とあるコラム
悪魔憑きというものがある。端的に言ってしまえば先天異常のことである。
ただ、その度合いが、悪魔が憑いているとしか説明できないような様であることから、差別的な俗称としてこのように呼ばれている。
正式には部位によって用語が定められており、例えば羽根のような機関を持って生まれた子は翼持症、それが片方であれば片翼持症という。
症状は羽根の他にも多岐に渡る。他によくある例としては皮膚や骨の一部が特定の動物のように変質するものや、頭部に角が生えているなどである。しかし、大抵の場合で実害はない。そのため、あくまで「身体のみの先天異常」と認定されている。
もちろん、ふざけた勢いで、人より鋭利な爪で引っ掻いてしまったなどの事例はあるのだが、それにしても、世間で噂されているような「食生活が大いに違う」だとか「性格が豹変したり、患部に人格を乗っ取られたりする」と言ったようなものは、どの症例を見ても一つとしてないのだ。このようなイメージを、事実を広く知ってもらうことで払拭せねばならないのは、我々のまず第一の課題だ。
しかして、なぜこのような事象が起こるのかについては、長年の研究がなされているが法則性のあるものは未だ見つけられていない。全人口のおよそ0.0032%、つまり十万人のうち三人はこのような症状を持って生まれるという。
整形外科などで治療できる例もあるが、そうではないものもあり、どちらにせよ定期検診にて経過観察、学会に発表され、「不規則性身体先天異常」として難病指定される。
しかし、この症例で最も厄介なのは身体の構造の違いゆえの困難よりも、社会的受容性の低さである。
新興宗教団体であるS団体などは、これら「悪魔憑き」を社会から徹底排除すべきという理念を掲げている。もちろん、法の下の平等が憲法で保障されている以上、そのようなことは断じて受け入れられるべきでないのは火を見るより明らかなのだが、そうでなくとも気味悪がられ、いじめなどの原因に非常になりやすい傾向にある。
また、「悪魔憑き」の孤児率は、そうでない者に比べ非常に高い。特に地方部であるほどそのコミュニティから排他されることも多く、過去には疾患者を含めた一族の住む家に放火されるという大きな事件も起こっている。
我々医療従事者にとっても、前例がないものが多いために対応や手続きに手間取ること、疾患者の少なさや症状の法則性の無さから薬品などの開発が進まないなど、頭を悩ませる存在であるのは間違いないだろう。
一.
この孤児院には「悪魔憑き」が二人いる。という事実を知っているのは、孤児院の関係者とその他限られた一部のみである。というのも、彼らの患部はごく狭い一部のみで、それも比較的隠しやすい場所にあるだからだ。しかし常に覆っているのもまあ不自然な部位ではあるので、もし聞かれたなら「治らない病気なのだ」と言いなさい、と教えている。それから、他の人には絶対に教えてはならないとも。
けれど、その秘密はまだ年端も行かない子供がひとりで抱えるにはあまりに重すぎるとも思っている。
例えば、彼らに信頼できると感じた友人ができたとして、そしてその友人にだけと思い、自分が「悪魔憑き」であると告白したとして。その友人の親は忌むかもしれない。その友人から更に他の友人に話が広まって、疎外されてしまうかもしれない。何より、打ち明けた友人自身がその事実を知った瞬間に離れていってしまうかもしれない。
彼らが社会的に極端に弱ることがあれば、それはもちろんどうにかするつもりではあるが、彼らのそういった交友関係や所謂プライベートなことにまではどうしても介入できない。できないし、するつもりもない。なぜなら孤児院の関係者は、決して彼らの家族や、まして親ではないのだから。
その点で言えば彼らは物心ついてからこの方天涯孤独であり、それを憐れむだけの孤児院の従事者はまあ少なくない。
…というのは、あくまで「おとなのひと」の思考回路だ。それも、当事者でない人の、つまり至って健康体で生まれた人が健康体でない第三者に対してするような、想像の範疇を出ない心配事。
幸いなのは、この孤児院に「悪魔憑き」は二人いたということだろうか。しかも、奇しくも彼らの患部は全く同じ場所-右目にある。子供二人、自力ではどうすることもできないような小さな世界の中で、それは特別なほどに仲良くなるのには充分すぎる理由で、彼らにとってそれは心の置き場所たり得たのだから。
「バールベリト」
名前である。件の「悪魔憑き」のうちの一人だ。右目に眼帯をしており、黒みを帯びた紫の長い髪は後ろに一つで結んでいる。今はそのどれもが、清掃用具の入ったロッカーの中にすっぽりと隠れていて見ることはできないが。
