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    sheepsleeeep

    主に表にあげられない文章 のつもりだったが普通に作品をあげている

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    sheepsleeeep

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    類司ワンライ +1.5h 『復縁』
    復縁というか離縁未遂だし大学生だし情事匂わせる表現あります。寧々ちゃん巻き込まれシリーズ(シリーズ?)

     【復縁】

    「聞いてくれ、寧々。類が浮気しているかもしれん」
    「………………帰っていい?」
     呟くと同時に、からん、と透明な海の中で氷が小さく音を立てる。嫌な予感がしていた。これはかなり。
    「そう、オレが類の浮気に気が付いたのは今朝のことだ……」
    「ちょっと、わたしを無視して話進める気? ふざけないで」
    「オレは聞いてしまったんだ。類がオレに隠れて、楽しそうに電話しているのを……!」
     ああもう、聞いちゃいない。
     ため息と共に見下ろした時計は午前十時をちょっと過ぎたくらい。
     正直、ニチアサの時間帯にスマホが鳴った時点でぎくりとしたし、ディスプレイに「天馬司」の名前が浮かんだのを見て三回くらい無視しようかなって思った。だってどうせろくでもないことに決まってる。もう何年の付き合いだと思ってるのよ。
     司がわたしに泣きつくとき、たいてい、幼馴染のあいつ――神代類が関わっていて。やれ類の無茶ぶりをどうにかしてくれだとか、途方もないことを言い出すことは経験則からわかっていた。
     からん。汗をかきながら再び音を立てたグラスに指を這わせる。
    「電話くらいで浮気ってそんな……バカ?」
    「バカとはなんだバカとは!」
    「うるさ……はあ。こっちはアンタが『深刻な事態だ』とか言うから、日曜の朝早くに慌てて支度して来てやったのに……」
    「それについては感謝している。やはり持つべきものは最高の歌姫だな!」
    「歌姫は今関係ないでしょ」
     それにしてもこのカフェ、司のチョイスにしては随分とシックでおしゃれな内装でちょっと癪だ。栗皮色のテーブルの上に佇むグラスが途端に少し子供っぽく見えてくる。
     司は掛けていた伊達眼鏡をやたら仰々しく指先で押し上げて、目の前の珈琲に口をつけた。普段眼鏡なんて掛けないのに変装のつもりなんだろうか。大人ぶってブラックなんて飲んじゃってさ。ええかっこしいなのは二十歳になっても相変わらずだ。
     だけど優雅な所作は存外見掛け倒しではなくて、司自身の育ちの良さが窺えた。全然まったくこれっぽっちも共感できないけど、たぶん、黙ってればかっこいい方に入るんだろう。高校時代にはクラスメイトが司の噂をしているのを何度か聞いたことがあるくらいだし。
     天馬先輩、顔はいいよね。ね、顔はいいのにね。――とかなんとか。
    「オレだってたかが電話くらいで浮気を疑うつもりはないぞ。類はオレにベタ惚れだしな」
    「それはそう。じゃなきゃ困る。アンタ達が付き合うまでわたしもえむも散々迷惑掛けられたんだから、主に司のせいで」
    「ぐっ……」
     今でこそ同じ大学、同じ劇団、挙句同棲までして四六時中一緒にいるような類と司だけど。高校三年の卒業間際――だから、二年くらい前か――までは、付き合う付き合わないのすったもんだでそれはもう大変だった。
     当時神山高校に通っていた生徒の八割は、類と司は付き合ってるって信じて疑ってなかったと思う。そのくらい、類も司もお互いへの恋心がバレバレだったから。
     特にわかりやすかったのが類だ。自分が司に向けている感情が恋だって気づいてからは、こいつ隠す気一切ないなって呆れるくらい司に猛アプローチしてた。
     休み時間の度に隣のクラスに顔を出すし、司が視界に入るとあからさまに喜色いっぱいの表情を見せるものだから、クラスメイトが類の噂をしているのを何度か聞いたことがある。
     神代先輩、何考えてるのかよくわかんないけど、天馬先輩のこと大好きだよね。わかるー、何考えてるのかよくわかんないけどねー。――わかる、わたしもわかんない。
     類が何考えてるのかなんて、一生わからないと思う。だけど、これだけははっきりと言えた。
    「類が浮気、ね。有り得ないでしょ」
    「だが電話口からたしかに女性の笑い声がした。日曜の早朝に、オレに隠れて、あの類がだぞ」
    「え」
     想定外の返しに、思わず咥えていたストローから口を離した。類が? 女の人と? 電話? 類が?
