極楽教の御子は端午の節句を知る「端午の節句ですか?」
「そうそう、そのための準備を手伝って欲しいんだ」
夜もふけ獪岳が眠った頃、俺は信者の一人を呼び出した。子供のいない信者はいまいちピンときていないのか首を捻り俺の言葉を繰り返して曖昧な返事をしていた。
「すみません、話がいまいち読めないのですが」
「あのね、端午の節句って男の子の行事なんだろ?御子だろうとそういう行事は必要だと思うんだよね!だから、彼のためにお祝いしてあげようかなって」
「あぁ、なるほど!御子様にですか」
やっと合点がいったか信者は良い考えだと何度も頷いていた。
「では早速、御子様のために衣服と人形や粽も用意しないとですね!」
「あとは柏餅も忘れないでおくれ、あの子はお餅が大好きだからね」
「承知いたしました、では…」
「あっ、これは獪岳には内緒にしておいてくれないか?」
「どうしてです?」
「彼をびっくりさせたいんだ!」
「ふふっ、承知いたしました。では失礼いたします」
「うん、よろしく頼むよ」
手を振ると一礼をして信者は祭壇の間から姿を消し、俺はその扉をぼんやりと眺め、ある出来事を思い出す。
あの日は天気の悪く陽の光が届かなかった。散歩がてら獪岳と町を歩いていると兜飾りが目に入りあれは何かと尋ねてきた。
端午の節句に使う兜の置物だと教えると獪岳は首をこてんと傾げて端午の節句を聞いてきた。
行事の内容を軽く説明してあげるが、獪岳はそんな祭りもあるんですねとまるで他人事のように話していた。
俺が幼い頃は恒例行事の一つだったが、獪岳は端午の節句を今までお祝いされたことがないのだと知る。
その様子を目にして、俺はこの子が兜をかぶって美味しいものを頬張り、翡翠の目を輝かせる姿をなんとなく見たくなったのだ。
「童磨様、今日はどこにいかれるのですか?」
「うーん、内緒♪」
「最近そればかりですね」
ムッと口を尖らせ下を向く獪岳、頭を撫でてごめんよと謝ると首を横に振る。
「童磨様はお忙しいので仕方ないです。いってらっしゃい、用事が終わったら勉強の続き見てくださいね」
「うん、約束するよ」
約束で獪岳の暗い顔はなくなり、いつもの明るい笑顔に戻ると、俺が見えなくなるまで手を振っていた。
「うーん、隠すのやめようかな?」
「心変わりが早すぎます教祖様!!」
だって、あんなに悲しそうな目をしてるんだよ?嘘をつくのは可哀想なんじゃないかと思うんだよね。
そう伝えると獪岳の顔を思い出したのか信者も少し声を詰まらせ目を逸らした。
「別に驚かさなくたって獪岳は喜んでくれるよね?」
「でっ、ですが驚かせたほうがいつもよりも子どもらしい姿が見られると思いますよ?」
確かにそれを言われてしまうと見たいと思ってしまう。粽や柏餅に目を輝かせる様子を想像し、俺は仕方ないと内緒のお祝い計画を続行することにした。
「ねぇ、童磨様これはなんて読むんですか?」
「これかい?これはねぇしんこうって読むんだよ」
端午の節句前日、俺は獪岳にバレないように引き留める役として勉強を教えていた。
何も知らない獪岳はとても熱心に勉強し、時折俺の顔を見ては緩んだ笑みを浮かべる。
「おや?俺の顔に何かついてるかい?」
「あっ…いえ、そのぉ…お勉強見てもらえるのが嬉しくて…すみません」
心がホワホワするような感覚に首を傾げながら、柔らかそうな頬をツンツンと突っつくと獪岳はくすぐったいと言いながら俺に抱きついてきた。
出会った頃のためし行動は大変だったけど年相応の姿に嫌な気は全然しなかった。
最近は気をつかっているのか俺の真似をして大人しくなってしまった。そんな彼が時折見せる子供らしい笑みは見ていて心地の良いものだ。
明日は普段よりも無邪気にはしゃぐ姿が見れるのだろうと想像し、獪岳を見下ろす。
「童磨様楽しそうですね、何かいいことありました?」
「えっ、そうかい?」
「はい、お顔が笑ってます」
そう言われて俺は自分が笑っていたのだと気づく。おかしいな、作り笑いをしていたのかな?
