幽霊なんていない「アンタはいつも、右斜め上を見ているな」
書架整理をしていると、坂口先生は何もない空間に向かってボソリという。まるでそこに誰かいるような物草だったが、堪らず固まってしまった。
「いいか。仮に目があっても、絶対に知らんふりをするんだ。構ったら、気づかれちまったら終わり。怖いの好きじゃないだろう?」
私の肩にそっと触れて引き寄せたかと思うと、そのまま横へ並ぶ。そのまま背中を軽く押してくれたおかげで、なんとか足を動かすことができた。
「すみません、不快、でしたか…?」
「あぁ、悪い。別に他意はないさ。ただ、暑いからな。少しでも怪談話でもよ、っと」
「わたし、怖いのは嫌いですけど、霊感ないですよ」
「はは、そうかい。それは何よりだ。言っちゃなんだが、怖がっちゃダメだ。信じちゃダメだ」
冗談なのか本心なのか。子供に話しかけるような口調で。夏の暑さで熱った身体を一気に冷やすような、図星だった。
人と目が合わない。
よく言われる短所だった。自分では合わせているはずなのに、他人からするとあらぬ方向を向いていたり、それこそ右斜め上を見ていたりしているようだ。
そのせいか誠実に喋っているはずなのにどこか訝しげに見られたり、偉い人に諭されたりもする。さらに悪いところは、この癖は友人相手にもおこなってしまうのだ。
「そんなんで嫌いになるような奴なら、最初から友達じゃねーよ、それに」
坂口先生は笑いながらいう。それには同意したい。事実、私の友人は目線が泳いでいても指摘したことはない。
目的の本達は私の胸元にしっかりとあった。重そうに見えたのか、何冊か受け取ると一息つく。
「本の文字と目が合うなら、上出来だよ」
本当に目の合わないやつは、文字が読めない。文字に込められた意味も、表現も。誰かが伝えたい意図と、目が合わせられない。
それは相手に最初から嫌悪しているか、初めから受け入れることを拒否しているかはわからない。けれどもこれだけは言える。
「人間は攻撃ができる、幽霊よりもタチが悪い」
幽霊なんて、信じなければいいのだ。
幽霊なんて、この世にいないのだ。
けれども、私は生きている。
「アンタは、幽霊を信じるかい?」
少し触れた指先は、まるで氷のように冷たかった。けれども、私を凍らすことなどない。
相変わらず暑い廊下にうんざりしながら答えた。
「幽霊を信じたところで、会えませんから」
本当は冷たい手だっていいのだ。会えたのなら、なんだっていいのだ。