    「電話の相手、えむとかじゃなくて?」
    「それについては正直わからん。聞き取ろうと努力はしたのだが、聞き耳ロールに失敗してしまった」
    「は? 探索技能はちゃんと振っておきなさいよ」
    「とかく、話を聞くに類はこのあたりで女性と待ち合わせて何かをするつもりのようだ。ならばオレのすべきことはただひとつ。類の犯行現場を押さえて浮気を問いただすのみ……!」
     現行犯逮捕だ! と突然声を張り上げた司に、隣のテーブル席に座っていたカップルが驚いた顔でこちらを振り向いた。じわ、と頭に熱が上る。すみません、うちの連れが……。ああもう、だから嫌なのよ、司と二人きりで出掛けるの。
    「それでどうしてわたしを巻き込むかな……」
    「まあそう言うな。グレープフルーツジュースを奢ってやっただろう」
    「やめて。素直に奢られた十五分前の自分を恨みたくなる」
    「ちなみに寧々に断られた場合はパンケーキを用意して彰人を呼ぶつもりでいた」
    「最悪。それ、アンタの方が浮気にならない?」
     わたしはまだ同じショーユニットのよしみとか、類にとっても司にとっても妹みたいな存在にしか思われてないというか。二人の事情を知ってるから、こうして司と二人で出掛けても類は何も言わないし、むしろ「司くんと寧々が仲良くなってくれてうれしいよ」なんて能天気なことまで言うくらいだけど。
     東雲くんは、ううん、東雲くんに限らず、他のひとは違うでしょ。司は交友関係が広いからあんまり気にならないのかもしれないけど、パーソナルスペースの狭すぎる類からしてみたら、自分の知らないところで司が誰かと二人きりになるのってあんまりよく思わない、と思う。たぶん。
     自分では気づいてないみたいだけど、類、結構司のことになると子供みたいな独占欲でむっとするし、わかりやすいから。うん、だから、そう。ありえない。類が司じゃない人に現を抜かすなんて。
     どうせ今回も、司の早とちりに決まってる。
    「はあ……もう勝手にして。さっさと終わらせて帰りたい」
    「そんな寧々に朗報だ。ホシが現れたぞ」
    「どこから出したのその双眼鏡……」
     今わたしと司が座っているのは、駅前の時計台が見える窓際のテーブル。司に手渡された双眼鏡を覗くと、たしかに類が時計台の前に立っていた。
    (……あ、余所行きだ)
     壊滅的な私服センスに定評ある類だけど、司と同棲を始めてからは多少ましになっている。たぶん毎回司が選んであげてるんだろう。
     でも今日は司に何も言わず家を出て行ったはずなのに、清潔感のある白地のシャツにジャケット、類の長い脚が映える細身のスラックス。普段着のゆるいパーカーとかオーバーサイズの服を好む類にしてはまともというか、……うん。これからデートって聞いても違和感ない。ただの知人に会うためだけに、あんなに全身しっかりコーデ決めるもの?