きょとんと翡翠の瞳で俺を見上げる獪岳の頭を撫で、さあ勉強の続きをしようかと促すと獪岳は慌てて机の前に体を戻し、教材と睨めっこを始めた。
「童磨様まだですか?」
「うーん、もう少しだからギュッと目を閉じてておくれ」
端午の節句当日、俺は目を閉じる獪岳を抱き上げて祭壇の間がある部屋を目指す。
獪岳は両目に手をあてながら俺の指示に従い目を閉じていた。
襖に手をかけ、音がしないようにゆっくりと開き、獪岳にもう目を開けていいよと伝えた。
「「「「「御子様、おめでとうございます」」」」」
「わぁ!」
壁の絢爛豪華な装飾と、信者たちの声や拍手に驚いたのか獪岳は俺にしがみつく。不安そうに見上げる彼に大丈夫だよと声をかけ、床に下ろすと信者たちが近づき獪岳に紙でできた兜を被せた。
「えっ、でも…今日は童磨様と出会った日ではないですよ?」
どうやら獪岳は誕生日と勘違いしているようで違う違うと信者たちに申し訳なさそうに話していた。
「獪岳、今日はね端午の節句だよ」
「端午の節句…あっ、前に話してた!でも、なんでそれがおめでとうなんですか?」
「それはね、端午の節句は男子の健やかな成長を願う行事だからだよ?俺も皆も獪岳が元気に過ごしてくれていることをお祝いしたいのさ!」
「成長をお祝い?」
今まで経験でそんなことがなかったのもあり、獪岳は『なぜ?』と首を傾げるばかり。喜ぶ顔とはかけ離れていたが、これからゆっくりと教えていけばいいことだ。
獪岳はソワソワと俺を見上げながら兜を引っ張り『似合いますか?』と尋ねてきた。
とても愛らしい仕草に俺は微笑みながら似合っているよと伝えると、獪岳は頬を赤らめながら笑みを浮かべていた。
「じゃあお腹もすいただろうしご飯にしようか」
「ご飯!」
獪岳を連れて机の前に座ると旬の筍を使ったちらし寿司や縁起のいい魚、そして獪岳の大好きなお餅で作られているちまきと柏餅が並べられる。
「わぁ!童磨様お餅ですよ!!お餅!!」
御子の子供らしく目を輝かせる姿に信者たちも頬を緩め、獪岳は柏餅に視線が釘付けになっていた。
「よかった、喜んでもらえて!でもまずはいただきますをしなくちゃね」
隣に座る獪岳が皆によく見えるように抱き上げて俺の膝に乗せると信者たちも席に着く。
照れ臭そうに笑っていたが、獪岳は俺の膝の上の方が良いみたいで降りようとはしなかった…でも、これじゃあ俺が獪岳の食べる姿が見えないなぁ。
「では、御子である獪岳の健やかな成長と幸せを願って乾杯」
俺の音頭後、信者たちも獪岳への祝いの言葉を口にして食事に手をつけ始める。
「獪岳もお餅の前にまずはご飯を食べようか」
器にちらし寿司と解した魚をのせると獪岳の前に置く。
「いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
祝箸でプルプルと震わせながらちらし寿司を掴むと、大きく開けた口に運ばれる。少し緊張していたが段々と翡翠の双眸をキラキラとさせ、夢中で食べ進めていた。
「美味しい?」
「はい!おいひいです!!」
まるでリスのように頬を膨らませながら、優しい獪岳は俺にもお裾分けとちらし寿司をアーンしてくれた。
人の食べ物は消化できないが、獪岳が喜んでいるならいいと拒絶する体を無視する。口に含んだ食べ物を飲み込んだふりをして、美味しいねと伝えると双眼を細めてにへりと笑ってくれた。
「ねぇねぇ童磨様!お餅食べていいですか?」
「うん、好きなだけお食べ!これは獪岳へのお祝いだからね」
お皿に笹を取り外した粽と柏餅を並べると獪岳はそれを突きモチモチしてると身を乗り出し声を弾ませていた。
獪岳がお餅に夢中になっている時を見計らい、口の中の食べ物を吐き出すためにそっと席を外すと厠へと向かう…うーん、やっぱり人間の食べ物はおいしいとかんじないなぁ。
口を洗い終え、喜ぶ顔を思い浮かべながら祭壇の間に戻るが、予想に反して獪岳は眉間に皺を寄せて舌を出していた。
「えっ!?どうしたの??」
「教祖様…そっ、それが」
「にぎゃい」
獪岳の手元に目をやるとそこには葉ごと齧られた柏餅があった。
「もしかして葉ごと食べたのかい?」
「だって…桜餅は葉っぱも美味しかったから」
