長春色の頬を追いかけて「奉、シロバラ公主との婚約内定が決まりました」
先触れが母、水連が直接足を運び伝えると伝えた時から郭奉はあの件だと構えていた。
寝台に横になったままである非礼を侘びながら、郭奉は略式の礼をとった。
「お母上様におかれては、第一女王の容家入リ内定をお喜び申し上げます」
郭奉の部屋は、異様な明るさがあった。
色鮮やかな色彩の天井画、無数に下がるガラス細工たちが七色の影を部屋に落としている。
精緻な刺繍のされた鳥や草花から、ガラス玉やきれいな房飾りがついて下がっていて、窓から優しく駆け込んでくる風がそれらを揺らし、時には風鈴のように繊細な音を立てて部屋を駆け抜けた。病弱のため容領から出たことが数えるほどしかない郭奉のために、母である水連をはじめとして唯一の友人彩師星彩、親族たちが花守山各地から集めてくれたお守りたちだった。魔除けであったり病気平癒のまじない飾りであったり様々だ。部屋は薬草と、郭奉の趣味の絵につかう絵炭の香りが満ちていた。
「どうか婚儀まで、身体を労っておくれ」
「公主をすぐに寡婦にはできません、ご安心下さい」
横になったままで説得力がありませんね、と痩せ気味の頬をあげると水連は優しく微笑んだ。
「容家は先代に続き、今代も国主直系の第一女王をお預かりする名誉ある家系となりました。シロバラ公主は丈夫な涼華の血筋です。僕がこのように脆弱であっても必ず立派な継子を容家にもたらして下さるに違いありません」
宝石の盃を掲げるようにして、郭奉は母親の白い手を両手でそっと包んだ。
「お父上様も、お母上様をお迎えが決まった時、僕と同じように命ある限りお守りしようと決意に満ちたのではないかと思います」
「このまま容家が国主一族に寄り添う名家で有り続けられるように、私も尽くしますよ」
水連は嬉しそうに息子の言葉に応えて、侍女に持たせていた鉢を前へ出した。
「宇航殿から内定のお祝いを頂いていますよ、さすがに耳が早いですね」
「これは、貴重な蘭ではありませんか……」
「宇航は正しい政治家です。決して涼華だけの未来を見る領仙ではありません。シロバラ公主が容家に嫁ぐことが、国としての結束を高める上で大切なことをよく分かっているのでしょう」
「ですが星彩もシロバラ公主を獲得しようとしていたはずです。僕はうまく彼と関係を続けられるでしょうか」
「気付いていないのは奉だけですよ。彩師はお前の幸せを願ってくれています。またいつものようにひょっこりその窓から入ってきて、涼華の薬草と山程の花を置いてあなたを守護して下さいますよ」
「僕はシロバラ公主の第一臣下として、夫として、お父上のようにお母上様を崇拝しお支えできる男であろうと思います」
「難しいことはいまは考えずでいいのです、ふたりで幸せにおなりなさい。理解を深め合うことが第一ですよ」
水連は負担をかけないように報告だけに済ませて、薬湯を置いて部屋を出た。
鳳国主は国妃をひとりしか置かない。
利点もあったが、不利もあった。
産める子供の数は限られてくる。これまで血縁・姻戚関係において強固な結束を結んでいた花守山の領仙達は危殆に瀕していた。
涼華領は国妃シラユリの母が領仙宇航の妹であることから、機先を制し安泰であったし、冬清王事件から現在にいたるまでの国難に対して真摯に尽くし忠義の領地として確固たる立場を得ているが、多くの領地はアシュタルとの交戦、霊木の弱体化による疲弊していて、中央との繋がりが必要だった。
第一王は早く隠遁し、第二王が立太子された現在、直系女子として宮中に残されていたのはシロバラ公主苺果だけだった。
アシュタルは国主の妹が宰相として着任し良好な関係を得ているため、外交手段として使うならばアルテファリタと囁かれ、推測はされていた。そこでアルテファリタへの留学が決まった時に、多くの領仙たちは国主の意志が決まったのだろうと判断し落胆し、国妃シラユリには早急に次の子供を授かる必要性があると声を上げはじめた。
諸侯たちへ委曲を尽くす必要がある。