    「類ひとり……みたいだね」
    「そのようだな」
     時刻は十時半を少し過ぎたところ。司に双眼鏡を返してストローに口をつける。なんだろう、この違和感。酸味と、ほんのり口に残る苦さ。視線を上げれば、司はまたじっと双眼鏡の中を覗き込んでいた。
     ――わたしにとって、司は。ワンダーランズ×ショウタイムの座長で、言えば調子に乗るからあんまりこいつの前では認めたくないけど――わたし達の道しるべ。いつも根拠のない自信で胸を張っていてバカみたいだけど、でもそんなまっすぐな司だからこそ、根拠がなくても信じてみたくなる。
     きっとこの気持ちは、えむも類も同じだと思う。嬉しいときは嬉しいって大口開けて喜ぶし、腹が立っても人の悪口は言わない。観客のために。仲間のために。いつだって誰かを笑顔にするための努力は惜しまない人だ。
     だからわたしは、司が自分のことで悲しむ姿を見たことがない。双眼鏡を覗く司の表情が悲しんでいるものなのか、そうではないのか……わたしには知りようもなくて。
    「ねえ。仮にもし、本当に類が浮気してたとして……司はどうする気?」
    「む? どう、とは?」
    「別れるの? ……その、類と」
    「……」
     こと。双眼鏡がテーブルに置かれる。わたしを振り返った司は困ったように眉を下げて、不器用に笑っていた。
    「……類次第だな」
     それは。
    「類が別れたいって言ったら別れるってこと?」
    「……まあ、そうだな」
     頷く司に、たぶん、わたしの方が衝撃を受けていた。
     だってせっかく、類も司も性別の垣根を越えて結ばれたのに。それって本当にすごいことだと思うのに。これまでどんなトラブルが起きても、仲間のためには最後まで諦めなかった司が、自分のことだとこんなにもあっさり手を引くことがどうしても信じられない。
     心臓が嫌な音を立ててる。止めなきゃ。司を。考え直させないと。わたしが。そう思うのに、上手く言葉が出てこない。
    「その方が類にとって幸せになれるというのであれば、最大限譲歩する」
    「……でもそれじゃ」
    「心配するな。たとえオレと類が恋人関係でなくなったとしても、お前達に気まずい思いをさせることは――」
     ちがう。わたし達の心配より、自分の心配しなさいよ。どうしてこんな時だけ無駄に達観してるのよ。司の想いがどうであれ、たとえ類の心が離れても何度でも惚れ直させようとするくらいの気概は、見せてよ。座長でしょ、アンタ。
     グラスを握る指先がかたかたと震えた。言いたいことは山ほどあって、わたしは、
    「……つ、司、」
     司に声を、掛けようとして。

    「誰と誰が恋人関係ではなくなるって?」

    「……」
     いつの間にかテーブルの横に立っていた男――類の存在に、ぴし、とわたしと司の間に流れていた空気が固まった。
     たっぷり数秒、間を空けて。ひゅ、と空気を吸う音がした瞬間、反射的に耳を塞いだ。経験則だ。ニコニコ動画なら「音量注意」のコメントが流れてると思う、今。
    「ほ、ほほほ、ホシが現れた――‼︎‼︎‼︎」
    「類だよ。まったく……隠れてなんかこそこそしてるなと思ったら。何してるんだい、二人揃って」
    「気付いていたのか⁉︎」
    「気付かれないと思っていたのかい?」
     やれやれ、と類が首を振る。いや、時計台にいたはずの類が突然店内にいることにも驚きだけど。なんで二人ともちらちらと集まる視線が気にならないんだろう。今すっっごく他人のフリしたい。
     せめてここがカウンター席ならよかったのに、ほんと最悪。ちがうんです。変人なのはこの二人だけで、わたしは普通の女子大生なんです。信じてください。
    「そんなことより、どういうことかな。誰と誰が恋人関係でなくなるって?」
     ずい、とキスしちゃいそうなくらい類が司に詰め寄って、隣の席のカップルの彼女さんが小さく「きゃあ」と声を上げた。ひょっとしたら角度によってはキスしてるように見えるかも。だけど司は動揺することもなく、はは、と乾いた笑みを浮かべてみせた。
    「お、おお……美人が凄むと迫力あるな……」
    「おやありがとう。お褒めにあずかり光栄だよ。だけど話を逸らさないでくれ」
     席に座るでもなくテーブルの横に立ち続ける類の側で、お冷を出すべきか店員さんが困ってるのが見えてそっと立ち上がる。一応お冷を受け取ってテーブルに置いてはみたけれど、たぶん、類は飲まないだろうな。いま結構修羅場だし。
    (あれ……?)
