お肉は幸せの味街にはそれぞれ色がある。
シエスタ、カジミエーシュ、イェラグ、龍門。そのどれをとっても同じ喧騒というのは存在しない。ロドスの賑やかさとも似て非なるそれぞれの個性というものがあった。
様々な都市を渡り歩いてそれを実感してきたが、中でも龍門の人々とざわめきはいつしか自分にとってはロドスを除いた場合一番馴染み深いものとなり始めていた。
今日は久々に勝ち取った休暇と外泊許可を携えてリー探偵事務所へと向かっている。
いつからか完全に覚えてしまった道のりを経てこれまた見馴れた事務所の扉の前でドアベルを鳴らす。子供たちは明日顔を出すと言っていたので今この中に居るのは彼一人だろう。
「どうもドクター。お待ちしてましたよ」
きぃと蝶番が鳴る音と共に大柄な龍が顔を出す。私が彼が出てくることを確信していたように、向こうも扉の先に居るのが私だと確信していたような笑顔で出迎えてくれる。
「やあリー、久しぶりだね」
さあ中へどうぞ、と早々に促してくる彼の言葉に甘えて中に入れさせてもらう。
「仕事の調子はどうだい?」
「ぼちぼちってもんですよ。最近はこれといって特別な依頼も舞い込んでこないんで随分と平和に商売やらせてもらってます」
「それは何よりだ。ああそうだ、子ども達は明日こちらに顔を出すそうだよ。二人きりになるよう気を使われてしまったな…」
他愛もない話をしながらリビングへと足を向ける。荷物の置き場や座る位置は体が覚えていたため人の家にお邪魔する時特有の緊張感というものはずっと前に忘れてしまっていた。
リーは足音からして私の後ろに続いてこちらに来ていることがわかった。だからふと彼の方に顔を向けると彼の目線が私の顔よりいくらか下を向いていることにここで初めて気がついた。彼は話すとき相手の顔をしっかりと見る人だと認識しているのだが、一体何を気にしているのだろう。
「ドクター、昼食…いや、朝食は摂りました?」
「うん?食堂で軽くスープをいただいたよ」
「あぁ、それならいいんです…では昨晩の夜は?」
「昨晩は少し忙しかったのと、今日早くに出ないといけないこともあったから食べてないんだ」
今日の分の仕事も片付ける必要があったから、とはさすがに口には出せない。
「ははぁそうですか…その不摂生、昨日一日だけの話ですか?」
質問の意味を考えていると突如として彼の両腕がぬっと伸びてきて私のウエストを囲むように腰をぐわしと掴んできた。
「ぎゃっ!」
「色気の無い声ですねぇ」
両腕は検分するように私の体を這いまわる。腰、下腹、脇腹を執拗に探られて背中がぞわぞわする。もしかして過去に彼の体を探りまわったお返しをされているのだろうか。
「顔見た時に少し気になりまして。少し見ない内に瘦せましたね、ドクター」
「う、」
リーの見立ては間違っていない。確かに先日の健康診断では前回よりも数字が減っていた。だが、
「せ、正常の範囲なので」
「ギリですか?」
「ギリ…です」
「じゃあおれ的にダメです」
ギリギリでも正常の範囲だっつってんだろ!なんて前の自分なら反論していたかもしれない。だがこの食べさせたがりには恐らく通用しない。あばら骨が浮いた人間を捕まえては肉がつくまで美味い飯で餌付けするのがこの男の趣味なのだ。それだけ聞くと童話の人喰い魔女のようだ。しかし以前彼に冗談で「私を太らせて、食べる気なのか?」と聞いてみたら「そうかもしれませんね」と返された。彼なりの冗談の返しだったのだろうがいつか取って食われるのかもしれない。
「よーし決めました。今日の昼飯は焼肉にしましょう!」
余計なことを考えているうちに彼が勝手に昼食を決めてはさあさあ行きますよと肩を掴まれて来た道を引き返させられることになった。
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「リーは甘口ダレと辛口ダレどっちが好き?」
「おれは辛口のが好きです」
「じゃあこれ、口を開けて」
「あのねぇ、ドクターに食べてほしくて焼いてるんですから気にしなくても」
