『劇的ブレイアフター』イサミは、パンツ一枚で玉のように浮かぶ汗を拭いながら、カチリ、カチリとパソコンのキーを叩きレジュメを制作する
「あ"つ"い"」
時刻は深夜0時に近いというのに
日中に熱されたフライパンのようなアスファルトは、その熱を夜になっても放出し続け
室内のイサミにむわっとした熱気を届け続ける
「暑い」と言ったところでこの暑さがどうにかなるわけがないが
「暑い」と言わなければどうにもならないのだ。
イサミが暮らすこのアパート【ATF荘】にはエアコンが無いのだ。
東京にありながらも大学所有の試験的なアパートでもあるからか家賃が1万という破格の価格である。
それでいて、シャワー、トイレ別
大学からは近い。
それなりに高い学費を捻出するのが精一杯な苦大生のイサミには、この暑さに耐えかねて1000円で購入したイサミの短い髪をそよそよと撫でる風を送る小さな扇風機を買うことすら痛手なほどだった
イサミが通っているATF大学は、
主体性とさらなる学びを促進し、世界で活躍する人材を育てることを目的とするだけあり
ボランティア活動に力を入れていたり、専用の畑や田んぼを所有しそのまま農業系に就職したり、海外の先生の多さに目をつけ、通訳の道に進む者など
自分で道を見つけ、明日を生きる力を養う為の訓練が日々の学生生活の中で
気がつくだけで多くある大学なのだ。
イサミはまだ入学したてなのでまだそこのさらなる向こう側にはいかないが
その導入口として、授業ごとに用意されるレポートとレジュメの数々を打ち倒していたのだ
「確かにこれはキツイな」
先輩であり、義兄と慕うサタケにこの大学は1年が踏ん張りどころとは聞いていたが
毎日1コマに1つあるのではないか、と疑いたくなるほどの課題量に苦笑もしたくなる。
「……だけど、なんとなくわかってきたな」
今、自分がどんなことに興味があるのか
興味がないことにどれだけ向き合えるのか
調べる力、根拠のありかを提示する方法、信憑性を持たせる方法、考える力。
要するにこのレポートとレジュメ達は、脳の筋トレのようなものなのだ。
「それなら得意だ」
ペロリと乾いた唇を舐め、ほんの少しでも水分を取ろうとペットボトルに口を付けるがこの暑さに蒸発してしまったのか一滴たりともイサミの口の中に生ぬるい経口補水液は落ちて来なかった。
「……買いに行くか」
このレポートとレジュメ達を明日の授業まで暖めていたらまた繁殖を繰り返し、手がつけられなくなってしまう。
その前にやっつけておかなければ。
その為には、戦う力が必要だ。
水が必要だ。
それに今日学んだこの熱は今日の内に暖めておきたい。
そうと決まれば、たった3着しかない服を身に纏い
真面目なイサミは、小銭を掴みアパートからイサミが走れば3分もかからないほどに近いコンビニの自動ドアを潜る。
「……ぁ"ー"」
数時間ぶりの文明の心地良い冷たい風に思わず声が出る。
いけない、いけない。
目的の物を買わなければ
「やっぱり高いよなぁ」
自動販売機で買うことを考えれば安い方ではあるが
ドラッグストアのチラシにあった値段がイサミの脳裏を過る。
その10円、50円の積み重ねでもう少しまともな扇風機を買うことだってできるし、誰に見せるわけではないがかなりくたびれてきた下着の購入の選択肢もちらつく。
「……仕方がない」
どちらにせよ、明日の買い出しまでの水を買わなければいけないのだ。
イサミは扉を開け、水を2本持つとレジに向かう。
……何かもめてるな。
太陽のように赤い髪、黒いサングラスの隙間からちらりと見える美しいエメラルドの瞳、自動販売機のように縦に長くガッシリとした体躯。
アラブの石油王のように指にじゃらじゃらと赤い指輪が彫刻のような指に収まっている男。
「……!……!?」
英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語と
多種多様な言語でどうにかコンビニの店員に何かを伝えたいらしい。
『ぁ"ー、ちょっと良いか?
