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    人間としての生活

    依頼小説
    幼少期に、体の一部が突発的に竜のようになってしまうようになった女の子。高校生になってもその症状は相変わらずで、それどこか抑制剤が効かなくなってきてしまっていた。感情が昂ると発症しがちというのを理解している彼女は、いつでも平静を装って生活している。しかしある日、満員電車の中で痴漢に遭遇してしまい、お尻をまさぐられる恐怖心や嫌悪感が募っていく。やがてその感情は大爆発を起こし、大事件へと発展してしまう。

    竜化産卵小説です。例によって先行公開です。
    産卵描写が結構生々しいので人を選ぶかもしれません。
    かなり文章力のある人なので、言い回しや情景描写などにフォーカスして読んでみると倍楽しめると思います。

    スマホよりPCの方が読みやすいと思います。無断転載厳禁です。
    当作品の著作権は作者様に帰属します。
    作者:ゆでたまご73様
    字数:17372文字

    ##依頼物
    ##transfur
    ##産卵

    人間としての生活快速電車は今日も、満員の乗客を乗せ全速力で馳せている。小さな駅は石ころを蹴散らすように黙殺し、大きな駅を目指して速度を上げて風を切っていた。
    大して動いてもないのに汗露まみれのサラリーマン。昨日のバラエティ番組に出ていた女優の胸がどうとか、生産性のない話で盛り上がる男子学生たち。
    それらのぶ厚い壁に阻まれるように、燈は自動ドアの前に追いやられていた。空調は回っているが、乗車率120%の車内においてそれは低い唸りを上げる生ぬるい風でしかない。
    重たい通学鞄を抱え、早く駅に着いてくれと思いながら窓の外に目を向けた。背が高いばかりで、個性や装飾性の一切が排除された灰色の建物が、どこまでも続いている。
    この箱の中の人間もそうだ。似たようなスーツに、似たような学生服。男性はみんな整髪料の匂いをまき散らし、女性はみんな今流行りのメイクで着飾っている。無個性の集団。
    そんな中にあって、自分だけが〝異質な存在″だと思った。無個性の集団に心の底から憧れる〝異形の化け物″だとも。
    電車が大きくカーブする。遠心力で身体が大きく傾くも、ドア横の手すりを掴んで難を逃れる。だがカーブを終え、人の群れが元の位置に収まろうとしたその瞬間、制服のスカート越しの尻に何かが触れたような気がした。
    なんだろう。気のせいかな。そうやり過ごそうとしたが、それはまた再び尻の輪郭をなぞるようにして這ってくる。明らかな情欲を持つそれが男の手だと分かった瞬間、燈の脳裏に浮かんだのは『痴漢』という二文字だった。

    「ッ……」

    突然のことに恐怖で身体が竦んで、後ろを振り返ることも叶わない。その間にも、男の手はナメクジのような粘着性を持ちながら、布越しに尻のあわいを妖しくまさぐっている。背後にぴたりと張り付く男の鼻息が首筋にかかって、思わず背中が総毛立った。
    気持ち悪い。いやだ。やめて。怖い。
    テレビで痴漢被害者の女性が『恐怖で声を出すこともできなくて……』なんて、ボイスチェンジャー越しに話しているのを観たことがあるが、今の燈はまさにそれで、声帯を切り取られたかのように呻き声一つ出てこない。
    男の掌が双丘をゆっくりと撫ぜ上げ、その柔い肉を食むように揉みしだき、倍の時間をかけてスカートを上にたくしあげていく。露になった薄水色の下着を見た男の鼻息が暴れ馬のように荒さを増し、行為の卑劣さに拍車をかけていった。
    薄い布越しに伝わる男の体温。尻の弾力を確かめるように緩急をつけて掌で揉まれ、恐怖と怒りが嘔吐感となって喉元までせり上がってくる。
    誰か。誰か助けて。気持ち悪い。いやだ。怖い。
    次の駅で降りよう。それまでの我慢だ。大丈夫。あと少しの辛抱だから。そう思った刹那、双丘の割れ目をずっと往復していたその指先がすっと離れていった。
    『もしかして飽きてくれたのかな?』と、淡い期待を持った次の瞬間に押し付けられたのは、指よりもずっと大きくて、滾ったように脈打つ男のアレ。

    「———……ッ!」

    燈はビクリと肩を震わせ、目の前の手すりに力を込めた。これまでの恐怖や嫌悪感が風船のように萎んでいき、代わりに地獄の淵から必死の思いで這い出てきた鬼のような、純粋な怒りが心を支配する。
    なぜ私がこんな目に遭わなければならないの?今日は大好きな理科の授業があるから、いい一日だと思っていたのに。なんでこんな汚らわしいものを私に押し付けるの?いやだ。やめて。やめてよ!
    刹那、はっと男が息を呑んで男根を退けた。それまで柔かった燈の尻が突然もごもごと粟立って、波打ちはじめたからだ。小波だったそれは、怒りに呼応して次第にうねりのように大きくなり、薄水色の下着の中で躍動する。
    まるで狭苦しい内部を突き破って自由になりたい、とでも言っているかのように。
    皮膚の下の瑞々しい躍動が下着を通り越して、スカートのプリーツにまで影響を及ぼし始めたときになってようやく、燈は『まずい』と思った。
    だが時すでに遅し。

    「———あ、ァッ……!」

    燈の怒りを投影し実体化したソレは、下着とスカートを突き破って勢いよく外へと飛び出し、乗客をドミノのように軽々となぎ倒して、自らが愉悦に浸るスペースを作る。水を得た魚のようにパタパタと二度、三度冷たい床を叩けば、『鱗』が剥がれ落ち電灯を反射して鈍く光った。
    燈の尻から飛び出した巨大なソレは日差しを浴びて輝く草木のような鮮緑で、爬虫類のような妖しい光沢を放っている。全長は真向いのドアに届くほどに長く、雄々しさを全面に押し出すが如く骨太だ。
    密に張り付いた鱗は一枚一枚がハマグリのように大きくて、魚のそれとは別次元の硬さを誇っていた。
    見る者に畏怖の念すら感じさせるソレは、まごうことなき竜の尻尾だった。

