相棒に送る幸福あんまりだと思った。
ドア越しに聞いた相棒の声は、そこそこ一緒にいたはずなのに初めて聞くもので、今でも鼓膜を揺らし続けてる。
今にも人一人簡単に殺してしまえそうなその声に反して、布擦れの音すらしない事に、背中をベビが這ったような気味の悪さを感じた。
「そうしたら、二人は戻ってくんのかよ、、、」
弱々しく掠れていく声は、泣き声とは違って、まるで死を迎え入れているようだった。
その後も簡単なやりとりをして、俺たちの上官は相棒の病室から出てきた。
俺が睨みつけてやれば、上官の眼には申し訳なさそうで、それでいてその瞳を待っていたと言うような安堵感の混じった威圧が感じられた。
立場上捨てられない誇りか、ただのちんけなプライドか、上官は「なんだ」とだけ俺に溢した。
「なんだも何もないでしょ」
「お前がアイツに情報を漏らしたのか?」
「だったらなんだよ?クビにでもするか?」
辞めろと言われればすぐにでも辞めてやる。
そんな気持ちだった。
大事な相棒がボロボロになってでも守りたかったものをぐちゃぐちゃにした奴らと、どうやってこれから仲良くお仕事しろってんだよ。
それでも、上官は、多分誇りを持って俺に言った。
「いや、、、よくやってくれた。」
歯痒い思いだった。
どいつもこいつも、大人ぶりやがって。
俺だけが、駄々捏ねたガキみたいじゃねぇか。
俺は自分のした事に、後悔しかないってのに。
どんな顔をしたかなんて覚えていない。
でも、この上官といくらやり合ったって、相棒の笑顔はもう戻らないんだと分かっていたから、俺は血が滲んできた握り拳をそっと開いた。
数日間、俺は相棒の元に通い続けた。
「お前仕事は?」
「こちとらキッチリ謹慎中だよ。」
そんな会話ができる日はまだ良い方だった。
相棒はまるで中身がなくなっちまったみたいに、空虚な目をするようになった。
それでもすごいと思うのは、一緒に残される身になった娘には、生気のある眼が出来る事だ。
親ってもんは、こんなにも健気かね。
俺には分からんね。お前いつの間にそんなにお父ちゃんになっちゃったんだよ。
だなんて、茶化せる日が来ることを願ってる。
「千明は、、」
「!」
退院が決まったその日、相棒が初めてその名前を口にした。
愛する妻の、そして、もういない妻の名前。
知らず知らず俺の喉は低く鳴った。
何も聞かないでほしい、俺には何も言えないのだから。
「・・・いや、なんでもない」
俺の顔をみて、相棒は話をやめてしまった。
ああ、またやっちまった。後悔がまた一つ募る。
それと同時に安心した事に死ぬ程自分が嫌いになった。
相棒は退院した。
義母と、義母の家に預けられていた娘さんとが病院の出口で待ってる。
俺は、身支度を整えた相棒と一緒に階段を降りる。相棒は怪我は良くなったものの、その顔にはいままであった覇気はないままだ。
先を歩く看護師は「本当によかった」と笑顔を咲かせている。
そして、出入り口には主治医が花束を持って待っていた。
病院を一歩出るその前に、主治医は相棒にその花束を渡してシワの多い顔を柔らかく破顔させた。
「悪くなったら、いつでも受診しにきてください。その傷は本当に深いから」
その一言は、多分体の傷だけの話じゃない。
それももちろんわかった上で、相棒は深々と頭を下げて礼を言った。
俺は自動ドアの先にいる相棒の家族のもとへ、少し先に歩き出す。
自動ドアが開けば、義母に隠れるようにして立っていた娘さんが相棒に向かって走り出す。
おっとと、その進行の邪魔をしないように避けてやれば、自然と走り抜ける娘さんの顔に視線が向く。
また後悔だ。いっそ後ワンテンポ早く気づければ。
「お父さんなんか嫌いだ!!!」
相棒に向けられたその言葉の槍を、止めてやることくらい出来たろうに。
焦って相棒の顔を見る。
相棒は、まるでその言葉が発せられる事を知ってたみたいな顔をしていた。
なんでそんな顔が出来るのか、俺にはやはり理解ができなかった。
でも、娘さんの気持ちは痛いほどわかった。
しゃがみ込んで広げられた優しい父親の手に、飛び込まない理由なんて、そりゃないよな。
走り込んだ娘さんを相棒はギュッと抱きしめた。
「嫌いだ嫌いだ」と駄々をこねながらも、娘さんは相棒に抱きしめられて、その大きな背中を容赦なく叩いている。
とは言ってもまだ7歳の幼さ。その力で相棒が怯むことはない。
主治医から貰った花は二人の間で潰れてしまっているが、そっと俺が手を差し出せば、相棒は苦笑いしながらそれを俺に渡してくる。
花はムーンダスト。永遠の幸福。
あんまりじゃないか、そんなのってない。
相棒の幸福は、永遠と呼ぶにはあまりに短かった。
これからの幸福を、こんな惨劇の後に、どうやって求めて行けっていうんだ。