ナハトと真夜の話「これは百五十年年前の絵画だそうですよ」
ホテルのロビーに飾ってある絵画だ。なんとはなしに目に留めた絵画だった。口にして、然程興味もないだろうなと思っていたが、ナハトは私と同じく足を止めた。
画面を見て、それからキャプションを眺める。眉を寄せ、何かを思い出すように思案する。
「お知り合いの方ですか?」
「聞いたことがあるような、……ないような。いちいち覚えていない。ただこの絵画は見た気がする」
口元に手を当て、絵画を見つめる。記憶の糸を辿るナハトの表情を見ていると、ナハトを遠く感じる。共に歩み始めたばかりの私の人生にはないものだ。見えている世界が違うことはいつでも私を焦らせる。
私が綺麗だ、とただ思っただけのにこの人はそうではない。この絵画に対するひとつをとっても名のしれない一介の画家、作品群がナハトの中では思い出の一つなのだろう。この絵に向かった作者と言葉を交わし、物語がある。
しばらくしたあとナハトは絵画から目を外した。
「記憶違いかもしれない。見たことがあるような気がしたが」
そう肩を竦めて見せる。私の隣に立って、残念そうな表情に、自分も浮かばれなくなる気がした。
もう行こうと、ナハトが私の肩に触れる。後ろ髪を引かれるようにもう一度だけ絵画を見て、ふと思い出したことを口にしてみる。
「あの、もしかすると……修復がされたのでは? 経年劣化で色が落ち、絵の具が剥落すると修復することがままあるみたいですから。当時と印象が異なるのでしょう」
「ああ、……だから昔より良い気がしたのか」
「前より良いと思っていたんですか?」
「発色が良くなっている。彼から見た家族を描いた絵だ。展覧会に出したが受賞しなかった。展覧会の作品を選ぶような人間は彼の生活など気にも留めない。……というのもあるが、純粋にキャンバスが大きすぎるのもあったのだろうな」
「これだけ大きく書くということは家族が好きだったのですね」
「未亡人の女は魅力的に映るものだ」
「そうなんですか? あなたも?」
「俺の話はしてない」
参考:クロード・モネ「昼食」
大きなキャンバスに自分の視点から家族を描いた1枚。描かれたのは妻(バツイチかつ夫がいたときから恋していた)と息子。
長生きする吸血鬼は変化する美術品をどう思うのか書いた話