    「きゃーーッ!!」

    「うわああッ!ドラゴンだ!!ドラゴンの尻尾だ!!」

    「女子高生からドラゴンの尻尾が生えてるぞ!!!誰か!!電車止めてくれ!!」

    混乱と恐怖とが一塊の叫喚となって、電車の中に響き渡る。「違う!!違うのッ!」と声荒らげるも、狭い車内をかき分けるようにして奥に逃げようとする彼らに、その声は届かない。
    その間にもドラゴンの尾は燈の意思を無視し、近くの人間を威嚇するように根本から円を描いて大きく立ち回ってみたり、彼らの衣服を引き裂こうとその先端を伸ばしていた。
    その度に上がる悲鳴はまるで不協和音のように折り重なって、燈をさらにパニックに陥れる。燈はすっかり前後不覚に陥り、尻から生える尾を基地外のように叩いた。

    「いや、やだ……どうしよう……!引っ込んで……お願い!お願いだからッ!」

    自分が身体を揺すれば、当たり前だが尻尾も左右に大きく振れる。
    「引っ込んでよ!」と勢いよく腰を捩じった拍子に、向かいの手すりに尻尾がぶつかり、ぽきりと折れたそれが吹っ飛んで運悪く乗客の頭部を直撃した。

    「ああッ!ごめッ……ごめんなさいッ!ちがうのッ……!」

    「ぎゃーーー!」

    「血を流して倒れたぞ!酷い出血だ!止血をしなければ!」

    「おい!誰かあの化け物を捕まえろ!」

    「待って!違うの!わざとじゃないの!ごめんなさいッ……!」

    もうどうしたらいいかわからない。怖い。尻尾の戻し方が分からない。恐怖と混乱に身を落とす一方で、尻尾が収まった時にお尻丸出しで学校に行くのは恥ずかしい、と思う理性的な自分もいた。
    周囲の視線に恐怖だけでなく、『怒り』と『好奇』が入り混じり始めたのを肌で感じる。人目に晒された状態でこれほどまでの大規模な『竜化』が起こるのは初めてで、もうなにをどうしたら事態が収束するのか全くわからなかった。
    ただひたすらに純粋な恐怖が燈を襲う。怖い。逃げ出したい。誰か———誰か助けて!
    その願いが通じたのか、突如「ブー!」というブザー音が車内に鳴り響き、ゆっくりと電車が線路の真ん中で停止した。恐らく誰かが非常停止ボタンを押したのだろう。
    ここからの展開は実に早く、鮮やかだった。都会の雑踏のようにざわつく人込みをかき分け、竜化した燈に臆することなく近づいてくる男性が一人。
    長身だが圧迫感を感じさせないすらりとした体躯に、聡明さを全面に押し出す眼鏡。自然的な淡い栗色の髪の毛。彼は「こっちへ!」と戸惑う燈の手を引き、ビニール袋に10円玉を入れたそれで勢いよくガラスを割って、まずは自らが外へと脱出する。
    そして、すっと手を差し出して一言。

    「さあ、おいで。岸本さん。大丈夫だから」

    彼は、燈が通う高校の理科教師でありクラス担任———そして、燈が恋慕の情を寄せる竜崎 守だった。
    車内に残るという選択肢は毛頭なく、燈はオールドムービーのヒロインのようにその手を握り、電車からさっそうと飛び降りる。
    彼の顔を見て平穏を取り戻したのか、竜の尻尾はいつの間にか燈の中に納まっていた。
    先生は「大丈夫だから」と燈を落ち着かせるための言葉をしきりに囁き、砂利が敷かれた線路の上を転ばないように手を引いてくれる。
    あんな姿の私を見て怖くないのだろうか、と不思議に思う反面、永遠にこの線路が続けばいいのにと思ったのもまた事実だった。
    どうにかこうにか大通りにまで出ると、彼はタクシーを拾い、燈に乗るように促す。

    「僕は駅に戻って色々と事故処理をしてくるから、先に学校に行ってなさい。保健室に予備の制服が置いてあると思うからちゃんと着替えること。いいね?」

    こっちのことは心配しなくていいから、と彼は憐れみとも優しさとも取れる笑みを頬に浮かべ、タクシーを送り出したのだった。
    大通りを縫うように走るタクシーの中。尻尾のことに何一つ触れてこない彼の優しさが、蛍火のようにいつまでも燈の荒れ立つ心に寄り添ってくれた。