「…んだよ、エウリノーム!今隠れてんのっ。話しかけんな、バーカ!」
返されたエウリノームというのが、その当院に二人いるうちのもう一人の方である。
こちらも右目に眼帯をしていて、中途半端に伸びた黒い髪が、自由な方向にぴょんぴょんと跳ねたままになっている。これは数日前に「伸びているから切ろう」と提案したのだが、「バールベリトと伸ばすと決めたから嫌だ」と言って断られてしまった。
正直、常に眼帯を着けているという今以上に目立つような見た目にはあまりなって欲しくないというのが職員の内での本音なのだが、まあどうせそのうち切りたがるだろうから、その時までは好きにさせてあげようという話になったのだった。
彼らに血のつながりはない。両名とも、産まれて直後の姿でそれぞれ建物の目立たない隅やゴミ捨て場に置き去りにされていたのを警察に通報され、そのまま当院で預かることになったという経緯は奇妙なほどに一致しているのだが、DNA鑑定の結果では全く赤の他人である。だが実の兄弟のように、いや、もしかしたらそれ以上にずっと仲が良い。
元々、バールベリトとエウリノームの部屋は住む部屋はそれほど近くなかった。特に二人は特別な措置が必要な子供達であるから、時には二人部屋になったり、時には一人部屋、集団部屋と転々とさせたこともあった。何よりかつての職員は、悪魔憑き…しかも患部が全く同じ子が二人も入居するという異例な(というよりは酷く奇妙な)事態への対応として「あまり二人を関わらせない」という方針を取っていたために、二人の部屋が近くなるということはなかったのだ。実際、性格も、好む遊びなんかも大きく違っていて、二人が話すことはもちろん、お互いを気にする素振りすらなかった。年も2つ離れていて、日常生活で同じ枠組みに入るということもあまりないようだったし。
だが子供というのは、いくら大人が気を配っているつもりでも、見えないうちでまったく予想外の行動をする生き物である。いつの間にやら話すようになってからは、毎日隣でご飯を食べるようになっており、そのうち手を繋いで登下校をするような仲にまでなっていた。
ひどい時なんかは、就寝時間になったからそれぞれの部屋に戻るようにととある職員が無理やり二人を引き剥がすと、まだ幼いバールベリトは一晩中泣いていたという。それを見た職員の「似た者同士、家族みたいなものなんですかね」という発言から、孤児院側は方針を改め、今では同じ二人部屋にいる。
孤児院としても、二人が一緒だと対応がしやすくて助かっているし、定期的につけているカウンセラーさんには良い傾向だと言われた。学校でも、昼休みにも放課後にもずっと一緒にいることが多いらしく、学年担当からまったく微笑ましいですねと言われていた。
「あ!エウリノームがいるってことは、バールベリトもここにいるだろ」
二人がロッカーを介して話しているところへ、もう一人同世代の男の子がやってくる。
男の子はロッカーを指を指して言うと、エウリノームは眉ひとつ動かさず言葉を返す。
「うん…?いや、…なんでだ?」
「だってふたり、いつもいっしょにいるもん。どーせ今だってバールベリトと話してたんだろ。じゃなきゃロッカーの前で突っ立ってるなんておかしいだろ。そこだあ!おりゃあ!!」
やってきた男の子は、言うなりロッカーをドンと足で蹴った。長い間使っているため建て付けの悪いロッカーの扉がギシンと音を立てた。
ちなみに、ロッカーを蹴るのは『いけないこと』なので、後で叱っておく。
「うげ〜!お…おい〜!ふざけんなエウリノーム!どっかいけ!」
「もう見つかったのに、今からどいても何も変わらんだろう。そうだ、俺も混ぜてくれ」
「これラスゲーだよっ、今から入って何すんだよ!」
「じゃあエウリノームも鬼やれよ!あと七人!」
「よし。まかせろ」
「いやさっきまで入ってなかったやつに見つけられても、見つかったヤツ困惑するだろ…」
エウリノームでいっぱいいっぱいだった時期に更にバールベリトを迎えるとなった時はどうなることと思ったが、エウリノームは意外と肝心な部分でしっかりしているし、バールベリトは年下なのに面倒見が良いから、結果的にはこちらの負担や心配事も大いに減ったし、エウリノームとバールベリトにもかけがえのない相互理解者ができたからのだから、あの時のお上の無茶も案外悪いものではなかったのかもしれない。
わあわあと言い合いながら、しかし楽しそうに並んで夕日を反射する通路を歩く二人を見送る。その光景を見て、彼らの将来が良いものであるようにとふと思いながら、私は夕ご飯の支度に戻った。
二.
