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    pyo_st

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    pyo_st

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    傀暮
    そんなに絡みはない。
    ※シャレムのプロファイルの内容含む
    ※一部洪水の描写があります。苦手な方は読まないでね。

    細い歌で繋がっている ロドスに入職してから、数ヶ月が経った。段々とこの陸上艦の作りも頭に入り、道に迷うことも無くなった。オペレーターに与えられる宿舎のベッドは簡素な作りだが、柔らかくて暖かい。あの古城での日々も荒野での野宿も全ては夢だったのだと思いたい。だが、あの頭がぼんやりと霞がかる甘ったるいキャンドルの香りが今でも鮮明に思い出され、あれは現実だと伝えてくる。
     ロドスでの夜は静かだった。古城にいた頃は考えられないほどだ。誰かの啜り泣く声、唐突な笑い声、永遠に続く独り言、鼻歌、役に没頭し続ける者、紙から机、机から壁へとひたすら何かを書き続ける者———常に何かしら聞こえていた。だから、この静かな夜だけはなかなか慣れなかった。静けさに耳を澄ませば、その直後には自分を卑怯だと罵り非難する亡霊たちの声、自分を舞台へ引き戻そうとする劇団の手のものの声が聞こえてくるのだ。幻聴だとわかっている。だが一度耳を貸せばもう止めることはできなかった。何も聞こえないこと。それが一番の恐怖だった。
     そうして沈黙と戦う夜を幾度も過ごし、ある日遂に耐えかねて甲板から身を投げようと思った。荒野を彷徨っていたところを救ってくれたロドスには申し訳ないが、数多いる外勤オペレーターのうちの大して繋がりもない誰か一人が消えようと何の影響もないだろう。そうして風が吹きつける甲板の手摺に足を掛け、立ち上がる。あとは風が背中を押してくれさえすれば良い。——しかし、風は味方をせず、自ら空に足を伸ばすことも出来なかった。劇団で生きるために培われたバランス力が悲しくもここで活きてしまったのもあるが、遥か下に見える地面に叩きつけられ、轟々と砂煙をあげて走行する鉄の塊に押し潰されて死ぬことを想像して、本能が死を拒絶した。もはや生きることも死ぬことも恐怖だった。
     思えば、死ねる機会などいくらでもあったはずなのだ。劇団から与えられる食糧に口をつけなければ。稽古中あの高台から足を踏み外せば。役のために手にしたナイフを自分の腹に突き刺せば。芸術のために用意された死を受け入れれば。何もない荒野を誰の助けも拒み歩き続けていれば。そのどれもを拒絶したのは自分だった。生きる勇気も、死ぬ勇気もない。ならば、この苦痛をどう飼い慣らせばいいのだろう。どうしたら解放されるのだろう。胸の内がきゅっと狭まる。次第に呼吸が浅くなり、僅かに開いた唇が震える。鼻の奥がつんとして、目頭に熱いものが込み上げ視界が歪んだ。情けない。泣いても何も解決しないことはとうの昔に学んだはずなのに。
     甲板の内側に戻り、頬を伝う涙を拭うこともせずただただ夜風を浴びた。甲板の上に吹き上がる風が髪を乱暴に梳き、涙を散らしていった。そうしているうちに、夜風が耳を通り過ぎる音が襲いくる沈黙から守ってくれることに気がついた。その場に膝を抱えて座り込み、風の音に耳を傾ける。不規則な強弱をつけながら風が歌っている。目を閉じ、風に身を任せて喉を震わせてみる。ひとつ、またひとつ。風の音を伴奏に歌を歌う。歌詞などないただの音の繋がりだ。しかし、つい先程まで生と死に追い立てられていたとは思えないほど心は平穏に満たされていく。皮肉なことに劇団によって教えられた音楽が、沈黙の恐怖を遠ざける唯一の方法だった。
     夢中になって頭に浮かぶ旋律を辿るうちに、いつの間にか眠りに落ちている。陽の光と、この鉄の舟の中から感じる動き出した人々の気配で目を覚まし、誰かに遭遇する前に自室に戻る。しばらく、そんな日々が続いた。こうやって生きていけばいい。ロドスが前に進み続ける限り風は止まないのだから。どうせ死ぬのなら自ら断つのではなく、得体の知れない自分を本当の意味で守ってくれたロドスのために命を捧げよう。
     こうして第二、いや、第三の人生が始まった。始まった、はずだったのだ。
     あの幻影に会うまでは。



