ガバガバースなビリグレ⑤【前回のあらすじ】
眠りについたグレイは悪夢をみる。アカデミー退学直前に複数人から強姦され陵辱された記憶が悪夢となってよみがえった。βだから子どもはできない、そんな理由で行われた酷い行為はグレイの中に深い傷跡を残していた。
〇〇〇
「……っっは、ぁ!!!!!」
そこで意識が浮上した。
ビクッと全身が震えて覚醒を促す。開いた目は、見慣れた天井を映し出していた。
全身を襲っていた鈍痛は全く無い。全部夢だった。そのことを確認してホッと息をつく。
頭が重い。身体を起こそうとして、全身のダルさに抗えずまたベッドに沈む。少し暑くって、それでも背筋にはゾワゾワとした悪寒が走る。風邪を引いたのかもしれない。
今日はイースト担当の四人でパトロールだったはずだ。連絡、と思ってスマホを探すもそういえば早朝に一度起きて体調不良を連絡していたのを思い出す。
ジェイからは連絡の受諾と労わりの言葉が送られ、アッシュからはいつものように軟弱だと非難された。ビリーからは別途に連絡がきて、自分への心配と午後は検査に向かおうという誘いがあったはず。それらを確認した後、もう一度眠りについたのだが……。
(二度寝なんてしなきゃよかった……)
寝起きは最悪。酷い悪夢をみた。
体調不良時は悪夢も多いというのは分かりきっていたのに。しかも昨日はトリガーになる出来事だってあったんだから。
「ビリーくん……」
虚ろな目で彼の名を呼ぶ。海辺で、申し訳なさそうに自分の潔癖を告げてくれた彼を思う。自分がさらけ出せなかった過去がここまで醜く汚いものだと知ったならば、嫌われることは確実だった。もう、既に嫌われているのかもしれない。
この現実が夢であって欲しかった。寝ても覚めても悪夢の延長だなんて酷すぎやしないだろうか。
「連絡……来てるかな……」
気怠さを訴える腕を無理矢理上げてベッド脇に置いていたスマホを手に取る。二度寝の直前に確認した時間は七時前後、現在は正午。ちょうど数分前にジェイからパトロールは滞りなく行えている、これから昼食休憩だと連絡が入っていた。
何事もなくって良かった、と微笑みトーク画面を閉じる。それから少しスワイプさせると通知マークがついているビリーとのトーク画面を開いた。
「二時、くらいに……検査、了解……」
文面は簡潔で、それでいてグレイにとても気遣っている様子が伺えるものだった。今の体調の心配、ビリーは一足先に研究部に血液検査をしてもらっていて今は結果待ちとのこと、検査はずらした方がいいしビリーと共に居たら良くないかもしれないので介添えはできない、などなど。熱があってぼうっとしているグレイにもすんなりと情報が入るように丁寧にまとめられていて、やっぱりビリーくんはすごいなぁとため息をついた。
それと同時に思い出すのは昨日の夜のこと。急に押し倒され、首を噛まれた時に見た彼の目はハッキリと欲情していた。濁って霞んで暗い色が渦巻いた瞳。それは欲の象徴だということは身体をもって嫌という程覚えさせられている。
だから少しでも役に立ちたかった。たとえ必要とされているのがこの身体だけだったとしても。
(…………)
件の集団レイプ事件の後、トライアウトまで自力で勉強したいと尤もらしい理由をでっち上げて退学。その後プロゲーマーとして日々を過ごしていた中、自分の身体はあの事件で大きく変わってしまったことを突きつけられた。
今まで性欲処理はかなり消極的だった。寮生活の中でそういった弱みになるところを見られでもしたらアッシュ達からのいじめの格好の餌になってしまう。そんな性経験の疎い自分が、いきなり受け入れる側として扱われたのだ。はじめての性交渉の形は、その後も自分の性欲処理スタイルに過剰に影響を与えた。
つまるところ、普通に扱くだけではイけなくなったのだ。
後ろを触りながらが基本的なスタイルになっていき少しでも痛みを和らげようとした結果、見事に自己開発をしてしまった。
前述のように性欲処理はあまりしない質なので回数は多くないが、それでも受け入れる側としての準備はすぐにできるようになった。悲しいことに。
しかし今までは負の感情しかなかった自分の身体を、今、自分の大事な人が必要としてくれている。正直、嬉しかった。他人には絶対ここまではできないが、ビリーの為ならば自分は全てを差し出したっていい。はじめての友人は、グレイの中でそこまで大きい存在だった。
歪んだ献身だ。ジェットではない、けど自分が目を逸らしたい部分がそう呟く。
それでも良かった。歪んでいたとしても、自分の身体がビリーの役に立てるなら。少しでも友達に喜んで貰えるなら。それだけで自分は満たされる。
(だけど、急に、なんで……?)