バールベリトには職員さんのことが嫌だった。
何もいじめられたりしているわけではない。むしろ職員さんたちは努めて優しく接してくれている。でも、バールベリトが嫌なのはそこだった。
バールベリトは先日、学校で問題を起こした。とは言っても大ごとではなくて、ただ勢いで言ってしまった悪口で、クラスの女の子を泣かせたというようなことだ。
問題があったのはむしろその子の親で、その日は結局謝れず下校したのだが、これを件の母親が学校に連絡を入れたのだという。この母親の怒りようが尋常ではなく、その日の放課後に、学校からバールベリトとその保護者として職員さんの一人が面談室に呼ばれた。そして、言いがかりというかもはや罵倒のようなことを、コンコンと二時間ほど言われ続けた。
貴方のせいでうちの子は心に一生消えない傷を負ったとか、気味の悪い風貌だから二度とうちの子には関わらないでほしいだとか、やっぱり孤児院に行っているような子は不良でダメなのだ、とか。
バールベリトは昨日謝れずに帰った後はずっと反省の気持ちでいっぱいであったから、登校して一番に謝りに行って、そしていいよと許してもらえて、それが精一杯だったのに、そこに急に親という自分の知らない役割の人間が出てきて、ひたすら自分のダメ出しをされるというのは考えもしなかったことで、頭がいっぱいいっぱいになってしまった。
いつも頼もしくて、ケンカをしたら大きな声で叱るような担任の先生は、顰めっ面のまま俯くだけで何も言わないし、隣にいた職員さんははい、はい、申し訳ありませんでしたとめいっぱい眉を下げてひたすら謝っていた。だからバールベリトは、自分はとても悪いことをしたのだと思って、謝っても許されないことを言ってしまったのだと思って、視界が黒ずんでいく心地がした。
けれどその帰り道、職員さんはバールベリトを叱らなかった。
頭をぽんと叩いて、撫でて、大丈夫だよ、バールベリトくんは悪くないよ、というばかりだった。
バールベリトには、ただその意味がわからなかった。こんなに悪いことをしたのだから、がなるくらいに叱って欲しかったし、どうして何がダメだったかもちゃんと教えて欲しかった。それから、あの子の「親」であるあの人が、どうしてあんなに怒っているのかも。
そうして、ごめんなさいと謝っても泣きじゃくっても、やっぱり職員さんは怒ってくれなくて、でもわがままを言った時の職員さんの、困り果て疲れている顔を知っているから怒ってほしいとも言えなかった。
バールベリトはそこで初めて、自分には「親」がいないということを痛感した。
その職員さんに、自分を我が子のように思ってわがままを聞いてほしいわけでも、愛してほしいわけでもなかったが、どうして怒ってくれないのかは、その人が自分の「親」でなければわからないし、教えてくれないのだろうと思った。
そう思うとふと胸に穴あけパンチで穴を開けられたように寂しくなって、職員さんの服の裾を掴むと、職員さんが手を繋いでくれる。
その手は、色も形も感触も自分のものとはまるで違くて、職員さんは帰るまでとうとう一度も目を合わせてはくれなかった。
それから、バールベリトには職員さんが全員他人に見えるようになった。洗濯をしてくれて、世話をしてくれて、朝食の時に寝ていると叱られる。けれどそこには確かに見えないような壁があって、向けられている視線の先は自分の瞳ではなく眼帯に向いているように感じた。
