見えぬ華「セレス、髪伸びたね」
セレスの髪をくるくると指に巻き付けながら、イヴが嬉しそうに笑う。二人が出会った頃、短かった彼女の髪は、今や肩よりも長くにまで伸びていた。
「このままだとイヴと同じくらいになるかもしれないわね」
ふふ、とセレスもまたイヴと同じように顔を綻ばせた。セレスの髪が伸びたということはつまり、それだけの長い間、二人が共に過ごしたということになる。
イヴの身体を蝕んでいた毒は、見事消滅した。アルペシェールから呪いが消えた今、二人が死の恐怖に怯えることもなくなったのだ。
「君とお揃いなのは、俺としても嬉しいけど。でも、少しだけ寂しいかな」
そう言って、イヴが困ったように眉を垂れ下げた。その手は未だセレスの髪を愛おしそうに撫で続けている。イヴは、彼女の髪が好きだ。もちろん、髪だけでなく、彼女自身も大好きだが。そんな彼が「寂しい」と思うのにも理由があった。
「どうして寂しいの?」
セレスも不思議だったのだろう。こてん、と首を傾げながら、イヴの顔を覗き込む。
「うーん、すごく情けない理由なんだけどさ……聞きたい?」
「ええ、聞きたいわ」
「でも、君に格好悪いって思われるのは嫌なんだけどなぁ」
「思わないわ、絶対に」
セレスは、はっきりと断言した。イヴももちろんセレスがそう思うはずがないと分かっているのだが、やはり男としては恋人に格好悪いところは見せたくないというのが本音だった。しかし、今にも零れ落ちそうなほどのセレスの大きな瞳に真っ直ぐに見つめられると、誤魔化すことも出来なくなる。イヴは、セレスにすこぶる弱いのだ。
「教えて、イヴ」
彼女のその一言が決定打となった。イヴは、はあ、と小さなため息を吐き出すと、ゆっくりと口を開いていった。
「……君が……あんまり綺麗だから」
「えっ、」
イヴがぽつりと呟いた声は、驚くほど小さくて、思わずもセレスも聞き返してしまった。
「髪が伸びた君は、今まで以上にもっと綺麗になったから。君のそんな姿を誰にも見せたくないなって……——ほら、情けない理由でしょ?」
要するに、これはイヴの独占欲だ。これまで以上に輝き始めた彼女を、自分以外の他の誰にも見せたくない——なんて、情けなくて格好悪いのだろう。きっと、彼女にも呆れられてしまったかもしれない。だが、イヴの目の前にいる彼女は嬉しそうに笑っていた。
なぜ、笑っているのか。イヴが尋ねるよりも早く、セレスがこう答えた。
「イヴ、可愛い」
ふふ、と可愛らしい声を上げながら、セレスは顔を綻ばせた。セレスはいつもそうだ。男であるイヴのことを〝可愛い〟なんて言ってくる。可愛いのはセレスの方なのに、俺だって男なのに——と思っていても、イヴは口には出さなかった。セレスが嬉しそうなら、それだけでいい。口を出すだけ野暮というものだろう。
「心配しなくても、私はあなただけのセレスよ」
そう言って、セレスはイヴの袖をきゅうと掴んだ。あなたも私だけのイヴだから、と頬を染めながら言われてしまえば、イヴまでも彼女につられるように顔が熱くなってしまう。なんて可愛らしいことを言ってくれるんだ、とイヴは彼女に触れたくてたまらなくなってしまった。
「セレス、あんまり可愛いこと言うと、襲っちゃうよ?」
九割ほど本気で、残りの一割は軽い冗談のつもりで、彼女へと問いかける。すると、セレスはイヴの胸へと縋るように身を寄せてきた。
「あなたの好きにして。私の大好きな守護者さん」
ああ、これは反則だ。イヴは思わず、自身の顔を手のひらで覆い隠した。
「……君のそういうところ、ずるいんだよなぁ」
イヴは、はあ、と溜息を吐き出して、指の隙間からちらりとセレスの様子を窺った。花のようにふわりと優しく微笑む彼女が見えて、イヴは衝動的にその身を寝具へと押し倒した。その上に覆い被さると、彼女は手を伸ばし、イヴの髪紐をはらりと解いた。ぱらぱらと舞い散る髪が、セレスの顔を覆い隠していく。
「髪、切った方がいいかしら」
「……どうして?」
「あなたを不安にさせるのは、いやだから」
「ううん、大丈夫。切らないで」
美しいセレスの姿を誰にも見せたくないという理由ももちろんあるが、イヴには他にも見せたくないものがあった。それを彼女に分からせるべく、セレスの首筋に指を添えて、つ、と上下になぞった。
「だって、これ。髪切ったら、見えちゃうよ」
「あ……」
イヴの行動と言葉で、セレスも悟ったのだろう。自分の首に咲き誇る花びらがいくつもあることを。
「もう消えかかってるね。またつけないと」
にんまりとイヴが口角を吊り上げる。すると、セレスは子どものように、つん、と唇を尖らせた。
「……イヴって、たまに意地悪だわ」
それに応えるように、イヴは彼女の首へと吸い付いてみせた。薄く色づく花びらを、また色濃く染め上げていく。
セレスが髪を切る日は、まだしばらく訪れそうにないだろう。