離坤お勤めのない今日、坤が見習いたちと肩を並べて笑っている。
普段は物静かでまったく隙のない完璧な弟子である坤が、たわいのない会話で年相応の顔をして、笑い声まで響かせている。
通りがかった乾の方などは坤もあのような顔をするのだなぁなどと感心しているようだった。
八卦の中で1番若い坤為地は、まだ十歳になろうかという年頃に八卦として見出され、離を師に持って数年が経つ。
その間少しのわがままも言わず、教えたことは一度で覚える聞き分けの良さに離も感心していたものだが、同じ年頃の見習いたちと会うと、ああして自分には一度も見せたことのない年相応の青年に戻る。
その姿を見るたびに、離の胸は言いようもないざわざわとした感触が残った。
────なぜ、私にはあの顔を見せない
好かれている自覚はある。お勤めから帰れば1番に私のところに報告にきて、今回のモノノ怪はどうだったとか、行った先で珍しいものを見たとかをひとしきり話し込んだあと、土産を置いてやっと太極の元へ報告に行くのだ。
なのにどうして、私に向かってあのような顔をしないのか。
初めのうちは乾と同じように感心していた離も、次第にまるで嫉妬のような感情を抱え始めていた。
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「離殿、此度も無事にモノノ怪を切って参りました」
そういつものように報告にあがった坤の手に、僅かに引っ掻いたような痕があるのを見つけた。
「無事に戻れて何よりです。優秀な弟子を持って私も鼻が高いですよ。
して、その手の傷は」
努めて冷静に聞くと坤は少しばかり気まずい顔をしたが、隠すほどでもないと口を開く。
「モノノ怪は三様もすぐに揃えて切れたのですが、途中助けた女にどうやら気に入られてしまった様で」
「帰る場所があるのだと言ったら引っ掻かれてしまいました。」
それはそれは、めんどくさい人に絡まれたもんですねぇ、と普段なら返していただろう。何故だかその時は、楽しそうに笑う坤の顔が頭から離れなかった。
何を考えているんだ、と顔を上げると、誰とも知れぬ女のつけた後を撫でているのが見えた。きっと、薄らと残っている傷を何気なく撫でていただけであろう。しかし、離にはそれが羨ましく見えた。
──もし、消えない痕を坤に残すことができるなら。
あの自分に見みせることのない顔もきっと許せるだろう。だって、それ以上に自分の物である印を残すことができる。
「離殿?」
ほとんど無意識に坤の耳へ手を伸ばしていた。
髪を耳にかけると、当然何の痕もない耳がそこにあった。
さらに手を伸ばし、坤の耳を触る。
「り、離殿……どうしたんです」
突然静かになったと思ったら、耳たぶを触ってくる師に戸惑い、身をすくめる。
「……お前の耳に穴をあけたい」
「はい!?」
何がどうなってそんな話になるのかわからない坤は、珍しく焦った声を上げた。
「ただ飾り立てるためではありません。ここに、私の印を残すために」
「そんな、物好きなことで……」
低く穏やかな声だった。けれどその真剣な様子に坤の顔には冷や汗が伝う。
未だ離は耳を押さえたままで、静かに坤を見つめている。
部屋は静まり返り、外の虫の声だけが響く。
元々師はあまり冗談を言うような性質でない。いつものように報告にあがっただけなのに、一体どうしてこんなことになったのかわからない。しかし、拒否するなんてことはできそうになかった。
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離が布と針を準備するのをぼんやりと見ていた。
自分の印を残すため、とはどう言うことだろうか。まるで自分への独占欲のような言葉ではないか。
(離殿に限ってそのようなこと、あるはずがない。)
坤は離に師以上の感情を持っていたが、師が自分を自慢の弟子であると褒めるたびに、その期待を裏切らないようにと心の中に押し込めてきた。
ならば一体どう言うことかと、考えを巡らせている間に準備を終えたらしい離が正面に座った。
「動くな」