脳裏に疑問が浮かぶ。今までそんなこと言われたことはない。ハグして、だとかハンドシェイク極めよう、だとかそういった軽いスキンシップはこれまでも沢山繰り返してきていたがそれはコウイウ事をしたいというサインだったのだろうか。
「……そうじゃないと、いいな」
本音だ。あの心がくすぐったくなるような優しいスキンシップの裏に、ドロリと自分を焦がすような欲望が隠れていたなんて思いたくない。
あと、考えられるとすれば。
──本番の前に練習台が必要ってワケ
(……あっ、なるほど)
頭痛をもたらす悪夢の記憶は、皮肉なことにその答えを教えてくれた。つまるところ、ビリーには想い人ができたのだ。もしかしたら恋人関係になってるのかもしれない。
そうなったら好いた人と蜜時を過ごしたいと願うのは必然だろう。自分は例外的に赤の他人達と行った行為だが、本来ならば恋人と順序を踏んで行うもの。そしてだれだっていざ本番となった時に失敗はしたくない。初めての恋人だと言うのなら尚更経験なんてないだろうし、未成年の彼が風俗に出入りするというのは考えにくい。
そこで丁度いい友人がそばにいることを思い出した。性別は子どもを孕む側ではなく、しかもかなり打ち解けた仲だから彼の潔癖の琴線にも触れない。加えて、まだ告げてはいないので知らないかもしれないが今のグレイは後ろで受け入れて快楽を得ることもできる。まさに体のいい『練習台』というわけだ。
(なら、僕にできることは……)
昨日シャワーをしながらそこまで考えて一度目を瞑り、バスルームに貼り付けてあるミラーに映った自分を見た。光が欠片ほども見えない瞳の奥は覚悟の定まった感情を湛えていた。
(ちゃんと、練習台になってあげてビリーくんを手伝うこと)
そう、準備をしながらそこまで覚悟を決めていたのだ。
結果としてそれは完全にグレイの勘違いだったのだが。
部屋に戻ってビリーを押し倒そうとしたとき、腕を引かれてバランスを崩された。そしてあっという間に距離を置かれて、目を白黒させている自分に物凄い勢いで彼は謝罪をしてきた。聞くところによると先日から彼が言い続けている甘い匂いのせいかもしれないとのこと。
あんな目で見られていてそれだけの理由で納得できる、と言うと嘘になる。だが確かに普段から優しいビリーがいきなりあんな事をするなんて思えないし、何よりもうビリーが自分に対して無闇に嘘をつくことは無いと確信している。だから、きっと本当。つまり、その気になっていたのは自分だけ。
「うぅぅ〜………」
恥ずかしくて消えちゃいたい。いや、恥ずかしいだけならまだしもこんな状況は絶望じゃないか。頭の中で自責の言葉が堂々巡りを始める。
布団を頭からかぶって呻く。きっと自分は何もかもをダメにしてしまった。それがひたすらに悲しくて、辛くて怖かった。
無理やり目を瞑って現実逃避を始める。二時までならまだ時間があるからもう一眠りするか。悪夢を見る可能性もあるが、起きていたらそれはそれで余計なことばかり考えてしまう。それが嫌だった。
布団の中でギュッと瞼を締める。我慢していた涙は溢れるがままだ。
その時、突然部屋の扉が開く音がした。ビクッと身体を跳ねさせる。
(え、だれ……?)
事情が事情なだけにもう一人の部屋の持ち主であるビリーではないだろう。イーストのメンター達はまだパトロール中だ。来客の予定、でもあっただろうか?
人と話したい気分ではない。やり過ごそうと思って息を殺すが、足音はまっすぐこちらへと近づいてくる。グレイに用があるらしい。
腹を括って顔を出そうか。一呼吸を置いて掛け布団をめくろうとしたそのときだった。
(……甘い?)