……どうしたんだ?
何か俺がお前を手伝えることはありそうか?』
男を落ちつかせるようにイサミが知っている英語を繋ぎ合わせ、声をかける。
「うぉっ!」
男がバッと振り向きビックリしてしまう
「わたしの、たいせつなわがしたに
なにか、とるものをかしてほしいんだ」
「え、ああ、なるほど」
男の唇から紡がれるたどたどしい日本語に驚きながらも理解する。
こんな美大男に突如として話かけられては
知っている言語であろうとも
頭が真っ白になって理解できなかったかもしれない。
「すみません、何か棒のようなものはありますか?」
「あ!はい!あります!」
コンビニの店員が魔法が解けたようにカウンター下から棒を渡してくれる。
「ありがとうございます」
「い、いえ、こちらこそ!
ありがとうございます助かりました!」
ペコペコと礼をするコンビ店員にこちらも礼をし
男に向き直る。
『それで、どこだ?』
「あそこなんだ」
こっち、こっちと男に連れられた棚の下に確かに鈍く光る輪があった。
「あれか待ってろよ……ん"ッ"……ん……よし取れたぞ
次はもう落とすなよ?」
「ありがとう!君は私のいのちのおんじんだ!!!」
男に指輪を渡そうとした指ごとチュッ、チュッとキスをされイサミはたじろぐ。
……だが、こんなに喜んでくれたなら
もっとこちらも何かをしたくなってしまう。
男にはそんな魅力があった。
「ブレイバーンだ」
「は?」
「私の名前はブレイバーンだ
君の名前は?」
「イサミ・アオ……です」
まるでこちらがその名を知りたいと思った瞬間に名乗られ、ポカンとしてしまう
なるほど、これは店員でなくともビックしてどうすれば良いのかわからなくなる
「イサミ!イサミというんだな!
イサミ!私とけっこんしてくれ!」
「……はぃ?」
けっこんって、あの"結婚"だよなと
イサミの脳内で結婚の概要が瞬時に流れる。
「はい、ということは私とけっこんしてくれるんだなイサミ!」
「い、いや、違うんだ
疑問というか、なんでそうなるんだよ」
放っておいたらこのままブレイバーンに結婚式場に連れて行かれそうで
せめて、理由が知りたいと
説明してくれと頼む。
「私のこの"わ"は、私が産まれたときからもっていたんだ
私のくにでは、それを前世とのつながりとして命よりたいせつにしてきたんだ
その命をたすけてくれたのだから
けっこんをするのはあたりまえだと思うのだが?」
何か問題でも?とブレイバーンにキラキラとした子供のような瞳で見つめられ眩しく感じる。
「えっと、その……俺達はまだ出会って10分もないだろ?
なのにいきなり結婚だなんて……」
「時間はかんけいないぞイサミ!
これからゆっくりとおたがいをりかいすればいい!
だが、その間にイサミがほかのにんげんにとられないともかぎらない!
そこで、私としてはイサミとけっこんしたい」
どうしてもそこに着地してしまうらしい
「はっ!まさかもうイサミには特別な人が」
「いない!いないから泣くなって!」
どうやらブレイバーンは俺が他の誰かとそういう関係がいると想像しただけでエメラルドの瞳が融けてしまいそうなほどに美しい涙を流すブレイバーンに心が揺れ動いてしまう。
「ほんとうかイサミ?
君は誰かの力になろうとするやさしい男だ。
君はしょたいめんの私に話しかけてくれたゆうきがある。
そんな魅力的なイサミに特別な人がまだいないなんて」
「な……恥ずかしいこと言うなよ……」
こうも面と向かって誉められては悪い気もしない。
それに、ブレイバーンを見ているとなんだか懐かしいような感覚にもなる。
「どうだろうイサミ?
私とけっこんしてくれるだろうか?」
「まぁ、……まずは"おともだち"からでお願いします」
「イサミとおともだち!