    自分の身体の一部が『竜化』することに気づいたのは、幼少期の頃。遊びに来ていた友達と人形の取り合いになった時に、突如発現した。
    その時は確か右腕だったか。友達の身体ほどに巨大化した右腕は、尻尾と同様に目が醒めるほどの鮮緑に輝き、おおよそ人外とも言える三つの鋭いかぎ爪がついていた。
    驚いた友達は泡を吹いて倒れ、かけつけた両親も酷く瞠目し、次の瞬間には母親も卒倒した。その時の自分もパニックに陥って、記憶の所々が欠如している。
    結局、父親がどうにかこうにか気持ちを落ち着かせてくれ、それと同時に右腕も戻ったような気がする。今でも自室の壁にはかぎ爪で抉り取った穴があり、燈はそれを自身への戒めのように毎日眺めている。
    『竜化』の発現は両親からの遺伝でもなければ、前触れもない、本当に突然のことだった。両親はすぐさま色んな病院に燈を連れて行った。
    しかし連れて行ったところで、それを医師に証明する術を燈達は持ち合わせてはいなかった。
    なぜなら『竜化』は、感情の起伏によって引き起こされることが多く、それこそ体内に本物の竜を飼っているが如く気まぐれに発現するからだ。
    多少の怒りや悲しみで発現することもあれば、地獄の業火を背負ったように怒り狂っても、発現しないこともある。それに例え運よく医師の目の前で発現できたとしても、日本の医師達が確立された治療法を知っているとは到底思えなかった。
    それでも両親は諦めなかった。ネットを通じて情報を集め、どうにかドイツの竜化専門医師とコンタクトを取ることに成功した。
    ドイツの医師によると竜化現象は世界各地で報告されているものの、症例は極めて少なく、現時点では根本的な治療法は見つかっていないらしい。
    『竜化』について現時点でわかっていることは四つ。竜化する人間は、竜の皮膚と同じ碧緑の瞳を持っていること。『強い怒り』『強い悲しみ』『多幸感』などの感情の揺さぶりによって、身体の一部が変化すること。
    根本的な治療法は見つかっていないが、抑制剤を用いることである程度の竜化は回避できること。(それでも100%ではなく、強い感情の昂りによって竜化は起こってしまう)
    そして、男性にしか発現しないこと。
    その中で燈は初めて、女性として竜化現象が起こった最初の事例だった。ドイツの医師は竜化メカニズム解明の糸口になるかもしれないと、多額の資金提供を引き換えにこの身体を研究させてくれと打診してきたが、両親は断固反対。
    燈は現在、この医師から送られてくる抑制剤を打って、なんとか日常生活を維持している。
    だが、そんな危い均衡の上に成り立つ平穏な日常を過ごせたのも小学校6年生まで。中学生に入り、第二次性徴を迎える頃から、徐々に抑制剤が効かなくなっていくのを感じ始めた。
    それは日を追うごとに真実味を増し、高校二年生になった今、竜化の暴走は燈の人間生活の根幹を揺るがすほどにまでになっている。
    いつも寝る前に思う。勉強ができなくてもいいから、運動音痴でもいいから、普通の女の子として生きていきたい、と。
    普通の人間に戻れるのなら、今まで築き上げたこの生活を全て投げ打ってでもいいと。そう思えば思うほど、普通の人間から遠ざかる気がしてならないのだが、眠りの淵に落ちるその間際、いつもそう思ってしまうのだ。
    その一方で、恐らく自分は死ぬまで『竜』との共存を余儀なくされるのだろう、と諦めの気持ちが大半を占めているのもまた事実。果たしてこれは共存と言えるのだろうか。私はこの半身を竜に貸し与えた覚えはないのだが。
    奴が憎い。憎くてたまらない。『竜』さえいなければ、おおよそ思春期の人間が経験する『恋愛』も普通にできただろうに。
    竜崎先生————。
    ようやっとたどり着いた学校の保健室で、置かれていた予備の制服に袖を通しながら、先程ヒーローのように助けてくれた彼のことを色鮮やかに脳裏に描く。
    竜化した自分に恐れることもなく手を差し伸べ、何も聞かずに助けてくれた先生。ずっと握ってくれていた手がじんと甘く痺れ、あれは紛れもなく現実だったと実感させてくれる。
    普通の人間なら、竜崎先生に正攻法で恋する資格もあっただろう。だが、人間社会のレールから大きく逸脱したアウトローの自分は、光の届かない場所から恋することすら許されていない。
    身支度を終えた燈は、暗澹たる気持ちを置いておく場所を持たぬまま重い足取りで教室へと向かった。





    「あ、燈ぃ~!おはよう!」

    「おはよう。今日は遅かったね」

    エアコンが効いた教室でさっそく出迎えてくれたのは、親友の谷口 美羽と阿良々木 涼子だった。

    「ごっめーん!今日電車が事故って遅延してたんだよね」

    わざとらしくため息をつきながら席に着いて、鞄から教科書を取り出すと、二人も空いている椅子に座ってこちらに寄ってくる。
    机の上に置かれた、鳥や虫の描かれた教科書を見た涼子が声をあげる。

    「あ、一限目理科だったね。美羽ラッキーじゃん。朝のホームクラス終わってそのまま先生の授業だから、1時間以上は、先生の顔拝めるじゃん」

    「へへへ。昨日は早く寝て、朝からパックしてきちゃった」

    照れたように笑う美羽の肌は白磁のようにきめ細やかで、頬骨の頂点には電灯を弾く光の艶珠ができている。一度もカラーリングをしていない濡羽色の艶やかな髪、それと同じ色をしたまん丸な瞳。
    『学校一の美少女』『学校一のモテ女』の名を我が物にする美羽だが、本人にその自覚はない。春陽のように天真爛漫な彼女はいつだって、竜崎先生以外眼中にないからだ。

    「そういえば昨日の放課後ね、下駄箱で偶然竜崎先生に会って、少し話したんだ~!」

    「へえ。何話したの?」

    もう一人の親友、阿良々木 涼子が机に頬杖をついて話の続きを促す。陸上部の彼女は、美羽と対照的な小麦色の肌を持つ健康的な美少女で、切れ長の目からは冷静に服を着せたような性格の一端が伺い知れる。

    「いやあ、それが全然覚えてないんだなあ。緊張しちゃって」

    えへへ、とおじさんのように頭を掻いてみせる美羽に「なにそれ」と涼子は呆れたように、それでも美羽を見守る保護者のような柔い表情を浮かべていた。
    率直に言って、美羽が羨ましいと思った。都会の鼠に憧れる田舎の鼠、とかそういう次元の話ではない。血統書付きの猫に憧れる、雑多な都会の片隅の溝鼠のような気持ちだった。
    私のような半分人間ではない化け物よりも、愛されるために生まれたような美羽のほうがきっと竜崎先生にお似合いだ。妬み嫉みではなく、これは裏のない本心。
    私にはきっと正しく恋愛をする資格なんて、ありはしない。

    「授業のあと話しかけてみなよ!『ここが分からなかったので放課後教えてください』って」

    彼女を後押ししたい本心そのままに提案してみれば、「わあ!いいねいいね!そうするぅ!」と濡羽色の髪が肩口で踊ってきらきらと輝く。
    美羽は本当に可愛いなあ、と思ったその時、下腹部を鋭利な刃物で刺されるような猛烈な痛みが燈を襲った。