     音、音が聴こえる。
     声が聴こえる。
     有り得なかった。ここは荒野。どの方位を見渡せど、目に入るのは砂煙の上がる剥き出しの大地。大小様々な石、岩、崖。厳しい環境でもなお地に根を張る雑草。そして異質に輝く源石のみだ。遮るものもなく、昼も夜も風が強く吹きつける。そして周りには誰もいない。だがまるで自分が劇場の真ん中の客席に座り舞台を見ているかのように、その声は鮮明に自身の内に響いた。決して舞台の上で披露するような歌ではない。鼻歌のような、子守唄のような。優しい歌声だった。しかし、どこかで聴いたことがあるようにも思う。不思議な声。
     有り得ない。だが、音のする方へと足が動く。久しぶりの感覚だった。初めて見るキラキラと輝く舞台に思わず吸い寄せられた、あの感覚。
     遠い昔の記憶が思い起こされると共に、荒野の景色が一変した。今まで歩いていた地面は屋根に変わり、吹きつける風は湿気を帯びていく。風音には大量の水が流れる音が混じり、遠くからいくつもの叫び声が聞こえる。気づけば全身水浸しで、先程まで着ていた黒い装束は白いワイシャツと短いスラックスになり、靴は片方脱げている。自身の両手を見やる。子供の手だ。洪水が村を襲った日の光景だった。なぜ、何故今こんなものが見えている?困惑しながらも、聴こえ続ける歌声に耳を澄ませる。少しでも声のする方へ、不安定な屋根を懸命に伝って進んでいく。洪水に巻き込まれた人々が、必死に瓦礫にしがみつきながら流されていく光景に目を瞑る。これは幻覚だ。現実ではない。心を痛める必要は、ない。
     早く目を覚まさなくては。そう思い首を振った直後、聴こえていた声は止まり、景色は瞬き一つで元の荒野に戻った。両手はいつもの黒いグローブで覆われ、黒いフードが頭を覆っている。全身は乾いている。現実に戻ってきたのだ。
     ふと体の力が抜け、その場に膝をつく。元いた場所からは大分移動したようだ。頭が痛い。目を瞑り状況を整理していると、膝に何かがすり寄る感覚があった。可愛らしくも少し心配そうな声色で鳴くレディが一人。ミス・クリスティーンだ。幻覚を見ている間も、彼女は暗い闇夜の中で健気にも後をついてきたのだ。彼女の頭を撫で、喉元を撫でてやると、目を細めて膝の上に乗る。そして肩に移り、頬を擦り寄せてくる。
    「……ああ、そうだな。少し、休もう」
     荒野にテントを張る必要はない。闇に溶け込んでしまえば、もう誰に見つかることもないのだ。
     やがて闇から目を覚ますと、決まって夜にまたあの歌声が聴こえるようになった。しばらく、声の聴こえる方へ進み続ける日々が続いた。その時にあの日の幻覚を見る日もあれば、見ない日もあった。その歌声は日に日に近くなっていく。この声ももはや幻覚なのかもしれない。あの血塗られた夜から、いや、劇団に入った時から、自分はとっくにおかしくなってしまったのだとわかっていた。だがもうひとつわかっていることがある。それは、自分の身に起きていることの真相を突き止める必要があるということだ。そうして初めて、劇団の支配から逃れられる。劇団を壊滅させた今、例え幻聴だろうとその歌声に直感的に縋る以外に道はなかった。
     そしてある日ついに辿り着いた。その声の持ち主に。一目見て、何故その声が聞こえたのかも理解した。彼は同類だった。同じ芸術への渇望を植え込まれた同類だ。
     彼と目が合う。この広い広い荒野で、互いしか存在していないかのような錯覚を覚える。やっと、やっと見つけたのだ。無くした手がかりを。
     劇団を抜けることは然程難しいことではない。薄い紙ぺら一枚にサインをすれば良い。しかし抜けた者が無事に劇団を去ることは困難だ。なぜなら、劇団にとって不要な命は全て芸術のための餌となるのだから。だが、劇団を去った彼は今生きて目の前にいる。今までずっと彼の安否は定かではなかった。生きてまた無様に戻ってくると笑う者、城の外の荒野で生きていけるはずがないと憐れむ者、彼の生死に興味がない者、彼の愚行に激怒し暴言を吐き続ける者、様々だったが結局は皆等しく劇団と共に終焉を迎えた。劇団にいながら自我を保ち、その手を汚さずに己の正義を貫いた彼だけが、唯一の劇団の生存者となったのだ。そしてその彼の歌に導かれて再びこうして出会えた。これを、劇的と言わずして何と言うべきか。
     彼の背を追う。彼が劇団を去った日、追えなかったあの背中を。今度こそ二度と後悔しないために。



