれいとを、作っていたそうですな。しかも今朝に限らず、数日前も」
「は、はい」
どうやらこちらがかなり起こっているのを察してか彼女は正座して答えた。
「他の方々にはお渡ししたそうではないですか」
「はい」
「そんな中それがしだけ頂けませんでした。これがどういうことかわかりますか」
「‥‥‥‥‥‥」
商人に睨まれて縮み上がる英雄ハンターという珍妙な図であるが、状況は完全に一触即発。しかし、ヤエは嘘をつくような人間ではないことは里の周知である。敢えて一番重要なことは自らの口で言わせねばカゲロウは気が済まなかった。
「‥‥‥‥‥‥その」
「はい」
「‥‥‥‥‥‥カゲロウ、殿には、良い物を渡したくて」
「はい」
「ロンディーネ殿から調理法も聞いて、本まで買って、良い材料も揃えて手順通り作ってたんだが」
「‥‥‥」
「その、うまく、いかず……」
珍しく濁すような言い方に引っかかるものを感じた。
「それはまことですか?」
「初めのころは石炭の様に硬い物が出来上がり・・・・・・人に出せるようになったのは昨日からで」
どうやら異国の菓子は彼女には難しかったらしい。
「最近姿を見せなかったのはずっと調理をなさっていたからですな?」
沈黙。図星らしい。
「では尚のこと。何故それがしにくれないのですか」
「その、渡すなら良いものをと思って出来に納得がいかなくて・・・・・・。だが材料切れで、せめて既製品をと思ったが売り切れていて、その、このようなことになって申し訳ない」
ふむ。そういうことだったのか。カゲロウはふう、と息を吐き、にっこりと札の下で笑った。それを察知したヤエの表情がにわかに明るくなる。
「ではある物で良いのでくだされ」
希望はなかった。
「うああああああ!!!やめろ!!!!何にも無い!何にも無いから!」
必死に押し入れを背に守る姿はどこぞの物語に出てきた姫の如く。しかしそれも物語と同じく無慈悲に破られてしまうのだが。
「嘘はおやめくだされ、そこにあるのでしょう。匂いでわかります。先程まで作っておられましたな?」
「こわ‥‥‥」
若干引き気味の声が聞こえた気がしたがカゲロウは気にしない。こうなったらなにがなんでも手に入れてやろうではないか。その後しばらく攻防戦が続いたが、「いい加減くれなきゃどうなるかわかっているなと」と暗に脅せば実に仕方がなさそうに押し入れの前から引いてくれた。
木製の菓子入れにころころといれられたそれは求めていた物。形はひとつとして同じものはなく、少々いびつであったが食べる上では問題ないだろう。今よりこれは全部自分のものだと言わんばかりに大事に抱えた。
「何故そうまでして‥‥‥いや、何でも」
どこかげっそりとした様子で嘆く様も今や可愛く見えるものだ。
「それがし、楽しみにしていたので」
そう言ってちょこれいとを口に入れた。少し硬くて甘さが弱いが、だからこそ手作りであることを感じて、カゲロウは満足そうにくふくふと笑った。
尚、壊した戸はきっちりと弁償させられた。