4期伏魔殿(瑠茉・玲嵐・フォリオ)「義姉さま、少しお話をしてもいいかしら」
玲嵐が切り出したのは、これからひとりの小さな公主を救い出すところだった。
蘇門領黒陽宮と呼ばれる監獄にたどり着くのはもうしばらくかかる。
涼華領仙宇航毒殺未遂の嫌疑をかけられ、中央で尋問を受けた末に蘇門監視下に置かれることになった小さなスズラン公主風花──急がねば命が危うい。
疑惑が真実であれば、玲嵐と瑠茉のすることは反逆にあたるが、ふたりにはすでに真実が霓公主朱鳥より届けられていた。
霓公主は国主の実妹であり、毒に関してスズラン公主の特異性を保証した国家最高の叡智であるセッカ・スイレン夫人の後ろ盾を得ていた。スズラン公主を救うことは国家の指針に背くことではない。
朱鳥はすでに蘇門の──いや、代理執政をはじめた炯然王潤天に追われスズラン公主の解放に向かうことができない。2人に救出を託したのだ。
「私は聞かない方がいいでしょうか」
瑠茉の隣についていた少女が控えめに声を挟んでくる。
彼女の姪、アルテファリタ執政官の娘のフォリオだった。帯刀し2人の妃を護衛する立場であるのは明白だったが、3人の中では一番若かった。
「構わないわ。聞いてもよく分からないかもしれないし」
「何の話?」
瑠茉が首をかしげると玲嵐は即答した。
「旦那さまの話」
フォリオは2人の共通の夫である先代国主のことだとすぐ理解し、聞いても分からないと言った意味も理解した。フォリオは先代国主が身罷った後に生まれ、その姿を見たことはない。
知識でしか叔母の夫──つまり叔父を知らない。
長寿である花守山民、その歴代国主の中でも最長の在位期間を誇った先代国主の妃は58名
玲嵐はその「60人目」の妃に内定していたが、正式に妃の位を得る前に夫を亡くした。
よって正史において玲嵐は「ナズナ公主」──国主の婚約者であり、歴史書においては「ナズナ妃」──国主の妃である。
フォリオは玲嵐が先代国主を「旦那さま」と呼ぶ時、それは愛する人を呼ぶ言葉ではなく、玲嵐自身の意味を探るような言葉に聞こえた。
「私が真っ白な花の妖精になれていたのなら、旦那さまは私をすぐに妃にして下さったと思う?」
玲嵐は瑠茉を見ていたが、自分の投げかけた質問に自分で迷いを感じてか視線を馬車の外へ投げた。
朝もやの中、道を行く農夫が頭を下げ、子供が珍しい馬車を呆けた顔で見つめている。
「宮中にはいろんな順序があるし、あなたが黒曜色の妖精になったのは、ナズナのせいではなくてよ」
アワブキは身を乗り出して向かいの玲嵐の手に自身の手を重ねた。
フォリオは先代国主の『花の姉妹』たちの会話を、黙って聞いていた。
黒曜色の妖精は花守山の歴史、時代の終わりに稀に現れる神託の形だと記憶していた。
そもそも花の妖精というものはすべて白い。
遠い昔は黒は不吉だとされ、黒曜色の妖精は授けられると共に廃位、世情が悪い時は全ての災厄の根源とされ隔離されたとも言われる。皮肉にも隔離先として作られたのがこれから向かう黒陽宮だった。
「私が旦那さまの治世の終わりを告げてしまったのなら、私は恨まれていたのかな」
「あの時の主上は、もう誰も見えていなかったから、誰かを特別に思うことなんかできなかったわ。あなただけではなく、全ての妃も、子も、人民たちも……もう主上の中にはいなかった」
瑠茉ははじめて握りしめた小刀の輪郭を思い出し手をぎゅっと握りしめた。
刃は主上を脅かす者には届かず、はねのけられて何の助太刀もできなかった。
だがその刃で主上の命を狩ろうとするものを傷つけて彼を守ろうと決意した時点で、自分は穢れ落ちをしたのだと瑠茉自身は思っている。
「だからねぇ……あなたは公主のまま、嫁入り修行をしていた段階で良かったのよぉ。あなたはまだお手つきナシ、どんな殿方のところへも胸を張って嫁入りできるのだから。それはあの時後宮取締役であった私が証言してあげてよ」
「旦那さまのことはよく知らないままだわ。だけど私はアワブキお姉さまが信じた方だから、信じていたいと思う。本当はお姉さまから旦那さまの話を聞きたいと思った。だけど……」
「だけど?」
「お姉さまは、お話したくないのね」
玲嵐の言葉に瑠茉はやんわりと微笑んだ。
「そうね。私が愛したひとであって、あなたが思い出話を聞いて無理に愛さなくてもいい人だわ。共有する夫がいると面倒よね。私は、私だけが見えていたあのひとの姿を永遠に愛していたい。欲張りな言い方をすると、私だけの旦那さまをとっておきたいのよ」
玲嵐はうん、と一度頷いてから「でも共有していいことは聞きたい」と言って笑ってみせた。