耳を押さえられて、身じろいだ。
薬売りとしてお勤めに出る以上、多かれ少なかれ傷を負うことはあれど、他人に面と向かって針を刺されると言うのは緊張するのだ。
「すぐに終わります」
そう言って迷いなく耳に針を刺すと、坤は短い悲鳴を上げた。それから滲んできた血を布で拭って、用意していた耳飾りを付けた。
痛みでしかめられた顔も、塞がることのないその傷も、自分で付けたのだと思うと離は自然と笑みが溢れた。
やっと、これで自分だけのものになるのだという感覚があった。
「よく、似合ってますよ」
坤は差し出された手鏡で確認する。石が一つついたシンプルな耳飾りだった。
それを、満足そうに見つめる離に、坤は今までにない高揚感を感じた。今だけは、自分と同じ気持ちでいてくれてるのだと思えた。
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今日もお勤めのない坤は、見習いたちと楽しそうに談笑している。
いつものように、自分には見せない顔をしているのに、その耳に光る飾りが誰のものかを示している様に見えて、今までの様な胸のざわつきはすこしも感じなくなっていた。
「離の方、今日も坤為地は楽しそうだな」
通りがかった乾が離に話しかける。
「坤為地は我々にはあの様な顔をしないのに、やはり同じ年頃のものだと話しやすいのだろうなぁ」
毎回この場面に出くわす乾は、離が坤へ向ける感情に気づいていて内心心配していたのだが、今日の離からはまるで鼻歌でも聞こえてきそうな雰囲気があった。
「それにしても今日は随分機嫌が良さそうじゃないか、いつもは見習いたちを目で殺せそうなくらい睨んで……」
冗談を言おうと坤たちに目を向けた時、坤の耳に光るものを見つけた。
「坤為地が耳につけてるの、あれは耳飾りか?」
どう見ても穴をあけてつけるタイプの耳飾りだ。それも心なしか離の目の色と同じ様に見える。
「おや、気づきましたか。
先日坤にあけてやったんです。よく、似合っているでしょう。」
なるほど、これは近づかない方がいいやつだ。なんなら泣く子も黙ってせんべい食い始めるくらいやばい笑みを浮かべている。
「おぉ、うん、よく似合ってる。じゃあな」
末の弟の将来が心配になった。
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「坤為地」
「乾の方!どうされたんで?」
心配になって様子を見にきてしまった。素直で可愛い弟は、もしかしてあのヤンレデの師に無理強いされて耳に穴をあけたのではないか。
「いやぁ、大した用事じゃないんだがな。
その耳、随分おしゃれさんになったなぁと思って。」
大丈夫か、突然泣き出しても俺は全力で受け止めてやるぞ。
なんなら離為火と殴り合いの喧嘩をしたっていい。
「ああ!
これは先日、離殿にあけていただいたのです。あっしによくお似合いだと褒めて下さった。
どうです?似合いますか?」
こちらも非常に満足げな笑顔であった。
「離殿はこれを、自分の物である証だと言っておられました」
とても嬉しそうだ。
なるほど、こいつらは両思いだ。めんどくさくなる前に帰ろう。
俺は後悔した。弟が可哀想な目に遭ってないかを心配してきてみたら、どっちも様子がおかしいタイプの両思いだったんだ。
しかしそれなら何故、離の方の前では笑ってやらないんだ。
面倒は避けたいが正直ここは気になる。
「おまえ、いつも見習いたちとは楽しそうにしているのに何で離の方にはそう接してやらないんだ。
いつも恨めしそうにみていたぞ。」
「……子供のような顔を見せるのは失礼でしょう。離殿はあっしを弟子として誇りに思ってくださっているのだから」
坤は迷いもなくそう言った。
その横顔は真剣そのもので、曇りも偽りもない。
けれど瞳の奥には、どこか誇らしげな光が宿っていた。
────こいつら気づいてないのかよ。
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言い訳
何で乾?→なんか1番陽キャそう
現実
ピアス開ける時に血は出ない