一度他者として目線が切り替わると、他との違いも見えてきてしまう。バールベリトは、自分は怯えられていると思うようになった。
もちろん、愛してもらっているとは感じる。でも、その愛するというのはなんだか職員の義務のようなものであると感じて、むしろ本心では努めて「怖がらない」ように振る舞っているのだと思った。
そういう風に思うのは、今の今まで愛してくれて育ててくれている職員さんに対し失礼だとわかっていたから、しばらくはなるべく思考の外に追い出そうと思っていたけれど、
ある日のお風呂上がりに職員さんと目があった時、瞬間目を逸らされて、多少怯えたように頬が強張っているのを見て、小学三年生の心をポッキリと折るのにはそれで充分すぎたのだ。
三.
それから幾日か経った、ある梅雨の日曜日の朝。
バールベリトは、あまり人の通らない廊下の端っこで窓を叩きつける雨粒をぼんやり眺めていた。
せっかくの日曜日なのだから、リビングや大人数部屋でいろんな子とゲームをしてもよかったけれど、なんとなく職員さんに話しかけられたくなくて、ここにいた。
でも一日中ここにいるだけなのは嫌だし、そもそもそれこそおかしな子だと思われて話しかけられてしまうからどうしようと思っていた矢先に、トントンと肩を叩かれる。
反射的に後ろを振り返れば、そこには自分よりも二回りは背の高い、ルームメイトがいた。
「バールベリト」
ぱっちりとした青い目をきゅうと細めて、ひときわ優しい声色で名前を呼ばれる。
このルームメイト…エウリノームはどうにもバールベリトの名前を呼ぶのが好きらしく、毎日こうして丁寧に目を合わせてから名前を呼ぶ。時にはそれだけで要件を伝えようとしてくることもあるから、バールベリトはよく困ってもいる。
「なに」
相手の左目を見つめかえして返事をする。するとエウリノームは腕を掴んで引っ張った。
「遊びに行くぞ。ヤマブキ公園だ。」
「いや雨降ってるけど!?」
「む」
言われて初めて気がついた、というような顔をされる。外は、梅雨本番のざあざあ降りである。
エウリノームは目をぱたぱたと瞬かせたあと、顎に手をやって思案する顔をした。本当はバールベリトも、窓を見つめながらエウリノームにここから連れ出してもらうことを期待していた。だから本当はここで、じゃあと他の提案をすれば良かったのだが、バールベリトはなんとなくそうしないでただエウリノームの顔をじっと見つめていた。
やがて瞼を開けたエウリノームと再び目が合う。
「では文房具屋に行こう。消しゴムが欲しい。その後は…そうだな…図書館にでも行けばいい」
「図書館って…。児童館でいいだろ」
「それではダメなのだ」
普段は遊ぶ場所や遊ぶものにさえ頓着しないエウリノームから断られて、バールベリトは目を丸くする。なんなら、ダメと言われたのは初めてかもしれない。
「ダメって、なんで」
「なんでもだ。いいから、はやく行くぞ」
焦ったようにそう言われ、そしてずっと柔く握られていた手首を握り直してつんと引っ張られた。これも、いつもは遊びに行く時に急かすのはバールベリトの方なのに。
変なの、なんでそんなに焦ってんの、と思いながらも、バールベリトはそれを口に出さずに引っ張られるまま歩き始める。いつものことではあるが、それでも今日はいつも以上に、何を考えているのかわからない後ろ姿の揺れる黒い髪をぼんやりと眺める。
バールベリトも、早くこの息苦しい場所から抜け出したかった。