ジンクスは出来てしまうもの【ジンクスは出来てしまうもの】
「俺の顔を見る度にみんながアーネストを知らねえかっていうんだよ。俺とアイツはセットか?」
「……セットなんじゃないかな。僕も、ヘミングウェイさんを見たら君を、フィッツジェラルドさんを知らない? って聞いちゃうよ」
帝国図書館本館の書庫にて、徳田秋声は本の整頓をしていた。今日の秋声は本館当番なのだ。暇そうに話を振ったのはスコット・フィッツジェラルドである。
フィッツジェラルドはアーネスト・ヘミングウェイについて聞かれることを嫌がっているようだったが、秋声はそれを仕方がないとは思う。
人づきあいには距離感があるのだ。秋声はブックトラックに乗せた本を一つ一つ返していく。フィッツジェラルドは適当に本を取る。
「アイツは檀や井伏と釣りに行って一泊してたんだよ。で、今日は魚デーだぜ。兄弟」
「魚が食卓に並ぶんだね。料理長がおやすみだし、カレーが出なくていいとは……ラヴクラフトさんが食べるものがない」
秋声は魚を食べられるが魚介類がほとんど食べられないハワード・フィリップス・ラヴクラフトは大変そうだとなる。
カレーについて気にするのは料理長は週に二回休みを取るのだが、
「兄弟。アンタも大概、面倒見がいいよな。この図書館に来た時に文豪の中でもアンタの顔はまず覚えろって言われたし」
ヘミングウェイは檀一雄や井伏鱒二と釣りに出かけていたようだ。一泊したというが許可を取ったのかとなるが一泊ぐらいだったが見逃してもらえる。
何せ文豪は申請をきちんとする、と言っておかないとふらりと旅に出て戻ってこないと想ったらふらりと戻ってくるという者たちだっているのだ。
徳田秋声はこの図書館、最古参の文豪である。文豪たちは現在は八十三人、初期のころは秋声と織田作之助しかいなかったが、四十倍には増えていた。
人数も多くなり、顔なんて覚えられないだろうと割り切って、新しく来た文豪はまず秋声は覚えて困ったときは彼に聞けという話になった。
「面倒見……いい方なのかな? 僕よりも山本さんとか幸田さんの方がいい気がするけれども」
「困ったときにアンタに聞けば何とかしてくれるからな」
山本有三も幸田露伴も面倒見がいい文豪となる。有三は朗らかで、露伴の方は怖いところがあるけれども優しい。
「ヘミングウェイさんは釣りに行ったっていうけれどアウトドア派だよね。僕も釣りはたまにするけれど」
「しているのか?」
「気分転換にどうだ、って言われてね。釣道楽ってわけじゃないけれども。趣味じゃなくて気分転換」
秋声は釣りをごくごくたまにやることがあるのだ。小説を書いているときに詰まってしまったりすると息抜きが必要になってくる。
「……アーネストはたまに銛で魚を捕ることがあるからそれだと銛道楽になるのか?」
「とったぞーって感じかな。趣味はアウトドアでいいんじゃないかな……」
話ながらも秋声は本をしまっていく。本館の本は閲覧専門だ。貸し出しをやっていない。貸し出しをすることも図書館では大事なのだけれども、
本の保存が本館はメインなのだ。それでも読まれなければ本は死蔵されてしまう。妥協案になるのだろうかとはなるが、
フィッツジェラルドが本棚にささっている本を適当に本をとってページをめくる。
「秋声。この本、しおりが染みに染みになってるぞ」
「本当だ……革製だからかな」
「じゃねえのか? しおりってのは何挟んでも染みになる奴はなるって聞いたぜ」
手元にあるのは明治の近代文学について書かれた本だが、古い革製のしおりが挟まっていて染みになっている。本のページが、
しおりの形に濃く染みがついてしまっていた。
「ここの本、手に入れた経緯が経緯だから落書きが最初からある奴もあるって聞いたような」
「日本で発行されているすべての本があるって聞いたぜ?」
「そうなんだろうけれども、証明手段がね……」
目録があるのだろうかともなるが、ない気がする。秋声はこの本を報告しておこうと手に取った。フィッツジェラルドにも手伝いを頼んで、
まずは本を全て戻してしまうことにした。
侵蝕以外にも本には危機がある。しけっているとか、ページが破れているとか、紙ならばまだ残りやすいというだけで、
駄目になる時は駄目になってしまう。
「おっ、秋声の方を見ていたぜ。さすがジンクスの元」
「何、ジンクスって」
書庫から出て誰か図書館スタッフを探していると本館利用者の大学生の女性二人とすれ違う。フィッツジェラルドや秋声を見てから、
見えた、とか逢えた、とか言っていた。本の方を気にしていて秋声は何だろうと今更ながらに思ったのだが、
フィッツジェラルドの言葉に意識を向ける。
「兄弟を見ると一日良いことがあるとか言われてるんだよ。商店街でも言われていたぜ!」
「知らないんだけど、何それ。僕、どうなっているの?」
「解らねえが、兎の脚みたいなもんじゃねえか。クローバーとか」
どうやら秋声は帝国図書館近所の商店街でも、図書館でも見たら一日良いことがあると言われてしまっているようだ。
なんだろうかとなる。秋声自身は幸運を招く生き物ではないとはしているのだけれども。
「そんなあやかるものにされて……日本だからかな。何でも神になるし」
「柳田が調べてるやつだな。アイツ、でんしょーふめーの神がいるとは……と喜んでいるし」
「……日本だと軽いんだよね。その辺り」
気が付いたら信仰していました……なんていうものは、ある。
由来は分からないけれども神社に祭られていて、近所の人や宮司に聞き込みをしてみたら由来が不明だという神だ。日本は多神教であり、
抑えるところは抑えているが信仰は大雑把なところは大雑把なのである。
「みんなに幸せを運べるならいいじゃねえか」
「君ね……久しぶりに釣りでもしようかな。ジンクスのことを聴いたら疲れてきた」
「川端だって秋声を神……って言っていたぜ!」
「あの人は……僕を尊敬してくれているからな……うん……ありがたい……何で僕なんかをとか言ったらいっぱい言葉を尽くされて押し流されるから、
受け止める」
たまに視線を受けるのはこれだったかと今更ながらに秋声は気が付いて、そして疲れが出てきた。どうして僕なんかをとなる。
フィッツジェラルドが川端康成のことを言ってきた。彼は非常に秋声のことを尊敬している。
彼が尊敬してくれることはありがたいことだと感じる。
「川端!! 徳田さんの褒めを受けて倒れるのは分かるが……」
後ろから横光利一の声がした。フィッツジェラルドは振り向いたが秋声は振り向かない。大きく、大きく秋声は息を吐いた。
「釣りに行って来よう……一人で」
「まずは本の報告をしようぜ!」
褒められることは嬉しいけれども……となる秋声の背をフィッツジェラルドが何度もたたく。
二人はまず、本について報告をすることにした。
【Fin】