     席に戻りがてら、ふと類の手に小さな紙袋が見えて首を傾げた。類、さっき手ぶらじゃなかったっけ。
    「酷いじゃないか。僕はもう君なしでは生きていけないのに、君は僕を見捨てるつもりだなんて……!」
    「待て待て、こっちだって別に別れたいつもりでは……」
    「でも残念だったね。こういうこともあろうかと、僕の方で既に君の周辺には根回し済みだ」
    「ほんとに待て⁉︎ どういうことだ⁉︎」
     予定は少々狂ったけど問題ないだとか、想定の範囲内だだとか、ぶつぶつ呟いたかと思えば、類はくるりとわたしを振り返った。よく見るとちゃんと髪もセットしてる。類、ワックスなんてショーの時にしか使わないのに。
    「すまなかったね、寧々。今日のお詫びは後日改めて僕の方からするよ。……来月発売のドラゴンハンターでいいかい?」
    「初回限定特装版」
    「任せたまえ。あらゆる入手ルートを駆使して必ず寧々の元にお届けしよう」
    「こら――! 目の前で取引をするな――! 寧々! 今回に限ってはお前はオレの味方だろう⁉︎」
    (……あ)
     確信した。
     類がラフな格好で会えない人は限られてる。たとえば劇団のスポンサーとか。でもそれなら司に隠れてこそこそする必要はないわけで、ならそれとは別に、類が『しっかりしてるところを見せたい相手』といえば。
     ちら、ときゃんきゃん犬みたいに喚く司を見て、また小さくため息をついた。類の秘密主義なとこ、きっとサプライズで驚く姿が見たいだけだと思うけど、程々にしてほしい。今回は少し、ひやっとさせられたから。
     鞄を手に取って立ち上がる。あとはもう、類と司次第。
    「アンタの味方だから、類の取引に応じたの。……まあ、せいぜい頑張って。グレープフルーツジュースごちそうさま」
    「う、裏切り者おおお――!」
     司の悲鳴を背中に受けながらひとり店を出る。いい天気。せっかく駅前まで足を伸ばしたし、ついでに近くのゲーセンにでも寄って帰ろうかな。最近やってる音ゲーキャラのプライズ、そろそろ入荷してるはずだし。
     カフェを振り返ると、類と司も帰ろうとしているみたいだった。当然、ここからは二人が何を話してるか聞こえない。
    「さ、おうちに帰ろうね、司くん? ああ、ちなみに帰ったら……そうだな、僕が満足するまで君を離すつもりはないから、今のうちに覚悟しておくことだ」
    「…………悪魔か?」
     たぶん聞こえなくて良かったと思う。

       ◇◇◇

    「……ぅ……ううー……」
     閉め切ったカーテン。日の射さない薄暗い寝室で、心身共に草臥れ切ったオレはそのままベッドに突っ伏した。
     汗とか涙とかでぐちゃぐちゃの枕はそれはもう大変不快だったが、それ以上に全身が疲労を訴えている。類と体を重ねるといつもこうだが、今日は特に手加減してくれなかったように思う。
    「お疲れさま。司くん、一旦水分とろうか」
    「……飲ませてくれ」
    「いいとも。仰せのままに」
     類は大きな手でオレの髪を掻き混ぜて、ベッドを軋ませたかと思えば半裸のままキッチンへと向かった。
     窓の外から近所の子供達のはしゃぐ声が聞こえる。車通りは少なく、時折自転車の車輪の音が通り過ぎるくらいの、都会の喧騒を遠ざけた長閑な住宅街。
     大学進学に合わせて借りたルームシェア用の部屋は、実家に比べたら当然、少しばかり手狭で。寝室にいても自然とキッチンや隣室の声が聞こえてくるのだ。
     今だって目を閉じ耳を澄ませば、類が冷蔵庫を開け閉めする音がここまで届く。……今朝も、そうだった。こそこそとオレに隠れて電話する類の声で目が覚めたのだから。
     とはいえ。浮気調査と称して寧々を呼び出したものの、正直なところ類のことはあまり疑ってはいない。
     なんせ類は高校時代からオレにベタ惚れだったし、このところは大学と劇団、それから相変わらず続けているフェニックスワンダーランドでのキャストで、お互いに二足どころかありもしない三足目の草鞋を履いててんてこまいの毎日だ。恋にうつつを抜かしている暇が本当にまったく一切ない。
     だけどその分、体を重ねる日も以前より目に見えて少なくなっていて――最近じゃ恋人というより家族と呼ぶ方がしっくりくるような距離感。
     少しも不安がなかったかと聞かれればウソになる。
