異三郎は、春先から梅雨前にかけて必ず体調を崩す。
常ならそう、長引く頭痛や微熱で済むところ、今年は酷かった。
「…異三郎。起きてる」
部屋の外から声をかけるも、返事はない。仕方なく襖を開け、死んだように眠る男を見降ろす。先程と変わらず、紙のような顔色をしていた。
─事が起きたのは小一時間前のことだ。
今日は朝から浮かない様子だと思ってはいたけれど、まさか受け身も取れず倒れる程調子が悪いとは思わなかった。
屋敷の上り框を踏むや否や、うわ背のあるその体が崩れるように傾く様を、ぼんやりと思い出す。
どうにかその体を抱き止めた腕の中、まるで溶け落ちないまま亜麻色の髪にまぶさる淡雪が、彼を一層寄る辺なく見せていた。
……そう、雪だ。
この時期特有の極端な冷え戻りで、今日江戸の街には雪が降ったのだった。
雪化粧された春の街は風流で、それは結構なことだけれど、この時期体調を崩しやすい、加えて病み上がりの知己を持つ身としては、実に迷惑な話だった。
「異三郎」
もう一度呼びかけ、枕元へ腰を下ろす。やはり返事はない。
こんな事は二度目だな。
先の城中警護任務の折、私のより知らぬ場所で起こった暗殺未遂事件が一度目の話。
もうひと月以上も前のことなのに、思い出すだに全身の力が抜けるような心地がする。
傷の縫合も、毒抜きも、全ての処置は適切に行われた。それでも、出血のダメージや臓器への負担は帳消しにできない。結局、あの時の怪我が今日の今日まで尾を引いているのだと分かっていた。
本当に、ろくな事をしない。
抱く事に慣れすぎて意識さえしていなかった古巣への憎悪を今一度覚え、首を振る。もう誰に禁じられているわけでもないけれど、強い感情を抱くのは、こわかった。どす黒いそれが明確な輪郭を形作る前にまた、腹の底へと沈める。
ふいに胸が切なくなって、なにかに縋りたいと思った。
「異三郎。起きて」
布団の波間を縫い手繰って見つけた彼の手は、氷のように冷たかった。
だから、それが理由だ。
冷えた体を冷たい布団へ寝かせていても仕方がない。体温を移してやろうと布団へ潜り込み、身体を寄せる。異三郎の、彫刻のように静止した顔の中、左瞼だけがピクリと動いた。開くか開かないかの目がこちらを見て、またすぐに閉じられる。意識が眠りに縫い止められているかのように思えた。
寝ぼけているのだろう。日頃全く私に触れない腕が、ゆっくりと背中へ回される。望まれているような気がしてより強く抱きつけば、シーツに沈む体がかすかに身じろぐ。
今、ほんのかすかに開かれた唇が、声も出さずに誰かを呼んだ。
骸でも、信女でもない、女の名だった。腰に回された手が、背骨の上をあやすように優しく叩く。
ああ、違う。
これは、見てはいけないものだ。これは私が知るべきではない顔だ。分かっているのにその、険の無い穏やかな顔から目を離せず、私はただじっと、瞼が開くのを待っていた。