「そうすることで、私はお姉さまたちと繋がっていられる気がするもの」
瑠茉もそれには大きく頷いて応えた。
「ちなみに私の読んだ書物によれば、先代国主潤典は、国主の在位期間について設定をする最初の議論のきっかけとなったとあります」
フォリオは読み漁った数々の書物から、先代国主の情報を並べ出した。
「先代国妃クチナシ妃の日記によると、飴をこよなく愛されたと言われています。祝い事があると、国妃臣下問わず後宮に手づから配って歩いたとか」
「やだぁもうそんな暴露が本にされているのぉ? クチナシ妃は節操がなくてよ。国主の話はよく売れるから年金の足しにしようと思ってるのね。んもぉ、品がないったら。まぁ嘘を言っているわけじゃあないから問題ないけどぉ」
「飴……」
もらったことがない、と少ししょぼんとした玲嵐に、瑠茉は「私が代わりに配ったでしょぉ、あの飴よぉ」と即時補足した。
「主上が亡くなる5年ほど前からは、お祝い事の飴は私が代わりに配っていたのよ。勝手にやっていた訳ではなくてよ、ちゃあんと、主上からお命じ頂いてやっていてよ」
「旦那さまから…」
玲嵐はどこかほっとしたような笑顔をみせた。
瑠茉はその内情についてまで語ることはせず、ただ玲嵐の笑顔に応えて微笑んだ。
後宮での輝かしい記憶を自ら汚すようなことは主上に対しての無礼にあたる。
国主の渡りが少なくなり孤立していく花園。
小さな無礼を理由に、里に返されていく妃たち。
見送るしかない者たちもいた。玲嵐もまたそのひとりだった。瑠茉もまた蘇門に帰ることはできない立場だった。
この場所を最期まで守らなければいけない。いつでも心を取り戻したあの人が帰ってこれる場所にしておかねばならない。瑠茉は行動をし続けたが、最期まで国主は後宮には帰ってこなかった。
でもそれでもいいのだと、瑠茉は思う。
夫が霊木に心と身体を蝕まれていなければ、本来あったであろう後宮の姿を維持できたのならば、それが彼へ贈る愛のかたちなのだから。
落ち込む後宮の妃や公主たちのために、どうぞかつての日々のように、主上より飴を下賜くださいと願い出た時、瑠茉はその飴の数だけ水を被るようにと命じられた。
運ばれる水桶から水をかぶり続けた。季節は冬だったにも関わらず、水を浴び続ける妻の姿を見下ろして、国主は表情ひとつも変えなかった。弱音を吐くことを期待していたのかもしれない。成し遂げられずに後宮から追い出す理由にしたかったのだろう。
「そうね、あの飴は甘くて、幸せな記憶として覚えてる」
「そろそろ黒陽宮です。お支度を」
フォリオの言葉に2人は深く頷いた。
瑠茉が黒陽宮の獄卒を先導につけて進むのをフォリオは注意深く警戒しながら追随した。
花守山の民は花と茶と日光で生きる。
よって陽の光を絶たれ、食事を止めてしまえば枯れるように死んでしまう。
ここはそれを成立させる地獄の回廊宮殿だった。
地下に向かって螺旋状に伸びる建築は他になく珍しい。地下にある部屋ほど日の光から遠のき、罪状ごとに投げ込まれる暗闇の度合いが異なると言われていた。
「──アワブキ夫人とナズナ公主に足を運んで頂くような場所ではないのですが」
「国主代理の炯然王直々のご命令です。スズラン公主が犯した罪を告白しやすいようにわざわざ同じ立場の公主を選んだのです。炯然王の慈悲深さを感じますわね」
瑠茉は捏造した訪問理由を淀みなく伝えたが、玲嵐は打ち合わせ通りだとしても思わず引きつってしまった。
「は……はじめての場所ですが、スズラン公主の刑が少しでも軽くなるために尽力しに来たのです」
玲嵐も合わせて続けると獄卒は疑いなく頷いた。
「ここ黒陽宮は政治犯や貴人の幽閉に使われております。罪を改めるための重要な離宮なのです」
改めざる得ないように仕向ける場所なのだろうということは3人共理解している。
物は言いようだ。
小さな部屋が続き部屋になり地下へと続いている。
地上階部屋は日の光が多く差し込むが、それでも命を繋ぐには心もとない量しか差し込まない。続き部屋には食事が用意されるが、隣の部屋に移れば元の部屋には戻れないようになっていた。
そしてその続き部屋は元の部屋より差し込む光の量も、食事の量も減る構造だ。
地下へ地下へと罪人は自らの意志で、日の光が届かない場所へ身を落としていく。
60ある続き部屋、最後の部屋はまっすぐ地下水脈へと繋がっている。
飛び降りて死ぬか、餓死するか、罪を改めるかを選ぶことになる。