     付き合いたての頃のあの高揚感が、ほんの少しだけ恋しくなってしまった。その結果、まだ正午を過ぎて少しくらいのこんな時間からベッドに突っ伏すようなはめになるとは思いもしてなかったが。
    「いや、ありえないだろう、ありえん……、真っ昼間から盛るヤツがいるか……?」
    「心外だな。僕の愛を証明するために一番手っ取り早い方法を選んだつもりだよ」
    「だからといってな……!」
     寝室に戻った類から引ったくるようにコップを受け取る。ぐい、と勢いよく呷って類に突き返せば、類はそれをサイドテーブルに置きながら、つんと唇を尖らせてみせた。
    「……だって司くんが別れるなんて言うから」
    「……は」
     ベッドのふちに腰かけて呟いた類の声は思いのほか小さくて、オレの方がだいぶ面食らってしまった。
     大の男が、母親に叱られた小さな子供のような不貞腐れかたをするな。よっぽどそう言ってやりたかったが、かなしいかな、そういう態度を取られるとオレの中の兄心が擽られてしまう。
    「……言ってないが」
    「言っただろう、カフェで」
    「言ってないぞ! あれはそもそも例え話で……」
    「僕と別れる未来を君に想定されてる時点で、僕にとっては不愉快以外の何物でもないよ」
     ああもうこいつは、ああいえばこういう。
     肺いっぱいに吸い込んだ息を少しばかり大仰に吐き出した。結局これだ。これだから、オレは寧々に「類を甘やかさないで」とか言われてしまうんだろう。甘やかしているつもりはないが、皆無だが、全身で寂しがっている類を放ってはおけない。これはどちらかといえば、惚れた弱みだ。
     つーんと拗ねて後ろを向いたままの、類の肩に擦り寄る。普段は体温が低い類も、情事の直後は火照ってあたたかいことを、類と体を重ねるようになってから知った。
    「……悪かった」
     呟けば。類はばつが悪そうな顔をしながら、オレの腰に手を這わせる。労るような手つきにほっとして、オレも類の首裏へ腕をまわした。
    「うん。……まあ、君を不安にさせた僕も悪かったと思っているよ。どうしてあんな話を寧々としていたんだい?」
    「出来ればセックスに及ぶ前にそれを聞いてほしかったんだが……ええい、この際だっ! 単刀直入に聞くぞ! 類、今朝……あんな朝早くに誰と電話していたんだ?」
    「今朝?」
     オレの鼻筋や頬を甘噛みしていた類は夏の檸檬を閉じ込めた瞳をきょとんと丸くさせて、オレの言葉を復唱した。
    「起きていたんだね」
    「あまりに楽しげな声がしたからな」
    「……ん? ということはつまり、……ああそうか、なるほど。司くん、さてはヤキモチだ」
    「…………」
     そんなはっきり言わんでもいいだろうが。
     違う、と力強く否定も出来なくて、ぐ、と言葉を詰まらせる。いや、断じて嫉妬などではない、などではないが、そのような気持ちが一ミリもなかったともいえない。
     類にしては珍しく、ちゃんとした身なりで待ち合わせに向かっていたようだし。何よりオレに何も言わず家を出て行ったのが、意外と結構心にきた。これまで出掛けるときはいつも互いに行き先を伝えていたし、遅くなる日は迎えにいくのが暗黙のルールだったのだ。
     オレのほかにオレ以上の好い人が出来た、なんて、死んでも言わせる気はないが。人の心は移り変わることを知っている。この世に流行り廃りがあるように。
     だから、少しだけ。ほんの少しだけ、可能性としてはあるかも、ぐらいに思っていたことを、否定はできない。当然、それが悔しいと思う気持ちも、内心の焦りも。
     無言を肯定と受け取ったのか、類はきらきらきらと嬉しそうに瞳を輝かせた。
    「ぬああ……やめろやめろ! そんな目でオレを見るんじゃなーい!」
    「フフフフッ……そうかいそうかい、司くん、妬いてしまったんだねえ。フフフ……」
    「わ、ら、う、な――! オレはスターになる男だぞ⁉︎ ヤキモチなんて妬くはずがないだろう!」
    「ふうん。へーえ。ほーう?」
    「ぐっ……その勝ち誇ったにやにや笑い、シンプルに腹が立つな……!」
     往生際悪く暴れるオレを宥めながら、類がゆっくりとオレに体重をかける。特にそれには抗わず、重力のままベッドに倒れ込んで。何度も類の体越しに見た天井を見上げた。
    「フフ。司くん、君の論理は破綻しているよ。だっていくらスターであろうとも、自分の大切なものを他人に奪われたくはないはずだ」
     それはそうだ。スターにだって心はあるし、オレにも譲れないものがある。