     ああ、歌が聴こえる。
     もう二度と聴くことはないと思っていた、その歌声。鉱石病をその喉に患うなど、この世界に神が本当にいるのだとしたらなんて無慈悲で芸術に理解のないことだろうか。彼の歌声は、こんな形で塞がれるべきではなかったのに。こんな形で、誰かを傷つけるものではなかったはずなのに。
     もうほとんど息だけの掠れ声で、苦しそうに、それでも彼は毎晩歌を歌う。誰も傷つけないように一人甲板でひっそりと。だけれど、己の内の芸術の炎を消してしまわないよう情熱を持って、繊細に、繊細に。
     ロドスでの夜を甲板で過ごすことがなくなってどれほど経っただろうか。正確に言えば、宿舎から出られなくなって、どれほど。
     数ヶ月前、荒野での作戦行動中にそれは現れた。もはや遠い過去の住人となったはずの、緋き貴石。クリムゾンソリティア。幻覚。幻覚に違いないと、そうは思っても逃げないわけにはいかなかった。もう第三の人生を歩み出したのだ。幻覚だろうと振り切ることで今の生活を守れるのならば、振り切る以外に他に選択肢はなかった。適当な理由をつけて小隊を離れ、出来るだけ人の多い街に逃げ込み、変装をし、いくつものロドスの事務局を経由して、本艦に戻った。巻けはしたが、一つ失念していたのだ。何故彼が偶然にもあの広い荒野で自分を見つけられたのか。偶然ではなかったとしたら?——方法はわからないが、彼は確実に自分の後を追ってこのロドス本艦を見つけ侵入し、挙げ句の果てに『ファントム』というコードネームでオペレーターとして入職した。
     行動の動機がわからなかった。劇団を抜けたこの身を舞台に連れ戻すためなのか、はたまた劇団にとって不都合な情報を世にばら撒かせまいと口封じに殺すためなのか、どちらにせよ彼ならばわざわざロドスに入職するまでもなく、一息に終わらせることができたはずだ。だがそうしない。一体何が目的なのか。わからない以上下手に接触するのは避けたかった。そこから、宿舎に閉じ籠る日々が始まった。
     絶望的だった。宿舎を一歩出れば、幽霊が獲物を探して彷徨っている。もしかすると、部屋の中を一歩でも足音を立てれば気づかれるかもしれない。だが宿舎に置物のように留まっていれば、沈黙が容赦なく襲いかかる。もうなす術がなかった。途方に暮れ、緩やかに死を待つのみと全てを諦め迎えたその日の夜に、その歌声は聴こえた。
    「…〜♪、♪……〜♪…」
     耳から入ってくる音とはまた違う、己の内に響く音だった。歌っているのだ。彼が。ルシアンが。
     ベッドに横になり目を瞑って彼の歌を聴く。懐かしい声。だがどこかつっかえるような違和感がある。——その原因が鉱石病だと知るのは、もう少し先の話だ——彼の歌声は子供の頃から変わらず美しかった。小さい頃から彼は歌うことが好きで、歌の練習をしては褒められ、周りに披露しては褒められ、普段からあまり変わらない表情もその時だけは年相応に無邪気に笑っていた。歌を聴かせて、とこちらからねだった時もあった。その時も彼は躊躇うことなく一人前に立ち、高らかと歌い上げた。彼の歌声が好きだった。憧れだった。
    『眠れないのか?…子守唄なら、歌ってあげられる』
     ふと、眠れずにルシアンに子守唄を歌ってもらった夜のことを思い出した。どんなに劇団に希望を見ても、失った両親を想って涙するまだ無力な子供だったから。子供たちに用意された二人で一つの小さなベッド。隣で眠るルシアンの胸に縋って泣きながら彼の子守唄を聴いた。
     同じだ、あの時と。変わったのは立場。劇団が必要とする秀才と、劇団を去った落ちこぼれ。狩る者と、狩られる者。せめて今だけは、子守唄を聴いたあの夜を夢に見ながら眠っても良いだろうか。そう思いながら眠りの淵に意識を手放した。
     次の日も、その次の日も、彼は毎晩歌を歌った。矛盾しているが、日中は彼の存在を恨むのに、夜になると彼が恋しいのだ。甲板で風を聴きながら眠れなくなってから、彼の歌声は文字通り子守唄だった。だが、その日々は唐突に終わる。それは、逃げ続けた過去に追いつかれた合図だった。
    ”失踪したオペレーター・ファントムの捜索“
     携帯端末から鳴るメッセージの通知音が、開演前のブザーのように部屋に響き渡った。
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