RE:CYBORGのラストって結局なんなん、って話004漫画も描き終わったので、駄文をちょっと。
創作意欲を掻き立てられるからと言って、大好きだからと言って、元作品は私が胸を張って人様におすすめし誇れるウェルメイドなのかと言うと必ずしもそうではないとしか言えないのがRE:CYBORG。
漫画を描くにあたってやたらと見直したラストのヴェネツィアの話をしたいと思います。
当該作品の監督の神山健治さんが「あのシーンは見た人が考えてくれればいいんですよ」とか仰ってますが。(コゼロのラストもそうなんだけど、神山さんその視聴者まかせにするのは悪い癖なのでは?と思わないことはない…まぁ、原作付きで原作者が故人となると、制約が大きいのでそういう事情もあるかもしれないけど、視聴者の求めるスッキリ感みたいなのはあまり満たして下さらない方という印象。好きなんだけどね、神山監督)
ラストのヴェネツィアと言えば廃墟と化しており、1mほど上昇した水位、歩ける水面、それを気にしたふうでもないフランソワーズ、人気の全くないサン・マルコ寺院付近。002の台詞に「ここは天国か?」という言葉がありますが、半分正解なのかも知れませんね。
三途の川的なものか、という意見もあるようで、私も最初はそうなのかな?と思ってたんですが、そうなるとフランソワーズとジョーの場所についてあまり説得力のある理由が思いつかない…。2・7・8はスキアヴォーニ河岸にいるけど、3と9は街中ですからね。
次に、天国…というかあの瞬間はヴェネツィア(にいるジョーとジェット、グレート、ピュンマ)が「神」から存在を返されてすぐで、画面そのものが彼ら失踪・消滅組の視界・認識(神の領域的なもの)だからかな?と考えました。ならば生存組(博士・1・3・4・5・6)とは見ているものが違うかも!水面に立っていると思わせておいて、現実世界では河岸に立っているんなら辻褄が合うぞ!
→まじラストのラストでジェットが水辺から大地に足を踏み込んだその瞬間にカメラが引き始め、それまでに人っ子一人存在しなかった周囲の一般市民達の姿も現れ始めて、廃墟と思われた部分もごく一部であることがわかりますが、2・7・8が立っていたあたりは\水没したまま/!
なんだとチキショーめ…なんの辻褄も合わんわ!
周囲の一般市民が現れることで、2・7・8は本当に現実世界に帰ってきた(≒生き返った)という暗喩だとは思うんだけど、まー…その直前までのことはあんまり説明出来ない。
そして私の思考を止めてしまう、博士の言葉を遮ってでもジェット君とお話したい4おじさん。困る。真面目に考えさせろ。可愛いから割り込んでくるんじゃない!ジェット君が帰ってきて嬉しいなおじさん!わかったよ!充分わかった!そこはわかったから、最後のこと考えさせて!知ってますかここ一瞬だけ2君と4の視線が交差するんですよ(思い込み)
結論:わからなくていいんかも知れんが、皆がその後、仲良く暮らしたことだけはわかる。そう、コゼロがあるからね。
納得の出来なさは、個人的には「超銀より全然マシ」です。
あと完全に私の偏見でしかないですが、押井監督がやるよりはまだ納得のいく部分は多い作品だと思うよ(私はイノセンスもこないだのルパン三世も、ストーリーは全く評価できない方の視聴者なので。原作エッセンスの保持を忖度と呼んで嫌がるなら原作付きの仕事をしないで欲しい)
余談ですが、ジェット君の「天国か?」
正しくは「おまえたちがいるってことは、天国か?」ですけども、ジェット君が「(自分以外の)仲間たちが召されるとすれば天国であろう」と考えているのがすこぶる内蔵を揺さぶるので、ここのジェット君が実のところ私のしんどさMAXジェット君でありました。
胃が痛くなるわ。ただ、あそこにいたのが004なら同じセリフを言ったかどうかあやしいな(おじさん死神だからね)