国妃への集中する視線を散らすためにも、宇航は公主の国内降嫁を提案した。
「主上にシロバラ公主を諸外国で消費するご意思はない。今は国内の結束を高めることが最重要であると認識しておられる。我々を慮っておられる。公主留学までの間、諸侯がこれと決めた男子と公主との面会をお許しになるとのこと、皆々様、ご選出あれ」
何もしないままであれば、未婚の涼華継子である星彩に降嫁するであろう流れは言われずとも分かることだった。
宇航は諸侯の中でも、水連が動くことを願い顔色を窺っている。
容領は血統性でいえば国主に継ぐ名家である。セッカである水連を有し、茶の産地として群を抜いている。
規模だけでいうならば花守山から独立することも可能な地域である。容領の忠誠を確固たるものにするためにも、公主の降嫁先としてはもっとも理想的だった。
「蘇門はテンテンがうまく扱うかな」
星彩が花酒を唇に満たしながら兄へ問うた。テンテンとは、王太子潤天のことである。
不敬だが宇航は視線だけで流した。
「伯善とうまくやっているよ。伯善は本当に優秀だ。潤越の描いた未来に対して深い理解を持っているから」
「欲を出して苺果にも手を打ってくるかと思ったけど……今のところ蘇門継子と苺果を合わせる様子はないなぁ」
「さすがに今、蘇門が欲を張れる情勢ではない」
「まぁ苺果は聞き分けのいい子だから自由恋愛より政治で選んだ相手を受け入れるだろうけど、両親が恋愛結婚だっていうのを考えるとちょっと不憫かね」
「お前がそんなことを言うなんてね」
宇航は弟の心配に目を丸くして、それから気持ちは理解した。
「今は政略が必要だ。シロバラ公主も分かって下さる。恨むなら私を恨んでいただこう」
「ヨッ涼華天下!宰相宇航様」
「茶化すな。つかぬ間の栄誉だ。私達は国難を切り抜けるために時代に選ばれただけのことだ」
「テンテンの時代になったらどうする?」
「まだ私が領仙をしているだろうけど、年は取るだろうしいいところでお前に交代すれば自然と中央とはいい距離になるよ。蘇門が涼華をねちっこく敵視さえしなければね」
「テンテンが涼華を恨むような遷移を作らないようにがんばれってことね、了解」
「万が一のときのために、蓄えはしなくてはいけないけれどね。反乱を起こすつもりだと勘ぐられても困るから、うまく動かなくてはね」
「そういう時に敵に回られると困るのは背中を預けてる容領だよなぁ。容家はどう動くかな。俺は動いてほしくてハッパはかけたんだけどね」
「お前は少し露骨すぎるところがあるからな」
「いや、郭奉がその気になれば、苺果とはいい感じになると思うんだけどな、お互いのためになるっていうの?──ふたりとも、俺は平穏に生きて欲しい同士だからくっついてくれてると何かあったときまとめて済むし」
「そういう理由でひとまとめにするものではないよ。お前にとって大切だというのは分かったけれどね」
盃を傾けきって、目線で近づく影に対して示唆をする。侍女を携えて宴の席を横切ってきたのは、水連だった。
現在花守山宮中において、国妃に次いで発言力のある夫人に対して、宴に集まっていた諸侯は拱手礼をして対峙した。
夫人は迷わず涼華兄弟の元へと向かってきた。
「郭奉が久しぶりに宮中に上がります。不慣れも多い身ゆえに彩師ご同伴頂けますか」
宇航と星彩の前、諸侯も多い宴の席で水連が政治的な行動を示すことには意味がある。涼華を通して苺果に会おうとするということは、涼華を牽制する意味もあるだろうが、国の安寧を願っているという示唆他ならなかい。
宇航は心から安心した。星彩もまた同じ気持ちだった。
「喜んでご案内差し上げます容夫人」
それは郭奉とシロバラ公主が出会った最初の庭の日だった。
「お兄様、何を見ておられるのですか」
郭奉が両手に抱えた皿を見ているので、妹の露花は皿を覗き込んだ。世にも珍しい花がそこに置かれているわけでもなく、そこにあったのは子供の落書きだった。
「絵付け皿ですか」