    「いッ……!ぐ、ぅッ……!」

    「え、燈?!大丈夫?!」

    「どうした?!お腹痛い?!」

    「だ、いじょ……ぅッ……」

    大丈夫だと言いたいのに。食いしばった歯列から出てくるのは呻き声だけ。臓器を丸く抉り取られるように、刃物が下腹部の最奥で暴れている。壮絶な痛み。
    だが逆に、十中八九『死』を予感させるほどの激痛が、燈の身体を動かす原動力となった。二人に大丈夫だからとかろうじてそう伝え、女子トイレに駆け込んで便座に座り、下腹部を守るように身体を丸める。

    「ぐッ、い、た……ッ」

    実は数カ月から、不規則に起こる下腹部の猛烈な痛みに燈は悩まされていた。痛み自体は数分で収まるのだが、腹痛が起こる間隔自体は次第に狭くなっている気がする。これも『竜化』と何か関係があるのだろうか。
    得も言われぬ恐怖が外套のように燈を覆う。

    「ぐ、ッ……う、ぅ」

    キーンコーンカーンコーン。
    胸元に飛び込んでくる小鳥のような軽やかなチャイムが1限目の始まりを告げる中、燈は一人薄暗い個室で、十中八九『死』を予感させるほどの痛みに耐えていた。


    *


    それから数週間は、先日の電車事件の時のような大きな竜化は見られず、ここ最近では割と穏やかに時間が過ぎていった。
    抑制剤が再び効き始めたのかもしれない。そう期待する一方で、今日の理科の時間、喉奥が妙にひりつくと思った瞬間に、目の前のエタノールに向かって火を噴いて危く大惨事になりかけたことを思い出し、燈はベッドの上で辟易した。
    帳が下りた夜から守ってくれるように、研ぎ済まされた人工的な照明がベッドの上に降り注いでいる。真白の天井の綺麗なマス目に思い描くのは、やはり竜崎先生のことだった。
    エタノールに引火した火は、何とか同じ班の生徒にバレずに済んだものの、竜崎先生の目は誤魔化せなかったようで、あの時の瞠目した顔が網膜に焼き付いて離れない。
    先生はもうとっくに気づいているのだろう。先日の電車での一件といい、今日の理科室での一件といい、気づいていないほうがおかしいというものだ。それでも何も聞いてこないその優しさが、さらにこの身を悲しみの深淵に追いやってくる。
    いっそのこと恐怖に怯え、この存在を糾弾してくれたらどれほどラクだろうか。
    何も聞いてこないくせに、帰りのホームルームの後に『岸本、大丈夫か?悩みがあるなら言うんだぞ』とさらに生半可な優しさを見せてくるのだから、もうたまらない。まるで生かさず殺さずの百姓になった気分だ。
    ナイトテーブルに置いた時計は23時を回ろうとしていた。電気を消して、窓側を向いて丸まる。眠る時は横向きの姿勢のほうが落ち着くのだ。
    胎児のような姿勢を取ると、歪に膨らんだお腹が膝頭に当たった。
    実は下腹部痛が始まってからほどなくして、腹部が少しずつ大きくなっていることに燈は気づいた。本当に、本当に少しずつだがお腹は徐々に膨らみを増し、腹囲は以前に比べ10センチも増えている。
    身体のラインを拾わないゆったりとした服を着れば全く分からないが、ジャストサイズで購入した制服のスカートはそろそろきつくなってきた。週末にでも、ヘアゴムを使ってウエストサイズを広げなければ。

    「また大きくなってる……」

    お腹の表皮をなぞるように手の平を這わせれば、数日前よりも突き出ているのがわかる。少し押し込んでみると、中にビーチボールが入っているかのように、パンッと突き返された。指先が押し込めないほどに皮膚が張っており、自分の身体なのに薄気味悪さが止まらない。
    男性とそういう行為をしたわけでもない。けれども全く心当たりがないわけでもない。
    『竜化』『効かない抑制剤』『下腹部痛』『膨らんだ腹』—————。
    きっとこれらは『竜化』を起点にして蔦のように広がり、複雑に絡み合っているに違いない。けれどもこのツリーが導き出す結果が果たして何なのか、到底想像もつかなかった。
    解決するわけでもないが、誰かに相談したくてたまらない。この悩みを分け合ってくれる人が欲しい。いっそ両親に話してみるか?何度もそう思ったが、ただでさえ心配症の両親をこれ以上不安にさせるのは憚られた。それに何より、こんな弧を描くお腹を見せること自体、何だか気恥ずかしかったのだ。
    その一方で、なんで私ばかりがこんな目に遭わなければならないのか、とほとほと嫌気が差す。私が一体何をしたというのか。前世で何か重大な咎を犯したのか。私はただ、他の人と同じように生きていたいだけなのに。
    毎月、両親が多額の費用を支払って購入している抑制剤も、元々100%の効力を発揮していたわけではない。中学生に入ってからはさらに効きが悪くなり、今では殆どその意味を成していないような気がする。
    いや、もしかすると謎の下腹部痛も、長年抑制剤を飲み続けたことに対する副作用なのではないだろうか。臨床試験を受けた医薬品ではないのだ。その可能性は十分にありえる。
    そう思うと、段々腹が立ってきた。効きもしない抑制剤など飲んでいたって仕方ない。金をドブに捨てているようなものだ。
    燈はベッドのスプリングを利用して跳ね返るように起き上がり、電気も点けぬまま勉強机の引出しを漁った。目的のものはすぐに見つかった。
    『朝夕 2錠 食前』と書かれた白い紙袋。毎日触れているため、しおれた朝顔のように皺が寄っている。燈はそれを手近にあったゴミ箱に叩きつけるように捨てた。
    胃につかえていたどす黒い澱が、すーっと下がっていく。中身をまき散らしながら黒いゴミ箱に突っ込まれたそれを一瞥して、『毎日やるべきタスクが一つ減った。ラッキー』くらいの軽い気持ちで再びベッドに潜り込む。
    眠るべき温度が布団の中に籠るのを待って、燈は眠りについた。久しぶりに夢も見ないほどの深い夜だった。