     目に入れても痛くない、大切な妹の笑顔がまずひとつ。高校時代の青春を懸けたワンダーランズ×ショウタイムとしての活動もそのひとつ。それから――
     スターなどではない。ただの天馬司を包み込んでくれる、この男も、そのうちのひとつだ。
    「はい」
    「……む?」
     体を起こした類から手渡されたのは、類のスマートフォンだった。飾りっけのないそれを受け取って、真っ黒なディスプレイをじっと見つめる。
    「見ていいよ。君に見られて困るものはないし」
    「……いや、だが、個人情報のかたまり……」
    「ああ、気にしないでくれ。僕の疑いが晴れるならむしろ万々歳だとも」
     顔認証でロックが解除されて、明るくなった画面。
     類の長い指が通話アプリをタップする。
    「通話記録。見てごらん」
    「……」
     いくら恋人や家族といえども、秘密にしたいことのひとつやふたつあるし、踏み込んでいけないラインというものもあると思うのだが。
     いいのか、と確認の意を込めて類の顔を窺いながら、言われた通り通話記録に目を通す。最新の通話履歴は、……今朝。通話の相手は――
    「…………む? 咲希?」
    「その通り。実は前々から、君に内緒で咲希くんにちょっと預け物をしていてね」
     あずけもの? 繰り返すと、類はふにゃりと頬を緩ませて「そうとも」と続けた。
    「来週の日曜は、司くん、稽古お休みだったよね」
    「ああ。類もだろう?」
    「うん。だから二人で出掛けようって話していたね」
     そうだ。たしかに話していた。出掛けると言っても遠出をするわけじゃないし、今話題の映画を観に行くとか、外食をするとか、その程度の話だったけれど。
    「今回のデートプランは、僕が考える約束だっただろう?」
     ――ぽふ、と。
     顔の横。シーツの上に置かれた小さな箱に、見覚えがあった。映画とかドラマでよく見るような――逆に言えば、そういうシーンでしか見たことのない、丸みを帯びたシルエットのそれは。オレの常識の中では、いわゆるプロポーズとかに使われるもので。オレの中の常識が正しければ、……この中身は。
    「いい加減、君のご実家に、ご挨拶に行こうかなって。……恋人として」
    「ご、あいさつ」
     あけてみて、と類にしては硬い声で促される。恐る恐るぱかりと蓋を開けて、息を呑んだ。暗い室内でも煌めいたシルバーに、全身の穴という穴からぶわりと汗が噴き出るような心地を覚える。
    「ゆっ」
    「……」
    「ゆ、ゆゆゆ、ゆびわじゃないかっ!」
    「……そうだよ。一応、僕の今の給料の三ヶ月分だったりする」
     しかも結構ガチのやつじゃないか……。
     いいか類、男同士で結婚は出来ないんだぞ、今はまだ。……とか。
     ただでさえお前は舞台装置に私財を掛けがちなんだから少しは節制しろ、だとか。演出家のくせにこんな大切なものあっさり渡すな、とか。
     言いたいことや不満は山ほど心の中で膨れ上がるのに、ひとつも声にならずに萎んでいく。
    「……」
    「……君の指に嵌めてもいいかい」
     返事の代わりに、ゆっくりと左手を開いて差し出した。
     ふふ、と小さな笑い声が上がる。右手を出されたらどうしようかと思った、なんて、いくらなんでもさすがにそこまで鈍感じゃない。
     するる、となんの抵抗もなく付け根まで嵌まった指輪を、左手を翳して。感慨深く見つめてしまう。
    「ぴったりだ。いつの間に用意したんだ、こんなもの」
    「格好悪いから内緒」
     ははあ。さてはかなり前から用意していたな。それもそうだ、オーダーメイドの指輪なんて一日二日で出来るものじゃない。
     であれば、つまり、類は随分と長い間この指輪を渡すタイミングを見計らっていたということになる。演出に拘る類のことだ、渡すなら記念日がいいと考えるだろう。たとえば、……春先のオレの誕生日には、もう用意していた可能性は高い。
     そして今になって再度渡す決心をしたのは。ああ――もうじきオレと類の、交際記念日だ。
     少しずつ嵌っていくパズルのピースに、どうしたって。頬が、どんどん緩んでしまう。
    「……ではお前は咲希に預けていたこの指輪を返してもらうために、朝早くに咲希と待ち合わせていたということか」
