空を見るより俺を見ろ ふと目を覚ませば、先程まで腕の中ですやすやすと寝息を立てていたぬくもりが消えていた。
幸せボケをしていたかのようにぼうっとしていた頭をいきなりがつんと殴られたみたいにはっとなった。アッシュは飛び起きるように布団を蹴飛ばしてがばりと勢いよく起き上がる。
そのまま転がるようにベッドを抜け出せば、部屋の奥の大きな窓辺に、人影があった。
それはどたんばたんと騒がしい音を立てたこちらに驚くように振り向いて、目が合うと、男はきょとんとしたような表情と困惑した雰囲気をその身に纏って口を開いた。
「ど……どうしたの?」
「…………なんでもねぇよ」
チッ、と舌打ち混じりにアッシュはバツの悪そうに零し、がりがりと後頭部を掻く。
まさか、逃げられたと思って慌てただなんて馬鹿正直に言えるわけもない。
昨夜、縦にひょろ長い身体を縮込めて事あるごとにびくつくばかりだった男が、かつて見たこともないくらいに素直に甘えてきて、漸くこの男が己のものになったのだと実感とともにほっとして眠りについたというのに。それが全て泡沫のように消えてしまうような、夢の中の出来事であったのかと思って慌てただなんてもっと言えない。だからこれは、生涯アッシュの胸の中にしまうことになる。
「それより、なにしてやがる。そんなところで」
「ああ、うん。……もうすぐ、朝だなって思って……」
細長い白い指で小さく示すように窓の外を指す男に近づけば、既に夜の暗闇を太陽が押し上げるように顔を覗かせている途中で。自然が作る幻想的なグラデーションを空に描いている。
「……お前、眠りもせずにこんなもん見てたのかよ」
「こ、こんなもんって……綺麗だよ?」
「綺麗、ね……」
全然わからん、とアッシュは今一度外へと視線を投げた。
どの部屋よりも高いスイートルームは、調度品や広さやサービスやらと諸々至れり尽くせりではあるが、なによりもニューミリオンを一望できる夜景がこの部屋の一番の売りらしい。しかしアッシュには夜景を眺める趣味もなければ価値もわからなかった。
宝石みたいな夜景なんて貧乏人の発想でしかない。
夜景を宝石に例えたところで、夜景は夜景、宝石の輝きとは比ぶべくもない。
だから、夜明けが訪れる赤くなりはじめた空さえ同様だ。グレイの『綺麗』には共感もできない。そんなものを見るよりも、さっさとこの腕の中に舞い戻って惰眠を貪れと思う。
しかしそれをストレートに口にすることもできはしない。
どうやったら自身の願いどおりにことを運べるか考えていれば、グレイがぽつりと独り言みたいに漏らす。
「……アッシュの瞳、ずっと夕焼けみたいな色をしてるって思ってた……」
「あぁ?」
突然何を言い出すのかとぼさぼさの烏色の頭を見れば、その視線はぼうっとしているのか、それとも見惚れたように惚けているのか、窓の外から外されることはない。
「でも、……夜明けの色の空にも似てるんだね、と……思って……。夜が始まる前と、夜が終わる色に似てるなって気づいたら、なんだか……、目が離せなくなった……」
「……」
グレイの呟きに導かれるように、アッシュも今一度空を見る。
先程よりも太陽の位置が上がっていて、この空の色を見れるのは一瞬の出来事なのだろうと思った。
少し目を離した隙に光が強くなって、更に赤く色づいている。いや、最早黄金色に近い気もした。グレイはアッシュの瞳の色に似ていると口にしたけれど、これは己のそれというよりも――。
「――お前の方が似てるだろ」
「……え?」
ぽつりと零せば、驚いたようにグレイが振り向く。重い前髪に隠れたじとりとした瞳の黄金色。触れるように頬に指先を伸ばして軽く口付ければ、それはくるりと丸く大きくなって、その色を更にアッシュによく見せる。
「……空なんかに俺を重ねるな。本物が近くにあるだろうが」
「……」
「……ンだよ」
ぽかん、と呆気にとられたような顔をグレイがするものだから、恥ずかしいことを口走ったような気がする、とアッシュはこっそりと後悔した。誤魔化すようにわざと眉を顰めて凄むと、グレイはなにか言いたそうな顔をしながらも結局は口を開かずにふるふると首を振る。
それにふんと鼻を鳴らして、アッシュは男の細い手首を掴んだ。
もういい、これを口実にしてベッドの中に連れ戻してやる。