以前のおでかけで食べた桜餅が印象に残っていたのだろう。柏の葉まで食べてしまった獪岳はキシキシすると葉っぱをペッペッ吐き出していた。あぁ、涙を浮かべてかわいそうに…。
「この葉は塩漬けしてないから食べられないんだよ」
「うぅぅ…」
「ほら、かしてごらん」
しょんぼりとした表情を浮かべて柏餅を渡す獪岳に柏の葉を剥いた餅を返す。
食べてごらんと声をかけても、苦い味を警戒してからか恐る恐る齧り付いた獪岳は目を丸くして無言で食べ続け、あっという間に柏餅はなくなった。
「どうだった?」
「んふふ、甘くてモチモチでした」
「気に入った?」
「はい!」
唇についた餡子をペロリと舐めながら、細長いちまきを大口で食らいモグモグと動かす。好物を堪能し尽くした獪岳の瞳は幸せそうに細められ、煌めいていた。
あぁ、やっぱりこの子の瞳は笑っている方が綺麗だな。出会った頃の記憶を思い出し、今の獪岳の姿と重ね、クスリと息を吐く。
「あっ、童磨さんまた笑いました?」
「さぁ、どうだろうね」
首を傾げる獪岳の頭からずれた兜をなおながら、信者に目配せを送る。察した信者は獪岳の手をとると外へと案内する。
遠くからどうしたの?と少し不安そうな声が耳に届くが、こんな天気のいい昼間には外に出られない…仕方なく俺は陽の光が入らない奥の間へと移動する。
「では開けますよ教祖様」
「うん、彼にもあれを見せてあげて」
俺の合図と共に外へ通じる襖が勢いよく開かれ、日光が室内に降り注ぐ。
「────っ!?眩しい」
光で眩んだ目を擦りながら縁側へと足を進め、慣れた目を徐々に開いていく。
「わぁぁぁ!魚が空を泳いでる!!!」
「あれは鯉のぼりというのですよ」
「鯉のぼり?」
「そう、出世の象徴である鯉を幟とし、男の子の健やかな成長を祝い、出世を願うという意味が込められています」
「あの色がいっぱいのは?」
「吹き流しは邪気を祓うという意味があります…御子様がこれからも元気に教祖様のような素敵なお方になれるようにと信者からの願いでございます」
「邪気?」
「悪いもののことですよ」
邪気の象徴でもある鬼の側にいておかしな話だと呆れつつ、陰からチラリと見える鯉のぼりと獪岳に目をやる。
獪岳は初めてみる光景を目に焼き付けるよう風に揺られ靡く鯉を縁側から見上げていた。残念なことに後ろ姿しか確認できない俺は獪岳がどんな顔をしているのかみることができない。
気に入ってくれたようだ…しばらくはぼんやりと彼の様子を観察していると、突然くるりとこちらを向き駆け寄ってきた。
「童磨様!」
おひさまの匂いを体に纏わせ、俺に抱きついてきた獪岳は『童磨様お耳を貸して』と手招きをする。
近くにいるんだからそのまま言えばいいと伝えるがいいからと急かされる。まぁ、獪岳の頼みとなると俺には断る理由はない。
膝をつき顔の位置を獪岳の顔の高さまで下がると、両手で輪っかを作った獪岳は俺の耳にあてる。
「童磨様あのね、夜になったらまた鯉のぼり見にきませんか?……二人で」
「────!うんうん、それはいい考えだね!いいよ、そうしようか」
「ほんと?やったぁ!!」
「どうされたのですか?お二人とも」
「「うーん、内緒♪」」
キョトンとする信者たちの顔を獪岳は悪戯っ子のような表情で見上げ、シーッと口に指をあてる。
それをされてしまうと信者たちは追求できなくなり、おやおやと皆がクスクス笑っていた。
「あれ?泳いでないですね」
「夜は風が弱いからねぇ」
信者たちが寝静まった頃、うとうとする獪岳をそっと起こして縁側に出る。雲一つない月夜だが、鯉は空を泳ぐことなく垂れ下がっていた。
「昼間に泳ぎすぎて眠ったんですかね」
「フフッ、そうかもしれないね」
「ねぇ、鯉さん!起きて!童磨様にも見てもらいたいの」
眼を擦りながら地面に降りると鯉の元に駆けてぴょんぴょんと跳ねていた。俺はバレぬように指に傷をつけ、フッと息を吹く。
獪岳の肺を傷つけぬように飛ばした粒子状の冷気を微弱な風に乗せ、鯉の位置で加速させると風を得た鯉は泳ぎだした。
「わぁ!鯉さんが起きた!!」
「獪岳がいい子だから答えてくれたんだね」
踊るように飛び跳ね、歓喜する獪岳はくちゅんと小さくくしゃみをする。
「大丈夫かい?夜は冷えるからね…ほらこっちにおいで」