    翌朝。
    いつもは起きがけの空腹時に抑制剤を飲むというルーティンを、初めて無視した。ゴミ箱に突っ込まれた白い袋を素通りして、パジャマ姿のまま階下のリビングに向かう。

    「おはよう、パパ、ママ」

    「おはよう、燈。抑制剤、ちゃんと飲んだ?」

    私がルーティンを無視しても、母親のルーティンは変わらず回っている。そこは曖昧に頷いて、ダイニングテーブルに用意された朝食をかきこみ、洗面台で身支度を整えて再び自室へと戻った。
    起きがけから、剣山で刺されるようなチクチクとした痛みが下腹部を巡っていたが、それを無視して、白い壁に掛けられた制服を身に付ける。

    「うッ……きっつ……」

    あまりストレッチの効いてないスカートが出っ張った下腹部に引っかかって、中々上がってくれない。それを何とか引き上げてホックを留めた。
    ぽっこりと下腹部が歪に膨らんでいるアンバランスな身体が、姿見に映し出される。制服から伸びる手足はたおやかで健康的なのに、お腹だけがデフォルメされた人形のように膨らんでいるのだ。こんな姿を竜崎先生が見たら、さぞ気持ち悪がることだろう。
    ため息一つ空気にくゆらせ、再びリビングに顔を出して「いってきます」と両親に声をかけた。そしてまだ何色にも染まってない朝の通学路を、早足で進んでいった。





    学校に着くと、教室の廊下側に面した窓はカーテンで全て閉め切られ、中に入ると爽やかな制汗スプレーの香りが鼻孔をくすぐった。体育が1限目にある日はホームルームの前に、男女別々の教室で着替えることになっているのだ。
    がやつく教室の中央に、美羽と涼子の姿があった。既に体操着に着替えを済ませていた二人は、燈の姿を見つけると大きく手をあげた。

    「おっはよー!」

    「おはよう、燈ぃ~!今日は遅刻しなかったね!」

    「こらこら!人を遅刻魔みたいに言わないでー!あの時は電車の事故だったんだから」

    語尾が伸びる癖のある美羽の言葉を努めて明るく切り返し、袋から体操服を取り出して、制服から腕を抜いていく。

    「一限目からバスケは結構ハードだよね。うちのクラスバスケ部少ないから不利だしさ」

    涼子が低い声でごちるのを「だよね~」と聞きながら、上のブレザーを首から抜いてブラジャー姿になる。だが、体操着に袖を通す燈の手が、一瞬にして止まった。
    二人の視線が、むき出しの下腹部に注がれているのを感じたからだ。

    「燈ぃ……お腹、なんかちょっと膨れてない?」

    「え、なに……もしかして……」

    妊娠?!と涼子がそう言いかけた唇を、慌てて両手で押さえ込む。

    「ちが……!ちがうよ!!実は私、すごく便秘なの!下剤飲んだら学校どころじゃなくなるから我慢してるんだけどさ、週末辺り飲まないとね!」

    言い訳がましい言葉と白けた笑いが、さらに二人の顔を曇天にさせる。
    ああ、まずい。どうしよう。二人とも怪しんでいる。
    じっとりと嫌な汗が背中を伝い、言い逃れる方法はないか回らぬ頭で思案していると、ふいに二人がぷっと吹き出した。

    「なあんだ。びっくりしたじゃん!一体誰との子供?!って焦ったよ」

    涼子がそう言えば

    「だよねぇ~!一瞬、竜崎先生の顔浮かんじゃったよぉ。ただの便秘かぁ~」

    と、美羽も淑やかな顔に似合わず、大口を開けて笑う。

    「ごめんごめん!あ、ホームルームのチャイムだ!早く着替えなくちゃ」

    ほっとした。
    と同時に、これからの人生、肝が冷える想いを何回もしなければならないのかと思うと、胃の真ん中が暗く沈んでいく。
    ここぞとばかりに仄かな痛みを訴えてくる下腹部を気にする余裕など、今の燈にはなかった。





    ワックスの効いた体育館の床を、キュッキュと上靴が滑る青春の音が響いている。ハーフコートをいっぱいに使って行われている、隣のクラスとのバスケットの試合。各クラスより選抜された5人が、体育の授業とは思えないほどの熱戦を繰り広げている。
    その中には運動神経抜群の燈と、意外にも中学生までバスケットボール部だったという美羽の姿もあった。

    「燈ー!美羽ー!ファイトー!」

    コートの外から涼子の声援が聞こえてくる。試合は中盤。相手チームは5人中、3人が現役のバスケ部員だ。機敏な動きや鮮やかなボールさばきは敵ながら舌を巻くほどで、真っ向からぶつかって勝てる相手ではない。
    けれども、はなから負けを承知で勝負事に出るほど、燈自身も割り切れた性格ではなかった。
    もし就職活動の面接で、自分の性格を端的に表せと言われたら、きっと私はこう言うだろう———『負けず嫌い』と。