「君の未来の姉上様がお描きになったものだよ」
「独創的な狸ですね~」
「シロバラ公主としては猫だそうだよ」
何かを思い出したようで笑う兄を、露花は嬉しそうに見上げた。
露花はまだ未成年であったのでシロバラ公主に謁見する立場にないため昨日行幸しにきた公主に挨拶をすることが叶わなかった。窓の隙間からでも一目と思ったのだが侍女たちに食い止められてしまった。アシュタルの血が混じっていて羽が生えているそうなのでどれだけ恐ろしい生き物なのか気になったのだが、絵をみてその気持ちはすっかり薄れてしまった。
「公主様は容を楽しんでいってくれましたか」
「あぁ、僕の絵を褒めてくれたよ。君のように薔薇色の頬をしていて、とても小さいよ」
小さな宝物について語るように、郭奉が言葉を選ぶ姿は水連の美しさを形容する時の父親と似ていた。
「容家に入られる日が、とてもとても楽しみですね。早くご挨拶できるように露花も大きくならないといけません」
「アルテファリタに留学をなさるそうだから、留学を終えられたら容家に入られるよ。お迎えに伺えるように少しでも身体をよくしておかねばならない」
「そうですか……アルテファリタに…じゃあ、出立前に留学先でお使い頂けるようにクッションカバーを刺繍します。お兄様は茶器の絵付けをしたものをお渡しになったら? お側で公主様の健康と良き日々をお守りできるように」
露花が嬉しそうに微笑むので、郭奉は冷たい指先で優しく髪を撫でてやった。
残念ながら露花はシロバラ公主と顔を合わすことはなく世を去ったが、刺繍をしたカバーは郭奉の手に残された。
妹が結婚の日を祝って誂えてくれたものであるから、嫁入りを済ませたあとに、歓迎の気持ちがあることを示すためにお渡ししようと誓い涙を飲んだ。
容家が明るく元気な娘を失って、ひどく暗い空気になっていた時、慰めになったのは翠雲王の娘であるスズラン公主風花だった。
小柄な公主は使者として容家に度々訪れ、シロバラ公主がアルテファリタから寄せる手紙や、薬学に通じた翠雲王の煎じた薬湯などを持って見舞ってくれた。
時には得意な歌と舞踊を披露して容家を明るくしてくれた。
彼女は生まれも育ちも中央でシロバラ公主のこともよく知っていたので、郭奉は使いにくると特別なお茶を振る舞い小遣い代わりにして、婚約者の話を聞かせてもらった。
人づてに聞く婚約者は両親に愛され、兄弟にも愛された公主であることを教えてくれた。粗末な扱いをすれば容家の未来は閉ざされるだろう。
「あと、面白いのはね、苺果はお耳がなが~いの、草原地帯にいっぱいいる兎みたいなお耳してるよ」
「うさぎ…ですか」
「そう。ぷにゅーってしてる。帰ってきたら触らせてもらったらいいよ。かわいいんだよ」
伴侶の契りを経て、許可を頂けたらと慌てると、スズラン公主はあなたすてきな人、と優しく笑った。
好きな食べ物、好きな織物、好きな色、聞けることはスズラン公主から聞いた。
「独創的な絵を描かれますよ」と話しの流れで伝えると、スズラン公主ははじめて聞いた話だと言っていた。絵皿を見せると、腹を抱えて笑っていた。
見せなかった方がよかったのかもしれないが、郭奉は気に入っていて複写して絵皿の他にも香皿や茶器にも仕立てていた。
年も近い公主同士でも知らないことがあって、その欠片を自身が知っていることに郭奉は少しだけ嬉しかった。
「近いうちに翠雲王にもご挨拶にお伺いしたい。近く義兄上となられる御方に薬湯の処方頂くなど礼に尽くせません」
「今度一緒に伺います。郭奉様はお茶を淹れるのもお上手だから、父様にも飲んでもらいたいし」
「宮殿を離れても大丈夫なのですか」
「うん、だって父様は自由だから」
郭奉はスズラン公主に素敵な人だと言われてむず痒い気持ちになったが、その言葉をそのまま返そうと思った。花の妖精を与えられる女性たちは皆、炳としてほがらかだ。
「シロバラ公主にも、我が容にあってそのようにあって欲しい」
スズラン公主は一度だけ大きく頷いて、そうあって欲しいと微笑んだ。