隊長は大根ではない「隊長!」
戦と戦の合間といえど、自らの部隊に訓練を休ませたことは一度もない。非常事態だからこそ日々のルーチンワークを崩してはならないし、むしろ普段通りであることが各員の精神衛生に寄与することにもなる。だから今日もストレッチ・走り込み・武器の組み立てから障害物訓練までをこなした後のわずかな休憩時間の際に、倒れ込んだ隊員から声が上がった。
「なんだ」
隊長の部隊は個々に求める能力が高いことで知られているが、無闇に厳しいわけではない。休憩中の歓談を咎めたことはないし、そこに自らが混ざることも往々にしてある。
「オロルンは次いつ来るのでありますか!?」
だから気軽な気持ちで返事をした自らを隊長は大変に悔やみ、思わずナタの故郷とは彩度の違う真っ青な晴空を仰いだ。
「――オロルンはファデュイではない。よってうちにはこない」
「えーやだやだ!」
「オロルンいないとやだ!」
「士気に関わります隊長!」
死屍累々と訓練場に転がっていた他のメンバーからも声が上がる。もう一歩も歩けませんといった風の雰囲気は演技だったようなので、次からは背負う重りを増やしてやろうと思う。
「オロルンに会いたいよー」
「大根サラダ食べたいよー」
「あなたの魂はなんというか、こう、ラズベリーの木のようだ、ってはにかまれたいよー」
じたじたと暴れるスネージナヤの精鋭たちを前に、隊長は長いため息を吐いた。本国に戻ったら全員対ハニートラップの研修をみっちり受けさせようと心に決める。ラズベリーの木ってめちゃくちゃうねってるじゃんか。
そもそもナタ人の身でありながら敵であるはずのファデュイを庇ったという時点で好感度がバグっているきらいはあった、と反省する。一体どんな切れ者なのか、と警戒していた彼らの前に出てきたのが純粋朴訥なあれであったことも。
高い背で精一杯「お前たちを見定める……」みたいな雰囲気を出しながら、全く無警戒に出された行動食を朝食べ、昼食べ、夜も食べて寝た。ひと口ごとに「これなんの味だろ」という顔で首を傾げているのを見て、スパイを疑っていた半数が「もしかして違うのかも……」になったのもよくなかった。
次の日も朝食を食べ、昼食を食べ、野生のコホラ竜となにやらむにゃむにゃと言葉を交わし、夕食も食べていた。その間特に駆け引きもなく素直に地脈の流れを教えてくれた。本人は駆け引きしようと頑張ってはいたが、いかんせん根の優しさが隠せていない。そもそも目指すものは同じなのだから腹芸をする必要すらない。
更に次の日の昼過ぎに昨日会話していたコホラ竜が大きな荷物を抱えてよちよちと近寄ってきた際にはすわ内通か、と平和ボケしていた部隊にもピリリと緊張が走ったが、オロルンが大慌てで荷物を解いて取り出したのは土まみれの、
「大根だ。うちの畑で採れたやつ」
この時点で隊の七割がオロルンたんマジ仙霊、みたいな表情を浮かべていたが、隊長はナタにおける総責任者であったので、どうにか普段通りの落ち着いた声音を絞り出すことに成功した。
「何故?」
「野菜が足りないと思って……」
一緒に包まれていたミツムシの燃素をお駄賃代わりに竜に含ませてやりながら、絶句している周囲になにを勘違いしたのかオロルンは慌てて言葉を重ねた。
「こ、これは僕の友人に頼んで包んでもらったやつで、謎煙の主の人間じゃないからシトラリにはバレてない……はず。あの子もイファのところで見かけたことがあっただけでうちの子じゃないし……」
しどろもどろに弁解する青年にさすがの執行官も二の句が継げなかった。別に黒曜石の老婆相手に誤魔化しきれると思っているのは彼だけだし、なんなら炎神にも動向は把握されている。それを念頭に二重三重に慎重を重ねているのをオロルンは気づいていなくて、ただ愛嬌だけで突破してきている。
――隊長はただ腕を上げるだけで炊事係を呼びつけて一緒に泥付き大根を洗ってやるよう指示を出した。自分の喉から猫撫で声を出さない自信がそろそろなくなりそうだったので。
細切りにしただけのシンプルなさっぱり大根サラダを口に運んだ瞬間「必須栄養素の味がする」と泣き叫んだ隊員たちにひとしきり慄いた後、オロルンは持ち前の献身さで行きずりのスネージナヤ人たちの食事改善を心に決めたようだった。