    「燈ッ!」

    キレのいい声と共に、掌に丸いボールが飛び込んでくる。すかさず相手チームの選手が間近で圧力をかけてきた。しかも3人。相手チームも機動力のある燈を警戒しているのだろう。
    ゴールまであとわずかだが、ここから直接シュートを狙うには綿密なコントロールが必要となる。一方、ゴール下にいる味方の二人は敵方のきついマークに遭っていて、抜けれそうにない。
    燈はこの場を突っ切ろうと、咄嗟に腰を低くし、ゴールめがけてドリブルを繰り出した。が、やはりぶ厚い壁を突破することは叶わず、あれよあれよという間にボールを奪われ、瞬きを終える頃には自チームのゴールネットが揺らされていた。
    37対32。このゲームが始まって最大の点差。第3Qもあと残り2分を切っている。せめて2点差にまで詰めて最終Qを迎えたい。
    ———負けない。絶対に負けたくない。
    相手チームが得点を入れたので、自チームのスローインから試合は再開される。順調にパスが繋がり、再び燈の手元にボールが回ってきた。すぐさま先程の三人が寄ってきて、猛烈な圧力をかけてくる。前方にはバスケ経験者の美羽が両手を上げて、燈からのパスを待っていた。
    ———負けない。負けたくない。絶対に美羽にパスを回すんだ。
    まるでその意志に呼応するように、両腕の皮膚の下がぽこんと一瞬泡立った。その泡は徐々に数を増やし、範囲を広げてぼこぼこと波打ち始める。やがてそれは激浪となり、大きく躍動しながら色と質感を変化させていった。
    まずい。竜化だ。
    五月晴れに似合いそうな鮮緑と、ワニのような硬さを持つその両腕が、ぐんぐんと肥厚し巨大化していく。尻尾ほどではないが、両腕を広げた時の全長は人間の時の倍以上あるだろう。

    「きゃッ!なにこれ!!」

    「なんなの?!」

    「化け物ッ!化け物よッ!」

    間近で変化していくその両腕に、燈に張り付いていた相手チームの選手から悲鳴があがる。
    最後に、しじみ貝ほどだった燈の爪を押しやるように出てきたのは、乳白色の大きなかぎ爪だった。はらわたを切り裂き、臓物を掻き混ぜるにうってつけのぶ厚さと鋭さを誇るそれを見て、真向いの選手が卒倒してバタリと倒れ、視界が一瞬にして開ける。
    燈の意志から乖離したところでボールにきつく爪を立てるそれは、竜独自の〝意志″を孕んでおり、その意図に気づいた燈は咄嗟に声を上げた。

    「ああ、待って……やだッ……!ダメッ!美羽逃げてッ!」

    ———負けない。負けたくない。絶対に美羽にパスを回すんだ———
    燈の激情にも似たこの気持ちをくみ取っていた竜の両腕から、ものすごい勢いで放たれたボール。それは光の筋を描きながら猛スピードで美羽に向かっていき、その柔い右頬を掠めた。
    ドーンッ!
    腹の底を震わせるような音と共に、ボールが最奥の壁にめり込んで止まる。木目の仕上げ材を突き破り、その奥にある鋼の補強材まで歪ませるその威力を、ここにいる皆が肌全体でピリピリと感じていた。
    本当に一瞬の出来事。全ての音が持ち去られたかのように、静まり返る体育館。皆の視線が、ボールと燈を交互に行き来しているのを感じていたたまれなくなり、頭上の照明を真っ直ぐに映し出すワックスの効いた床を、一心に見つめる。そこには剥離した自身の爪が、孤独を具象化するように散らばっていた。
    喉元までせり上がってくる嘔吐物。この汚物が喉に詰まって死ねたらいいのに。そう思う心に気づいて、燈は唇の端を歪め自嘲した。
    役目を終えたと思い満足したのだろうか。竜化していた腕はゆっくりと元の姿形に戻っていく。と同時に、竜化によって凍てついていた、人としての心も解凍されたらしい。途端に足がガクガクと震えはじめる。
    怖くて怖くてたまらなかった。

    「谷口さんッ!」

    「谷口さん大丈夫?!」

    「美羽ッ!!」

    複数の声が燈の前を横切り、美羽のほうへと抜けていく。はっと見やれば、彼女の丸パンのように白い頬はざっくりと切れ、決して少量とはいえない血がだらだらと流れていた。

    「美羽……」

    一瞬伸ばした手を再びだらんと下ろして、燈はがっくりと項垂れる。
    異形の姿を晒し、怪我まで負わせてしまった親友に何と謝罪すればいいのだろう。自分が立っているこの場だけが、体育館から隔絶したように、親しき友がどこまでも遠い。月の裏側へ一人赴く孤独にも似た気持ちを抱え、ボールがめり込んだまま時が止まった壁の穴を、茫然と見つめていた。
    ふいに下腹が何かに締め付けられるように、ぎゅうっと痛む。だがこの痛みが、それまでとは違う類のものであると、この時の燈は気づいていなかった。





    「メスの配偶子形成の減数分裂では大きさが不均一に分かれます。それは、卵黄などの栄養分を卵に多量に蓄えさせることが主な要因としてあげられています」

    硬い黒板にチョークを叩く軽い音が、教室に響いている。竜崎先生の細くしなやかな手が、卵の形を模した丸い円を器用に描いていた。
    二限目の理科。この時間は物理コースと生物コースにクラスを分けて行うのだが、竜崎先生の人気もあってか、生物クラスのほうは席の殆どが女子生徒で埋まっていた。だが、そこに美羽の姿はない。あれほど楽しみにしていた理科の時間なのに、だ。
    開いたノートにシャープペンシルで丸い円を描く。そのままぐるぐると何度も同じ個所に黒を重ねていった。
    美羽は頬の傷が思ったよりも深かったらしく、養護教員の付き添いの下、病院で現在治療を受けている。
    結局、彼女とは一言も話せなかった。両脇を抱えられるようにして体育館を出ていく彼女が一度、何か言いたげにこちらを見たが、その視線を振り切ったのは燈のほうだった。何を伝えたかったのか、今となっては知る術もない。
    この力で人を傷つけたのは、電車事件に続き二度目。しかも今回は唯一無二の親友。あれだけ深い傷だ。きっと痕が残るだろう。どれだけ謝っても許してもらえないと思う。いや、それ以前に、竜の身体を持つ私と、友達でいたいと思うはずがない。
    ぐるぐると、同じ個所を巡っていたシャープペンシルがふっと止まった。指先にぎゅっと力が籠り、HBのペンシルがボキリと折れ、ペン先が罫線の引かれた紙を何枚か突き破る。
    ————お腹が、痛い。