    「うん。この家に置いておいたら司くん、すぐ見つけてしまいそうだったからね。咲希くんは僕達の事情を知っているし、万一君が実家に帰るときがあったとしても、咲希くんの部屋を嗅ぎまわるような真似は流石にしないだろう?」
    「……随分うちの妹と仲良くなったものだな?」
    「僕にとってもいつか義妹になる子だからねえ」
     ひとつ誤算があったとすれば。類はオレが眠っている間に事を進めておきたかったようだが、類と咲希の会話をオレが盗み聞きしてしまっていたことだ。
     さて、と類が手を打つ。
    「これで身の潔白は証明できたかな。……司くん、僕は……これから先の長い人生、共に歩み添い遂げるなら君がいいと思ってしまったんだ」
    「……」
    「君しかいないんだよ、僕にはね」
     そんなことはない、と否定しようとしたオレの唇を、類の指が止める。細くて長い類の指。機械を扱うからか、近くで見ると意外と荒れている。
     吸い込まれるように類の瞳を見つめ返すと、涼やかなその眼差しの奥に秘めた熱を感じて、どく、と心臓が飛び跳ねた。
     そういえば、オレが類に恋をしていると実感するときはいつもこの瞳に射止められている。詭弁な口よりもずっと、類の目は素直に、まっすぐにその感情を伝えてくれるから。
    「ちなみに返事は『はい』か『イエス』しか期待してないんだけど、どうかな。僕が見込んだ役者である君は、きっと僕自身の期待にも応えてくれるはずだよね?」
    「バカを言うな。当然だろうッ!」
    「うわっ……んむ」
     オレは勢いよく類の上に馬乗りになって、その唇を塞いだ。触れるだけのキスを何度か繰り返し、満足したオレはそのまま類の体に覆い被さって。
     素肌で触れる胸元から、微かに類の鼓動を感じる。きっとオレの鼓動も類に伝わっている。
    「大事にする」
    「指輪を?」
    「類をだ!」
     そうかい、と嬉しそうに類が頷いた。
    「僕も大切にするよ。だから司くん……これからも一緒に楽しいショーを続けていこう」

       ◇◇◇

     カラフルなバルーンが空高く舞い上がる。見事な秋晴れ。行楽日和。となれば、都内屈指のテーマパーク・フェニックスワンダーランドも地方から足を伸ばしたお客さん達で賑わう。
     それを笑顔で出迎えるのが、わたし達ワンダーランズ×ショウタイムを含んだ、フェニランのキャストの務め。
     ……なんだけど……。
    「聞いてくれ、寧々! 類とこの度晴れてパートナーシップを結ぶことになった!」
    「………………帰っていい?」
     まだ午前の部のショーのスタンバイをしている最中だっていうのに、この色ボケはさっきから浮ついた話しかしてこないし、幼馴染はずっと上機嫌でにこにこしながらロボのメンテナンスしてるし、朝からずっとこんな感じで本当に調子が狂う。
     ちょっと前に浮気だなんだって騒いでたのは何だったの。いや、類が司以外の人に目移りするなんて考えられないから、どうせ司の早とちりに決まってるとは思ってたけど。
     あれだけ散々人を振り回すだけ振り回しておいて、円満解決しました〜、なんてのうのうといわれると、なんかそれはそれでちょっとむかつく。
    「ひどいよ寧々、幼馴染の門出を祝福してはくれないのかい?」
    「惚気はおなかいっぱいなの」
    「ハーッハッハッハ! まあそう言わず聞いてくれ! そう、実は先日、類がオレの実家に挨拶に来てくれてな――」
    「……勝手に語り出すし……」
     聞いてもいないのにひとりで喋り続けている司はこの際置いておいて、こっそりネネロボの充電のチェックに戻る。バッテリーは新しいものに取り替えたばかりだし、充電もほぼ満タン。
     幕から覗いた客席は満席で、子供達が今か今かと開演の時を待ってくれている。あの子達と変わらないくらい、待ちきれない様子で「楽しみだね、寧々ちゃん!」とはしゃいで飛び跳ねるえむに、つい自然と笑みが零れた。
     相変わらずひとりで語り続ける司を、傍で見つめている類の眼差しに、いつかの寂しさは見当たらない。
     まあ、いろいろあったけど……よかったのかもね。ここでみんなと出会えて。
     類が司に出会えて。
    「……幸せになってね、類」
    「ほえ? 寧々ちゃーん、いま何か言った?」
    「なんでもない。……やっぱりみんな笑顔が一番だよね、って話」


     end.
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