鼻孔をくすぐる甘い香りに動きが止まる。強烈ではなくて淡く柔らかい、それでいて存在感を主張する砂糖菓子のような匂い。そこに交じる清涼な空気と暖かな太陽を感じさせる香りはグレイのよく知るものだった。
「ビリーくんっ!!」
「うわっ、と!!?」
思わず布団から飛び出る。そばに寄っていた人物は軽く姿勢を崩すもすぐに体勢を立て直した。グレイはそのまま静止した。思い描いていた人物と目の前の人物が一致しない。
「フェイス、くん……?」
「あ〜、ごめんね?ビリーじゃなくて俺で」
どこがバツが悪そうな表情で頭に手をやる彼に、慌てて謝罪する。
「きっ、気にしないで!!僕が勝手にビリーくんだと思いこんじゃっただけでフェイスくんは何も悪くないから……」
「まあ勘違いするのも無理ないよ。ビリーの部屋なんだからビリーが帰ってきたって思うのが自然だよね」
本当はそこまで考えていなくて、ビリーの匂いがしたから飛び起きただけだ。だがここでそれを言うと話がややこしくなるかもしれないと思いグレイは口を開く。
「えっと、フェイスくんはどうしてここに……?」
「風邪をひいたってきいたからお見舞い。あとビリーの私物の返却」
「おぉ、おぅおみっ!!?おみまっっ!?」
「アハ、そんなに慌てること?同期のお見舞いするのはおかしい?」
「おかしくないっ!!!ででででっ、でもっ!!フェイスくんみたいな一軍の人が他の人ならともかくこんな僕なんかと軽率に絡んでくれるなんてそんな……」
「一軍も何も一緒にライブやった仲でしょ。もう忘れちゃった?」
「わっ、忘れてないっ!!!!」
「なんだ、思ったよりも元気そうで安心した♪」
「はわっ、わわわわ……」
眩しい、眩しすぎる。いくら体調を崩したからといってわざわざお見舞いに部屋まで来てくれるなんて。ビリーと同年代の人たちは優しさの塊な人間しかいないのだろうか。
我を忘れるほど感激しているグレイを見てフェイスは軽く笑って言葉を続けた。
「なぁんて。最初はお見舞いまでする予定じゃなかったんだよ。でもビリーに『お金渡すからグレイにゼリーとか冷却シートとか買ってきて!!』ってお願いされちゃってさ。あんなビリーなかなか見れないから、物珍しさついでにここまで来ちゃったって感じ」
「えっ、ビリーくんが……?」
どこまで優しいのだろう。幻滅されたと思っていたのに、まだこんな自分に情けをかけてくれるなんて。
「えっと、でも、なんでフェイスくんに……?」
「あれ?ビリーに聞いてない?昨日急にウチの部屋に泊まりに来たんだよ。理由ははぐらかされたけど……どうしたの、喧嘩でもした?」
深いピンクの瞳がこちらに問いかけてくる。吸い込まれそうなその色と目を合わせ続けるのは少々落ち着かなくて、下を向きながらその問いに答えた。
「喧嘩は、してないよ……。ただ僕がちょっと勘違いしてビリーくんに、少しやな事しちゃったんだ……。それで、ビリーくんは僕のこと気にして部屋を移動してくれて。そっか、そういえばフェイスくん達のところに行くって言ってたね。ごめん、心配かけて」
昨日のことはビリーにもグレイにも知られていいメリットはないと思い、詳細は省いて伝える。それを聞きながらベッドサイドにゼリーを取り出しているフェイスは、ふーんと呟いてグレイに向き直った。
「ビリーとおんなじ事言ってるね」
「……え?」
キョトンとするグレイに、無意識だったんだ、と苦笑する。
「ビリー、昨日部屋に来た時はいつも通りだったんだけどさ。おチビちゃんが寝た後に急にしおらしくなっちゃって。理由を聞いても詳しいことは教えてくれないし、そのくせグレイに酷いことしちゃった……とかずっと呟いてたし」
そこで一度区切り、余計なお世話かもだけどと前置きした上でフェイスはまた口を開いた。
「何があったのかは知らないけど……お互いに悪いって思ってるんだったらもうイーブンってことで仲直りしちゃえば?正直、君たちの仲が拗れてると調子が狂うんだよね」
そこまで言うとフェイスはグレイから離れた。話したかったことは以上らしい。おそらくビリーの私物が入っていたのであろう袋を彼のベッドに置くと、すぐにドアの方へと向かう。
「あっ、フェイスくん!!」
あっけに取られて無言になっていたグレイがハッとしてフェイスに声をかける。何?とドアの手前で彼が振り返った。言葉を選ぶように、慎重に考えて言う。
「あの……お見舞い、ありがとう。それから……早く仲直りできるように、僕、頑張るね……!」
「……ん、あんまり気を張りすぎないようにね」