私、おともだちもはじめましてだ!
イサミが私の初めてのおともだちだな」
「そ、そうなのか」
「そうなんだ!」
ニバーンとひまわりのように笑うブレイバーンにイサミの心も徐々に解れてしまう。
当たり前のようにはい、さようならとはならずに
「イサミが明日、起きて私をわすれてはいけないので
ずっといっしょにいたい!」
と、引っ付き虫のように腕にしがみつくブレイバーンに諦めたイサミもまんざらでもなさそうな顔で
ATF荘にブレイバーンを連れ帰ったのだ
「イサミのおうちたのしみだ!」
「言っとくがそんな綺麗じゃないからな」
アパートを別荘か何かのテーマパークのようにはしゃぎ、楽しみにしているブレイバーンには悪いがこれが現実だと
立て付けの悪いドアノブを少し持ち上げ、鍵を開ける。
「イサミのおうち!おじゃまします?」
「おう、靴はここな」
大きいのに可愛いらしいブレイバーンの口調に笑みがこぼれながら
「ここだな」と楽しそうにイサミの靴の隣にピッタリと揃えられるブレイバーンの大きな革靴にドキリとしてしまう。
「イサミ!たいへんだ!エアコンがない!死んでしまうぞイサミ!」
「扇風機はあるから大丈夫だ」
「はわわ、イサミのように小さくて頑張りやなせんぷうきだな!
だがこれではイサミがねっちゅーしょーになってしまうぞイサミ!」
「大袈裟だなぁ、ちゃんと水分補給はしてるから大丈夫だ
……まぁ、心配してくれてありがとな。
お前も、耐えられないなら今日は帰っても良いんだぞ?」
「それは嫌だ!」
水晶玉のように美しい汗を流すブレイバーンにくくっ、と笑ってしまう。
「俺はこれからレジュメの続きをするからちょっと待ってくれ」
「イサミを待とう!」
コクン、コクンと赤ベコのように頷くブレイバーンに頬を緩ませ、パソコンの電源ボタンを押す。
……押す。
……長押ししてみる。
「……電源、はついてるよな」
ツンツンと思い当たるキーを押してみるがうんともすんとも言わない。
「パソコンのことなら私に任せてくれイサミ!」
「頼むブレイバーン!
USBでバックアップはちゃんと取ってる筈だと思うんだが
こんな時にパソコンが壊れるなんて」
イサミが中学生になった記念として両親に買ってもらったこのパソコンは10年目になる。
思い出もあるが
今、10万はするパソコンを買うとなると苦大生であるイサミには痛すぎる出費だ。
こんなことならやっぱりパソコン修理を受講しておけば良かったか、と
隅から隅まで全ての授業内容を真面目に目を通していたイサミは頭を抱えながらブレイバーンに祈るしかできない。
「……イサミ、どうやら内部に熱がたまりすぎてオーバーヒートをおこしたようだ
つまり、パソコンのねっちゅーしょーだな」
「……治りそうかブレイバーン?」
「私の家にあるよびのパーツとこうかんすれば治るとも」
「良かった……いや、良くはないのか」
ブレイバーンが頷く。
「イサミにも、このパソコンのためにもそうきゅーにエアコンがひつようだ」
「だよなぁ……」
「イサミ、私のおうちに来てほしい!
その間に私がこのアパートをエアコンのある素敵なアパートにだいかいぞーしよう!」
「良いのかブレイバーン?」
「そのかわり、
……その、イサミに手取り足取りにほんごをおしえてほしいんだ」
恥ずかしそうに頬を赤く染めるブレイバーンにイサミもなんだか恥ずかしくなる
「そんなことで良いのかよ?」
「イサミからちょくせつおしえてもらえる時間をもらえるんだ。せいとうなたいかだと私は思うのだが」
なるほど、大学の授業と同じか。とイサミは頷く。
「わかった。
俺なりにちゃんとお前に分かりやすいように教える」
「よろしくなイサミ!」
ニバーンと笑うブレイバーンは、やっぱり輝いている。
イサミは笑いながらブレイバーンの大きな手を掴んだ。
■
アパートの他に住んでいる生徒達はブレイバーンのエアコンの魔法の一言に頷き
ブレイバーンが用意した仮のマンションに移った。
イサミは、ブレイバーンの別荘に招待され
どこぞのご令息のように毎日白いリムジンで大学とブレイバーンの家を往復することになったのだ。
「なんだこれは?」
「とちのしょーめーしょーだな!