    「う、ぐッ……ぅ」

    なにかがおかしい。これまでの鋭利なそれとは違う、下腹部を太いベルトで息もできぬほど締め付けられるような、激烈な痛みだった。
    黒板の上にある掛け時計は、午前10時20分を指している。二限目も中盤に差し掛かる時間だ。身体を丸め、じっとその痛みが過ぎ去るのを待った。痛み自体は1分ほどで収まり、燈は細かく息を吐いて身体を落ち着かせ、額に浮いた汗を拭った。
    この痛みが、抑制剤を飲まなかったことに対する身体の反応だとは思いたくない。
    だがまた5分後、小波を蹴散らす大波の如き激痛が再び襲ってきた。

    「ひ、ぐッ……!」

    痛い。痛い。薄く開いた唇の端から思わず呻き声が漏れる。
    圧縮袋に入れられて、左右の骨盤が一つ重ねられるような、猛烈な圧迫感を伴う激痛。それに付随するように、子宮がきゅんきゅんと収縮して、もうたまらなかった。
    まるで何かを体外に押し出そうとしているかのような、身体の反応———何か、得体の知れないものが出てこようとしている———。
    その後、痛みが起こる感覚は徐々に短く、さらに強さを増していった。

    「せ、ンせッ……!体調が、悪い、ので、ッ……は、ぁッ……保健室に行ってきま、すッ……」

    もう我慢ならなかった。
    痛みと痛みの間のわずかな小康状態の時を見計らって、燈は教室を飛び出した。自分の名を叫ぶ竜崎先生の声を背中で流し、身体を引きずるようにして廊下を押し進む。
    閉め切られた窓の向こうではいつの間にか低い雲が垂れこんでおり、あと小一時間もしないうちに、鈍色の空から重たい雨が降ってきそうだった。



    前髪から振り絞るように落ちた汗が、白いカーブを描く洗面台に音もなく落ちる。

    「ひッ……ンッ……ぅ、!」

    トイレの個室まであと数歩及ばず、洗面台の淵に手をかけ尻をぐっと突き出した状態で、燈はひたすら激痛に耐えていた。
    いや、激痛というよりも、今はナニかを排出するために息んでいる、といったほうが正しいのかもしれない。しかもソレは一つではない。内視鏡で見たわけではないが、本能がそう叫んでいる。
    この痛みには明らかな間隔があり、骨盤を締め付けるような激痛を感じた時に思い切りお腹に力を入れると、ナニかがぐっと下りてくるのだ。いつの間にかふかふかに懐柔された子宮を押し開くようにして、ゆっくりと。
    怖い。一体ナニが出てくるというのだろう。ろ過された純粋な恐怖が張ったお腹を硬くさせ、更なる痛みをもたらしてくる。

    「いッ……!あ、ァッ……!」

    激痛に逆らわないよう呼吸を平らにしながら、排便をする要領で下腹部にぐっと力を入れた。

    「う、ぅッ……!ン、ッ……ひ、ぁッ……!」

    得体のしれない物体が内膣を押し上げて腸側を圧迫し、その圧倒的質量に燈は引き攣るような声を上げた。この痛みから逃れようと、知らずに己の陰部をぎゅうぎゅうと締め付ける。激痛に悶える度に涙だか汗だかわからない透明の雫が、ぼとぼとと洗面台に落ち、丸い虚空に流されていった。
    蠕動する内壁に押されながらソレはゆっくりと下っていき、やがて入り口付近で停滞した。水蜜桃のように潤んだ陰部がひっくり返るように口を開いて、丸い物体を外に追い出すため最後に一回、大きく収縮する。

    「ッ、、ッ———……!」

    にゅるんという音と共に、燈は下着の中に一つ目を産み落とした。形状、質感からいって卵だと直感でわかった。
    『排卵』という背徳的な二文字が、酸素不足に喘ぐ脳を横切っていく。

    「は、ぁッ……はあッ……ひ、ぐッぅ……!」

    一息つく暇もなく、下腹部をぎゅうぎゅうと締め付ける痛みが再び襲ってきた。二つ目の卵を押し出そうと、身体が躍起になっているのだ。
    だが、最後の力を振り絞って息もうとしたその時。

    「岸本さんッ……!やっと見つけたッ!」

    と、荒い呼吸と共に女子トイレに駆け込んできたのは、なんと竜崎先生だった。
    あまりに突然のことで燈は酷く瞠目し、口をパクパクさせた。山の頂へと向かっていた痛みも、一瞬のうちに遠のいていく。

    「な、んで先生……こんなところに……!え、授業はどうしたんですか?!」

    「君が尋常じゃない様子で教室を飛び出して行ったんで、心配になってね」

    生徒達は自習しているから大丈夫だよ、と柔軟剤で丁寧に洗ったような柔和な笑みを向けられて、酷く安堵している自分がいた。だがそれと同時に、先生に排卵を見られたくない、という羞恥心が首をもたげる。

    「岸本さん、酷い汗だ。ここじゃなくて保健室に行こう」

    そう言って肩に手を置かれれば、刺激の増幅装置でもついているかのように燈の身体はビクンと跳ねあがった。

    「だ、大丈夫です……!すぐ行きますから、先生は教室に戻っててくださいッ……!」

    「大丈夫なわけないだろう!さあ、僕が手を貸すから一緒に保健室に」

    凛と澄み切った瞳が、燈を射抜く。清廉で整いすぎたその顔立ちに、排卵の時とは別の意味で、心臓が肋骨を突き破りそうだった。
    だからこそ、こんな痴態を大好きな先生に見られるわけにはいかない。
    だが「ほんとうに大丈夫ですから」と、差し出された手をやんわり押し返そうとしたその身体は、再び洗面台へと押し付けられた。