少々息の抜いたエールを置いて、フェイスは立ち去って行った。ほう、と知らず知らず肩に入れていた力を抜く。
そのまま仰向けになってベッドに倒れ込んだ。目を瞑ってフェイスに言われたことを反芻する。
「フェイスくんにも、気を遣わせちゃったよね……」
自分たちの問題でここまで心配してくれる人がいる。あんまり周りには迷惑をかけたくなかった。
やはりビリーとはきちんと話をしなければならないだろう。彼が自分を襲った理由も、自分がそれを受け入れようとした理由も、ちゃんと考えて纏めて話していかなくては。
「気が重い……」
とはいえやらなくてはならない事に間違いは無いのだ。
向き合わなくちゃいけない。でも、うぅぅ……。
『あーあー、湿っぽくてうざってぇな』
「っ!!?ジェット!!?」
頭の中に乱雑な言葉が響く。もう一人の自分が目を覚ましたらしい。
『あちこちカビだらけだぜ……いい加減にしろよ、お前の感情で俺の生活空間台無しにしてくんじゃねぇよ』
「そ、それはごめん……あ、ていうか今までずっと寝てたの……?」
『寝てた、っつうか眠らされてた感じだな。最近眠くて眠くて仕方がねぇ……おいグレイ、俺に何かしたか?』
「してないよ!!第一、僕が勝手に何かしたらジェットだってすぐ分かるだろ?」
確かに最近ジェットが出てくる頻度が少ないとは思っていたが、眠り続けていたとは。下手をすれば主人格の自分より活動的なのに昨晩のような状況で出てこないのも不思議ではあったが。
『おい、寝てたけど昨日の夜のことは知ってるぜ?笑えるよな。ビリーに迫って振られてやがんの』
「っ!!!?ちっ、違うよっ!!僕とビリーくんは、そんなんじゃ……」
『どーだかな。少なくともテメェはもうビリーのことをただの友達とは見れてねぇだろ』
「そんなことっ!!!」
『ある。俺はお前だ。俺がこう思うってことは、少なくともテメェ自身もそう思ってるってことだよ』
起きたら起きたで自分の痛いところばかり突いてくる声に、グレイはもうだいぶ辟易してしまっていた。大人しくするか、今すぐ寝て欲しい。
『ずっと寝てた俺にまだ寝ろって言うのかよ。随分鬼になってきたな』
「もうっ!考え事したいからちょっと黙っててよ!!」
声を荒らげるグレイをおかしそうに笑いながら、ジェットは徐々に声を落としていく。
『んじゃ、俺が安眠できるようにさっさと仲直りでもなんでもしちまいな。……テメェらが仲悪ぃと俺まで調子が狂う』
「それフェイスくんにもさっき言われた……」
最後のぼやきはもう届いていなかったのか、ジェットは沈黙を保つ。騒がしい脳内が静まったはいいものの、気持ちが荒ぶったせいで頭痛が酷くなりグレイはこめかみを押さえた。
にしても。
「もうただの友達としては見れてない……か」
咄嗟に否定したが、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。ジェットの言う通り、グレイもジェットも根は同じなのだから。
ただ、それを認めたくないのもまた事実。自分のことを友だちと言ってくれて、歩み寄ってくれた唯一無二の友人に恋愛感情を抱くなんて、彼の純粋な気持ちに対する裏切りになるような気がしてならなかった。
「うぅ……泣きたい……」
泣いてどうにかなるのならそれに越したことはないのだが。ここで思考を止めていてもしょうがない。我慢してすんっと鼻をすすりあげる。
直後だった。視界がクラリと揺れる。
(……あ、れ?)
まるで酷く度数の高い酒を飲んだかのように、頭の中がゆるりと溶ける。おかしい、なんで。
甘い、香りがする。吸った空気の中に混じる甘さがコップから溢れ出したかようにブワリと広がり身体を支配した。
「どこ……から……」
力が出ない。床を這うように進む。匂いの元へ。
グシャリ、と音を立てて手に掴んだものがひしゃげる。気がつくと自分の身体はビリーのベッドの縁まで移動していた。掴んだものは、ビリーの私物だと言ってフェイスが置いていった袋。そこからはみ出ているのは、布だった。見覚えのある色。
そうだ、昨日ビリーくんが出ていっていた時に着ていた服……。
動く手を止められずに服をかき集める。ダメだ、と分かっているのに鼻を近づけてスンと嗅ぐ。
途端に熱が上がった。好物を前にした犬かのように口の中にじゅわと涎が溜まる。全身が震える。グラグラする頭を支えきれずに、ビリーのベッドに倒れ込む。
「……ぁ」
さらに匂いが強まって、そこで意識が途切れた。
酩酊。