あのアパートを買ったんだイサミ!」
まさかの、土地ごとあのアパートを買ったらしい。
誉めて!誉めてイサミ!とキラキラとエメラルドの瞳を輝かせるブレイバーンに苦笑するしかない。
「そういう大切なことは相談してくれって言っただろ?」
「……だって、大学のもちものだから勝手なこうじはダメって言われたんだ
私、早くイサミのおうちに住みたかったからごーいんにしてしまったんだ。
ダメだっただろうかイサミ?」
こんなに綺麗で広い豪邸よりもイサミが住んでいた狭いアパートをえらく気に入ってしまったらしいブレイバーンに心を揺さぶられる
「仕方がない奴だな」
確かにここにはなんでもあるが静かで寂しい。
あのアパートの時折聞こえる歌声や、笑い声がなんだか急に愛おしいものだったのだと気づいてしまう。
「……俺も好きだ、ブレイバーン」
今はそこにブレイバーンもいて欲しいと心から願ってしまう。
朝起きたら、ベッドの回りにそわそわといたり
ふと振り向けばそこにブレイバーンがいない毎日が考えられなかった。
「私も大好きだイサミッ!!!」
「愛の言葉だけは流暢になったな」
「イサミへの愛の力だ!」
「……そうか」
ブレイバーンに押し倒され、ふっと力を抜き身を任せる。
「イサミ、私と結婚してくれ」
「それ、命より大切な物なんだろ?良いのか?」
ブレイバーンの首に掛かった指輪を差し出され
イサミは指輪とブレイバーンの瞳を見つめる。
「イサミもだいじだ、どちらもたいせつにしたい。
イサミなら無くしたり、落としたりしないと信じているから渡したいんだ
私がかならず守ると誓おうイサミ
だから、私と結婚してくれないかイサミ?」
「……そうか、……これからもよろしくなブレイバーン」
左手を出せばブレイバーンは、恭しくその左手を包むように受け取り、薬指にキスをすると
まるで元からそうであったかのようにピッタリと銀色の光がイサミの指で光った
■
なんということでしょう。
あの蔦まみれの緑のATF荘は、ブレイバーンの手により
白へと変わり
立て付けの悪かったドアは最新鋭の頑丈なドアへと変わり
狭さはそのままだが
綺麗になったフローリングとエアコンに学生達はブレイバーンを拝む。
なぜならば、電気代、ガス代全てブレイバーンが払うというのだから。
イサミのような苦大生ばかりのATF荘の学生達は頭が上がらない。
「しかし、この素晴らしいアパートを守る為にも約束してくれ!
必ず月に一度の清掃に参加をすることをそれがこの条件だ」
「まぁ、この白は汚れが目立つもんな」
「しかし、白亜の城は譲れなかったんだ
イサミも好きだろう?」
「……まあな
……お前みたいで好きだ」
赤に白に、金色の小さなアパートが太陽に輝く
同じように笑っているようにも見える窓とドアにイサミの頬も緩んでしまう。
ああ、帰ってきたな。と新しい匂いがするドアを開け、
ブレイバーンに「お帰りイサミ!
今日はご飯にするか?それてもお風呂の準備もできているぞ!
……それとも、私……か?」
なんて、新婚ほやほやのお決まりも覚えて来てしまったらしいブレイバーンにイサミは愛おしさのあまりギュッとブレイバーンを抱きしめ
「お前」と答え
ブレイバーンに押し倒される毎日を楽しく暮らしましたとさ
めでたし、めでたし。