手を広げると獪岳はパッと花を咲かせたようにはにかみ、俺の腕に飛び込んできた。
腕の中に抱き込むと羽織に包まる獪岳は空を見上げる。
「夜に泳ぐ鯉のぼりも綺麗ですね」
「そうだね」
「ねぇ、童磨様…また来年も一緒に鯉のぼりみれますか?」
「もちろん、それを獪岳が望むならね」
そろそろ戻ろうかと提案するがもう少しこうしていたいと獪岳は鯉を見上げる。
「甍の波と雲の波、重なる波の中空を、橘かおる朝風に、高く泳ぐや、鯉のぼり」
「それなんですか?」
「ん?信者たちが歌っていた鯉のぼりの歌だよ」
「歌…あの、もう一回歌ってもらっていいですか?」
「うん、いいよ」
月光に照らされた翡翠は俺を映してウトウトと揺れ始める。歌を最後まで歌い終わると獪岳は腕の中ですやすやと寝息を立てていた。
「おやすみ、いい夢を」
血鬼術を解除し、縁側に戻ると数人の信者がこっちを見ているのに気づく。
「おやおや、秘密がバレてしまったね」
「もっ、申し訳ありません」
「いやいや、構わないよ…でも、獪岳には黙っておいてあげておくれ。知ったらガッカリしそうだからね」
「かしこまりました」
「さぁ、君たちももうおやすみ…俺も獪岳を寝かせたら休むから」
「はい、おやすみなさいませ」
頭を下げた信者は各部屋に戻り、俺も獪岳を布団に連れて行く。眠る獪岳の頬を撫でお休みと挨拶をして俺は部屋を後にした。
「さてさて、今日はとても気分も天気もいいから秘蔵のあの子を喰らってしまおうか」
グルルルと鳴る腹を摩り、街で見つけた身籠もの稀血を狩りに外へ出る。
楽しみだなぁ、腹の中も女の子だったらいいな…やはり特別な日には特別なものを食べないとね!
足取りも軽快に山を下り、その晩村一つがまるまる地図から消える。小さな騒ぎになるも熊による被害と片付けられ、俺に救済された女たちは形だけの供養をされたとか…まぁ、そんなこと俺には関係のない話だが。
「童磨様!おはようございます」
「おはよう獪岳」
「見てください!俺何か変わってますか?」
「ん?どういうこと?」
くるくると回る彼をよく観察するが、特にこれといった変化はない。強いて言えば、少し寝癖がついているくらいだ。
「あれおかしいな…みんなにお祝いされたし身長とか伸びてないですか?」
「…………アハハハハッ!!」
「なっ、なんで笑うんですかぁ!!」
プリプリと怒り出した獪岳の頭を撫でながらそのままでいても君は可愛いよと褒めたが、余計に怒り出してしまった。
「それじゃあ俺は童磨様みたいになれないじゃないですか!!」
「えー、俺になるよりも獪岳は獪岳のままが可愛いのに」
「可愛いじゃなくて童磨様みたいにカッコ良くなりたいんです!!」
子供心というのは中々に難しい、宥めたつもりがお気に召さなかったようだ。
「俺みたいにねぇ……じゃあ、これはピッタリだったかな?」
「えっ?」
キョトンとする獪岳に綺麗な紐で縛った箱を手渡す。少し大きめのそれを開けていいかと尋ねてきた。
「いいも何も君への贈り物だ、俺だけ何も渡してなかったからね」
獪岳はペコリと頭を下げると丁寧に紐を解き、蓋を開けた。
「────!?これ…童磨様と」
「うん、お揃い!色は白色にしたけどね」
中身は俺の着ているものと色違いの衣服だ。
「ほら、着せてあげる」
固まる獪岳を引き寄せて袖や袴を通してベルトを締める。うん、身長や胴回りなども問題なさそうだ。
「ほら、とってもよく似合ってる」
「お揃い…ありがとう、童磨様大好き!!」
泣きながら笑い、獪岳は俺に勢いよく抱きついた。
「おやおや、笑いながら泣いている不思議な子だ」
わんわんと泣いているが悲しい時とは違うらしい本当にこの子は俺にいろんなことを教えてくれる。
「ほら、泣き止んで!信者たちにもお披露目してあげないと」
「うぅ、そうですね」
まだ泣き続けている獪岳の腕をひき、祭壇の間へと足をすすめる。
「あの、童磨様…俺勉強もお勤めももっともっと頑張っていつか童磨様のお役に立てるようになります…なのでえっと、これからもよろしくお願いします」
「うんうん、頼りにしているよ御子様」
ちょっぴり赤くなった目元を指でなぞり、意気込む獪岳へそう伝えると二人で襖を開き祭壇の間へと足を踏み入れた。
終わり