震え上がるような恐怖を説明を聞きながら3人はそれを、まだ幼いスズラン公主が耐えられるのか不安で仕方がなかったし、フォリオに至っては残酷な仕打ちを今も受けている友人を思い刀に手をかけて獄卒を切り捨ててしまいそうな勢いだった。
フォリオの震える手を隠すようにして玲嵐がぎゅっと腕を引く。
進む通路は眩しいほどに日が差し込んでいるというのに、壁の1枚向こうには地獄が存在する。
獄卒が牢の鍵を開けた瞬間が、唯一のチャンスだった。
獄卒を張り倒し中に入り、スズラン公主を救い黒陽宮を出る。
天馬の子である玲嵐の足なら、隠れ家まで走り切ることもできるだろう。
一歩一歩緩やかな傾斜の廊下を進む度にフォリオは胸を締め付けられるような思いになった。
翠雲殿でいつもと変わらない朝を迎え、起きれば味も分からないだろうにサンドイッチとコーヒーを毎朝出してくれた小さな公主。
フォリオからすれば神経質でプライドの高い彼女の父親、翠雲王白鳳とは対照的な存在だった。ふたりが並んで暮らす翠雲殿がフォリオは好きだった。永遠にその景色は変わらないままだと思っていたのに。
風花が父親を愛しているのはフォリオも知っている。彼が国主として役割を果たせる実力があることも認めている。だが白鳳本人が国主の座を退けていたし、風花もそれを把握していたはずだ。
風花がそれを惜しいと思う気持ちがあるのも側で見ていて分かっていた。誰かが風花の思いを焚き付けて利用したのだ。
考えられるのは──潤天、自分の立場を脅かす兄を退けるために計らったに違いない。
────考えたくない
フォリオは自分の意志で続きを遮ったが、獄卒の足が止まったことで外部からも意識を切り替えさせられた。
「こちらになります」
鉄の鍵が重い鍵穴に差し込まれがちゃりと音を立てた瞬間、フォリオは後ろから護衛のつもりで追随していた獄卒の急所へ鋭く一撃を入れた。
獄卒に預けていた剣を奪うと柄でもう一撃急所へ一撃を叩き込み昏倒させる。
あまりの早業にアワブキは思わず「んまぁ」と間延びした声を上げてしまったが、フォリオはそのまま先導した獄卒へ全身を使って突き倒し膝でみぞおちに一撃を咥えて昏倒させた。
その時間1分も必要とせず、少しだけフォリオの眼鏡が鼻の下にずれて落ちただけだった。
手袋をはめた手でその眼鏡を上げ、フォリオはいつもどおりに瑠茉と玲嵐へ微笑みかけた。
「おふたりとも怪我は」
「ある訳がないわ」
玲嵐が瞬時応えて、すぐに戸を押し開けようとしたが重い。2人で押し開けると、そこには誰もいなかったが、隣の部屋からか細い声が聞こえる。
すぐに玲嵐が乗り込みスズラン公主を抱き上げ、フォリオが状況を判断する。
父親が医学博士であるフォリオには、衰弱した少女の状態を見極めることくらい容易だった。
外傷はほぼないが、熱を感じる。
毒草が混じり合った香りが鼻を掠める。腕には何箇所か注射を受けたような跡、苦しみから自らの体をかきむしっただろう跡も見られた。
管理された牢獄に毒草が生えるわけがない。度々健康診断と銘打って医師が出入りしていたと聞いたが、スズラン公主の特異体質である中和の実験をするために人体実験をされたに違いなかった。
「すぐ地上へ出ましょう」
「ここまでの道は把握したから私の背に乗って」
玲嵐が廊下へ出て馬の姿に変化する。瑠茉がスズラン公主を抱いて上がると、鐘が鳴り響いた。
スズラン公主の救出がもうばれたのだ。
「早いな」
「案内人2人はまだここで惰眠を貪っていてよ? 誰か別の手配があったわね」
「玲嵐の定員は1名です。叔母様は先に合流地点へ、風花を頼みます!」
「フォリオは!」
「3人を獄卒に追わせはしません」
時間は無駄にできないとフォリオは玲嵐の尻を叩き、自分は獄卒2人を牢に投げ込み鍵を掛け剣を抜いた。来た道を遡り地上へと歩いていく。
フォリオは風花さえ救出できれば花守山の『真の反逆者たち』に捕縛されてもいいと考えていた。
おそらく兄も同じ様にそのもの達に捕まっているに違いないのだから。
そしてここで残ることで、一番勝率が高いのも自分だとフォリオは自負していた。
剣を持ったことがないお姫様やお妃様には流血沙汰を見てほしくもない。
「止まれ───ひとり残るとは、異国の地で大した覚悟だなアルテファリタのフォリオ」
知らぬ声だったが、フォリオは指示に応え足を止めた。
訛りのないアルテファリタ語だ。
「人の名前を呼んだ後には、きちんと自己紹介をしろ。どこの燃えカスだ」
「公式の自己紹介はそういえばしたことがなかったな。──はじめてお目にかかる。私は蘇門継子伯善、あなたの兄の行方を知る者、そして冬清王殿下の意志を地上に満たす者だ」