「私は君にも食べて欲しい。食事は共に食べてこそだと教えてくれたのは君だ」
店の特製だというタレを絡めた肉を箸で持ち上げリーの口元に寄せてそう言えば彼は仕方なしといった様子で食べてくれた。
さっきからずっとこの調子だ。行きつけだという年季の入った店に連れてこられたと思ったらあれよあれよという間に彼が注文を済ませて、これまた手早く用意された生肉を机の中央に取り付けられた網の上で焼いてはこちらに寄越してくる。だから私が半ば押し付ける形で肉を食べさせている。
傍から見ればすごい恥ずかしいことをしているような気もするが店の奥まった席に通された上、まだ昼飯時と言うには少し早い時間で人も多くないので深く考えないことにする。
さて自分も、とまだ湯気が立つ肉に甘口ダレをさっと絡めて己の口に放り込んだ。肉の部位というものに詳しくないが、柔らかい肉を噛むたびに脂と旨味の詰まった肉汁が溢れてきて、美味しいということだけはわかった。
「美味しいね」
「でしょう?ここの店は仕入れにこだわってるから安いのに上等な肉が食えるんですよ。タレも売りにしてるもんで、このあたりじゃ一番美味い焼肉屋だと俺は思いますね」
「君が言うなら間違いないな」
実際、タレも肉とよく合っていてとても美味しいと感じる。ロドスの食堂でも肉は食べられるがそれとは違った美味しさというものがあるがこれは特に焼いてすぐのものを食べているからだろうか。
「焼肉屋……というものには初めて来たけど客自らが焼いて食べるというシステムは面白いね。焼きたてが食べられるし店の手間が一つ減る。何より、ウタゲが話していたことが少しわかった気がするよ」
「ああ、彼女は龍門にきた留学生でしたね」
「彼女は極東にも同じような店があるって言っていたよ」
以前秘書をしていたウタゲが「焼肉屋に行きたい」と呟いた時のことを思い出す。当時の自分は焼肉屋というものがわからなかったので彼女に聞いたところ詳細を教えてくれたことがあった。
「なんでも、家でする焼肉と店の焼肉は違うんだとか」
「ええ、確かに」
「君も事務所ですることがあるの?」
「時々、ですけどね。ホットプレートを引っ張り出して皆で囲むこともありますよ」
リーは肉につけるタレは自分が何種類か用意して、肉の下拵えはウンの担当なんだとか、アの奴は誰が焼き始めた肉でも気にせずかっさらうからワイフーと喧嘩になるんだとか、そんな話をしてくれた。
子供達の話をするリーの顔はふわりと優しくて、あの子達のことを血の繋がりがなくても実の子供のように大切にしているのだとわかるような微笑みだった。
「楽しそうだね。家族団欒というやつなのかな」
「よければ次の機会にはドクターも来てくださいよ。ああそうだ、アーミヤさんも呼んだらいい」
「アーミヤも?」
「あなたにとっては家族みたいなもんでしょう?それに彼女だってまだ子供なんですから、人ん家の夕食会ってものに行く機会があったっていい」
確かに、アーミヤは家族のような存在だ。だが私達が所謂本当の家族のように過ごすことは滅多にない。組織のCEOとその付き添いとして企業同士の堅苦しい会食や水面下の争いが絶えないパーティー会場を共にしてばかりだった。ロドスにいる時は私がほとんど執務室で食事をしていて彼女が普段食堂に行っているのか、そうでないかも情けないことにわからない。あの子が子供らしい時間を過ごせた頃は……私の記憶が消える前には、あったのだろうか?
アーミヤと私と探偵事務所の皆で食卓を囲む時間は少しでも彼女に年相応の、普通の女の子が友達の家に行くような時間になってくれるだろうか。龍門の街並みを見たあの時のような無邪気な顔を見られるなら、それは何物にも代えがたい貴重な一時になるに違いない。
「……いいね、ロドス内の空き部屋を借りよう。私とアーミヤが同時に君の事務所に行くのは難しいから」
「よおし、部屋の手配は任せましたよ。俺はガキ共に話をつけておきますのでね」
次の予定を決めながらする食事は、どこか幸福の味がした。