基本的にファデュイの備品は本国の輸送に頼っていて、それでは生野菜などの新鮮な食べ物を得るのは難しい。現地調達も禁止されてはいないものの、愉快な同僚たちの仕事ぶりのおかげで他国の人間が向ける眼差しは本国の吹雪のように冷たかった。野生で食べれそうな食材も穀物や豆類ばかりで、栄養が偏るのは致し方ない。
オロルンはせっせと自分の畑から大根だの人参だのを持ち込み、グレインの実を粉にして作る薄焼きパンのレシピを炊事係に教えた。エンバーコアフラワーにとても甘い蜜が蓄えられていること、スピネルの実は透き通った宝石のようなものがよく熟しているということも。
生まれたときからこういう性根だったから愛されたのか、罪悪感から愛されてきた経験が愛されやすい青年をかたちづくったのか。謎煙の主でもない一般人に魂のかたちなどわからないが、誰もが庇ってやりたくなる人となりをしている。
つまり、心と胃と脳をぎっちり掴まれてしまったファデュイ隊長部隊は、一人の英雄の前にあっけなく瓦解したのである。
「オロルンに会いたいよう」
「この前輸送貨物に入ってた猪肉で一緒にタタコスしたいよう」
「なに挟んでも美味い」
「今夜タタコスにしない?」
休憩時間目いっぱいまで駄々を捏ねることにしたらしい隊員を一瞥し、まあ彼らの言葉は無視するにしても一度こちらから出向くくらいはしなければと隊長は思い直した。不幸中の幸いで古名ゲットからの覚醒に至ったとはいえ、オロルンの魂が砕けかけたのは一重に隊長の監督不行き届きである。あれから大きな戦争を挟んでしまい有耶無耶になってしまったが、見舞いのひとつでも持っていってやらねば。
「てか暑いよね」
「しんどい」
「オロルン見えてきた」
よくも騒ぐ部下達である。そもそも一番最初にオロルンにガタガタにメロついたのは他でもない隊長なのだ。五百年もの研鑽によって人を見る目の確かさを自負している彼は、闘技場での会話を通して彼の清廉さもいたいけさもとっくに見抜けていたのだから。自分より大きい数字のファンクラブ会員にごちゃごちゃ言われる筋合いはない。
そろそろ元気になってきたようなのでもう二周追加できるな、と口を開こうとした隊長は、そのまま目を疑った。何故って隊長にも見えたから。オロルンが。
「はあ、――やっぱりここにいたんだな。会えてよかった」
大荷物を背負って小高い丘を登ってきたくらいで息を切らしているオロルンは、やはりファデュイには向いていない。それがいいという意見には積極的に耳を傾ける。
何故居場所がバレているのか、という重大な懸念には目を瞑り、隊長は彼を歓迎した。目立った怪我もなく、精神面でも安定している。古名に選ばれたことはむしろ彼の精神衛生に寄与したらしい。
「訓練はもう終わったのか? 隣のばあちゃんから僕がお世話になったからっていろいろ持たされて」
「彼らにはあと二周残っているが問題ない。お前がきて大層張り切るだろう」
途端ゲエーと悲鳴が上がったが、それはきちんと訓練されてきた兵士の賜物、ちゃんと立ち上がって隊列を組んで走り出した。様子を見てプラス一周してもいいだろう。
天幕の側までよっこらしょと荷物を運んだオロルンがせっせと荷解きを始める。これはうちで育てたミツムシの蜜、これは仲良しのばあちゃんが持たせてくれたキノコの炒め物、きちんと軽い荷物を上に重いものを下にしていてえらい。
それらをぽいぽいと隊長に渡し、オロルンはよいしょと声を出して底のアイテムを引っ張り出した。ひとつやふたつではない、何本もごろごろと。
「隊長、だいこん」
……それはつまりファトゥス一位の隊長が大根だと言いたいのだろうか。ずっしりしていてまっすぐってそういう? 隊長の脳裏には一瞬のうちにさまざまな思いが閃いたが、オロルンがなんだか自慢げなので全てを頭の外に放り出した。今日は家で洗ってきたらしい大根の白い表面はよく肥えていて、愛情と手間暇がかけられていることがよくわかる。
さすがだな、と艶々の髪を撫でくりまわしたい衝動をなんとか抑え、隊長は二度咳払いをした。ともかくオロルンは隊長のことを冷徹で生真面目な頼れる年上だと認識しているのだし、若者の夢は守護らねばならない。
「――オロルン、」