紅を奪う「ア、アドルフ……! 待って……!」
「嫌だ、待たない」
アドルフの下に組み敷かれたセレスは、必死に彼の胸を押し返そうとしている。その一方でアドルフは、抵抗の意思を見せる彼女の手首を掴み上げ、シーツへと自身の手で縫い止めた。
そもそも、こういう状況になるように仕向けたのはセレスの方だ。今更、待てと言われたところで、止められるはずがない。
「先に言い出したのは、お前だろ」
「そ、そうだけど、でも、」
セレスは今更ながら、己の言動を悔いた。軽い気持ちであんなことを言うんじゃなかった——そう後悔したところで、もう遅い。アドルフの瞳には、熱い炎が宿っていて、もう止められないとセレスも悟る。
「お前は、そういうつもりだったんじゃないのか?」
「……っ、それは、」
その答えは〝イエス〟だ。もちろんセレスとしては、アドルフが言うような〝そういうつもり〟であの言葉を口にしたのだ。
『ご飯にする? お風呂にする? それとも私?』
なんて——。
セレスがそれを言い出したのは、マティスから借りた本の影響だった。どうやらその台詞は、新婚夫婦の定番のやり取りらしい。だが、ここアルペシェールにはそんな風潮はない。セレスとしても初めて聞く台詞に、興味が湧き、せっかくだからアドルフに試してみたい——そんな軽い気持ちだったのだ。
まさか本当に〝私〟が選ばれるとは、思ってもいなかった。だが、セレスは密かに期待していた。彼とそういう行為をすることを。なぜなら、最近はアドルフの職務が忙しく、すっかりご無沙汰だったからだ。女から誘うのははしたない。そう思っていたからこそ、セレスはこの台詞に賭けてみることにしたのだ。
しかし、いざこの状況を前にすると、途端に恥ずかしくなってしまい、こうしてアドルフに抵抗を見せているわけでもある。
セレスのその問いかけに対してアドルフは「お前がいい」と答え、あっという間にその身体を抱き上げて、気づいたときには一瞬で寝室へと運ばれていたのだ。アドルフも、本当はセレスと同じ気持ちを抱いていたのかもしれない。
「で、でも、アドルフも疲れているでしょうし、ね?」
「明日は休みを貰った。だから、何の問題もない」
「せ、せっかく作ったご飯が冷めてしまうし」
「お前の飯は冷めてもうまい」
「うっ、」
もうセレスには、逃げ道も見つけられなかった。これ以上、うまい言い訳を思いつかない。唇を噛み締め、悔しそうに黙り込んでしまったセレスへとアドルフの意地の悪い笑みが降り落ちてくる。
「いい加減諦めた方が身のためだぞ、セレス」
自分の言葉にはちゃんと責任持たないとな。
そう言って、アドルフはセレスの鼻先にかぷりと柔く噛み付いた。まさかそんなところを噛まれるとは思いもせず、セレスは驚いたように声を上げた。
「ア、アドルフ……! なにして……!」
「なにって、お前を食べてる」
「わ、わたし、まだいいなんて言ってないじゃない……!」
「まだ、な。でも、これから変わるかもしれないだろ?」
「んぅっ……」
アドルフは、セレスが声を上げる隙さえも与えてくれやしない。彼女にまた抵抗される前に、その口を塞いで、音を消してしまうのだ。深くまでを貪り尽くすような、そんな口付け。セレスの咥内を溶かすように、丁寧に、じっくりと舐め取っていく。
ぎゅうと固く目蓋を閉じていたセレスだったが、それが今や薄く開かれて、とろりと蕩けた瞳をアドルフへと向けていた。やはり、アドルフの思った通りだ。セレスは、深く口付けられるといつもこうなることを、アドルフはよく知っていた。堕ちるのも、きっとまもなくだろう。
それならば、アドルフは更に彼女を溶かしていくだけだ。唇を重ね合わせながら、セレスの愛らしく顔を覗かせた耳朶をふにふにと摘み出す。優しく愛でるように撫でると、セレスの身体が小さく震え上がった。アドルフのシャツを掴む彼女の手は、まるでもっとしてほしいと訴えかけているようにも思えてくる。
「ふっ、んぅ……は、」
時折、零れ落ちるセレスの甘い声。とても嫌がっているようには見えない。そろそろ、頃合いではないだろうか。ちゅ、と可愛らしいノイズを立てて、アドルフの唇がゆっくりと離れていく。そして、セレス、と彼女の名を呼んで、こう告げた。
「お前が、いい」
本当に嫌なら拒んでくれ。
そう言って、アドルフがセレスの瞳を覗き込む。すると、セレスはむう、と可愛らしく頬を膨らませた。
「……その言い方はずるいわ」
あなたを拒むことなんて出来るはずがないもの。
そんなセレスの囁きは、アドルフの耳にもしっかりと届いた。だらしなく頬が緩んでしまうのも致し方のないことだった。
今、アドルフの食欲を満たすことが出来るのは彼女——セレスだけだ。アドルフは「いただきます」と心の内で唱えると、紅く熟した彼女の唇にまたもかぶりついていった。