    「ひ、ッ……痛いッ……!」

    「岸本さんッ!」

    「せんせ、ッ……早く、どっか、行ってくださ……あァッ!」

    怒涛のように押し寄せる痛みに顔をあげることすらままならず、丸いボウルに視線を落としたまま激しく被りを振る。

    「やはり、竜化による排卵現象だね。大丈夫。息を細く吐いて痛みを逃しながら、下腹部にぐっと力を入れるんだ」

    ———今、なんて?
    だがその間にも、骨盤が軋んだ音を立てるほどの激痛が背髄を通して全身に回り、燈はガクガクと足を震わせた。排卵という行為は、考える余地すらも与えてはくれないのか。

    「ふ、ぅッ……!……あッ、先生ッ?!」

    「ごめんよ、岸本さん。緊急事態なんでね」

    突如、先生が突き出されたお尻のスカートをペロンとめくりあげ、薄桃色の下着の横から指を差し入れてきた。体液でぐっしょりと濡れた下着の中を先生のしなやかな指が這い、思わず腰が跳ね上がる。

    「なッ……せんせ、ッ……まッ……!」

    陰部と薄い下着の生地の間で膨らむ、成人男性の拳ほどの卵。彼はそれを下着の脇から抜き取って「これが竜の卵……」とかなんとか呟いている。

    「せんせ、ッ……あなたは一体、何者……!ひ、ぃッ……あ、ァ!痛いッ……!」

    「話は後だよ、岸本さん。二つ目がもうすぐ君のココから出てこようとしている。今はこっちに集中するんだ」

    わかりました、と開いた口からはもはや低い呻き声しか出ない。言われた通り息を細く吐き出して、卵を押し出す感覚で下腹部にぐうっと力を入れた。いつの間にかスカートは取り去られており、露になった下着からはポタポタと粘着質な液体が落ちて、床に仄暗いシミを増やしている。
    一つ目の卵が通った肉壁はさらに懐柔され、うねうねと蠕動を繰り返しながら、異物を押し出そうと躍起になっていた。

    「は、ぁッ……あ、ッ!」

    「もう少しだよ。ココに意識を集中させて。思い切り息むんだ」

    背後から回ってきた手がするりと制服の中に潜り込んで、歪な形に膨らんだ下腹を優しく撫ぜ下げる。

    「ぁ……」

    その手に他意はなくとも、好きな人から触れられる行為に慣れない燈は、思わず熱い吐息を漏らした。身体活動が停止したように冷たいその掌に心地よさを感じながら、燈は最後の力を振り絞って下半身に力を込める。

    「ぐ、ぅッ……あ、ぁ———ッ……!」

    裂けんばかりに開かれた赤い陰部からぬるりと卵が押し出され、薄い下着の中に音もなく納まった。透け感のあるパンティーを通してみるソレは白くてまん丸で、おおよそ竜の稚児が入っているとは思えないくらい可愛く思える。
    ああ、でも、終わった。何もかも終わった。この卵が私の全てを終わらせた。

    「ひ、ぅッ……う、ッ……」

    同時に湧き上がってきた涙が眼底を揺らし、頬を濡らした。
    すーっと引いていく身体の熱に比例するように、絶望が外套のように燈を覆う。
    先生に排卵を見られてしまった。こんな痴態を見られてしまった。よりにもよって一番見られたくない相手に。
    もう終わりだ。何もかも。
    ふいに洗面台についていた手を強引に引かれ、よろける間もなくすっぽりと収まった先は、絶望の外套ではなく先生の腕の中。一瞬何が起こったのかわからず、目を白黒させる。

    「え、先生……」

    「君が竜化に悩まされていたこと、実はずっと前から薄々気づいていたんだ。それが、先日の電車での一件で確信に変わった」

    早く声をかけてあげれなくてごめんね、と先生。

    「どうして……どうして竜化のことを……?」

    国内において竜化について知る者は殆どいないはずだ。比較的、竜化の発現が多くみられるヨーロッパですら、その存在は秘匿とされている。
    それをどうして先生が知っているのだろう。
    先生ははっと両腕から燈を解き放ち「ご、ごめんよ!息苦しかったよね」と、きまり悪そうに頭を掻いてから、話を続けた。

    「僕は日本で極秘に行われている竜化の研究者なんだ。普段は生物教師という仮面を被ってはいるけど、本当はすごいんだぞ」

    そう言って、彼は悪戯っぽく笑う。小さく甘い顔立ちに無垢な笑顔が混じった、彼のその美しさを表す形容詞なんて、きっとこの世にない、と燈は冷静な部分で思った。
    先生の手の中にある卵に視線を落としながら、燈は乾ききった唇を舐めとっておずおずと口を開いた。

    「と、いうことは……先生は私をどっかの研究機関にぶち込んで、実験体にするってことですか……?」

    耳に痛いくらいの静寂。
    そして、こちらまで上に引き上げられるような先生の高らかな笑い声が、狭いトイレに響き渡る。それは反響して燈の耳殻を優しく撫ぜた。
    彼は「そんなことしないよ」と、燈の目から零れ落ちそうになっている、最後の涙をすくい上げた。

    「岸本さん、よく聞いて。僕の名前は竜崎 守。『竜』を『守』ることを運命づけられた人間だ。だから君がなるべく普通の人間生活を送れるように、サポートさせてはくれないかい?」

    国の援助を得て運営されている竜化の研究施設では、最新の抑制剤の研究開発がなされているらしい。それはまだ臨床段階ではあるものの、日本人の体質にあった国産の抑制剤の実用化までは、そう遠くない未来だそうだ。
    さらに研究施設には、特殊な光線を2時間照射するだけで、1週間は竜化が完全抑制されるカプセルもあるらしく、その頼もしい言葉に、意図せず鼻の奥がツンと痛くなった。
    だがそれが地球上でただ一人、竜化する女性である燈に効くかはわからない。さらに言うならば、今回の排卵も恐らく世界初の事例だ。これまで服用してきた抑制剤と同様、燈にとっては全く意味を成さないものかもしれない。

    「君が送るべき『人間としての生活』を守らせてほしい。それが僕の務めだと思っている」

    それでも———。
    竜崎先生のその言葉は、外套のように覆い被さっていた純粋な絶望の中に差す光の柱のように、揺るぎないものだった。
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